室井から電話がかかってきた時、青島は台所でサンマの焼き加減を見ていた。
今日は非番だったため、室井の帰宅に合わせて夕飯を作って待っていた。
「え?一倉さん?」
携帯電話に向かって問い返しながら、驚いた。
『ああ、青島に会いたいと言っているんだが…連れて帰ってもいいか?』
大変不本意そうな室井の声から察するに、よろしくないのは室井の方ではないだろうかと思ったが、青島は別に構わなかった。
あまり良い思い出のない一倉だったが、室井とは同期であり親しいと聞く。
それなら、青島も可能であれば友好的な関係を築いておきたかった。
「俺は構いませんよ」
『そうか、すまないな』
「いえ…あ、夕飯サンマなんですけど、まずいですかね?いい肉でも買ってきます?」
『サンマで十分だ、一倉相手に気を使わないでいい』
「そういうわけにもいかないでしょ、お客さんだし室井さんの同期だし」
『急に来ると言うあいつが悪いんだ、適当で構わない』
同期だからか、室井は一倉に容赦がない。
同期のキャリアであれば競争相手でもある。
仲良しこよしというわけにはいかないのかもしれない。
それでも、なんだかんだ言いつつ室井が青島に会わせるために連れ帰るくらいだから、一倉とは近しいのだろう。
憎まれ口も、その証しかもしれない。
「分かりました、適当に支度して待ってます」
『面倒かけてすまない』
「いえ、二人分も三人分も一緒ですから」
青島は笑って請け負い、電話を切った。
「さて、何作ろうかな」
いくら室井が適当でいいと言ったとはいえ、サンマだけというわけにはいかない。
青島は冷蔵庫を開けて、つまみになるような食材を探した。
青島が玄関で出迎えると、一倉を連れ帰った室井が眉間に皺を寄せていた。
そんなに嫌だったのだろうかと内心で苦笑しつつ、青島は一倉に小さく頭を下げ愛想笑いを浮かべた。
「どうも、お久し振りです〜」
一倉からも笑みが返ってくる。
仕事に関わりないせいか、室井の恋人となったせいか、邪険な態度ではなかった。
「久しぶりだな、急に邪魔して悪いな」
「全くだ」
応えたのは室井で、一倉は鼻で笑った。
「ずっとこの調子でな。毎日二人でいるんだ、たまには邪魔者がいてもいいだろ」
「そんな問題じゃない」
「少しも邪魔されたくないってか、このスケベ」
「お前はどういう思考回路してるんだ」
玄関先で言い合う二人に、青島はまあまあと宥めるように間に入った。
「とにかく入ってください」
歓迎しますよと客である一倉を招き入れると、一倉は笑って頷き部屋に上がった。
「中々出来た嫁じゃないか、良かったな室井」
戯言を残しリビングに向かう一倉に、青島は苦笑し室井は頭が痛いとばかりに額を押えた。
「大丈夫?室井さん」
「すまない、急に…迷惑をかける」
「いいってば。室井さんの友だちなら、俺にとっても他人じゃないから」
「…一倉が友人かどうかはひとまず置いておくが、ありがとう。君の気持ちは嬉しい」
仏頂面で言う室井に楽しげに笑みを返し、青島も室井を促しリビングに戻った。
一倉の手土産のビールで乾杯し、青島が用意した料理で小宴会となった。
サンマ以外は、夏に室井あてに届いた中元の残りのハムで作ったサラダや、先日遊びに行った横浜中華街で買って来て冷凍してあった焼売など、有り合わせの食材で用意した統一感のないメニューだったが、一倉は感心してくれた。
「意外だな、料理するのか」
「少しはやりますけど、室井さんの方が上手ですよ」
「ふーん、それも意外だな。長い付き合いだが、手料理なんか食わせてもらった覚えはないが」
「なんでお前に食わせなきゃならない」
「まあ、いいさ。青島の手料理は食わせてもらったしな」
涼しげに笑う一倉に、室井が不愉快そうに顔をしかめた。
