■ wedding march(8)


遠くから延々と鳴り響く耳障りな音が目覚まし時計のアラームだと気付き、室井は仕方なく起き上がりアラームを止めた。
目覚めが悪かったのは、昨夜の捜査会議が長引き帰宅が遅かったからだ。
少ししか寝られないならいっそ寝ない方が頭がすっきりするのだが、少しだけでも寝ておかないと一日持たない。
身体が起きていても思考が働かないようでは話にならなかった。
室井が欠伸を噛み殺して部屋を出ると、コーヒーのいい匂いがした。
台所に青島が立っていた。
「あ、おはようございます、室井さん」
「おはよう」
「丁度良かった、卵焼けましたよー」
青島が自慢げに皿を差し出してきた。
「なんと双子です」
双子のハムエッグだった。
妙に嬉しそうな青島がおかしくて、室井は笑いを堪えた。
「…珍しいな」
「これは室井さんのね」
「君が食え」
「いいことあるかもしれないですよ、だから室井さんにあげます」
そんなふうに言って笑うから、室井は何とか表情を取り繕って席に着いた。
三十路の男がこんなに可愛く見えるなんてどうかしているなとつくづく思ったが、どうしても可愛く見えるのだから仕方がない。
室井はあえて考えないことにした。
青島が落としたてのコーヒーとトーストをテーブルに並べてくれる。
本当は室井の番だったが、昨夜は早く帰れたらしい青島が朝食当番変わりますというメモを残してくれていたから、お言葉に甘えていた。
「ありがとう」
室井が礼を言うと、青島はニッと笑った。
「いえ、俺もこの間サボっちゃったし」
青島が寝過ごした日に、室井が代わりに朝食を作り起こしてやったことがあった。
「ちょっとは寝れました?」
「ああ」
「なら、良かった」
「朝食助かった、ありがとう」
室井は手を合わせて箸を握ると、目玉焼きに入れる前に青島を見た。
「幸運、横取りして悪いな」
青島が笑って頷いた。


