■ 嫉妬の応酬(10)


Aoshima Side


和久君を見送って、玄関のドアを閉めた。
来てすぐに帰ってもらうのは申し訳なかったけど、まさか室井さんと三人で飲みましょうってわけにもいかない。
幸い、和久君も室井さんが急用で俺に会いに来たと思ったみたいで、快く引き取ってくれた。
問題は冷静になった和久君が、俺の部屋に室井さんがいたという異常な状況を疑問に思うかもしれないということだ。
まあ、適当にごまかすしかないか。
口から出任せはわりと得意だから、なんとかなるだろう。
目下のところ、和久君への言い訳よりも、突然現われた室井さんの方が問題だ。
なんでいきなり来たんだろう。
それが悪いってわけじゃない。
恋人が部屋に来てくれたのに、文句があるわけじゃなかった。
ただ、気まずい。
ケンカをしているわけでもないのに、室井さんと顔を合わせるのが酷く気まずかった。
何を話したらいいのか分からない。
こんなことは初めてだった。
だからといって、室井さんと話さないでいるわけにはいかない。
なんせ、俺の部屋にいるんだから。
一つ深呼吸してリビングに戻ると、室井さんはソファに座ったまま難しい顔で俺を待っていた。
「邪魔をしてすまない」
和久君を帰らせてしまったことを詫びているらしい室井さんに、首を振る。
「いえ、和久君とならいつでも飲めますから」
だから気にしなくていいという気持ちで言ったけど、室井さんは更に表情を曇らせた。
「そうか…」
室井さんが暗い顔をする理由が分からない。
何故か落ち込んでいるように見えた。
何かあったんだろうか?
室井さんが落ち込んでいるということは、仕事で何かあったのかもしれない。
だから、突然俺に会いに来たのか。
そういうことなら、気まずいなんて言ってられない。
是非とも話を聞かなくちゃ。
室井さんの隣に腰を下ろして、顔を覗き込む。
「どうしたんすか?何かあった?」
室井さんは俺をちらりと見て、重たそうな口を開いた。
「和久君はこの部屋に良く来るのか」
「は?和久君?いや、今日が初めてっすけど…」
なんでそんなことを聞かれているのか分からなかった。
「室井さん?」
首を傾げて見やると、室井さんは俺から逸らした視線を床に落とした。
「君は俺に会いたいと思うことはないのか」
「…はい?」
「和久君とは飲む時間はあるのに俺とは…」
飲み込まれた語尾に室井さんの苛立ちを感じたけど、苛立ったのは室井さんだけじゃない。
会いたくない?
他の誰かと過ごす時間はあるのに?
そんな言葉は、そっくりそのまま室井さんに熨斗をつけて返してやりたい。
女々しい自分を知られるのが嫌だったけど、言いたいことを我慢する方が性に合わなかった。
「室井さんこそ、俺と会う時間なんかなかったんでしょ?」
思ったよりも刺々しい声が出たけど、構うもんか。
言い出したのは室井さんなんだから、遠慮なんかする必要はない。
「俺が?」
顔を上げて眉を顰めた室井さんに、冷たい目を向けた。
「室井さんだって俺に会わなくても楽しんでんじゃない」
「何?」
「ホテルのレストランで、誰かと食事してたらしいっすね」
驚いたように室井さんの目が見開く。
それを見て、今更なことだったがやっぱりショックだった。
やっぱり室井さんには思い当たる節があるんだ。
誰かと食事をするくらいそれがどうしたって思うけど、それと同じくらい不愉快だった。
何が不愉快かって、そんなの決まってる。
室井さんが俺以外の誰かを優先してる気がして嫌なんだ。
思いも寄らない反撃だったのか、室井さんが絶句している。
「もしかして、浮気?」
剣のある眼差しで意地の悪い質問をすると、室井さんは珍しく声を荒げた。
「そんなわけないだろっ」
そんなわけない。
分かってる、俺だってそう思ってる。
だけど、俺と会っていない間に、室井さんの隣にいた男のことが気にならないわけがないだろ。
「相手、誰っすか」
女々しい問い掛けに我ながらうんざりするけど、この際気にしないことにした。
和久君を部屋に上げただけで文句を言う室井さんも室井さんだ。
そこはお互い様だと割り切った。
室井さんは気まずそうに意外な言葉を口にした。
「彼は…外務省の人間だ」
「外務省?」
「羽田で起きた人質立てこもり事件、君も覚えてるだろ?」
その事件なら覚えている。
夏美ちゃんと羽田まで応援にかけつけ、何もせずに帰ったアレだ。
あの時、室井さんは外務省と協力して要人の警備に当たっていたはずだ。
「あの時、被疑者を確保した外交官が黒田君だ」
