Aoshima Side
涙で視界が滲む。
さっきから欠伸が止まらない。
頭の中がぼんやりしていて、俺も歳を取ったなぁと思う。
無理が利かない年齢になったということかな。
昔は一日くらい寝なくても平気だったけど、最近は徹夜が本当に堪える。
「あー、歳は取りたくないなぁ…」
溜め息と一緒に心の叫びが漏れてしまった。
「何、ジジくさいこと言ってるのよ」
背後から容赦のない声がかかるけど、振り返って見るまでもなくすみれさんだ。
俺が若干の出世を果たしたところで、すみれさんの扱いが変わるわけがなく、彼女は相変わらずだ。
それに文句はないけどね。
態度が変わる方がすみれさんらしくなくておっかない。
「係長が欠伸ばっかりしてたら、示しがつかないわよ〜」
なんて言いながら、すみれさんが俺の机にコーヒーカップを置いてくれる。
本人もコーヒーカップを手にしているからついでだろうけど、こういうところは優しい。
「ありがと…でもさ、当直明けに呼び出されて、挙句また徹夜だよ?もう勘弁して欲しいよ」
思わず愚痴ると、すみれさんは肩を竦めて苦笑した。
同情はしてくれているみたいだった。
昨日の非番は、署からの急な呼び出しで返上になっていた。
緒方君がインフルエンザにかかったせいだ。
気を抜いてるからインフルエンザなんかにかかるんだあんにゃろう…と腹立たしく思ったけど、それはさすがに鬼か。
大体、緒方君はいつでも大抵やる気満々だ、時々空回ってるけどね。
風邪くらいなら根性で這ってでも来そうだけど、インフルエンザじゃそうもいかない。
仲間のフォローは当然だと思うけど、そんな時に限って尋常じゃなく忙しかったりするから参る。
度重なる傷害事件の通報への対応で街を駆けずり回って、朝になってようやく署に戻ってくれば事情聴取や面倒な書類仕事が待っていた。
「ああ、そうだ」
夕べからの殺人的な忙しさを思い返して、一緒に大事な事を思い出した。
すみれさんが怪訝そうに首を傾げる。
「なによ?」
「や…なんでもない」
俺の愛想笑いに、益々怪訝そうなすみれさんの視線が痛い。
俺は有り難くコーヒーを頂いて席を立った。
向かう先は喫煙室。
昨今の禁煙ブームで署内でも喫煙者がめっきり減って、最近ではほとんど俺の部屋になってる。
一息吐くのに丁度いいんだけどね。
すみれさんが淹れてくれたコーヒーを片手に、携帯を取り出す。
夕べ暴れる被疑者と格闘していた時に室井さんから電話があったことを、さっき思い出した。
取り込んでいたから後で折り返そうと思っていたけど、忙しさにかまけてすっかり忘れていた。
時計を見れば既に9時を回っているから、室井さんも今頃きっと働いてる。
今夜定時で帰れる保証もないし、また折を見ていたら絶対に忘れる。
ダメ元と割り切って電話をしてみたら、意外にも電話はすぐに繋がった。
『はい』
「青島です、お疲れ様ですー」
『…お疲れ様』
気のせいか、室井さんのテンションが低い気がする。
まあ、室井さんのテンションが高い時も滅多にないんだけど。
要するに、いつもより更に低く感じたということだ。
室井さんも忙しいのかもしれない。
俺もすぐに仕事に戻らないといけないし、すぐに本題を切り出すことにした。
「夕べすいません、電話出れなくて」
『昨日は何をしてたんだ?』
室井さんの顔が見えるわけでもないのに、思わず携帯電話をじっと見てしまう。
テンションが低いというよりは、機嫌が悪いのかもしれない。
珍しくも詰問するような口調で問いただしてくる。
「急に仕事になったんですよ」
『なんの仕事だ』
「なんのって……色々ですよ、所轄が忙しいの知ってるでしょ」
夕べ起こった出来事を一々説明する元気もない。
尋問するような室井さんの口調が気に触って、俺の返事も投げやりなものになった。
まずかったかなとは思ったけど、悪いのは俺じゃない。
夕べ電話に出なかったことが気に入らないのかもしれないけど、俺には俺の都合があるんだ。
そんなことで責められる覚えはない。
第一、夕べから俺がどんなに忙しかったと思ってるんだ。
こっちは寝てないんだぞ。
ケンカの仲裁に入れば逆切れされ、酔っ払いには税金泥棒だと絡まれ、補導した女子高生にはセクハラ扱い。
善良な市民っていないの?
などという、もはや室井さんには何の関係もない不機嫌な物思いは、室井さんの声で断ち切られた。
『昨日何をしていたのか、教えてくれ』
重苦しい声で似たようなことを要求してくるから、余計にカチンとくる。
まるで浮気を疑うような言い草だ。
冗談じゃない。
「ちょっと、なんなのさ、室井さん」
むっつりと聞き返すと、室井さんが吐き出した。
『俺には言えないことなのか』
深刻な声は、何故か悲しそうにすら聞こえた。
訳が分からず、戸惑う。
「室井さん?何言って…」
「係長、事件!」
ハッとすると、喫煙室の入り口に夏美ちゃんがいた。
こっちに手招きをして、早く来いと促してくる。
夏美ちゃんに片手を挙げて、椅子から立ち上がった。
「事件なんで、また改めて連絡します」
『……分かった』
「じゃあ」
素っ気なく言って、電話を切った。
「係長、事件ですよ!」
「うん、分かってる。今聞いたよ」
「早く現場行きましょう!」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、夏美ちゃんがブラウスの袖を捲り上げて、満面の笑みを浮かべている。
既に熱くなっているらしい。
本来なら事件に熱くなるのは俺の役目なんだけどね。
部下が熱くなってくれるおかげで、俺は冷静になれた。
「事故起こさないように、気をつけて行こうね」
ポンポンと夏美ちゃんの背中を叩き、喫煙室を出た。
冷静になったせいか、急に後悔した。
素っ気なく電話を切ったことだ。
室井さんが意味もなく俺を問い質すわけがない。
第一、「電話に出ない」なんてくだらない理由で室井さんが怒ったことなんか、長い付き合いだけど一度もなかった。
室井さんが不機嫌だったのは、きっとそれが理由じゃない。
何か他に理由があったんだ。
ちゃんと話を聞くべきだった。
寝不足と疲労で少し短気になっていたようだ。
もちろん、室井さんの聞き方だって良くなかった。
だけど、相手が不機嫌だからって、売り言葉に買い言葉みたいなやりとりをしてどうする。
話し合わないと、理解なんて出来ないのに。
「どうしたんですか?係長…溜息なんか吐いちゃって。元気ないですね、事件なのに」
隣を歩く夏美ちゃんが不思議そうに見てくる。
「俺ってどんなイメージ?」
「事件大好き、現場大好き。違いますか?」
「…まあ、間違ってないか」
笑うしかなかった。
後でちゃんと室井さんと話してみよう。
そう思いながらも、今は現場に向かうしかなかった。
NEXT