■ wedding march(9)


寝室を出た室井は、台所に立つ青島を見て驚いた。
今日の青島は非番で、いつもならまだ眠っているはずだった。
それが室井よりも早く起きて、朝食の支度をしている。
「おはようございます」
室井に気付いた青島が笑顔で挨拶を寄越した。
「おはよう…今日は休みじゃなかったか?」
「そうですよー」
「随分早起きなんだな」
「ええ、今日は張り切って不動産屋回ってこようと思って」
青島が気合いの入った声で言うから、室井は僅かに目を見開いた。
「いや、室井さんに甘えて随分居座っちゃってるからね、そろそろ本気で部屋探さなくちゃと思って」
苦笑する青島に、室井は思わず引き止める言葉を探した。
だが、引き止める理由が特にない。
青島が部屋を探すと言っているのに、ここにずっと居てくれと願うのは、ただの室井の都合でしかなく青島のためではなかった。
そんなことは、今の室井が青島に言えることではない。
「急がなくてもいいんだぞ」
精一杯控え目な表現で引き止めると、青島は笑顔で頷いた。
「分かってます、ちゃんとじっくり考えて部屋探してますから」
そう言われてしまえば、それ以上室井に引き止められるわけがなかった。
そうかと呟き、室井は青島に勧められるがままテーブルについた。

自宅を出る室井を、青島が玄関まで見送りに来てくれた。
「仕事、頑張ってくださいね」
「ああ」
頷き、青島を見上げる。
見上げたまま動かない室井に、青島は首を傾げた。
「室井さん?どうしました?」
青島に話したいことがあったが、今言うべきだろうかと逡巡した。
逡巡して諦めたのは、のん気に考えこんでいたら仕事に遅れるからだ。
どちらにせよ、出勤直前に慌ただしく告げられるようなことでもない。
後にしよう、そう決めたのは、先送りにしたわけではなかった。
室井の心は既に決まっていたからだ。
「腕は大丈夫か?」
不思議そうな顔をしていた青島に尋ねると、青島は笑って頷いた。
「もうあんまり痛くないし、大丈夫ですよ」
「抜糸が済むまで、無理するなよ」
「はい」
室井は青島に頷き返し、いってきますと告げて家をでた。

青島に気持ちを伝えると、室井は心に決めていた。
青島が怪我をし、過去にも一度味わった青島を失う恐怖を思い出して、他人でいることに我慢が出来なくなった。
他人であるうちは、青島が病気になろうが事故に遭おうが事件に巻き込まれようが、室井には知る由もない。
今は一緒に暮らし姿が見えているからいいが、近いうちに青島はここから出て行く。
偽りの交際だっていつまで続けられるか分からない。
青島との薄い繋がりが切れたら、室井には青島の身に起こる全てを知ることが出来なくなるのだ。
知らないうちに知らない場所で青島を失うことになるかもしれないと思ったら、堪らなかった。
誰よりも青島の近くにいたい。
青島の人生に関わって生きたい。
そう願う自身に気付いたら、もうごまかせなかった。
青島を口説き落とすと心に決めた。
そしたら、まずは想いを告げるところから始めなければならない。
その先は、室井の努力次第だろう。
すぐに受け入れてもらえるとは思っていなかったが、すぐに諦めるつもりも無かった。
とにかく気持ちを知ってもらわなければ、何も始まらない。
青島と新たな関係を築きたいと、室井は思っていた。


