室井は鏡の前で眉間に皺を寄せていた。
我ながら似合わないなと思ったが、見慣れないせいもあるかもしれない。
見慣れているはずなどないが。
白いタキシードを着る機会など、結婚式以外まずない。
とりあえず着替えたので試着室から出ると、隣の試着室で着替えていた青島も出てきたところだった。
同じく白いタキシードを着ている。
鏡で見た自分とはまるで違い、これはアリだなと思った。
青島は室井よりも長身だし、足も長い。
スタイルがいいから白いタキシードも十分様になっていた。
思えば、彼の正装など警察官の制服姿くらいしか見たことがない。
非日常の中にいる青島も、凛々しくて爽やかだった。
きついのか襟首を少し気にしながら、室井を見て笑ってみせる。
青島の晴れ姿に室井は密かにご満悦だったが、幸いなことに表情にはあまり出なかった。
こんな時には、硬い表情筋も意外と役に立つものである。
揃いの非番を利用して、二人は衣装合わせに来ていた。
とはいえ、女性のドレス選びではないから、何着も試着してみるつもりはない。
室井に似合いそうだという青島の提案で紋付き袴も候補にあったが、着付けの面倒くささを指摘してやれば、青島はあっさりと諦めた。
それに、隣に着物の女性が立つならともかく、男二人で紋付き袴では堅苦しい気もした。
想像したのか、青島も歌舞伎役者の襲名披露みたいだと笑っていた。
結局、候補はタキシードに絞られ、白いものと黒いものを一着ずつ試着してみることになった。
「室井さん、意外と似合いますね」
青島が満更お世辞でもなさそうに言うから、室井は首を捻った。
「どこがだ」
「えー?ちゃんとカッコいいですよ」
「俺は自分の七五三の写真を思い出した」
その写真の室井が着せられていた服はもちろん白いタキシードではなかったが、服に着られているといってもいい違和感は今の室井と大差がない。
むっつりとした室井に、青島は破顔した。
「今度見せてくださいよ、それ」
「断る、今見てるからいいだろ」
「白いの気に入らない?」
カッコイイけどなあと笑う青島に、室井は真顔で言った。
「いや、白で構わない」
「え?」
「君が似合うから、白でいい」
正直、自分が着るなら何でもいい。
白より黒いタキシードの方がしっくりくるだろうなとは思うが、青島の白いタキシード姿は想像以上に良かった。
一生に一度しか着ないものである。
室井自身、青島のこの姿を見る機会は、結婚式しかないはずだ。
なら、白いタキシードがいい。
自分が似合わなかろうが、七五三だろうが、別にどうでも良かった。
青島は少し呆気にとられていたようだったが、照れたように頬をかいた。
「室井さんて…」
「なんだ?」
「…いや、何でもないです」
青島は苦笑すると、にこやかに付き添っていたウェディングプランナーに、黒いタキシードも試着させてくれるよう頼んだ。
「これで構わないのに」
「黒い方が似合うかもしれないでしょ」
「それもそうだな、着るだけ着てみよう」
青島は「二人が似合うかもしれない」という意味で言っていたが、室井は完全に「青島がより似合う方を」と思っていた。
そんなことは、口に出さなければ伝わらない。
伝わっていたら、青島は確実に呆れただろう。
二人はとりあえず参考までにと写真を撮ってから、着替えて黒いタキシードを試着した。
青島と衣装の試着に行った翌日、室井は新しい特別合同捜査本部を抱えることになった。
冠婚葬祭だろうと事件は待ってくれないのだから仕方がないが、白いタキシードを着た青島の姿を思い出して幸せな余韻に浸る暇もないのが切ない。
だが、婚約するまでも、そして入籍したこの先も、二人が仕事第一であることに変わりは無い。
これからのことを考えたら、こんなことで一々ガッカリしてはいられなかった。
夕べ遅くまで席次を決めるために相談していた青島も、今朝は朝一で呼び出され現場に駆けて行っていた。
その姿を見るだけで、室井も頑張らねばと思えた。
本部となる所轄に向かうため本庁を出ようとしたところで、一倉に会った。
おうと言う短い挨拶に、室井も頷くことで返事をした。
そのまま外に出ようと思ったが、一倉が話しかけてくれば無視をするわけにもいかなかった。
「招待状、ありがとう」
「いや…こちらこそ、出席ありがとう」
一応感謝すべきことであるから、微妙な本心は飲み込み礼を述べる。
