珍しく青島と非番が重なった昼過ぎ、室井はきりたんぽ鍋の支度をしていた。
何故昼間から鍋かというと、すみれのリクエストだった。
室井を青島の恋人と思い込んでいるすみれが、正確には室井の自宅だが二人の住まいに遊びに行きたいと青島に訴えたからである。
きりたんぽ鍋は、以前青島から室井にご馳走になったという話を聞いてから食べてみたかったらしく、いい機会だから是非、というのがすみれの言い分だった。
馳走になる側がいい機会だと言うのもおかしいが、申し訳なさそうに頭を下げる青島に、室井は気軽に頷いた。
すみれにご馳走しなければならない理由はないが、それが青島の望みならば叶えてやることはやぶさかではなかった。
青島はすみれに弱いようだった。
すみれのことは決して嫌いではないが得意ではない室井だから、気持ちは分からなくはなかった。
「すいません、無理言って」
室井を手伝い、野菜を切っていた青島がまた詫びる。
「気にするな、それほど手間じゃない」
「すみれさんがどうしてもって聞かなくて」
「君は恩田君に弱いな」
「そうかな?…うん、多分うちの署で一番権力持ってんの、あの人だから」
内緒話をするように小さく囁く青島に、室井も頷いて同意を示した。
彼女に口で勝てる気がしないのは室井だけではないようだった。
「折角の休日、潰しちゃいましたね」
青島が小さく溜め息を吐いた。
「言ってなかったか?」
「え?」
「きりたんぽ作り、趣味なんだ」
趣味に時間を費やしていると思えば、悪い休日ではない。
室井の気持ちが伝わったのか、青島はちらりと室井を見て嬉しげな笑みを見せた。
可愛いなと無表情の下で思いながら、室井はきりたんぽ作りに勤しんだ。
「ごめんなさい、催促したみたいで」
室井の部屋に訪れたすみれが開口一番そう言ってにっこり笑うから、青島は呆れた顔をした。
「みたいじゃなくて、したんでしょ」
「うるさいなあ、青島君が作るわけじゃないんでしょー」
「そりゃそうだけど、俺だって手伝ったよ」
青島がムキになって子どもみたいな文句を言うのがおかしくて、室井はつい笑いそうになった。
笑えば青島が更にいじける。
なんとか微苦笑に止めると、室井は青島の気をそらした。
「青島、鍋を出しておいてくれないか」
「あ、はいはい、戸棚の一番下でしたよね」
すぐに青島はリビングに戻って行った。
それを見送り、すみれに中に入るよう促す。
だが、すみれはすぐには部屋に上がらず、室井を見つめていた。
「なんだ?」
訝しげな室井に、肩を竦めて見せる。
「貴方たちって、本当に付き合ってるんだなあと思って」
目を剥いた室井に、すみれが苦笑する。
「だって、急な話しだったから」
すみれがそう感じたのは無理もないとは思う。
青島と付き合っていることになっている室井自身、急な展開に驚いたものだった。
青島と親しいすみれだからこそ、降って湧いた青島と室井の恋愛話に、疑問を持ってもおかしくはない。
「だから、なんか裏でもあんのかしらとちょっと思ってたんだけど」
勘の鋭いすみれに室井は内心焦ったが、硬い表情も眉間のしわもいつものことだからか、すみれは特に不審を抱かなかったようだ。
むしろ納得したように頷いている。
「室井さんがちゃんと青島君を好きでいてくれてるから、安心した」
また目を剥いた室井に、すみれは笑った。
「気付いてないんですか?凄く優しい目で青島君のこと見てましたよ」
ご馳走様と笑って、すみれは靴を脱ぎ部屋にあがると、室井を置いてリビングに入って行った。
取り残された室井は、顔が熱くなるのを感じた。
そんなに想いが表に出ていたのだろうか。
そう思うとかなり気恥ずかしいが、羞恥と一緒に焦りも覚える。
他人が見て分かるくらいだから、青島本人に伝わらないとも限らない。
そんなことになれば一緒に暮らせなくなるだろうし、恋人という偽りの関係も続けられなくなるかもしれない。
いや、遅かれ早かれ青島は引越し先さえ見つかればここを出て行くからそれは仕方のないことだが、室井の片思いがバレることによる気まずい別れだけは避けたかった。
「室井さん?どうしたんです?」
リビングから青島が顔を見せた。
