「ハネムーン?」
青島はきょとんとして、すみれを見た。
それから笑い出す。
「ナイナイ、ありえないよ」
顔の前で手を振りながら言ったら、すみれは不服そうに唇を尖らせた。
「なんでよー。結婚したんでしょ?」
なら当然行くべきでしょ、と分かるような分からないようなことを言われる。
すみれには室井と気持ちの上でというだけだが、結婚したことを伝えた。
というか、喜びを隠し切れなかった青島の異変に気が付いたすみれに、激しく突っつかれた結果吐かされただけとも言う。
そうしたら喫煙所に拉致されて、当然のように「ハネムーンはどこ?」と聞かれた。
全く予想もしていなかったことを聞かれて、青島は驚いた。
ハネムーンなど行くわけがないし、行けるわけもない。
青島は煙草を取り出して唇に咥えながら、肩を竦めた。
「結婚したからって、行かなきゃいけないもんでもないでしょ」
「そりゃあそうだけど。折角だもん、行ってくればいいじゃない」
火を点けようとした手を止めて、青島は呆れた顔をした。
「軽く言わないでよ、あの人に旅行なんか行ってる暇があると思う?」
室井はもちろん、青島だって長期休暇など中々取れない。
「だからこそよっ」
そう言ってすみれが握り拳を握ったから、青島は少し引いた。
「アンタたちなら、滅多に旅行なんていけないでしょ。今このチャンスに行かないでどうするのよ」
「ど、どうするのよって言われても」
すみれの良く分からない迫力に押されて、青島は何故か焦った。
確かに普段休暇の取得し辛い職場でも、「新婚旅行」という名目であれば比較的取り易い。
だがそれは、青島たちには当てはまらない。
当てはまるわけがない。
現在の日本では同性同士で結婚などできないから、いくら青島と室井が結婚した気でいても世間に認められるものではない。
二人がするのなら、新婚旅行もただの旅行に過ぎない。
青島と室井がどう思おうと、傍から見ればそうなのだ。
そのこと自体は青島も室井も気にしていない。
二人が結婚した気でいれば、それで充分だった。
だからこそ、青島はこれ以上を望んではなかった。
「別にわざわざ旅行なんか行かなくても」
「いつも一緒だから、それでいいって?」
「う…いや、まぁ…」
図星を指されて青島は言葉を濁した。
すみれは首を横に振った。
「いや、絶対行くべきよ」
「だから、なんでさ」
「新婚だもん、人目もはばからずいちゃいちゃできるチャンスじゃない」
「…俺たちは何処に行ったって、いちゃいちゃなんてできないよ」
「旅の恥はかき捨てって言うじゃない」
言いたい放題のすみれに、青島は最早何も言えなかった。
恥と言い切られてしまうと、それはそれで面白くない。
―室井さんといちゃいちゃするのが恥だなんて……いや、まあ、恥だけど。
青島は煙草を咥えなおして、今度こそ火を点けた。
そんな青島を、すみれが覗きこむようにして見つめてくる。
「冗談抜きでさ、二人で旅行に行くことなんて滅多にないでしょ?この機会だもん。ちょっと無理してでも休暇とって行っといでよ」
それはからかっているふうではなくて、青島はまた少し肩を竦めた。
行きたくないわけではない。
むしろ行きたかった。
家にいたって二人きりだけど、旅行となればまた別である。
一緒に色んなモノを見て、色んなことを体験して、美味しいモノを食べて、一日中一緒にいて―。
望まないわけではないが、やはり難しいだろうと思う。
こればかりは青島一人のことではないから。
「ハネムーンねぇ…」
青島は溜め息と一緒に煙を吐き出した。
「新婚旅行?」
室井は落ちそうなほど目を見開いて、一倉を見つめた。
そして、露骨に呆れた顔をした。
「バカなことを言うな」
「バカって酷いな。結婚したら、当然新婚旅行だろう」
一倉の間違ってはないが、合ってもいない発言に溜め息を吐く。
「行けるわけがないだろう、そんなもん」
室井は手にした捜査資料を捲りながら、視界から一倉を消した。
が、そう簡単に消えてくれないのが一倉である。
「この機会に行っとかないと、中々行けねーだろ。折角だから行って来いよ」
「折角」の意味が、室井には分からない。
室井と青島は確かに結婚したが、それは世間的には認められるものではない。
だから、新婚旅行など有り得ないのだ。