いいことばかりな付き合いではなかったが、未だに付き合いのある貴重な同期だった。
からかわれる材料を増やすような気がして躊躇する思いもあったが、披露宴に呼ばないわけにはいかなかった。
一倉が不都合であればそれならそれで一向に構わなかったが、生憎なのか幸いなのか、一倉に送った招待状は出席に丸がつけられ返ってきていた。
「準備は順調か?」
「ああ」
「揉めてないのか?俺の時は結構揉めたがな」
「揉めている時間もない」
「ああ…あいつも忙しいだろうしな」
結婚式準備で夫婦となる二人が揉めることは良くあることだと室井も聞いていたが、生憎と二人とも、披露宴に対して揉めてまで意地を通したいという熱い思い入れはなかった。
とにかく二人とも準備に割ける時間が限られており、どちらかが非協力的というわけでもないから、ケンカになることはまずなかった。
昨夜決めた席次にしても、二人とも警察官であり、大きく括れば上司は同じであるから、特に揉めることもなかった。
そういえば、衣装に関しては一瞬だけ揉めた。
白がいいという室井に、青島は黒がいいと主張した。
室井にはやっぱり黒の方が似合ったようだ。
だが、こればかりは一歩も譲らなかった室井に、青島は諦めて折れてくれた。
自分の写真を眺めて、そんなに似合うかなあと苦笑していたが、良く似合っていると太鼓判を押せば、苦笑を深めたもののそれ以上は何も言わなかった。
披露宴に対する室井の唯一のこだわりは青島の衣装だったようだ。
「籍は入れたのか?」
一倉に問われて室井は頷いた。
先日、青島と役所に出向き籍を入れていたが、本庁では局長を始め数名の上司に報告しただけである。
一倉にもまだ知らせていなかった。
「そうか、とうとう結婚したか」
同期の中でも室井の結婚は遅かった。
そのせいで一倉がしみじみしているのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。
「これで新城には手も足も出せなくなったな」
可哀想にと言うわりに一倉は笑っていたが、そんなことはどうでもいい。
「何故、そこで新城が出てくる?」
眉間に深い皺を刻んだ室井に、一倉は肩を竦めた。
「分からないのか?」
室井は益々顔をしかめた。
一倉が前にも臭わせていたから、思い当たる節がないわけではない。
そう考えてから、異様なまでに青島をいびる新城の姿を思い返せば、小学生の愛情表現に近いものを感じなくは無かった。
仮に本当に新城が青島に好意を持っていたとしても、新城の青島に対する暴言の数々からして青島にその好意が伝わる日は来ない気はするが、配偶者としてはなんとなく面白くない。
が、今のところ、新城の気持ちははっきりしていない。
「新城に聞いたのか?」
したり顔の一倉に一応確認してみた。
「あの天の邪鬼が、聞いたところで認めるわけがないだろ。それどころか、青島の悪口をこれ見よがしに並べ立てて否定すると思うがな」
「なら、新城の気持ちなど分からないだろ」
「嬉々として青島をいびる新城を見てみろよ。あれは相手して欲しくて堪らないんだろうよ。本当に嫌っているなら、視界にも入れないような男だぞ」
確証はないものの、一倉の言うことも否定できない気がして、室井は押し黙った。
渋面で言葉を失う室井に、一倉は軽く笑った。
「まあ、気にするな。新城のあの態度なら、青島が気付くことはないだろうし、間違えても惚れないだろ」
室井もそうは思うが、それなら新城が態度を改め、真摯に青島に向き合うようになったら、どうなるのだろうか。
そう考えてしまい、自己嫌悪する。
青島の気持ちは疑ってはいないし、浮気をされるとも思っていない。
室井ほど生真面目な性格はしていないし、どちらかといえば色んなことが緩い男だが、室井に対しては誠実でいてくれていることは知っている。
だが、浮気はともかく、心変わりが絶対ないとは言えない。
これは青島に限ったことではなく、誰にでもあり得ることだった。
生涯を誓い合った二人にもそれは例外ではないことは、離婚という制度があることからもよく分かる。
結婚早々青島の心変わりを心配するつもりはないが、心配の種は作りたくないと思っても無理は無かった。
「浮気されないか心配か?」
一倉が笑うから、室井はじろりと睨んだ。
「誰が」
「まあ、青島も悪趣味だしな。心配ないだろ。あ、新城に惚れたとしても十分悪趣味か」
