聞き慣れないアラーム音で目が覚めた青島は、手探りで枕元の目覚まし時計を探した。
だが、青島が止めるより先に、アラーム音が止む。
なんでだと寝ぼけた頭で思い目を開けると、目の前に室井がいて驚いた。
眉間にシワを寄せつつ、目覚まし時計に腕を伸ばし、アラームを止めている。
青島と視線が合うと、更に眉間にシワが寄った。
「おはよう」
怖い顔で挨拶を寄越す室井に、青島は返事をしながらつい笑ってしまった。
普通はもっと穏やかに迎えるべき朝ではないだろうかと思ったからだ。
室井と初めて同じベッドで眠った翌朝だった。
室井に歯の浮くような台詞は期待していないし別に欲しくもないが、それにしたって恋人と迎える初めての朝にしては顔が険しい。
怒っているわけではないのは予想がついた。
夕べ、言葉少なではあったが愛を囁き、言葉では表せないくらい熱心に抱いた男が、寝て起きて不機嫌になる理由もないだろう。
眠る直前には青島を抱き締め、柔らかな表情をしていた。
青島の主観にすぎない感度だが、室井が満足していないとも思えない。
ならば、きっとただ俗に言うところの「初夜」の翌朝に照れているだけだろう。
どちらかといえば自分の方が照れたいはずの朝だったが、室井の硬い顔をみれば逆に和んだ。
「笑うな」
「だって、室井さん」
室井の腕が伸びてきて、乱暴に髪を掻きまぜた。
青島が笑ったまま身を寄せると、抱き締めてくれる。
顔は怖くても、甘やかしてはくれるようだ。
懐く青島を嫌がることもなく、柔らかく髪を撫ぜてくれた。
「身体、大丈夫か」
「平気ですよ、俺頑丈ですから」
少し的外れな答えを返すと、室井はさすがに苦笑した。
「…そうか」
「室井さん、優しかったしね」
それには返事をせずに、青島の額に唇を押し付けると、室井は身体を起こした。
「もう少し寝てろ、飯が出来たら起こすから」
やっぱり甘やかしてくれるらしい。
今日の朝食当番は青島だった。
付き合う前から続いている家事の当番制は変わっていなかった。
「はーい」
平気とは言ったものの身体に違和感がないこともない青島は、遠慮はせずに枕を抱えた。
だが、瞼は落とさず、下着を身に付けベッドを降りる室井をなんとはなしに眺める。
裸の背中を、きれいだなと思った。
夕べはあれにすがりついたのか。
そんなことを考えると、今更ながら青島も少し照れくさい。
室井がパジャマを羽織るのを見てから、布団を被って目を閉じる。
蹲るように二度寝しようとする青島に対してか、微かに室井は笑ったようだった。
室井から見合い話がいくつもあると聞いた青島は、それで当然だろうなと思っていた。
本人がいくららしくはなくても、出世株のエリート官僚には違いない。
強面だが男前と言って差し支えないし、生真面目で融通の利かない真っ直ぐ過ぎる男だが、結婚相手としては悪くないし、それどころか人によっては大変魅力的な配偶者だろう。
年齢も年齢であり、良い見合い話がごろごろ転がっていても、不思議は全くなかった。
だが、やっぱりなと思う反面、青島は酷く焦った。
告白する気などさらさらなかったし、いつかは室井も結婚するだろうと漠然とだが諦めていたくせに、いざ現実味を帯びてきた途端に焦るというのも情けない話だが、室井が誰かのものになると思ったらじっとしていられない気持ちになった。
室井とはかけがえのない約束と共有した理想で繋がっていて、それを壊す覚悟で告白することなど出来なかった。
警察官僚の中で室井のような男が稀であることは、青島も良く分かっている。
自分の立場を悪くしてでも所轄を信じ、正義を貫こうとする官僚など、室井以外に巡り合ったことがない。
警察官の青島にとって、室井は誰とも代えの利かない大事なパートナーだった。
それは決して青島の一方的な思い込みではなかった。
室井が警察官としての青島を評価し信頼してくれている自信はあったのだ。
だが、そこに恋愛感情が含まれるとは思えなかった。