部下を連れてエントランスに出た室井は、そこで丁度本庁にやってきたらしいすみれと出くわした。
珍しい人に珍しい場所で会うものだ。
すみれが室井に気付き小さく頭を下げて寄越すから、室井も頷くような礼を返した。
車を回すといって部下がエントランスを出て行くのを見送り、室井はすみれに視線を戻した。
「どうしたんだ?」
すみれが膨れ面で、嫌そうに言った。
「捜査三課の助っ人ー」
捜査三課は盗犯を扱う。
湾岸署の管轄内で本庁で追っている大規模な窃盗グループが目撃されていて、捜査協力の依頼があったらしい。
「君だけか?」
「中西係長と森下君が先に来てます」
「そうか…ご苦労様」
「全くよ」
所轄の仕事で忙しいのに!と憤るすみれを見れば、その通りなんだろうと思った。
青島たち所轄の刑事が忙しいことは室井も良く知っていた。
本当なら、本庁の手伝いなどせずに、自分たちの仕事を優先したいはずだった。
だが、所轄の協力無くして、速やかな事件解決は難しいとも、室井は思っていた。
「よろしく頼む」
捜査三課の担当ではなかったが室井がそう頼むと、すみれは肩を竦めてみせた。
仕方ないからやりますよ、という態度だった。
「室井さんの力で、なんとかなりません?」
「何がだ?」
「指揮とってんの、新城さんなのよね」
あからさまに嫌そうな顔をするすみれに、室井は内心で溜め息をついた。
新城の本庁優先の強引なやり方で、すみれたち所轄刑事に受け入れられるわけがない。
正直すみれの気持ちは分からなくはないが、担当管理官の人事など室井にどうこうできる問題ではなかった。
「生憎だが」
「なーんだ、残念」
舌打ちが聞こえてきそうなすみれの表情に、室井の眉間にもシワが寄る。
密かに早く車が来ないだろうかと思っていると、唐突にすみれが話題を変えた。
「先日はご馳走さまでした」
「ああ」
「本当美味しかったです、青島君が自慢するのも分かるわ」
「…そうか」
室井は喜びを押さえ込んだ硬い顔で頷いた。
青島が自分の料理をすみれに自慢していたようだ。
彼の特別な存在だと勘違いしてしまいそうだが、そんな小さなことが堪らなく嬉しかった。
喜びをひた隠しにしようとしている室井の胸中など気付くこともなく、すみれは室井を見上げて悪戯っぽく笑った。
「もう時効だから言ってもいいわよね」
本当は青島君に口止めされてるんだけど、と笑う。
一体なんの話だと首を傾げた室井に、すみれは内緒話をするように室井に身を寄せた。
「青島君、本当はずっと室井さんのことが好きだったんですよ」
言われた意味がすぐには理解できず、室井は怪訝そうにすみれを見た。
すみれは青島から、室井と酒の席で意気投合して付き合ってみることになった、と聞かされているはずだった。
そのことは室井も青島から聞かされて知っていた。
いきなり降って沸いた名前だけの恋人だから、同僚に室井との関係をそう説明するしかなかったのだろうと思われた。
だが、すみれが室井の知らない事実を語って聞かせてくれる。
「成り行きで室井さんと付き合えることになったけど、前から片思いしてたなんて今更知られたら恥ずかしいから、室井さんには黙っててって言われてたの」
笑うすみれが嬉しそうなのは、同僚の片思いが実ったことを嬉しく思うからだった。
「ちょっと…ちょっと待ってくれ」
頭がついていかない室井が珍しく混乱を露にすると、それを照れと受け取ったのかすみれはからかうように笑った。
「見栄張っちゃって馬鹿みたいよね…室井さんがこんなに想ってくれてんのに」
そう言いながらも、すみれは楽しそうだった。
舌を出して、悪びれる。
「貴方たちが上手くいってるみたいだから、ばらしちゃった」
それから、小さく笑った。
官僚であり生真面目で誠実な室井が、軽薄でお調子者な問題児の自分と交際する気になるはずがない。
青島はそう思いこんでいたのだと、すみれが教えてくれる。
「青島君、貴方への気持ちを持て余して、本当は随分悩んでたんですよ」
大事にしてくださいねと釘を刺されて、室井はようやくすみれの話を理解し、目を剥いた。


