池神局長に挨拶をし退出すると、室井は深い溜め息を吐いた。
最近、やけに池神に呼び出される。
仕事なら文句もないが、8割は仕事の話では無かった。
見合い話である。
室井が三十半ばにして未だ独身なのが気になるのか、自分と縁のある人間と添わせて扱いやすくしようと思っているのか。
池神から色々な縁談が持ち込まれて、辟易していた。
仕事で手いっぱいで今のところ考えられないと言って断り続けているが、そんな理由では諦めてもらえないらしい。
池神は気が長いとは言えないし、強引なところがある。
職権濫用に命令でもされたら、強引に押し切られて見合いに持ち込まれそうで怖かった。
心を決めた相手がいると言えればいいのだが、嘘は苦手で突き通せる自信も無かった。
いや、全くの嘘ではない。
想う相手ならいた。
だが、室井が勝手に想っているだけだから、結婚など望める相手ではなかった。
室井は強引に押し付けられた釣書に視線を落とし、もう一度溜め息を吐いた。
捜査一課に戻ると、何故か青島の姿があって驚いた。
一課の年配刑事と何やら談笑し、笑っている。
プライドが高く所轄を下に見る本庁刑事が少なくないのも事実だが、全員がそうなわけではない。
懐っこい青島につられたのか、年配の刑事も楽しそうに笑っていた。
どこにでも馴染める不思議な男だった。
室井が自身の席に向かうと、青島が室井に気付き笑顔を寄越した。
「お久しぶりです、室井さん」
「…久しぶりだな」
頷き、今日はどうしたのかと尋ねた。
青島が本庁に来ることは珍しい。
運転手を押し付けられることが多いらしく本庁の外まで来ることはままあったが、運転手としてではない用事で本庁に来ることはあまりないようだった。
「課長のね、お供で」
袴田は捜査一課長と応接室にいるという。
暇を持て余していた青島は、一課刑事と雑談して時間を潰していたらしい。
「あれ?室井さん、それなんです?」
青島は目敏く、室井が手にしていた釣書を指差した。
室井は眉間に皺を寄せた。
一番見られたくない人に見られてしまった。
とはいえ、青島にとっては室井の見合いなどどうでもいいことだろう。
室井は投げやりに青島に釣書を差し出した。
「見合いの釣書だ」
青島の背後に立っていた一課の刑事が、苦笑いをしながら席を外す。
上司である管理官がここのところ度々持ち掛けられる見合い話に辟易していることを知っているのだ。
今の室井の地雷と言っていい。
そのことで部下に八つ当たりをするような室井ではないが、室井の押さえ切れていないピリピリとした空気は感じているのだろう。
触らぬ神になんとやらと思ったのか、青島を置いて一課の刑事は姿を消した。
青島は手渡されたそれに戸惑いながらも、興味を惹かれたのか釣書を開いて中を覗いた。
「わ、美人じゃないですか!議員の娘?お嬢さまじゃないですか…あ、この人は二枚目ですね、室井さんより年上?渋いですよね…この子も可愛いなあ、え?18!?若いな!」
ペラペラ捲りながら釣書を見ていた青島は、不意に顔を上げて室井を見た。
「てか、何で三人分も?」
「好きなのを選べということらしい」
「はあ…さすがエリートっすねえ…」
妙な関心をしている青島に冗談ではないと思う。
室井は眉間に皺を寄せた。
「俺がいつまでも見合い話に頷かないから、局長も痺れを切らしてるんだろ」
選択肢を増やされたところで、室井が頷くわけもないのだが。
迷惑そうな室井の口調に気付いたのか、青島は苦笑いした。
「エリートも大変ですね、結婚相手くらい自分で決めるってのに」
「全くだ、そんなものまで上司に押し付けられてたまるか」
溜め息交じりに呟いてから、愚痴っぽくなっている自分に気付いた。
折角青島といるのに、こんなどうでもいい話しをいつまでもしていることはない。
室井は意識して、気持ちを切り替えた。
「すまない、君に関係ない話を聞かせたな」
青島は笑って首をふり、そうだと手を打った。
「憂さ晴らしに、今夜どうです?」
手で酒を飲む手付きをして見せる。
青島とは何度かプライベートで飲みに行ったことがあったが、職場が違うし互いに忙しいということもあって、その機会は多くはなかった。
幸運にも巡ってきたこの機会を逃す手はない。
室井は脳内でこれからの仕事を整理しながら、青島に頷いた。
待ち合わせた居酒屋に室井が向かうと、青島は既に到着していた。
カウンターで一人ビールを飲んで待っていた。
「すまない、遅くなった」
約束よりも少し遅れたことを詫びると、青島は笑って首を振った。
「いや、俺もさっき着いたばっかです」
「そっか」
「急に誘っちゃいましたけど、仕事大丈夫でした?」
「ああ」
室井が隣に座ると青島が室井の分のビールを注文してくれた。
「用事がないといつまでも仕事をしているから、丁度良かった」
事件が続けば忙しくなるのは当然だったが、室井自身ワーカホリックの気がある。
例え定時を過ぎていても、今日の内に出来る仕事を明日に残して帰宅するということが中々できない。
放っておくといつまでも仕事から離れられなかった。
休暇にデートをする相手もいなければ、時間を作ってまでやりたい趣味も無かった。
こんなことだから周りが結婚を勧めるのかもしれないが、室井にその気は無かった。
「ははっ、じゃあ、たまに俺と飲みましょうよ」
青島が笑顔で誘ってくれる。
社交辞令、本気ではないだろうなと思いつつ、室井は頷いておいた。
そうできたらどんなに良いか、そう思いながら。
「室井さん、恋人作ればいいのに」
酒が進み、ほろ酔いになった青島が言った。