守ってあげたくなるほど可愛い性格はしていないし、どちらかといえば生意気だと言われることの方が多い。
だからといって、室井が青島に守られたいと思うとも思えない。
自分のことは自分でやる男だから、誰かを頼って生きる男ではなかった。
人によっては青島のことを「優しい」と言ってくれることもあったが、それが多分に八方美人な性格に所以しているという自覚があったし、調子がよく言動の軽い青島が生真面目で誠実な室井の好みのタイプとは、到底思えなかった。
室井が青島に恋をする理由があるとは思えない。
だから、惚れてしまったと気付いた時に、早々と諦めた。
恋人にはなれなくても、室井とは確かな信頼関係でずっと繋がっていた。
それで満足だった。
そう思っていた。
いつかは室井が誰かのものになるのだと、見合い写真を見て実感するまでは。
実感し、焦って、だからといってすぐには告白する勇気も出ないまま、咄嗟に形だけの恋人になることを室井に提案していた。
そうすることで、室井の見合い話がなくなればいいと考えたからだ。
それに、例えそれが偽りであっても青島と恋人同士である間は、室井に他に特別な相手はできないという安心感が得られる。
もちろん、未来永劫そうではないということは分かりきっていたが、少なくてもその時の室井は恋人や配偶者を欲していなかった。
室井が心惹かれる相手と巡り合うまでのしばらくの間なら、夢を見ていられる。
そう思い、酷く打算的で浅ましい提案を持ち掛けたのだ。
運良く室井がそれに乗ってくれて、片思いと思い込んだまま一緒に暮らした数ヵ月。
室井を騙しているようで自己嫌悪することもあったが、一緒に居られて楽しかったし嬉しかった。
それまではほとんど知ることのなかったプライベートの室井を知り、知れば知るほど愛しく思った。
時々は本当に家族になったのではないかと錯覚し、いつかは離れなければならないのだと自分を戒めながらも、青島は幸せの中にいた。
引っ越し先を捜すふりをしながら室井の好意に甘えて、できるだけ傍にいたいとすら考えていた。
だけど、そんな青島にとって都合の良い関係にも、限界がくる。
家族の真似ごとをしても、結局室井とは家族ではないし、ましてや夫婦にはなれない。
室井も似たようなことを感じてくれていたのだと知ったが、青島の望む家族の形は室井と夫婦になることであり、室井の想いとは根本的な部分が違う。
邪な愛情を抱く青島を、室井はそうとは知らずに友情に近い愛情で大事にしてくれている。
青島はそう思い込んでいた。
ずっと傍にいることで余計に想いが強くなり、欲が出て来ているのは自分でも分かっていた。
このままいけば想いを告げずにはいられないかもしれない。
室井の信頼を失うような行動に出てしまうかもしれない。
そう思ったら、室井のことが好きだからこそ、あまり傍にいるべきではないのだと知った。
ただの上司と部下ではなく、プライベートに踏み込んだ近しい関係になれたことは本当に嬉しかったが、一緒に暮らしたところで青島は室井の恋人にも家族にもなれないのだ。
自分から仕掛けた偽りの関係から図々しくも室井の部屋に転がりこみ数カ月、そこまでしてもこれ以上は踏み込めないのだとようやく理解した青島は、室井の部屋を出ることを真剣に考え始めた。
すみれの口から室井に青島の片思いがばらされてしまったのは、その時だった。
その後すぐに、すみれからメールでそれを知らされた青島は、室井との疑似恋愛はここまでだと悟った。
自身の本当の気持ちを隠し近づいたことで嫌われてしまっただろうかと不安になったが、その程度は許されるくらいの情がうつっていればいいと心のどこかで願った。
そして、自分の口から気持ちを打ち明け部屋を出ることを心に決めて、あの日ベランダで彼の帰宅を待った。
だが、今もこうして、青島は室井と一緒に暮らしている。
以前よりももっと近くで、もっと深い繋がりをもって、生きている。