一人で納得し一人で笑っている一倉を一瞥し、室井は一つ溜息を吐いて無駄な心配をするのを止めた。
一倉に踊らされているようで馬鹿馬鹿しいと思ったからだ。
青島との関係は良好で、ありもしない心配事をわざわざ自分で作ることもない。
もしも新城がライバルとなるなら、正々堂々と戦うまでである。
青島を誰かに譲るつもりは微塵もなかった。
「勝手に言っていろ」
歯牙にもかけないという室井の態度に、一倉はにやにやと笑った。
「新城なんか目じゃないってか。仲睦まじいようで、結構だな」
室井は顔をしかめた。
顔を見れば、その言葉に他意があることがよく分かり、益々腹立たしい。
「頑張り過ぎて、早死にするなよ」
「何の話をしている」
「新婚生活で頑張ることなんか一つだろ」
室井は眉間に深い皺を刻んだが、そんなことに頓着する一倉ではない。
これ以上構わない方が身のためだと判断した室井は、一倉を無視して歩き出した。
「家でも暴走させないように、しっかり手綱握ってろよ」
握られてるの間違いか?などと笑う一倉の声を聞き流しながら、室井は歩き去った。
「え?新城さん?」
青島はパンフレットから顔をあげて、室井を振り返った。
披露宴で提供する料理のパンフレットだ。
床に寝そべりそれを眺めながら、すみれさんはどれが好きかなとぶつぶつ呟いていた。
下手なものを出すと、すみれに怒られるらしい。
いっそのことパンフレットを持って行って恩田君に聞いたらどうだと室井は思っていたが、口から出たのは別のことだった。
「新城とは最近会ったか?」
気にしていないつもりだが、一倉のせいでどうしても頭に新城のことが過ってしまう。
捜査本部にいる間はすっかり忘れていたが、帰宅して青島の顔を見た途端、思い出してしまったのだ。
そしたら、今度は頭から離れない。
青島も帰宅したばかりだというので二人で遅い夕飯を食べ、披露宴の相談をしつつ、一服していた最中に、室井は思わず口を滑らせていた。
「えーと、最後に会ったのいつだったかな…思い出せないくらい会ってない気がしますけど」
青島は一応考えて答えてくれたが、相変わらず不思議そうな顔で室井を見ていた。
「どうかしたんですか?新城さん」
「いや…」
室井は言葉を濁した。
まさか、君のことを好きらしいから気をつけてくれ、とは言えない。
実際そうなのかはっきりしていないし、そもそもこんなに独占欲丸出しなことを口にするのは憚られた。
「あ、もしかして、新城さんに何か言われました?」
青島はむくりと起き上がると、室井と向かい合わせになった。
「何かとは?」
「青島はやめておけとか、もっといい相手がいるだろうとか、俺にしとけとか」
少し睨むようにして青島が言うから、室井は目を剥いた。
なんだかおかしな話になっていた。
「何を言ってる?」
「だから……あの人、室井さんのこと好きなんじゃないんですか?」
今度は開いた口がふさがらない。
俺が言いたかったようなことを随分あっさりと言ってくれるなと一瞬思ったが、そんなことより青島がおかしなことを言いだした。
「どうしてそうなる」
「だって、だから俺にキツク当たるんでしょ?あの人」
「いや、それは」
「それは?」
君のことを好きだからだと思うぞ、とは言えない。
良く考えたら、何も敵に塩を送ることもないのだ。
この調子なら、青島は一生新城の気持ちになど気付きはしないだろう。
ならばわざわざ室井が教えてやる必要もない。
だが、返事を待つ青島に、何かを答えなければならない。
「……所轄が気に入らないんだろう」
もっとも当たり障りのない答えを返したら、青島は少し不満そうに顔をしかめた。
「特に俺に対してキツイ気がしますけど」
「君が悪目立ちするから、八つ当たりの対象にされるんだろう」
「ま、そうかもですけど…」
強く否定するだけの理由もないのか、室井が言うことだからそうかもしれないと思ってくれたのか、青島は曖昧に頷いた。
そして、冗談っぽく室井を睨んだ。
「新城さんとどうにかなったら駄目ですからね」
釘を刺してキスをしてくる青島に、室井は条件反射でその身体を抱きしめながら、微かに笑ってしまった。
どうやら独占欲があるのは室井だけではないようだ。
それを素直に見せてくれた青島に、室井は感謝した。
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