■ 嫉妬の応酬(8)


Aoshima Side


衝撃で目が覚めた。
一瞬何が起こったのか分からなかったけど、痛む額が教えてくれる。
どうやら、転寝していて顔面を机にぶつけたみたいだ。
何をやってるんだか。
自分に呆れつつ額に手を当てていると、和久君が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか?青島さん」
和久君は優しい。
これがすみれさんや夏美ちゃんなら、白い目で見られるだけだ。
勤務中に転寝していたんだから、それで当然だけど。
「大丈夫大丈夫」
「昨日は非番でしたけど、忙しかったんですか?」
「いや、全然。ゆっくり休んだよ」
「そのわりに眠そうですね」
寝過ぎで眠いんだと言ったら、さすがに和久君も苦笑してしまった。
余計なことを言ってしまったみたいだ。
言ってしまったものを悔やんでもどうしようもない。
適当に笑って誤魔化しておいた。


昨日の非番は本当に何もしていなかった。
久しぶりの休暇だったせいか、とにかくよく寝た。
暇だったから室井さんに連絡をしてみようかとも思ったけど、悩んだ挙句に結局していない。
話したくないわけでも会いたくないわけでもないのに、電話をかける気にならなかった。
あれから三週間、室井さんとは会えていなかった。
忙しくて会えないことはいつものことだけど、妙に気分が落ち込むのはくだらない嫉妬をしたせいだろうか。
馬鹿馬鹿しいとは自分でも分かっているけど、あの日ホテルに消えた室井さんの後ろ姿が頭に残っている。
不思議なことに、時間が経つほどその記憶が鮮明になる気がした。
我ながら女々しいと思う。
どうしても気になるなら、室井さんに聞いてみればいいんだ。
きっと、仕事の付き合いだとか、友人と食事に行ったんだとか、とにかく自分が安心するような一言が貰えるはずだった。
そうは思うのに、室井さんに何も聞けずにいる自分が嫌だった。
室井さんを信じていないわけじゃないんだ。
信じていないわけじゃないのに、あの人は誰と聞けないまま3週間も過ぎてしまった。
今となって、今更過ぎて余計に聞きづらい。
でも知りたい。
でも聞けない。
でも…と珍しく考えすぎたせいか、電話をかけることができなかった。
幸いというかなんというか、室井さんからの連絡もない。
それはそれで寂しいなんて、勝手な話だ。


「うそつきー」
背後から唐突にかけられた言葉に振り返ると、すみれさんが立っていた。
恨めしそうな目で見下ろされて、若干ひく。
すみれさんに怒られるようなことは、してないはずなんだけど。
今日は、多分。
「な、何が」
「昨日は美味しいものを食べに行ってたくせに」
それが本当だとしても何ですみれさんに怒られるのか全く分からないけど、とりあえず何か誤解されているようだった。
「昨日は本当にどこにも行ってないよ」
「嘘。どこのレストラン行ったの。あのホテルのレストラン、どこも美味しいって有名なんだから!高いし!あの人相手だから和食かしら…てことは、もしかして日本料理『華菱』の懐石!?」
拳を握りしめているすみれさんが、何を言っているのか良く分からない。
「すみれさん……何の話?」
「しらばっくれないでよ、ネタはあがってんのよ」
じろりと睨まれると思わずごめんなさいと言いたくなるけど、俺は多分何も悪くない。
「なんだか良く分かんないけど、そんなホテル知らないし、懐石料理なんて食いに行ってないってば」
「あの時間にホテルから出てくるってことは、レストランで食事はしてたんでしょ?」
「だから、そのホテルに行ってないんだってば」
怪訝そうにすみれさんを見上げれば、すみれさんはややしばらく疑わしげな視線を寄越していたけど、不意に首を傾げた。
「本当に行ってないの?」
「さっきからそう言ってるでしょ」
「えー?でも、私見たんだけど…」
「何を?」
青島君があの人とホテルから出てくるところ。
すみれさんに言われた言葉を脳内で反芻した。
あの人とは、きっと室井さんのことだ。
すみれさんは俺が室井さんと付き合ってるってことを知ってる。
周囲に気遣ってか名前を出さないけど、名前を出さないということは、恐らく室井さんのことだろう。
室井さんとは3週間会っていない。
もちろん、夕べも会っていなかった。
だから、すみれさんが夕べ見かけたのだとしたら、すみれさんの見間違いのはずだった。
少なくても、俺のことは。
「22時くらいかな、ホテルの前で室井さんを見かけたのよ。青島君と似た感じの人と一緒にいたからてっきりそうなのかと思って」
「俺に似てた…?」
「顔をはっきり見たわけじゃないから、見間違ったみたい。そういえば黒いコート着てたし、髪もちょっと短かったかも」
すみれさんが少しバツが悪そうに言った。
勘違いして俺を責めたことが気まずいのか、それとも言わなくてもいいことを言ったと思ったのか。
別に浮気の現場を目撃したわけでもあるまいし、すみれさんが気にすることはなかった。
室井さんが誰かとホテルに泊まるとは到底思えない。
そんなことはありえない。
おそらくすみれさんの読み通りホテルのレストランで食事でもしていたのだろう。
「あの人も付き合いがあるだろうからね」
気にしていないということを伝えるように言葉を選ぶと、すみれさんは肩を竦めた。
「青島君も連れてってもらいなさいよ」
行く時は私もね!とすみれさんらしくフォローされて、曖昧に笑うしかなかった。


直感で、室井さんが一緒だったという男は、きっとこの間俺が目撃した男だと思った。
室井さんと一緒にホテルのエントランスに入って行った男。
そう思う理由など、何もなかった。
黒いコートで、自分よりも髪が短いという。
記憶にある男のシルエットもそうだったけど、ただそれだけの理由で決めつけているわけじゃない。
それでも、きっとあの男だと思う。
あの男と、室井さんは夕べも一緒だったんだ。
だから何だというわけじゃない。
浮気だと決めつける理由はない。
室井さんが浮気をするような男だとも思っていない。
だけど、何故か酷くショックだった。
室井さんがあの男と頻繁に会っていることが。
俺とは会えずにいるのに―。


デスクの上の電話が鳴る音にハッとした。
慌てて受話器を上げる。
「湾岸署刑事課強行犯係です」
条件反射で名乗り、ボールペンを握った。
電話の向こうで、誰かが何かを話している。
耳を上滑りしていく声になんとか耳を傾けながら、顔を顰めた。


会えずにいるんじゃなくて、会わずにいるんだったらどうしよう。









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かず



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