■ 嫉妬の応酬(9)


Muroi Side


1ヶ月半ぶりに入った青島の部屋は、いつもと変わらない青島の部屋だった。
まだ主の戻らない真っ暗な部屋は、私の気持ちまでを重くさせた。
玄関を入ってそのまま、リビングダイニングの明かりをつける。
テーブルの上に置かれた汁が残ったままのカップラーメン容器。
とてつもなくデカイのに吸殻が山盛りの灰皿。
着替えたままに投げ置かれたような、ソファの上のヨレヨレのスウェット。
窓際に寄って振り返ってみれば、寝床になっているロフトからは掛け布団がはみ出して垂れている。
相変わらずの青島の生活ぶりが垣間見えて、なんだか妙にホっとした。


黒田氏と食事を共にした理由は、今となっては良くわからなかった。

今回の要人の来日警備にあたり、外務省にも我々警察にも少なからず落ち度があった。
などと上層部が思ってもいないことは知っている。
あのテロに関しても、上層部の認識は一貫して『不祥事の責任は外務省にある』というものだった。
名目だけの合同反省会。
同じコトを繰り返さないための教訓と訓練は、現場でのみ実践されていくのだろう。
そんな上辺だけの会議を終わって席を立った私のところへ、律儀にも黒田氏は挨拶に訪れた。
ショッピングの許可を勝手に出したことに言葉少なく、しかし謝罪の空気など微塵も匂わせなかった彼に、私も形式上の挨拶だけを述べた。
「犯人を逮捕したのだから外務省の面子も保たれたでしょう」と。
余計なことを言ってしまったと思った。
黒田氏が片眉だけを器用に上げて、聞き流そうとしたからだ。

その表情には見覚えがあった。

私が組織側に立って理不尽な処理を現場に命じたとき。
吸い過ぎだと煙草の本数を咎めたとき。
些細な嫉妬を見抜かれまいと、本心を隠したまま青島を言い負かそうと躍起になったとき。それが青島にばれてしまったとき。

青島が呆れたときにしてみせる仕種だった。

「黒田さん」
咄嗟に呼び止めていた。
まだ帰らせたくないような気がした。
「この後食事でもどうですか」
無表情なまま、しかし私の内心を真っ直ぐに伺う視線は、やはり青島によく似ていた。
「・・・・・ご迷惑で・・・なければ、ですが・・・」
後ろめたさを見透かされたような気がして、しなくてもいい言い訳の言葉が出てしまう。
しかし黒田氏からの返事はOKだった。


急なことだったので、店を選ぶ余裕も無かった。
幸いにもこの会合は都内の某ホテルの会議室で行われていた。
私は部下の一人に頼んで、上の階にあるレストランに個室を用意した。


会話らしい会話は無かった。
元々私は顔見知り程度の人間と打ち解けるタイプではないし、黒田氏も恐らく同じなのだろう。
向こうから会話を振られることも無かった。
ただ別れ際に言われた一言が、私の胸に嵐を巻き起こした。


ホテルのエントランスから表に出て向かい合う。
黒田氏は真っ直ぐに視線を合わせてくる。
後ろめたさから視線を外したのは私のほうだった。
このまま分かれるのを未練がましく感じているなど、認められる感情ではなかった。
目の前の男性は青島ではないのだ。
少々顔が似ているだけの。
背格好が似ているだけの。
視線の強さが似ているものの、立ち居振る舞いは似ても似つかない、ただの外務省の人間なのだ。
「室井さん」
声も似ている。でも青島ではない。
「私は明日、日本を出ます。もう帰ってくることは無いでしょう」
「そうですか」
「私を食事に誘う暇があるなら、会いに行かれたらどうですか」
「・・・・・それはどういう・・」
「・・・今夜はご馳走様でした。室井さん。・・・さようなら」

黒田氏はくるりと背中を向けて、振り返りもせずに帰っていった。
私はそんな彼の背中を黙って見送った。

なぜ青島のことを知っているのか。
本当に青島のことを差して言ったのか。
真実を確かめる術はないが、そんなことはもうどうでもよかった。
ただ青島に会いたかった。


携帯を取り出そうと懐に手を入れたが、そこにあるはずの物が見つからない。
左右のポケットもコートのポケットも探ってみたが、とうとう携帯は見つからなかった。
文明の利器に依存していると感じるのはこんなときだ。
愛している相手の電話番号すら覚えていない。
情けなさに唇を噛んだ。


昨日の今日では、全く黒田氏の思惑通りだと情けなくもなったが、もう自分を取り繕っている余裕など私には無かった。
青島に会いたい。
電話で話したり、姿を見かけたり、半端なすれ違いで満足していたわけではない。
ただ黒田氏を偶然見かけたあの日から、青島に会いたいと思う反面、会えないでいることに甘んじていた自覚もある。
会いたくない、などと思っていたわけではない。
ただ。
積極的に会おうとまでしなかった。
黒田氏を青島だと勘違いしていた後ろめたさが、私を臆病な卑怯者にしていた。


青島に会おう。
会って思い切り抱きしめよう。
そうして、どれだけ青島に会いたかったかを、あのしなやかで熱い身体に刻み込むのだ。


ガチャリ。
玄関の鍵が開く音がする。
ノブを廻して扉を開ける音。
室内の明かりは点いているが、駅からの道のりでは玄関ドアしか見えない造りだから、さぞかし驚いているだろう。
青島の驚くような顔が目に浮かぶ。

しかし中々室内に入ってくる気配が無い。
青島ではないのか?
しかし鍵を開けて入ってきた。
ピッキングか?
何者であろうと青島の領域に踏み込むことは許さん。
・・・・その前に空き巣なら不法侵入だろう。

ソファからゆっくりと立ち上がって玄関との間仕切りに背を預ける。
どうやら相手も室内を伺っているようだ。
一応靴は脱いだらしく、静かに床を踏みしめる音が近づいてくる。
今だ!
「ぅわっ!ぃだだだだっ!!誰だ!」
一歩向こうが踏み込んできた瞬間に左腕を背に捻り上げ、背中に膝を乗せて床にねじ伏せる。
「残念だがここは刑事の家だ。言い訳は警察で聞こう」
「そっ、そんなの分かってますよ!ってゆーかオマエこそ誰だ!青島さんに同居人が居るなんて聞いてないゾ!」
「青島さん?」
「そうだ!僕は湾岸署刑事課の刑事だ!オマエこそ大人しくしろ!」
「君・・・・和久くんか」
「え?僕を知ってる・・・・?うわぁぁぁ!!」
私が手を放して背中から降りると、和久君が慌てて振り返った。
私の顔を見て酷く驚いている。
「むっむっ、室井審議官?!え?ここ青島さんチじゃないんですか?」
「和久くん。落ち着きたまえ。ここは青島の家で間違いない」
「えー・・・つかぬ事をお伺いしますが、室井審議官がなぜ青島さんのお家に?」
「・・・・・」
どう言ったものか悩んでいると、再び玄関ドアの開閉音がした。
「和久くーん。迷わなかった?すぐ分かった・・・・室井さん?!」

入り口から姿を現したのは、今度こそ青島本人だった。










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瀬尾結城



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