青島は潜った布団の中で、左手を見た。
薬指にリングが光っている。
直しに出した指輪を、昨日室井と二人で取りに行ってきていた。
改めて室井にはめてもらったそれは、夕べから外していない。
青島は指輪を見つめ、どうしようもなく嬉しくてくすぐったくて、一人ひっそりと微笑んだ。
「青島、起きろ」
部屋のドアが開き、室井が起こしてくれるから、青島はつい焦って飛び起きた。
別に悪いことをしていたわけではないが、指輪を眺めて悦に入っている姿など見られたくはない。
そもそも布団をかぶっていたので、見られるわけもなかったが。
「寝てなかったのか」
飛び起きた青島に、室井の方が驚いたようだった。
「あ、はい、うとうとはしてたんだけど…」
焦りを笑って誤魔化す青島に、室井は少し眉を顰めた。
「本当に具合が悪いんじゃないだろうな?」
近づいてきた室井が青島の額に触れ、心配そうに目を覗きこんでくる。
触れる手からも見つめる眼差しからも、大事にされ愛されいてることが伝わる。
青島はどうしようもなく嬉しくなって破顔し、室井に両手を伸ばした。
ぎゅっと抱きつくと、室井が固まった。
「大丈夫だってば、ちょっと浮かれてるだけですよ」
室井が固まっていたのは一瞬で、勢いよく身体を離される。
きょとんとした青島の頬を掴んで、噛みつくようなキスを仕掛けてくる。
朝っぱらからするにしては随分と濃厚なそれに、青島が応じようかどうしようかと悩んでいるうちに、室井から離れた。
その室井の方が真っ赤な顔をしていた。
「不用意にそんな格好で抱きつかないでくれ」
そんな格好と言われて自分の身体を見れば全裸であり、跳ね起きたせいで布団も被っていない。
確かに朝っぱらから、挑発的な格好になってしまったかもしれないが、ついさっきまで同じ布団に入っていたくせに何を今更と思った。
大体夕べ脱がした張本人ではないか。
「そんなに照れなくても…」
「照れてるんじゃない」
室井は溜息を吐くと、もう一度青島にキスをした。
今度は軽く触れて離れると、至近距離で青島を睨んだ。
「欲情するから止めてくれと言ってるんだ」
青島は目を剥き、ついで赤面した。
そしたら君も困るだろうと言われれば、すこぶる困る。
今日は二人とも仕事で、ベッドに逆戻りなんてできるわけがなかった。
「あ…と、それはどうも、すみません…」
照れやら羞恥やらでぎこちなく詫びると、室井は頷いて青島の肩に布団をかけた。
「必死に日常に戻ろうとしてるんだ、これでも」
少し表情を和らげてそう囁き、布団越しに抱き締められる。
一晩二人で過ごしたベッドから抜け出して、室井は日常に戻ろうとしていたのだろう。
着替えて顔を洗って食事の支度をして、仕事に気持ちを切り替えて。
そうしなければ、夕べのまま気持ちを引きずりそうだったのだ。
室井も青島と同じで、きっと浮かれている。
そう思うと、嬉しくて幸せだった。
青島は布団ごと抱きこまれたまま、室井に口づけた。
「室井さんとこうすることも、俺は早く日常にしたいです」
室井の顔が赤く染まり、力み過ぎて眉間の皺が深くなる。
青島の肩にその顔を埋めて、室井は諦めたように力を抜いた。
「お前は人の話を聞いていたのか」
「いや、すいません、ええと、誘ったわけじゃないんですけど、そのー」
欲情されては困りますと内心で思いつつ、はははと乾いた笑い声をあげると、室井に軽く頭を叩かれた。
「俺は未だに、君とこうしてるのが信じられん」
「それは俺もそうなんですけどね」
「こんな日常が訪れるとは思っていなかったんだ」
夢には何度もみたけどね、とはさすがに青島も照れくさくて言えなかったが、
「…夕べのことは、夢じゃないんだな」
ぽつりと呟かれた言葉に、青島は布団から腕だけを出して室井にしっかりと抱きついた。
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