本庁を出ようとしたところで、一倉と顔を合わせた。
室井には一倉に用事などないが、一倉は部下を先に行かせると、室井のところで足を止めた。
そうなれば、室井も止まらざるを得ない。
「どこか行くのか?」
「八王子署だ」
「一人でか?」
管理官である室井が一人で行動することはあまりなく、移動は大体部下の運転する車だった。
部下の一人も連れていない室井に一倉は怪訝な顔をしている。
「手が空いている人がいなかっただけだ」
本当は部下と共に八王子署へ向かう予定だったが、偶然部下の妻が入院したと耳にし、早退させていた。
わざわざ説明するような話でもないから、黙っておいた。
官僚らしからぬ気遣いをする室井に気付いているのかいないのか、一倉はふーんとさほど興味も無さそうに呟いた。
それから唐突に話が変わった。
「青島とは仲睦まじいみたいだな」
余計な世話だと思うのと同時に、何故そう思うんだと思った。
室井の気持ちを眉間のシワで悟ったか、一倉は口元で笑った。
「寝不足って面してるぞ」
「仕事だ」
バカバカしいと吐き捨てると、一倉は肩を竦めた。
「なんだ、つまらんな」
「お前に娯楽を提供してやるいわれはない」
「忙しいなんて言い訳してないでちゃんと相手してやらないと、そのうち逃げられるぞ」
「大きなお世話だ、大体青島の方が忙しいくらいだ」
「ああ…あの湾岸署の刑事だしな」
湾岸署の慌ただしさは、一倉でも少しは分かるようで、納得したように頷いた。
「話がそれだけなら、もう行くぞ」
室井が歩きだそうとすると、一倉が引き止める。
「室井」
「なんだ」
「本気ならさっさと結婚しちまったらどうだ?」
一倉に言われて驚いた。
まさか一倉に青島との結婚を勧められるとは思ってもいなかった。
むしろ反対していると思っていたくらいだ。
驚きを隠しもしない室井に、一倉は苦笑した。
「正直、相手があいつというのは気に入らないが」
なら何故と室井が怪訝な顔で見やると、一倉は肩を竦めた。
「お前には結婚向いてるんじゃないかと思ってな。支えてくれる人がいてくれるなら、それに越したことはないだろ」
室井はまた驚いた。
もしかしてもしかしなくても、一倉に気遣われているらしい。
まさか、そんなことを心配されているとは思いもしなかった。
だが、あまり感謝する気にならないのは、一倉が余計なことを言うからだ。
「相手はあいつじゃない方が良かったがな」
くどい一倉に室井は渋面になった。
「結婚して欲しいのか欲しくないのかどっちだ」
一倉は苦笑した。
「お前の好みに口を出しても仕方ないか」
「全くだ」
「ま、あの軽そうな男に飽きられないように精々頑張れ」
眉間に深いシワを寄せた室井に手を振り、一倉は去って行った。
奇しくも青島が上司に頂いたのと同じ言葉を頂いてしまったが、余計な世話だとつくづく思う。
青島は初対面の印象で感じさせるほど実際は軽くはないし、青島が室井相手に遊んだりするわけがなかった。
室井が簡単に告白できないほど深く想っているのと全く同じ想いではないが、青島なりに室井のことを大事に想ってくれているのは伝わっていた。
事件が起こった時にしか顔を合わせる機会がほとんど無かった頃であっても、青島がそこはかとない敬意と信頼を寄せてくれていたことは知っている。
一緒に暮らすようになってからは、そこに親しみや友情めいたものを滲ませ、青島なりに室井に対して誠実だった。
例え仮に本当の恋人同士であったとしても、一倉が言うように青島に遊ばれるようなことがあるとは考えられなかった。
一倉なりに室井を心配してくれているのかもしれないが、やはり余計な世話だった。
室井は嘆息し、胸中で呟いた。
結婚できるものなら、今すぐそうしてる―。
再び歩き出した室井の胸ポケットで携帯電話が震えた。
青島からの着信だった。
すぐに応じた電話の声はすみれのものであり少なからず驚いたが、それよりも挨拶もそこそこにすみれが放った言葉に室井は目を剥いた。
脳裏に、過去の事件の際にマンションの一室で見た血まみれの青島の姿が浮かんでいた。


室井が病院に駆け付けると、丁度ロビーにすみれの姿があった。
室井に気付き頭を下げる。
すみれからの電話は、青島が被疑者に刺されて病院に運ばれたという知らせだった。
驚愕した室井は取り急ぎタクシーに乗り込み、タクシーから八王子署に連絡をいれて真っ直ぐ病院に向かっていた。
「青島の容態は?」
息を切らした室井が極力抑えた声で尋ねると、すみれが苦笑した。
「それが、思ったより軽傷で…」
被疑者と争い腕をナイフで切り裂かれた青島を見て、慌てた真下が救急車を呼び大事になってしまったが、傷自体は浅く数針縫ったが入院の必要もないとのことだった。
呼び出してすいませんとすみれに謝られて、室井は全身の力が抜けるのを感じた。
すみれは室井を青島の恋人だと思っているから、彼の負傷を室井に知らせてくれたのだろうが、理由はなんであれ室井には有り難かった。
非常時に連絡を貰えるだけでも、青島の恋人であるなどと嘘を吐いた甲斐があったと思った。
あの嘘がなければ、青島が怪我を負ったとしてもすぐに室井に連絡がくるとは到底思えない。
青島が室井の預かり知らないところで怪我を負って苦しみ、あまつさえそれが命にかかわるようなことだとしたらと考えるだけでゾッとした。
「助かった。ありがとう」
室井は真摯にすみれに礼を述べた。
すみれはちょっと笑って首を振った。
「今、青島君処置してもらってます。室井さん、待ってます?」
室井が残るならすみれは仕事に戻るという。
恋人の室井に遠慮してくれているのかもしれない。
室井は頷き、青島を送って帰ると約束した。

