引越業者を玄関先で愛想良く見送る青島を横目で見つつ、室井も礼を言い業者を見送った。
どういう関係に見えているんだろうなとふと思ったが、普通に恋人同士と思われてもおかしくはなかった。
現にそう偽っているからこそ、同居することになったのだ。
青島は今日、室井の部屋に越してきた。
もちろん、新しい引越し先が見つかるまでの、仮の同居だった。
「室井さん」
呼ばれて振り返ると、青島が少し困った顔をしていた。
「あの、本当に良かったんですか?越してきちゃって…」
同居が決まってからというもの、青島はしきりにそのことを気にしていた。
二人が恋人であると信じているすみれが青島を押し付けるから、室井が無理をしているのではないかと心配しているようだった。
「使っていない部屋があるんだ、気にしなくていい」
室井は官舎住まいではなく、都内にマンションを借りていた。
官僚に囲まれて生活する煩わしさを嫌ってのことだったが、官舎住まいではなくて良かったと思った。
さすがに室井が官舎に住んでいたら、青島も間借りしようとは思わなかったかもしれない。
いくら青島から言い出した嘘の恋人同士という関係であっても、わざわざこれ以上噂を広めようとは思わないはずだ。
二人が積極的に言いふらしでもしない限り、青島が室井の部屋に仮住まいしていることが知れ渡ることもない。
室井の自宅にはほとんど使っていない部屋が一つあった。
青島は当面そこに住むことになっている。
「荷物をしまうところがないから、狭いだろうが」
室井は少しそれが気になっていた。
青島の部屋から冷蔵庫や洗濯機も持ってきているが、家電は室井の部屋にもあるからほとんど必要ない。
ダンボールにしまったまま置いておくしかなかった。
物置にしまえるものはしまったが、入り切らないものは青島の部屋に置くしか無かった。
「邪魔なものはリビングに出しておいてもいいぞ」
あまり家具の多くないリビングだから、多少のスペースは余っていた。
青島はブンブンと首を振った。
「いやいや、そんなことは全然…」
住まわせてもらえるだけで充分だと笑ったが、どこかまだ不安そうだった。
青島が気にしているのは室井に迷惑をかけているということだろう。
むしろ幸運だと室井が思っていることなど、気付いてもいないのだ。
まさか、そうと伝えるわけにもいかない。
だけど、青島に変な遠慮をして欲しくなかった。
例え期間限定の同居でも、一緒にいられる間は楽しくやりたかった。
期間限定と分かっているからこそ、室井にとっては貴重な時間だったからだ。
「気にするな。迷惑だったら、恩田君に何を言われても、同居なんか持ち掛けていない」
「…そうですかね?」
「ああ…君となら楽しそうだと思った」
全てではないが本音を零すと、青島は目を丸くした。
らしくないことを言った自覚はあったから眉間にシワがよるが、後悔はしていなかった。
好きだとは伝えられなくても、伝えられる気持ちはあった。
青島は驚いたように室井を見ていたが、少し視線を落としてはにかんだ。
照れを含んだ笑みは一瞬で、すぐに嬉しそうな笑みに変わった。
「俺も室井さんとなら、楽しいや」
そんな一言で、室井の胸が締め付けられているなんて、思いもしないのだろう。
だが、それで構わなかった。
室井といて楽しいと感じてくれているだけで良かった。
「そっか」
室井が頷くと、青島が手を差し出してきた。
意図を察して握り返す。
暖かい手だった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
室井に同居人が出来た。
薄明るくなった部屋で目を覚ました室井は、起き上がって目覚まし時計のスイッチを切った。
アラームが鳴る前に目が覚めてしまった。
寝付きが悪かったわりに、目覚めがいい。
夕べから微かな緊張が続いているせいかもしれないが、疲労は感じていなかった。
らしくもなく、幾分気持ちが高揚しているだけだった。
青島という男の存在が、自分にとってどれだけ大きいものかを改めて知って、内心で苦笑した。
室井が着替えてから自室を出ると、リビングに青島の姿は無かった。
青島の部屋は室井の部屋の隣になる。
何となくドアを見つめたのは、中に青島がいると思うからだ。
だが、ぼんやりと眺めている場合ではない。
室井はとりあえず洗面所に向い、顔を洗いながら青島を思った。
彼も今日は出勤だと言っていたから、起こした方がいいだろうか。
だが、子どもでもあるまいし、とも思う。
あまり干渉してプライベートに踏み込み過ぎるのも馴々しいかもしれない。
かといって、もし寝過ごして遅刻することになったら可哀想である。