もしかして、それくらいなら俺が作れば良かったとでも考えているのだろうかと思いつつ、青島はこれ以上室井の機嫌が悪くならないうちに話題を変えた。
「室井さんと一倉さんは、よく飲んだりするんですか?」
「いや、稀だな。こいつの付き合いが悪いから」
「そもそも、そんな暇もないだろ」
確かに室井と一倉は同期とはいえ部署が違うし、互いに忙しいだろうから中々予定も合わないのかもしれない。
「そのわりには、うまいことやって青島を落としたんじゃないのか?というか、落とされたのか?」
どちらから口説いたのかと聞かれているようだった。
室井は嫌そうな顔をし、青島は曖昧に笑った。
どちらからと聞かれても困る。
最終的に告白してくれたのは室井だったが、きっかけを作ったのは青島だった。
だが、青島が持ち掛けたのは名前だけの恋人同士という偽りの関係であり、その時点では本当に付き合っていたわけではない。
交際に至るまでは若干遠回りしたが、どちらかが口説き落としたわけではなく、同居する以前より端から両想いだった。
だからといって、そんな照れくさいことを一倉に説明する気は、室井はもちろん青島にだってない。
「どっちでもいいじゃないすか、んなこと」
一倉のグラスにビールを注ぎながら、青島は誤魔化した。
「まあ、室井の惚気なんか気味悪いから聞きたかないが」
「なら、聞くな」
「俺はどうでもいいが、気にするヤツが結構いてね」
良くも悪くも目立つんだよお前らと、一倉が苦笑した。
「…局長か」
室井がまた顔をしかめた。
相変わらず、池神は室井と青島の交際に反対なのかもしれない。
悲しいことだが、それも仕方がないことだ。
室井がプライベートなことにまで誰にも文句を言わせない男になると約束してくれたし、青島もそうなるよう努力するつもりでいる。
今はあまり外の声は気にならなかった。
ちらりと視線を寄越す室井に、青島は「気にしません」というふうに小さく笑って見せた。
室井の顔から少し力が抜けるから、気持ちは伝わったようだった。
「局長もだが、新城がやたらと気にしていたぞ」
一倉が言うから、青島は目を丸くした。
「新城さん?」
「ああ。どこで聞いたのか知らないが、事実なのかと聞かれた」
「なんで新城さんが?」
「さあな、ただ不満そうではあったな」
不満があるとしたら、青島に対してだろう。
新城に嫌われている自覚があった。
キャリアの室井が問題児の青島と付き合っているのが気に入らなくても不思議はない。
だが、所詮、先輩キャリアである室井の交際など新城にとっては他人の恋愛に過ぎず、全く関係ないはずだった。
それにも関わらず不満に思っているということは、少なからず室井に興味があるのではないだろうかと思った。
深読みしすぎだろうかと思いつつ、執拗に室井と青島の仲を裂こうとしていたいつぞやの新城を思い出せば、あながち間違えてはいないかもしれない。
ついつい、もしかして…という視線を室井に流すと、何故だか室井も青島を見ていた。
「室井さん?どうかしました?」
「いや、なんでもない」
新城にお前には関係ないと言っとけと不機嫌そうに呟き、室井は口を噤みビールを飲んだ。
俺が一番関係ないんだがなと、室井と青島の交際になど関与していない一倉が苦笑ぎみにぼやき、それきり新城の話題は出なかった。
酒が進み深い時間になった頃、一倉が切り出した。
「もう帰るの面倒だから、泊めてくれ」
青島は面食らって目を丸くし、室井は眉間に皺を寄せた。
唐突であり一方的な申し出だが、そういえばこの人こういう強引なとこあるよなと青島は思い、何故だか納得してしまった。
納得できないのは室井の方である。
「まだ終電あるだろ」
「面倒くさいって言ってるだろ」
「なら、タクシーで帰れ」
「金が勿体ない」
「金なら出してやるから帰れ」
