■ 第五章 3.1月1日


1月1日。
大晦日から元旦にかけて青島と夜更かしをしたため、その朝はゆっくりだった。
部屋を出て階下に降りたのは、14時頃だった。
青島と約束した時間である。
青島の部屋のドアをノックした。
まさかまだ寝てないだろうなと思ったが、それほど待たずにドアが開き緑のコートを羽織った青島が出てきた。
「おはようございます」
「おはよう、ちゃんと起きれたんだな」
「ええ、目が覚めたら昼過ぎてましたけど」
「大差ないな、俺も11時くらいまで寝ていた」
「元旦から自堕落な生活しちゃいけませんね」
苦笑した青島に、室井も頷いた。
「初詣に二日酔いで行かずに済んで幸いだったな」
「はは、本当だ。神様に怒られちゃいますね」
笑う青島に小さく笑みを返し、室井は玄関に向かった。
ついてくる青島が施錠すると、湾岸荘を後にした。


歩いて行けるほど近くに、神社はあった。
大学からも遠くないこともあり存在は知っていたが、実際お参りに訪れるのはこれが初めてだった。
大きくはない神社だが、近所の人が集まるのか中途半端な時刻のわりに混雑していた。
「結構人がいるもんだな」
参拝の列に並びながら、室井は感心した。
「若い人も多いですね、近いし室井さんとこの大学生とかもいるんじゃないですか?」
「かもしれないな」
友人同士と思しき若いグループもいれば、恋人同士らしい二人組みもいた。
中には室井の勤める大学の生徒もいるかもしれない。
「室井さん、何をお祈りするんですか?」
横目で見上げると、青島も室井を見ていた。
「…そういえば、考えていなかったな」
「なんか室井さんっぽい」
欲がないなと、青島が笑った。
欲がないわけではなく、願い事ならいっぱいあった。
だが、今日の初詣は願掛けが目的ではない。
青島と初詣に来たかっただけで、言ってみれば手段が目的である。
つまり浮かれていて、願うことにまで頭が回らなかったということだ。
折角だから、青島とのことでも祈ろうかと思ったが、神頼みというのも気が引けた。
できる限り傍にいられますように、という願いは初詣に願うことではない気がした。
「室井さん、今慌てて考えてる?」
楽しそうに尋ねてくる青島に室井の眉が寄った。
青島が欲しいと願ってやろうか、などと馬鹿なことを考えたが、もちろん口からは出なかった。
「そう言う君は何を願うんだ」
「湾岸荘の家内安全」
「湾岸荘は家内と言うのか?」
「一つ屋根の下だもん、いいんじゃないですか?」
「なら、俺もそれを祈ろう」
湾岸荘の住人が平穏無事に過ごせるに越したことはない。
その中には青島も含まれるのだから、丁度良かった。
ついでに、自身の家族の平穏も祈っておこうと考えていると、青島が小さく呟いた。
「ま、後は個人的な願い事もしとこうかな」
「何を願うんだ?」
青島が照れたように笑った。
「内緒です」
「…そう言われると気になるな」
眉を寄せた室井に、青島は肩を竦めた。
「大したことじゃないですよ、折角だからついでにと思っただけで」
青島は笑っていたが、視線は少し落ちていた。
「願うだけなら、自由だしね」
そう呟く声は、大したことではないと言うわりに真剣で、大事な願い事があるのではないかと思わせた。
それが何かが気になったが、これ以上聞いたところで答えてはもらえない気がした。
いつか、大切な胸の内も開いて見せてもらえるような、そんな関係になれるだろうか。
そうなれるように努力しよう。
それが新年の抱負だとしたら、あまりに世界が青島中心にできている気がして気恥ずかしいが、まあいいかと開き直る。
祈るのは自由だと、青島が言った。
その通りだと思った。
青島に好きになってもらいたいと願うことは、室井の自由だ。
「あ、順番が回ってきましたよ」
お参りが終わった人が立ち去り、室井たちの順番が回ってきた。
二人並んで祈る内容が、実はほぼ同じことだったとは二人とも気付いていなかった。