定時になると、室井はさっさと仕事を切り上げた。
珍しい上司の姿に部下は驚いていたが、室井はそれどころではなかった。
自宅へと逸る気持ちを押さえつつ、一ヶ所だけ寄り道をした。
入ったことのない店に立ち寄り、にこやかな若い女性の店員を相手に慣れない買い物をした。
正直どんなものを買ったらいいのかさっぱり分からなかったが、室井から注文をつけなくても、店員が色々と商品を並べて勧めてくれたから助かった。
中から一番気に入ったものを選び、それを購入して、室井は帰宅した。
室井が自宅にたどり着くと、青島も既に帰宅していた。
リビングの窓が少し開いていて、ベランダに青島の姿があった。
煙草を吸っているだけのようだが、何故か様子がおかしく見えた。
ベランダで煙草を吸っている姿を初めて見たせいかもしれない。
室井は鞄を床に置いて、深呼吸をしてから、窓に手をかけた。
「寒くないのか?」
青島が振り返った。
手には煙草と携帯用灰皿があった。
青島は室井を見て小さく笑った。
どこか寂しそうな笑みに、室井の眉が寄る。
「おかえりなさい、室井さん」
「ただいま」
「帰ってくんの、待ってました」
灰皿に煙草を捨てると、青島は室井を押し退けるようにして部屋に戻った。
「青島?」
青島がソファの側に立ったせいで、そこに大きな鞄が置いてあるのが目に付いた。
訝しげな室井が尋ねるより先に、青島が口を開いた。
「すみれさんから聞きました」
内緒にしてってあれほど言ったのになあと呟くから、室井が既に青島の気持ちを知っていることを青島も知っていることが分かる。
すみれからメールがきたのだと、青島は小さく笑ってから、表情をひきしめた。
「騙すようなことして、すいませんでした」
ペコリと頭を下げる青島に、室井は首を振った。
そんなことはお互い様だったのだ。
「青島、俺は」
「あの日…本庁で室井さんに会って、室井さんの見合い話なんか聞いてちょっと焦っちゃってね。近いうちに室井さんが誰かのものになるかもしれないと思ったら…我慢できなくて」
青島の言葉に、室井はすぐに声がでなかった。
疑っていたわけではないが、すみれの話が事実なのだと知れる。
青島は室井のことが好きなのだ。
「室井さんのためだなんて言い訳して、親切面して馬鹿なことしました」
自嘲するように苦笑いした青島が、真っ直ぐに室井に視線を向けた。
「嘘でも恋人の真似事が出来て、一緒にいられて嬉しかったです」
ありがとうございましたともう一度頭を下げる青島に、室井はのんきに感動している場合ではないことに気が付いた。
青島が鞄を手にした。
「後で荷物取りに来ますから、申し訳ないけど少し預かっておいてください」
お世話になりましたと俯いたまま出て行こうとする青島の腕を掴んで引き止める。
「青島」
引き止められて驚いたのか、俯けていた顔をあげた青島は不安そうな顔をしていた。
青島の不安は、嘘を吐いて室井の傍にいたことが明るみになり、室井に嫌われてしまったのではないかという不安だろう。
室井もこれまで何度も同じことを考えたから、青島の不安は良く分かった。
そんな不安を抱える必要などどこにもないのだと、青島に伝えなければならなかった。
青島の腕を掴む室井の手に力がこもる。
室井は、自宅に戻ってくるまでの間、色々と考えていた。
まずはすみれの話が本当か、青島に確認してみなければならない。
青島の気持ちを、青島の口から聞きたかった。
だけど、青島に想いを伝えることを決めたのは、すみれに青島の気持ちを聞かされたからではなかった。
それならば、自分の気持ちを伝えるのがまず先ではないか。
あれこれ考えた結果、固まった決意が室井のポケットには納まっている。
室井は青島の手から鞄を取り上げるとソファに下ろし、その手を握った。
小さく反応した青島に心臓を弾ませながら、室井はコートのポケットに手をいれ、取り出した箱を青島の掌に乗せた。
そして、真っ直ぐに青島を見つめる。
「結婚を前提に、俺と付き合ってくれないか」
見開かれた目が室井の目を呆然と見返す。
じっと視線を逸らさずにいると、青島はゆっくりと自身の掌に視線を落とした。
掌にある小さな箱が何か、分からない青島ではないだろう。
もう一度目を見開き、弾かれたように室井を見る。
「受け取ってくれないか」
「む、室井さん、これって…」
室井は一つ深呼吸をして、言い切った。
「婚約指輪のつもりだ」
これ以上ないくらい見開かれた目には驚き以外の感情が見当たらない。
だが、嫌がられていないことは確かで、それに後押しされるように、室井は箱からシルバーに光る指輪を取り出し、青島の掌に乗せた。
本当なら青島の左手の薬指にはめたいが、まだ青島の返事をもらっていない。
付き合ってもいないのに、勝手に将来を縛る指輪ははめられなかった。
「室井さん、どうして…」
驚きの中にありながら途方に暮れたような顔をしている青島を見て、室井は肝心なことを伝えていなかったことに気が付いた。
そもそもの偽りの交際期間も含めて、なんだか順番がぐちゃぐちゃだなと思いながら、居住いを正す。
今度は名前だけの嘘の関係ではなく、名実共に胸を張って恋人だと言える関係を築くためには、ここから始めるべきだろう。
「君が好きだ」
簡単な言葉だったが、今まで伝えられなかった想いを乗せて、気持ちを伝えた。
青島はもう驚きはしなかった。
室井の視線と告白を受け止め、指輪に視線を落として、次に目をあげた時には嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「はは…信じらんないな、本当に?」
「ああ」
「冗談じゃなく?同情でもない?」
なんでお前に同情しなくちゃいけないんだこんなに好きなのに。
そう思いながら、室井は指輪を手に取り、青島の左手を握った。
「指輪、受け取ってもらえるか」
婚約指輪のつもりだと室井は告げた。
その意味を理解した上で受け取ってもらえるかと尋ねたのだ。
青島は笑った。
はにかむような笑顔は僅かに泣きそうにも見えたが、青島は元気よく応えた。
「よろこんでっ」
室井自身も目の奥が熱くなるのを感じながら、青島の左手の薬指に指輪を押し込んだ。
第二関節で止ったそれに、一瞬二人とも黙る。
「…一緒に直しに行こう」
今度は、青島もただ楽しそうに笑った。










END

2013.1.14

あとがき


まだまだ続きを書きますが、とりあえず一段落です。
むしろ、ここから先が書きたかったのです〜(笑)

本当はいきなり「結婚してくれ」にしようかと思ったのですが、
さすがにいきなり過ぎるので「結婚を前提に」にしました。
いきなり婚約者になってますから、急っちゃあ急ですけどね(^^;

ここからはもう嫌ってほどいちゃいちゃしてる二人に
なるような気がして恐ろしいですが(いつものことですが)、
気長にお付き合い頂けたら幸いです。


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