嫌そうに眉を寄せた室井に笑って、青島は室井の猪口に酒を注いだ。
「ほら、相手がいればね、見合いを勧められることもないでしょ?」
それは確かにそうだが、それはそれでおかしな具合だ。
「見合いを避けるために恋人を探すのは、本末転倒じゃないのか」
だったら見合いして相手を見つけたっていいわけである。
青島は少し視線を宙に投げて、考えて、肩を竦めた。
「それもそうっすね」
室井は溜め息を吐いた。
「いい歳になると、色々面倒くさいな」
「室井さん官僚だしね、周りがお節介やくのも分かりますけど」
「…君はないのか」
知りたいような知りたくないような気持ちで尋ねたら、青島は苦笑いした。
「ないない、ほら、俺問題児ですから」
「自分で言うな」
「ははっ、すいません」
無いと聞いてほっとしながらも、この先も無いとは言い切れないだろうなと思う。
器量は良いし頭も悪くなく、人当たりも良い。
少々落ち着きは無いが、明るく陽気な性格だ。
話し上手だし、何事にも率がない。
人付き合いの上手さは、室井と比べたら雲泥の差だ。
今はいないようだが、その気になればすぐに恋人くらいできるだろう。
結婚もそう遠くはないかもしれない。
そんなことを考えて、室井は少し暗い気持ちになった。
「室井さん、恋人がいるってことにしちゃったらどうです?」
そしたら煩わしさから解放されるのではないかと青島が提案してくれるが、室井は頷けない。
「俺にそんな嘘が突き通せると思うのか」
「ですよねー」
青島が苦笑した。
室井の不器用な性格は、何度も一緒に捜査に携わった青島ならよく知っているはずだ。
だからか、青島はあっさり納得すると、笑いながら提案した。
「じゃあ、俺と付き合ってるってことにするっていうのは?」
室井は目を剥いた。
青島がとんでもないことを言った気がした。
とんでもなく、室井に都合の良いことを。
青島は室井にとって、警察官としての自身の在るべき姿を思い出させてくれた男だった。
信念を貫くことすらままならない警察組織で、室井が目指したのは出世することだ。
上層部に席をおかない限り警察は変えられない、自身の信じた正義は決して貫けない。
それを知っていたから、偉くなってみせると心に誓っていた。
だがそれが、いつの間にか「出世すること」に重きを置きすぎて、出世は目的達成のための手段だったはずなのに、それ自体が目的に変わってしまっていた。
犠牲にしてはいけないものを犠牲にして出世したところで、正義など貫けるわけもない。
被害者のためなら官僚にでもたてつき、自身の立場を危うくしてでも戦う青島に触れて、室井はそのことに気付いた。
警察官僚として生きるうちに忘れてしまっていた自身が警察官になった理由を思い出したのだ。
だから、室井にとって、青島は特別な人間だった。
感謝しているし、どこか憧憬の念もあった。
だが、青島に対する強い想いは、それだけに留まらなかった。
室井は警察官としてではなく、青島という人間に惚れていた。
「相手がいることにしておけば、見合い勧められることもないでしょう?ほとぼり冷めるまで…なんて、思ったんですけどね」
目を剥いたまま固まっている室井に、青島は肩を竦めた。
「まあ、冗談ですよ」
「いいのか?」
言葉が重なってしまい、室井は眉間に皺を寄せた。
失敗した冗談だったのかと思い密かに物凄くガッカリしたが、青島は慌てて言い直した。
「あー、いやいや、室井さんがいいなら、俺の名前使ってくれていいですよ」
再び提案されて、室井はまた目を剥いた。
「本当にいいのか…?」
「ええ、どうせ俺も今恋人いないし」
そんな問題なのだろうかと思ったが、室井が拒否をするには青島の提案はあまりに魅力的過ぎた。
もちろん、フリをするのであって、本当に恋人になれるわけではない。
それでも青島に近付けるような気がして、嬉しかった。
想いを告げるつもりは、端から全くなかった。
変に真面目で融通の利かない性格であり、面白みにかける人間であることは自覚していた。
青島のような柔軟で自由な男が、自身に惚れるとは全く思えなかった。
不器用な生き方しかできないことは、自分自身が一番良く分かっている。
室井は室井としてしか生きられない。
青島に憧れ彼の世界に生きたいと願っても、青島には成れないし彼のようには生きられない。
青島の恋人になどなれるわけがないと思っていた。
意気地がないようで情けないが、気まずくなることが分かっているのに告白することなど考えられない。
警察官としてなら、彼に信頼され、好意を寄せられている自信があったのだ。
この関係を壊してまで告白することに意味があるとは思えなかった。
警察官として同じ場所を目指し、共に歩いて行けるのであれば、それで良いと思っていた。
だからこそ、青島の申し出は嬉しかった。
例え嘘でも彼とプライベートで繋がれるという事実は、室井に後ろ暗い喜びを与えた。
嘘の世界でもなければ、青島と恋人同士になる機会などあるわけがない。
だが、本当にいいのだろうかと思わなくはない。
室井には嬉しい嘘でも、青島にとってはなんのメリットもない嘘だろう。
そんな嘘に付き合わせてもいいものか迷った。
躊躇う室井に気付いているのかいないのか、青島は気軽に言った。
「どっちかに恋人ができるまでってことで、どうですか?」
迷う胸中とは裏腹に、室井の口は勝手に動いた。
「よろしく頼む」
こちらこそと笑う青島を、室井は信じられないような思いで見つめていた。
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