治療室から青島が姿を見せた。
「室井さん!」
青島が室井を見て目を丸くしたが、室井は青島をじっと見つめて眉間にシワを寄せた。
青島は脱いだジャケットを右手に持っていたが、左腕はシャツが裂けて血が滲んでいた。
裂けたシャツの下に包帯が見える。
想像以上の軽傷であろうがなんだろうが、青島が刺されたという事実になんら変わりがないことを目の前に突き付けられた気がした。
顔から血の気が引いていくのが分かる。
軽傷で済んだから良かったものの、一歩間違えば大惨事だったはずだ。
室井は青島たち現場の刑事の仕事が常に危険を孕んでいるのだということを理解しているつもりだったが、改めてそれを見せつけられた気がした。
過去には腰を刺される大怪我もしている。
あの時のことは室井も責任の一端を背負っており、室井にとっても忘れられない出来事だった。
あの時、青島を病院へ運ぶ車の中で一度は味わった絶望を、今はっきりと思い出していた。
「あの、室井さん…?」
強張った顔のままで何も言わない室井に、青島は困ったように眉尻を下げた。
「すいません、来て貰っちゃって」
「大丈夫なのか?」
「あ、もう全然!これだけですから」
青島は包帯に巻かれた腕を掲げて笑った。
途端に室井の眉間のシワが深くなった。
これだけ?
腕をナイフで切り裂かれたことが、大したことではないと言うのか―。
室井は怒鳴りそうになる自身を抑えるのに必死で、青島が不安そうな顔をしていることに頓着しなかった。
「室井さん、あの…」
「恩田君から直帰していいとの伝言だ」
「え?ああ、そうですか」
「送ってく」
室井が踵を返すと、一瞬間が空き、青島が大股でついてきた。
「いいですよ、室井さん、仕事中でしょ?大した怪我じゃないし、一人で帰れますから」
「送ってく」
振り返りもせずに繰り返す室井に、青島は小さな声でもう一度謝った。

タクシーに乗っている間中、二人は無言だった。
青島が何を考えているかは分からないが、室井は青島に怒鳴りそうになるのをただひたすら堪えていた。
傷つけられることを、大したことではないなどと笑わないで欲しい。
傷の大小が問題なのではないのだ。
命が危険に晒される可能性について、もっと真剣に考えろ。
そんな文句が言いたくて堪らなかった。
だが今は言えない。
口に出せばきっと本音が出てしまう。
青島の身をただ心配するだけではない室井の本音が。
青島のいない世界など考えたくもない、そんな一方的な想いを他人の室井に押し付けられれば青島だって迷惑だろう。
室井は冷静になろうと必死だった。
青島の身を案じ心配する室井の言葉なら、青島も聞いてはくれるだろうと思った。