その男の存在は知ってたけど、名前を聞くのは初めてだった。
いつだったか、室井さんとホテルの前で一緒にいるところを見掛けた男のことだろう。
それは分かった。
室井さんと縁の出来た人だということは分かった。
だけど、分からないのは一つ。
「何でその人とプライベートに?」
室井さんのような社交的とは掛け離れたタイプの人が、たまたま事件で知り合った程度の知人と好んで食事に行くとは思えなかった。
そう思って疑問を口にしたら、室井さんは今度こそ言葉に詰まった。
返事に窮して、焦りを表すように視線を揺らした室井さんに、さっきよりもショックだった。
心が重くなる。
出会ったばかりの彼とプライベートを共に過ごすということは、室井さんにとって彼が特別だってことじゃないだろうか。
じゃなかったら、室井さんが好き好んで、ほぼ見知らぬ男と二人で食事に行くとは思えない。
それなら、やっぱり。
浮気じゃないの?
「…黒田君には世話になったから」
室井さんの声に、ハッとした。
意識を飛ばしていたらしく、室井さんが眉間に皺を寄せて俺を見ていた。
「礼も兼ねて食事に行っただけだ」
嘘だと思った。
室井さんが仕事の礼に、プライベートで食事に行く?
そんなことは前代未聞だ。
俺とのきりたんぽ鍋の約束だって、実現したのは付き合い出してからじゃないか。
室井さんは俺に何か嘘を吐いてる。
そう思ったら急に怖くなった。
嘘を吐かれている理由を知るのが怖かった。
「そうっすか、じゃあもういいです」
素っ気なく言って腰を上げると、室井さんに腕を掴まれた。
「待て、青島」
「なんすか、もういいって言ってるでしょ」
「良くない、というかお前、なんか変なこと考えてないか」
室井さんの焦ったような声に、俺は顔を顰めた。
「別に、何も」
変なことなど考えていない。
考えたくもない。
室井さんに他に特別な人が出来たなんて―。
「青島…」
室井さんが息を飲んだから、自分がどれだけ情けなくみっともない顔をしてるか悟った。
だけど、歪んだ表情はどうしようもなくて、首ごと逸らす。
「もう、いいってば…何でもないんでしょ?アンタがそう言うなら信じますよ」
我ながら白々しい言葉だったけど、そうしたいという願望でもあった。
室井さんを信じていられれば、俺はそれでいい。
信じていられなくなった時は、室井さんを失う時だ。
それが怖かった。
「青島」
不意に室井さんの両手が俺の頬を掴み、真正面から見つめられる。
睨み付けると言った方が正しいかもしれない眼光の鋭さで、室井さんは俺を見つめていた。
そして、唐突な一言。
「君に似てるんだ」
「……誰が?」
至極もっともな疑問が口を吐いた。
室井さんは酷く苦悩しているかのように眉間を寄せたり、眉尻をつり上げたりしていたけど、今更後には退けないと思ったのか、ちゃんと答えてくれた。
「黒田君が、君に似てたんだ」
「へぇ…そうなんですか…」
それくらいしか言葉がでない。
黒田という男は俺に似てるのか、それには少し驚いた。
驚いたけど、室井さんが何を言いたいのか良く分からない。
だから何?と首を傾げると、室井さんは呻くように言った。
「彼が君に似てるから…だから、」
「はあ」
「彼に会えば嫌でも君を思いだすのに、その…」
「……」
嫌でもとは何事だと思ったけど、聞けば間違いなく話の腰を折ることになるから、訳が分からないまま室井さんの言葉の続きを待った。
「だけど、君には会えないし」
俺の頬を掴む室井さんの手に力がこもった。
「会いたいのに、会えなかったから、だから、俺は…」
どこか必死になって、珍しくも支離滅裂に言葉を紡ぐ室井さんに呆気にとられた。
つまり室井さんは何が言いたいんだ?
彼が俺に似ていて。
彼に会うと俺を思い出して。
俺に会いたかったけど会えなくて。
会えないから。
だから、室井さんは何をした?
「…まさかそれが理由で、黒田さんって人と会ってたの?」
室井さんからは返事がないけど、硬直してる顔が素直に物語っていた。
俺に会えないから彼と会ったなんて、俺にも彼にも失礼なんじゃないのか。
そうは思うけど、安心して脱力したら、なんだか笑えてきた。
室井さんが心変わりしたわけじゃなかったことに安心して、室井さんが本当に珍しいことに馬鹿なことをしたことが笑えた。
「なんだよもう…室井さん、馬鹿じゃないの」
悪態をつくけど、笑いそうになる顔はどうにもならなかった。
「自分でも馬鹿だと思う」
室井さんは真顔で頷いた。