「吉か…『健康、良し』そりゃ、良かった。『商売、利益すくなし』うわ、それは困るな…えーと、『待人、おとづれなく来る』…本当かね?…うーん、まあまあかな。室井さんはどうでした?」
おみくじの運勢を読みながらぶつぶつ言っていた青島が、室井に顔を向けた。
室井は肩を竦めて、おみくじを青島に差し出した。
覗き込むようにおみくじを見て、青島が「ありゃ」と呟いた。
「凶なんか、初めて引いた」
「俺も見たの初めてかも」
青島が笑いながら室井の手からおみくじを引き抜いた。
それを、木の枝の高い位置にくくり付ける。
「今が凶ってことは、今年の室井さんは右肩上がりですね」
「…そうだろうか?」
「そうに決まってますよ、きっといいこといっぱいです」
根拠も何もないのに、青島にそう言われるとそんな気がしてくるから不思議だ。
青島のポジティブさは、伝染するのかもしれない。
「病は気からと言うしな」
「室井さん、それなんか違う」
変な納得をした室井に、青島は弾かれたように笑った。
可愛いなどとのんきに思っていると、不意に声がかけられた。
「室井先生」
知った声だと思ったら、背後に小原がいた。
僅かに室井の顔が強張るが、あまり動揺を見せないように気をつけた。
小原がペコリと頭を下げた。
「明けましておめでとうございます」
「おめでとう」
「先生も初詣ですか?」
「ああ」
小原の視線がちらりと青島に向いた。
青島は突然現われた小原に驚いたようだったが、小さく頭を下げてみせた。
小原も同じように挨拶を返していた。
「室井先生のお友達ですか?」
朗らかに問われて返事に困るが、友人と紹介しても青島は怒りはしないだろう。
アパートの管理人だとは紹介し辛かった。
「そうだ」
「どうも〜」
青島が笑顔を作り、小原に名乗って自己紹介した。
つられたように、小原も笑う。
「室井さんの教え子?」
「はい、お世話になってます」
「どう?室井先生の講義は」
「おい、青島…」
冗談っぽく尋ねた青島に対して眉間に皺を寄せた室井とは対照的に、小原は笑顔だった。
「優しいですよ、室井先生。厳しいけど、優しいです」
室井は益々眉間に皺を寄せたが、青島はニコリと笑って「へえ」と呟いた。
意外だという表情ではなかったから、納得しているのかもしれない。
どちらにせよ、気まずい。
もう行くぞと青島を促し、また学校でと小原に告げる。
つい態度が素っ気なくなってしまったが、小原は気にしたふうではなかった。
照れが伝わっていたのかもしれない。
「はい、今年もよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた小原に頷き返し、室井は青島と連れ立って神社を後にした。
申し訳なかったが、小原とはあまり一緒にいたくなかった。

引っ越ししたいという彼女に頼まれ、不動産屋に付き合った。
その時は、遠方から出てきて一人で部屋探しをするのが不安で、他に頼れる大人が身近にいなかったのだろうと思ってさして気にしなかったが、それだけで室井を頼ったわけではなかったことに今は気付いていた。
小原がお礼だと言って、クリスマスプレゼントを渡そうとしてくれたからだ。
受け取らなかったから中身が何かは分からなかったが、恋愛事に聡いとは言えない室井でもなんとなく小原の気持ちが伝わった。
彼女は歳も離れていたし、そもそも生徒である。
室井は彼女をそれ以上の存在とは見ていなかったから全く気が付かなかったが、どうやら好意を寄せられているらしかった。
彼女が頻繁に室井の研究室に顔を出していたのは、ただただ勉強熱心な生徒だったからではなかったようだ。
そう思って考えてみれば、彼女は室井のプライベートな話を聞きたがっている節もあった。
室井自身に興味があったのだ。
今更それに気が付くくらいだから、室井は鈍いのかもしれない。
だが、知ってしまったからには、彼女の好意を受け取るわけにはいかなかった。
クリスマスプレゼントを受け取らなかったのも、そのためだった。
その時の小原は少し悲しそうに見えたが、笑って引っ込めてくれた。
初詣で偶然顔を合わせた今も、彼女は普通に接してくれた。
室井の意思表示を悟って、諦めてくれたのかもしれない。
若い女の子が相手とあって申し訳なく思ったが、こればかりは仕方が無かった。
彼女が生徒だからというわけではなく、好きな人がいたから考えてやれなかった。
十以上も歳の離れた室井になど想いを寄せずとも、彼女ならばもっと良い出会いがあるだろうとも思った。
それは室井の勝手な言い分だと分かっているだけに、彼女により幸せな出会いがあることを密かに祈った。
それくらいしか、室井に出来ることはなかった。