タクシーを降り、マンションに入って、部屋のドアを開ける。
中に入るように促すと、青島はちらりと室井を見て小さく頭を下げて部屋に入った。
室井も後に続いたが、すぐに仕事に戻るつもりだった。
「何かして欲しいことはないか」
片手があまり使えないことで不便があればと思って声をかけた。
「いや、大丈夫です。ちゃんと腕動きますから」
「だからってあまり動かすなよ、傷が開く」
「はい、大人しくしてます」
頷いてから、青島は申し訳なさそうに謝った。
「すいませんでした、迷惑かけて」
頭を下げる青島に、室井は自身の失敗に気が付いた。
青島は室井の沈黙や眉間のシワを、心配しているのではなく迷惑していると受け取ったようだった。
そうではないのだと、伝えなければならない。
「青島…」
「室井さんと付き合ってることになってるから、すみれさんがいらない気を回したみたいで」
いらないと言われて、室井は開きかけた口を閉じた。
「ああ…俺がいつまでも居候してんのも悪いのか」
青島は苦笑し、無事な右手で頭を掻いた。
「大袈裟にしないように、すみれさんたちにも言っておきますから」
今度こんなことがあっても室井さんを巻き込まないように、青島はそう言って詫びた。
室井の怒りの理由を勘違いしている青島の、室井を気遣う発言だったに違いない。
だけど、冷静になろうとしていた室井から、その力を削ぐのに十分な言葉だった。
室井は思わず青島の右腕を掴んだ。
かなりの力が入っているせいか、青島の眉が寄る。
「室井さん?どうし…」
青島の言葉が途切れたのは、室井が抱き締めたせいだった。
驚きのせいか硬直している青島を抱きしめ、その肩に顔を埋める。
「迷惑なんかじゃない、ただ心配なんだ…」
怒りに近い衝動を抑えた声は、微かに震えていた。
青島が病院に運ばれたと聞いて死ぬほど驚き、ナイフで腕を裂かれたと聞きゾッとした。
今回無事であっても、次に同じことがあったとして無事でいられる保証などどこにもない。
腰を刺された時のような大怪我を負うことだってあるし、殉職した刑事を知らないわけではない。
青島がそうならない保証などどこにもないのだ。
そう思うと堪らなくて、抱き締める腕に力がこもる。
「怪我をして当たり前とは思わないでくれ」
「室井さん…」
そっと、背中に青島の手が触れた。
「心配掛けて、すいませんでした。俺、ちゃんと気をつけますから…」
真摯な声に青島が室井の気持ちを理解してくれたと分かって、少しホッとした。
ホッとして、背中に青島の手があることに気づく。
気付いた途端に、室井は勢いよく青島から離れた。
青島はきょとんとしていたが、室井は険しい顔の下で内心酷く焦っていた。
気持ちの高ぶりのまま青島を抱きしめてしまったが、本来抱きしめていい相手ではない。
青島にも抱きしめられる謂れはないだろう。
幸いなことに不愉快そうではないが、気まずさかららしくもなく言い訳をした。
「君のことは、大事に思ってるんだ…その、家族みたいに」
共に暮らしているからそう感じたとしてもおかしくはないだろう。
下手な言い訳かもしれないが、自身の本当の気持ちが伝わってしまうよりはマシだと思った。
青島は小さく笑った。
「家族、ね」
「…迷惑か?」
まさかと緩く首を振って、にこりと笑う。
「俺も室井さんの事、大事ですよ」
どきりとしたが、深い意味はないだろうと思った。
室井が示した好意に、応えてくれただけだろう。
「そうか」
「だから室井さんも長生きしてくださいね」
「君の方が、よっぽど心配だ」
「気をつけますって!…約束しますから」
室井が青島との約束を重くみているのと同じく、青島も室井との約束はきっと守ろうとしてくれる。
室井は少しだけ安心した。
「あ、室井さん、仕事途中でしょ?俺、大丈夫ですから、行ってください」
そういえばそうだった。
思い出してしまえば、青島は軽傷だったし、仕事に戻らないわけにはいかない。
本音をいえばこのまま青島の傍にいたかったが、内心で溜息を吐きつつ、室井は仕事に戻ることにした。
「安静にしてるんだぞ」
「わかってますって」
玄関で青島が見送ってくれる。
「頑張ってくださいね」
室井が振り返ると、青島が手を振って「いってらっしゃい」と笑ってくれた。
この笑顔を失くすのは絶対に嫌だと思った。
それは青島の存在そのものを失うことに対してであり、青島と一緒に暮らせなくなることに対してでもあった。
気持ちを伝えてみる。
室井はこの日を境に、その選択肢について、初めて真剣に考えることになった。










NEXT

2013.1.14

あとがき


急に若干のシリアスになっちゃいましたね…(^^;


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