「君に会いたい一心で、何故か黒田君を食事に誘った」
俺は一度後姿を見ただけだから、黒田という男がどういう男か全く見えてこない。
だけど、室井さんは彼に俺の面影を見ていたらしい。
それぐらいなら何で俺に会いに来ないのと思うけど、俺だって思うところがありながら室井さんに会いに行けなかった。
何かが少し、すれ違っていたみたいだ。
そのズレを埋めるように、頬に触れる室井さんの手に自分の手を重ねた。
「俺には会えた?」
室井さんは深く息を吐くと、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「黒田君が君じゃないってことを確かめるために食事に行ったようなものだった」
「そりゃ、また無駄な時間を過ごしましたね」
軽く笑って応えたけど、それを聞けてホッとした。
室井さんには、彼が俺よりも魅力的には映らなかった。
そういうことだろう。
「全くだ……黒田君にも悪いことをした」
眉を顰めて後悔を口にする室井さんに、俺は悪戯っぽい視線を向けた。
「黒田君にもってことは、俺に対しても悪いと思ってるんだ?」
室井さんは頷くと、顔を少し近付けて来た。
「君に会いたいんだから、さっさと君に会いに行くべきだった」
「本当ですよ、おかげでいらない自棄酒するところでした」
「自棄酒?」
「最近係長元気ないですねって、和久君が気を遣ってくれてね。今日は一緒にストレス発散しようってことになってたんです」
ここのところ、ずっと気持ちが沈んでいた。
気にしないでおこうとどんなに思っても、どうしても室井さんのことが頭から離れなかった。
いつもなら忙しくて会えないことなんか当たり前で気にもしなかったけど、会えないどころか電話がないことだけでも妙に不安だった。
それが面に出ていたらしく、部下の和久君に気を遣わせて申し訳なかったけど、彼の申し出はありがたく思った。
だから部屋に招いて、飲んで憂さ晴らしをしようと思っていた。
「そうか…和久君にも申し訳ないことをしたな…」
ふと、さっきの室井さんの言葉を思い出す。
―和久君とは飲む時間はあるのに俺とは…
自分のことを棚に上げて!と頭に血が上ったけど、良く考えたら、あれは室井さんのただの嫉妬だったんじゃないか。
思わず笑ってしまう。
不思議そうに目を覗き込んでくる室井さんに、俺は笑ったまま言った。
「和久君に、嫉妬した?」
室井さんが顔を顰める。
「君こそ、黒田君にしたんじゃないのか?」
言い返されて、ぐっと言葉が詰まる。
確かにその通りで、返す言葉もない。
室井さんも否定しないから、やっぱり嫉妬していたんだろう。
互いに、無駄な嫉妬をしていたのだと思うと、これ以上ないくらい馬鹿馬鹿しくなってくる。
互いに嫉妬するということは、互いに物凄く相手が好きだってことじゃないか。
本当に馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しすぎて泣きそうだ。
「青島…?」
俺の様子を窺うような気遣わしげな目で見つめてくる室井さんに、笑いながら何でもないと首を振った。
「俺たち、相思相愛っすねえ」
軽く目を瞠った室井さんは、すぐに頷くと、顔を更に寄せてきた。
「当たり前だ」
自信満々な室井さんの返事に満足して、俺は瞼を落とした。




ソファの上で室井さんと重なり合いながら、ふと思う。
「俺に似てたんなら、一度会ってちゃんと見たかったな…」
室井さんが見間違ったほど似てるという、黒田という男のことだ。
すみれさんも見間違ったくらいだし、それほど似ているなら一度くらいお目にかかってみたかった。
だけど、俺の首筋に吸いついていた室井さんは、顔を上げて複雑な表情を浮かべた。
「…今思うと、それほど似てないかもしれない」
「ええ?」
なんじゃそりゃと思ったけど、まんざら嘘ではないようだった。
室井さんが唇を寄せてくる。
軽く触れ合わせて啄ばんで、名残惜しげにゆっくり離れて行く。
「俺がこんなことをしたくなるのは、君だけだ」
「…それって」
「君に似た人がこの世にいるわけがない、そういうことだ」
室井さんの手や唇が再び動き出して、行為が再開される。
だけど、少しの間、俺はそれどころじゃなかった。


室井さんが俺以外にその気になることはない。
室井さんが俺以外を好きになることはない。
そう言われた気がしたからだ。










END

かず



template : A Moveable Feast