などと考えながら、洗顔を終えた室井がリビングに戻ると、タイミング良く青島の部屋のドアが開いた。
寝ぼけた顔をした青島がパジャマ姿で現われて、室井に気付くとペコリと頭を下げた。
「おはようございます」
「おはよう、眠れたか?」
「ええ、お陰様で。夢も見ないくらい、もうぐっすりと」
欠伸を漏らしながら言う青島に室井は苦笑した。
場所が変わったからといって眠れなくなるような繊細な男だと思っていたわけでもないが、ゆっくりと休めたようでとにかく安心した。
「顔を洗ってこい、朝飯にしよう」
「室井さんが朝飯作ってくれんですか?」
「他に誰がいる?」
変な質問だなと思いながら返事をすると、青島は嬉しげに笑った。
「ですよね」
「早く顔洗ってこい」
「はーい」
洗面所に向う青島を見送り、室井は台所に立ち簡単な朝食を用意した。
「凄い美味いです」
味噌汁を啜ったにしてはオーバーなリアクションで、青島が喜んだ。
喜んでもらえるのは嬉しいが、たかが味噌汁でと少々呆れる。
「大袈裟だ」
「いや、本当に美味いですよ。まともな朝飯なんか久しぶりだなあ」
しみじみと呟く青島をみれば、日頃の彼の食生活が窺い知れる。
だから、味噌汁くらいで随分と感動しているのだろう。
「室井さん、毎朝ちゃんと飯作ってんですか?」
「毎朝ではないが、大体は」
「偉いなー」
「手抜きの時も多いぞ」
「あったかい飯と味噌汁があったら充分です」
「…普段なに食べてるんだ?」
隠しもせずに呆れた顔をした室井には答えず、青島は笑って誤魔化した。
そういえば、湾岸署でカップラーメンを啜る青島を何度か見掛けている。
家でもそんな食生活なのかもしれない。
「自分の分だけ飯作るのって、面倒くさくないです?」
「気持ちは分かるが…」
室井もしたくてしているというよりは、必要に迫られて作っていると言った方がいい。
独身の一人暮らしだ、自分で料理をしなければ食事が出てくるはずがない。
料理すること自体は嫌いではないし、時々は郷里を懐かしんできりたんぽまで作ってみたりはするが、作ってくれる人がいるのなら室井も毎日はやらないだろう。
「あ、でも、一緒に暮らしてる間は、俺もやりますからね。家事は折半しましょうね」
明日の朝食は俺がと請け負ってくれる青島に、室井は微かに驚いた。
青島だって一人暮らしが長いのだから料理くらいやろうと思えばできるはず。
室井が驚いたのは青島が料理をすることではなく、明日の朝も青島と一緒だという事実だ。
仮とはいえ同居することになったというのに何を今更という話だが、今より先のことを当たり前に語る青島の言葉で改めて実感したのである。
当分、一緒に暮らすのだ。
室井の部屋で、青島と。
「朝は米じゃないと駄目な人ですか?パン嫌い?……室井さん?」
質問に中々返事をしない室井に、青島は不思議そうに首を傾げた。
室井は慌てて首を振った。
「いや、パンでも平気だ」
「そうですか?嫌なら遠慮なく言ってくださいね…って、居候の台詞じゃないか」
苦笑した青島が申し訳なさそうな顔をするから、室井は首を振った。
「君こそ遠慮するなよ」
自分の家だと思って好きにしろと言いたかったが、さすがに言葉に出来なかった。
ずっといてほしいという思いがあったから、後ろめたくて言えなかったのだ。
だが、青島は笑って頷いてくれたから、本音が伝わらなくても別に構わなかった。
食事を終え支度を整えると、青島と一緒に部屋を出ることにした。
通勤経路は最寄り駅までは一緒だった。
玄関を出る前に合鍵を差し出すと、青島は少し戸惑った顔をした。
「あ…と、いいんすか?俺が預かって」
「なきゃ、不便だろ。持ってろ」
なんなら一生持っててくれても構わないと思いながら手渡すと、受け取った青島は大事そうにポケットにしまった。
「ありがとうございます」
どこか嬉しそうな青島を見れば、本当の恋人になったように錯覚してしまいそうだった。
内心で馬鹿なことだと自身を戒めながら、青島を促して家を出る。
「俺がいなくても、自由にしていていいからな」
「はい。俺も夜中に帰ってきたりすること多いと思いますけど、気にしないで寝ててくださいね」
「ああ、分かった」
ひと目会いたくて起きて待っていたりしたら逆に迷惑だろうなと思いつつ、室井は頷いておいた。
「あ!でも、明日の朝飯はちゃんと俺が作りますかね」
青島が張り切って言った。
「無理はするなよ」
そうは言ったものの、任せてくださいと胸を叩く青島を見ていたら、明日の朝が既に待ち遠しく思えた。
例え今夜顔を合わせることがなくても、明日の朝にはまた会える。
明日も、青島と一緒だ。
NEXT