いつまでも戻って来ない室井を不審に思ったのだろう。
「いや、何でもない。飯にしよう」
室井は表情を引き締めた。
青島に緩んだだらしのない顔など見せられない。
青島が知る室井はそんな男ではないはずだ。
何があっても青島の信頼だけは失えないと、室井は今も思い続けている。
室井が警察官として理想を追う意味は、青島の存在にあったからだ。
だが、そんな決意を揺らがすのもまた、青島だった。
「そうですね、早く飯にしないとすみれさんが暴れますよ」
青島がすみれに聞こえないようこっそりと室井の耳元で囁く。
触れる吐息で眉間に深いシワが寄ったのは、ある意味幸いだったかもしれない。
顔が緩むよりは遥かにマシである。
「室井さん?」
難しい顔をしている室井に、青島が不思議そうな顔をした。
室井は首を横にふり、小声で応えた。
「早く飯にしよう。テレビは買い換えたばかりなんだ」
暗にすみれに壊されては困ると伝えると、青島はそりゃ大変だと大袈裟に頷き笑みを浮かべた。
「きりたんぽ、嬉しいです」
そう言ってリビングに戻って行く青島に、室井はそっと吐息を漏らした。
「ご馳走様でした」
にっこり笑って箸を置くすみれに、青島は呆れた顔をし、室井は怪訝な顔をした。
鍋の半分以上はおそらくすみれの胃の中だ。
青島は「一人で随分食ったなあ」という呆れであり、室井は「その細い身体のどこにあの量が?」という疑問から現われた表情だった。
「…腹は大丈夫なのか?」
思わず尋ねると、すみれは腹に手を当てて小首を傾げた。
「デザートならまだ入りますよ」
「誰もそんな心配してないよ」
げんなりしている青島に激しく同感だったが、室井は黙って席を立った。
頂きものの巨峰が冷蔵庫に入っていた。
洗って出してやったら、すみれはすこぶるいい笑顔を浮かべた。
他に誰も手が出ない巨峰を喜んで摘んでいる。
青島が「四次元ポケット…?」と小さく呟いた。
おそらくすみれの胃袋のことだ。
だとしたら、もっと有意義に使った方がいいと思ったが、青島がすみれにテーブルの下で足を蹴られていたから黙っておくことにした。
「それにしても、室井さん料理上手なんですね」
キャリアの家は贈り物まで違う!と羨みながら喜んで巨峰を摘むすみれが言った。
「そんなこともないが」
「いやいや、室井さん料理上手いですよ。鯖の味噌煮とか、凄い美味いの」
後半はすみれに向かって何故か青島が自慢する。
鯖の味噌煮が気に入っているのか、と室井はさりげなく心に刻んだ。
どうせなら好きなものを食わせたいと思ってしまうからだ。
「いいお嫁さんもらって良かったわね」
すみれが意地の悪い顔で笑うから、室井は目を剥き、青島が慌てた。
「何言ってんの、すみれさん」
「いいじゃない、どうせいずれ結婚するんでしょ?」
「いや、まあ…まだ先の話ね」
青島はすこぶる困ったように笑ってそう言った。
室井と付き合っていることになっている以上、そう言うしかないと分かっているが、有り得ないと言われなかったことが嘘でも嬉しかった。
そんなことで喜んでしまう自身の浅ましさに、室井は内心で嫌気がさした。
室井が自己嫌悪にしかめ面をしていると、それをどう受け取ったのか青島が笑って誤魔化した。
「まあ、俺たち付き合い出したばっかりだし、結婚とかまだ考えてないよ」
ねえと、室井に笑いかけてくるから、室井も合わせるように頷いた。
青島が必死に誤魔化してくれているのだから、協力しなければならなかった。
「結婚はまだ、な」
「そう?でも、意外とお似合いよ」
「そりゃ、どうも…って、意外って何さ」
膨れ面の青島にすみれが笑う。
「だって、青島君みたいないつクビになるかわかんない問題児とキャリアの組合せって、普通はちょっと考えられないでしょー」
「誰が問題児だって?大丈夫だよ、公務員だからリストラはないから」
「懲戒免職とかがあるじゃない」
「そこまでの問題は起こさないよ!…多分」
「青島、そこは自信を持って言え」
くだらない方向に話が流れてホッとしたが、すみれが更に突っ込んだことを聞いた。
「青島君と室井さんなら、どっちがお嫁さんになるわけ?」
どっちがと聞かれても返事に困る。
