Muroi Side
あの人質事件から3日。
私は三たび羽田空港に来ていた。
今度こそ帰国する、マルティニーク島からの要人の見送り警護だった。
結局あの事件の犯人は単独犯だった。
被害者になった要人の話によると、いきなり後ろから羽交い絞めにはされたが、それ以外に身体的危害は加えられなかったとのこと。
一応の大事にと病院に行くことを勧めたが、これ以上帰国を遅らせることは出来ないと、本人が頑なに辞退した。
犯人を取り押さえた黒田氏もソレは同じだった。
事件後に黒田氏には事情聴取をお願いしたが、それは私の仕事ではない。
警視庁の人間が行ったのだろう。
黒田氏と直接顔を会わせるのは、翌日のホテルのラウンジで偶然に居合わせたのを合わせても今日で3回目だった。
要人は隣の部屋でフライトの時間を待っている。
私は警察庁代表として数人の部下を従えて。
黒田氏は外務省側の現場責任者として、安藤室長と共にこの警備の最終打ち合わせに出席していた。
空港に来る車の中から、偶然に青島を見かけた。
交差点で赤信号に引っ掛かったとき、視界の端に気になる色を見つけた。
青島のトレードマークとなった緑のコート。
何気なく視線を向けてみれば、偶然にも青島本人だった。
交差点の角に位置する花屋の店先。
ショートカットの女性と並んで、店員と向かい合っている。
一瞬壊れたかと錯覚するほどに心臓が痛んだ。
青島が若い女性と花屋に。
しかし直ぐに勘違いだと気づいた。
青島も女性も手に手帳を持ち、店員の話をメモしていたからだ。
きっと聞き込みだ。
納得はしたものの、痛みの余韻はまだ残っていた。
それほどに驚いた。
聞き込みなら。
彼女の名前は青島から聞いたことがある。
『夏美ちゃん』
柏木くんが真下との二人目の子どもを身ごもり、また真下が湾岸署の署長に内定したとき、彼女は産休と共に湾岸署刑事課から席を外れた。
その欠員補充で配属され、青島が女性捜査員若手のホープだと太鼓判を押していた子だ。
その昔、管理官時代に捜査で出向いた新城の話によれば、彼女は青島並の暴走癖を持っているらしい。
私は面識は無かったが、仕事ならば彼女が『夏美ちゃん』で間違いないだろう。
青島が間違っても浮気などするはずがない。
判っていても、感情を整理できなかった。
膝上に置いた両手をきつく握り締め、湧き上がるイラつきをどうにか堪えた。
羽田での人質事件の翌日。
最終的な帰国の日時と警備の打ち合わせのために向かったホテルで、偶然黒田氏と出くわした。
黒田氏もこの夜から要人に同行を再開するために出向いた所だと言った。
エントランスで鉢合わせたので、そのまま部屋まで連れ立って向かった。
エレベーターで隣に並ぶと、青島とほぼ変わらない身長だとわかる。
しかし私ほどではないにしろ、他人には隙を見せない人物であることもわかった。
青島のように初対面の人間に話しかけたりしない。
空気を重苦しいと感じる狭い箱の中でも、沈黙を気にしたりしない。
青島に会いたいと思った。
隣に並ぶ『似た顔』ではなく、本当の、私の青島に。
エレベーターの扉が開き、VIP専用フロアのためのセキュリティドアに向かう。
カードをかざし、暗証番号を打ち込み中に入ると、安藤室長が待っていた。
「黒田君」
「はい。では室井さん。後ほど」
「はい」
黒田氏は、私に丁寧に挨拶してから安藤室長に歩み寄った。
私に聞かれてはまずい話なのか、特別他意は無いのか、二人とも私に背を向ける。
同時に激しい疎外感に襲われた。
省庁毎に都合があるのは当然だ。
しかも今回の事件は、外出の許可を出した外務省に世論の攻撃が集中している。
警察に聞かせたくない話の一つや二つあるだろう。
頭では分かっていても感情が納得しない。
そんな常識的なものではなかった。
その姿で。
その声で。
私を振り向かない彼に感情を乱されている。
「審議官。要人が飛行機に向かわれます。外務省の人間がタラップまで同行します」
「わかった。充分に注意して警護に当たるよう、再度みなに通知してくれ」
「はい。失礼します」
室内に設置されたいくつものモニターに注視する捜査員の後ろで、どれを見るとはなしに視線を流す。
外務大臣を筆頭に列を成している、外務省高官の間を要人が飛行機へと乗り込む。
いつの間にか最後尾から飛行機を見送る、黒田氏の後姿を見つめていた。
無事に飛行機が飛び立つと、安藤室長が黒田氏の肩に手を置き話しかけている。
初めて黒田氏の顔に浮かんだ、微笑とも呼べないような安堵したような表情に目を奪われた。
青島に会いたい。
痛烈に思った。
私に背を向けたりしない。
私を無視したりしない。
私だけに向けられる、青島の笑顔が見たいと思った。
運命とは、皮肉と偶然で出来ている。
あの羽田での事件から3週間。
青島とは2回ほど電話で話しただけで、いまだに会えていなかった。
今までにも何度もあったすれ違い。
それが何とも心に重いものを沈める重石のように感じているのは、黒田氏に会っているせいだろうか。
ホテルの最上階レストランで食事をする。
二人きりで。
なぜ彼を誘ったのかは分からない。
なぜ黒田氏が私の誘いを受けたのかも。
外見が青島に似ているからといって、浮気を考えているわけではない。
黒田氏に青島の代わりを求めているわけでもない。
目の前で静かに食事を進める青島に似た顔を眺めながら、そんなはずは無いと自分に言い聞かせていた。
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