湾岸荘に戻る帰り道、青島は少し静かだった。
並んで歩く横顔を見れば、何か考えごとをしているようにも見えた。
「飯でも食って帰るか?」
夕飯の時間には少し早かったが、このまま湾岸荘に帰って部屋に戻るのも寂しくて誘ってみた。
最近は元旦から開いている店も少なくない。
青島はちらりと室井を見やって笑った。
「初詣の帰りって、まっすぐ家に帰った方がいいんですって」
「そうなのか?」
「福を連れて帰るっていう意味があるそうですよ、和久さんに聞きました」
初めて知った縁起担ぎだが、和久が言うのならそうなのだろうと思った。
夕飯も一緒にという目論見は破れたが、それなら仕方がない。
「折角お参りしたんだ、それなら真っ直ぐ帰ろう」
「帰ってから出かけるのも面倒だから、また食堂で一杯やりません?」
潔く諦めた室井に、今度は青島が誘ってくれる。
青島もどうやら今夜も一緒にと思ってくれていたようだ。
室井の返事など決まっていた。
「いいな」
青島が屈託なく笑った。
その笑顔を見ながら、引いたばかりのおみくじの信憑性を思わず疑ってしまった。
今、現時点の自分の運勢が凶とはとても思えなかったからだ。
室井が密かに罰当たりなことを考えていると、青島が小さく呼んだ。
「ね、室井さん」
「なんだ?」
「あの、さっきの子って、この間の子ですよね?不動産屋で見かけた…」
青島は小原の顔を覚えていたようだった。
「ああ、そうだ」
「やっぱり、そうですか」
「そうだが、彼女がどうかしたのか?」
「いや、別に…ただ随分懐かれてんだなーと思って」
懐いていると言えばそうなのだろうが、彼女のそこには悪意のない他意がある。
室井には頷き辛かったが、だからといって惚れられているみたいだとは青島に説明したくもない。
なんと答えようかと思案していると、青島がからかうような眼差しを寄越した。
「可愛い若い子に懐かれて、羨ましいですね」
室井の眉間に皺が寄った。
そんなことを喜ぶ男だと思われているのだろうかと思った。
青島が微かな嫉妬でそんなことを言いだしたことになど、気付く室井ではない。
不快の浮かんだ室井の表情を見た青島が、慌てたように笑みを消した。
「ごめんなさい、冗談ですよ」
「生徒をそんな目で見たことはない」
「…ですよね、うん、ごめんなさい」
青島が困ったように眉を下げた。
その顔が少し落ち込んで見えて、真剣に受け取り過ぎたかと室井も反省した。
「そもそも、俺など彼女たちから見たら、いいオヤジだ。相手にされるわけがないだろう」
怒っていないことが伝わるように軽口を叩くと、青島に笑みが戻った。
「室井さんがオヤジ?そんなふうには全く見えないけどな」
「もう35になる。十分オヤジだろう」
「ああ、耳が痛いなあ。俺ももう31になっちゃいましたしね」
「君はもっと若く見えるからいいだろう」
「それは、見た目のこと?」
「どうだろうな」
精神年齢なら歳相応ですよ!と青島に睨まれて、室井は小さく笑った。




結局、その日も深い時間まで青島と食堂で過ごした。
ただダラダラとテレビを見て、持ち寄ったお節料理やつまみで酒を飲んでいただけだが、室井にとっては物凄く充実した元旦だった。
めぼしいテレビ番組が終わった頃に解散し、自室に引き上げることになった。
「なんか年末から毎晩飲んでますね」
欠伸を漏らしながら青島が苦笑する。
「そうだな、毎晩ダラダラしてるな」
「これも正月っぽくていいですかね」
「たまには、な」
毎年こんな正月が過ごせたらいいのにと願うのは、図々し過ぎるか。
室井は内心で自嘲し、青島と部屋の前で別れた。
明日も一緒にいられないだろうかと少し考えたが、誘う理由も口実も思い浮かばなかった。
3日は食事に付き合ってくれるという約束をとりつけている。
明日は大人しく一人で過ごそうか。
そう思いつつ、階段の前で足を止めて、往生際悪く口実を探した。
それが見当たらないまま振り返ったのは、青島の部屋のドアが開く音がしなかったからだ。
青島はドアの前に立ち、室井を見ていた。
「青島?」
じっと室井を見たまま立ち去らない青島に、室井は首を傾げた。
「室井さん、明日映画行きませんか?」
唐突な誘いに室井は目を丸くした。
「家でゴロゴロしてるのもなんだしなーと思って」
行きませんかと青島がもう一度誘ってくれる。
そうか暇だからという理由でデートに誘っても構わないのかと、室井は無駄な言い訳を探す必要がなかったことに気が付いた。
今後の参考にしようと思いながら、
「行きたい、俺も暇なんだ」
とだけ、答えた。
本音はどうであれ、それだけで明日も青島と一緒に居られることが重要だった。
いつか、ただ一緒にいたいからいてくれと、誘える時が来ればいい。
笑って手を振る青島に、室井はそう思った。










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2013.7.21


二人きりなのに、焦れったい…(2回目)


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