「ええ?男同士なんだから、どっちもお婿でいいんじゃないの」
嫌そうな顔で適当なことを言う青島に、すみれが重ねて尋ねた。
「そうなんだけどさ、法律上はどっちかの籍に入るわけでしょ?」
「あー…まあ、そりゃあ…」
青島はちらりと室井を見て、肩を竦めた。
「なら、俺が室井姓を名乗りましょうかね、年下だし」
やけになったのか、青島が開き直って提案した。
本気にするぞこのやろうと思いながら、室井は眉間にしわを寄せた。
「別に俺が青島を名乗っても構わないが」
言い返したら、青島が僅かに目を見開いた。
室井が乗ってくるとは思わなかったようだ。
酔いのせいにして、少しくらい夢を見てもいいだろう。
「室井さんが本庁で青島さんて呼ばれるんですか?」
「そうなるな」
「なんか変な感じだなあ…」
そう言って笑う青島は、言葉とは裏腹に少し楽しそうだった。
嫌悪感のないその様子に、室井はいくらかホッとし大分嬉しかった。
室井との将来の図を想像することは、青島にとって不可能なことではないらしい。
そんなことに希望を持つのは愚かだろうか。
「同性同士の場合は、年下が年上の籍に入るのが一般的みたいだけど、家庭の事情もあるし逆もないわけじゃないみたいね。でも、青島君が室井君になったら、なんだかややこしいわねえ。青島君がなんか偉くなった感じ?でも室井さんが青島さんなのもちょっと…縁起悪い?問題起こしそうで恐いわー」
「もしそうなったら職場では旧姓で通すから、いらない心配しない」
半ば失礼なことを一人あれこれ考えているすみれに、青島は釘をさし、室井に苦笑して見せた。
それでその話は青島が終いにした。
夕方頃になりすみれが帰ると、青島と二人で後片付けをした。
室井が食器を洗い、青島が拭いて戸棚に仕舞う。
「なんかすいません、色々と」
皿を拭きながら、青島が頭を下げた。
「気にするな」
「なんか嵐のようでしたね、食うし喋るし…」
室井よりも疲れて見える青島に、室井は苦笑した。
すみれと仲が良い分、室井よりもからかわれていたように思う。
室井にも気を遣い、疲れたのだろう。
「気にしなくていい、それなりに楽しかった」
「本当に?」
「ああ、彼女のことは嫌いじゃないんだ…得意でもないんだが」
思わず眉を寄せて素直な意見を述べる室井に、青島は表情を崩した。
「ははっ、なんか分かります」
手放しに好きと言えない室井の心の内を読んでか、おかしそうに笑っている。
すみれに言い負かされる室井でも思い出しているのかもしれない。
室井が嘆息すると、青島はやんわりと笑みを浮かべたまま、申し訳なさそうな顔をした。
「あの、すいません、中々新しい家見つからなくて…」
探してはいるんですけど、と眉尻を下げて言う。
すみれが帰り際に「このまま一緒に住んじゃえばいいのに」と言った言葉を気にしているのかもしれない。
きりたんぽ鍋が美味かったせいか、思わぬ居心地の良さだったのか、すみれは室井宅を気に入ったようだった。
青島がこのまま居着けば、また遊びに来られると思ったのかもしれない。
だが、その言葉は青島を焦らせたようだった。
これ以上すみれにからかわれたくないという理由からだったら、室井に引き止める術もないが、室井に遠慮しているのであれば急ぐ必要はなかった。
青島が時々不動産屋を覗いているのは、話を聞いて知っていた。
そのたび、ろくな物件がなければいいのにと祈っていると知ったら、青島は室井を嫌うだろうか。
それでも、もう少しだけ一緒にいたいと願う。
こんな機会が二度とないことが分かっているからだ。
「ゆっくりでいい、そのためにここに住んでるんだろ?」
「そう言ってもらえると助かります」
「夜中に帰ってくる時も多いんだ、無理はするなよ」
すみれに目が優しいなどと言われたせいで青島を見られなかったが、青島からは笑った声が返ってきた。
「ありがとう、室井さん」
礼など言われる覚えはなかった。
この同居が青島のためなのか自分のためなのか、今更考えてみるまでもないからだ。
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