太っ腹な発言だが、そこまで一倉を泊めたくないのかと思うと、ムキになる室井がおかしかった。
「まあまあ…もう遅いし、泊まっていってもらったらどうです?」
青島は苦笑して室井を宥めた。
室井の同期であり、室井がどう思っていようと、一応はやっぱり友人の一倉である。
室井の顔を立てて青島は快く受け入れたつもりだったが、顔を立てられた室井にとって良かったのかどうか。
険しい顔で、言葉に詰まっていた。
その間に一倉が勝手に話を進める。
「さすが、青島だな。話が分かるじゃないか」
「さすがってなんすか」
「心が広いと褒めてんだよ、誰かと違ってな」
眉間に皺を寄せている室井をちらりと見やり、青島は肩を竦めた。
「室井さんだって狭かないですよ」
「お前に対してだけな」
度量の大きな人であることは室井の下で働いた経験のある人間なら誰でも知っていることだが、確かに一倉の言う通りで、「自分に対してはこの人異様に甘いよな」などとも思ってしまい一倉への反論が遅れてしまったために、フォローは失敗に終わったようだった。
室井がムッツリと会話を切る。
「なんでもいいが、予備の布団なんかないぞ」
「お前ら、同じベッドで寝てんのか?」
「いや、別々ですよ」
もちろん一緒に眠る時もあるが、ちゃんと各自の部屋にベッドがある。
「なら、青島のベッドで寝かせてもらおうか」
なんだか偉そうだなあと苦笑しつつ、青島はシーツくらい換えようと腰を上げかけたが、室井の不機嫌な声に動きを止めた。
「ふざけるな、青島のベッドでなんか寝かせるか」
ぎょっとして室井を見れば眉間に深い皺が出来ていて、激昂手前の雰囲気だった。
いや別に俺は構いませんよ、とは言い辛い空気である。
他人を青島のベッドで寝かせるのを嫌がる理由は、もしかしたら嫉妬だろうか。
だとしたら少し嬉しいが、そんなに嫉妬深い男だっただろうか。
青島が首を傾げていると、一倉が失笑した。
「おい、室井。お前、なんか勘違いしてないか」
「勘違い…?」
「青島のベッドを貸せとは言ったが、青島まで貸せとは言ってないぞ」
室井が目を剥き、そして赤面した。
どうやら図星だったらしく、室井は一倉が青島と一緒に寝ると言っていると思っていたようだ。
普通に考えれば、そんなわけがない。
恋人の室井が一人で寝て、青島と一倉が一つの布団で眠るという構図は、どう考えても不自然だった。
一倉が言ったのは、室井のベッドで青島が寝て、空いた青島のベッドで自分が寝ればいいという提案だった。
青島はすぐにそう理解したのだが、室井はおかしな受け止め方をしたようだった。
「いくら俺でも、同僚の恋人をベッドには誘わんよ」
苦笑する一倉に、室井は益々不機嫌面になっていった。
いつもここまで察しが悪いわけではない。
だが、青島が絡むと時々バカになる室井を、青島は愛しく思った。
「まあ、貸してくれるなら、一晩くらい借りてやるが」
一倉の戯言に室井が激昂する前に、青島は笑い飛ばした。
「残念ながら、貸し出しはしてません。俺は室井さんのですから」
笑いながら堂々と言い切れは、一倉は苦笑し、室井は目を瞠った。
「俺の前で惚気るなよ」
「先にバカなこと言ったの、一倉さんですよ」
「はいはい、俺が悪かったよ」
「分かればいいです。じゃあ、シーツ替えてきますね」
話がまとまったとばかりに青島は腰を上げたが、再び室井の声で止まった。
「俺が青島の部屋で寝るから、一倉は俺のベッド使え」
開き直ったのか、室井が言い捨てた。
どうあっても、一倉を青島のベッドで寝かせたくないらしい。
眉間に皺を寄せたままベッドにこだわる室井に、呆れる一倉をよそに青島はただ笑った。
パジャマに着替えた青島がベッドに入ると、室井が部屋の電気を落とした。
壁に詰めて寝そべる青島の隣に、室井も横になる。