そんなことが分からない一倉ではないから、「折角」に深い意味はないのだろう。
室井は渋面になりながら、一倉を無視した。
そんなことを気にする一倉でもない。
勝手に話を進める。
「新婚旅行はいいぞー。人目もはばからずいちゃいちゃできるしな」
そういえば一倉は既婚者だから、新婚旅行にも行っていることを思い出す。
―この男が人目もはばからずいちゃいちゃしてたのか…。
などと思って、げんなりした。
「青島だって、嬉しいんじゃないか?」
青島の名前が出て、室井の眉がピクリと動いた。
「ずっと二人きりで、湾岸署の連中とか俺とかに邪魔されることもないし」
俺とか、と言う辺り、迷惑をかけている自覚はあるようだ。
自覚がある分性質が悪い。
「それに旅先だと、青島も大胆になったりして」
「…っ」
「あーんなことや、そーんなこともしてくれるかも」
「黙れっ」
何を想像したのか室井は赤面して、思わず一倉の顔面に資料を投げつけた。
「いてぇなぁ」
ぼやきながら、一倉が落ちた資料を拾いあげた。
それを室井に差し出しながら、苦笑した。
「いいじゃねぇか、たまにはさ。二人で行って来いよ」
からかっているわけでもなさそうな一倉の表情に、室井は難しい表情のまま考え込む。
正直にいえば、旅行には行きたい。
二人で遠出をしたことは、付き合いが長いくせに殆どない。
新婚旅行だなんて口実にしかすぎないが、二人きりでどこかに行けるならそれも悪くなかった。
ただ二人揃って長期休暇が取れるかどうかが問題だった。
ちらりと一倉を見る。
焚きつけるくらいだから、そうなればこの男も協力してくれることだろう。
見返りに何を求められるか分かったものではないが。
―無理をすれば、行けないことも、ないかもしれないな。
もちろん室井一人でどうにかなる話ではない。
青島がもし頷いてくれれば―。
「新婚旅行か…」
室井は呟いて、また捜査資料に目を落とした。
「旅行に行かないか?」
すみれに「新婚旅行に行け!」と何故か強引に勧められたその晩のことだったから、青島は酷くビックリした。
タイミングが良すぎである。
目を剥いた青島に、室井が眉を寄せた。
「やはり無理だろうか」
「いやいや、そうじゃなくて」
青島は慌てて首を振り、手にしていた缶ビールをテーブルの上に置いた。
「その、俺も行きたい、です」
すみれが新婚旅行新婚旅行と焚きつけるから、妙に緊張して硬い声になってしまった。
それでも青島が「行きたい」と言ったせいか、室井はホッとしたように表情を緩めた。
「あ、でも、室井さん、休暇取れます?」
青島は自分の夏休みの休暇予定などを考えながら、言った。
「夏期休暇を少し長く取らせて貰おうかと思う」
「大丈夫ですか?」
「…その辺は、一倉が穴を埋めてくれるはずだ」
なぜ一倉さんと思ったが、捜査一課長だからかなと納得した。
「君は?大丈夫か?」
「俺も何とかなりますよ〜」
急に旅行が現実のものとなってきたら、ワクワクしてきて、青島は笑みを漏らした。
次にいつこんな機会があるだろうかと思えば、意地でも楽しんでやろうと思う。
「どこ行きますー?」
温泉地がいいかなとか、室井さんは海より山かなとか、考えながら尋ねる。
室井はいくらか強張った表情で、青島を見つめていた。
「ハワイ、じゃダメか?」
「…え?」
青島は一瞬聞き間違いかと思った。
呆然としてしまった青島に、室井は窺うような不安そうな視線を寄こした。
「ダメだろうか」
青島はまた慌てて首を振った。
「いや!ダメじゃない、です…けど…あの…」
「うん?」
青島は照れ臭そうに笑いながら、頭を掻いた。
「新婚旅行みたいだなー、なんて」
あははははとわざとらしく声をあげて笑うと、室井は目を瞠った。
「あ、いや、冗談ですって」
青島は苦笑しながら、手を振って否定した。
青島と室井が行くなら新婚旅行も、やっぱりただの旅行である。
分かってはいるが、すみれに言われていたから、ハワイと聞いて真っ先に思い浮かべてしまったのだ。
室井は青島を見つめたまま、真顔で呟いた。
「俺はそのつもりだ」
「へ?」
「改めて、誘い直す」
一つ深呼吸をして、室井は続けた。
「新婚旅行に行かないか?」
青島は絶句した。
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