窮屈だが、慣れた窮屈さだった。
室井の背中に腕を回すと、当然のように室井の腕も背中に回る。
「なんか疲れたな…」
室井が溜め息混じりに呟くから、青島は思わず笑ってしまった。
「そうですか?俺は結構楽しかったですよ」
沈黙が返ってきて、見えもしない室井の眉間の皺が見えた。
「室井さんの友だちと酒が飲めるの、俺は嬉しいですよ」
「…今度は違う友人を紹介したい」
「あはは、それも嬉しいけど」
余程一倉を友人とはカウントしたくないらしい。
同僚というのは純粋に友人とは呼べないだろうが、そればかりが理由ではないようだ。
それでも、室井にとって近しい人と付き合いが持てたことは、青島にとって嬉しいことだった。
それになにより―
「俺の知らない室井さんに会えた気がします」
同期だからか、それが一倉だからなのかは分からないが、彼に対しては遠慮がない室井を見るのは新鮮で面白かった。
一倉に対する粗雑な扱いや素っ気ない口調は、青島に対する態度とは全然違って見えた。
青島に対して素を見せてくれていないわけではないのだろうが、青島の知らない室井の一面ではあった。
罵り合いに発展することもしばしばだが、あれはあれで仲がよいのだろう。
そう思えば、青島としては少しは複雑だ。
「ちょっと妬けますけどね」
小さく囁き、そっと室井の顔に手を伸ばした。
「…一倉にか?」
少しの間の後、室井が大変不本意そうに言ったから、青島は笑ってしまった。
手探りで唇の位置を確かめ、軽く唇を押し当てる。
「俺の知らない室井さんを、もっと知ってんじゃないかなーとか思うとね、そりゃ少しは」
妬けますよとは続けられず、今度は室井に唇を塞がれる。
何度も重なる唇が嬉しくて、青島は声もなく笑った。
「俺は、俺の知らない自分を、君のせいで気付かされてる気がするが」
迷惑そうな言葉だが、囁くような口調は穏やかであり優しい。
嬉しいが照れくさくて、茶化してしまう。
「俺のせいじゃなくて、俺のおかげって言ってください」
「君のせいで、一倉の戯言に一々嫉妬するようになった。おかげであいつに遊ばれる」
「…えーと、俺が謝るべき、かな?」
少し室井に同情した青島に、室井は低く囁いた。
「責任とってくれるか?」
室井が身を乗り出すようにして、深く口付けてくる。
その背を強く抱きながら、唇を開いてキスに応じた。
キスの合間にひっそりと囁く。
「こんな責任の取り方でいいなら、いくらでも取るけど…」
軽く室井の唇を吸って離れた。
「今日はここまでね、一倉さんの思うつぼだから」
「分かってる」
室井もそれ以上するつもりはないようで、苦笑した。
室井の部屋に入る前に、一倉は「聞き耳は立てないから安心しろ」と言って、二人を呆れさせた。
さすがに隣に他人がいるのに、何をどうこうする気にはならなかった。
たまにはただくっついて眠るのもいいだろう。
室井の手が優しく青島の頭を撫ぜた。
「寝られそうか?」
「どうかな…もう少し起きてたいかも」
「眠くなるまででいいから、何か話してくれ」
室井もまだ寝たくないようだ。
青島は室井に寄り添ったまま、サンマが安かったとか柿も買ってきてあったのにデザート出すの忘れたとか、どうでもいい話をした。
すっかり秋になったんだなと今更気付いた室井に、青島は近々ドライブに行かないかと提案した。
その頃には大分眠気がさしていて、室井の返事まで聞きとれなかった。
聞き返す前に、抱きこまれる腕の心地よさに意識を手放した。
翌朝、「静かでつまらなかった」と言った一倉に「二度と来るな」と言い放つ室井の横で、青島は社交辞令でも「また来てください」と言うべきかどうかを悩んでいた。
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