■ 第五章 2.12月31日


12月31日の昼下がり。
室井は買い物に行こうと部屋を出て、階段を降りた。
湾岸荘は静まり返っている。
真下は昼前に実家に帰って行ったし、青島も出かけているようだった。
床板が軋む音が大きく響くが、すっかり慣れた室井にはその音も気にならない。
玄関で靴を履いていると、タイミング良く青島が戻ってきた。
玄関にいた室井に少し驚いたようだったが、青島は笑顔を向けてくれた。
「こんにちは、室井さん」
「こんにちは」
「お出かけですか?」
「スーパーに行って来ようと思ってな」
「そうですか」
「君は?」
「ちょっと早いですけど、銭湯行ってました。あ、今日は18時までしか開いて無いそうですから、早く行った方がいいですよ」
普段は遅くまで開いている銭湯だったが、大晦日は早仕舞らしい。
教えてもらえて良かった。
「そうか、早めに行こう」
「そうしてください」
頷いた青島が、ふと手を翳して見せた。
その手を見て、室井の頬が強張った。
黒い手袋は、室井が彼の誕生日に贈ったそれだった。
使ってくれているところは初めて見た。
「あったかいです」
嬉しげに笑う青島に室井も嬉しくなるが、表情は微かに動いただけだった。
「そっか」
「ありがとうございました」
「いや、いつも世話になってるから」
本当はそれだけが理由ではなかったが、どうしてと理由を語るならそれしか言えることがなかった。
室井は聞いてばかりいただけだが、真下との世間話の中で青島の誕生日が近いと聞いていた。
実際の日にちは一日ずれていたわけだが、知ったからには何か贈りたいと思った。
だが、気軽に誕生日プレゼントを渡せる間柄ではないような気もした。
日増しに青島との距離は近くなっているように感じていたが、誕生日のプレゼントを贈れるほど近付いてはいないかもしれない。
だけど、何もせずにはいられなかった。
好きな人の誕生日は、室井にとっても当然大切な一日だった。
それに、今の室井の精一杯のアプローチであるともいえた。
室井が青島を気にかけている、そのことだけでも知っていてもらえたら。
下心というにはささやかすぎる、そんな願いも込められていた。
そんなことに気付いてもいないのだろうが、何はともあれ青島はプレゼントを快く受け取ってくれたようだ。
「世話なんて何にもしてませんけど」
そう言ってはにかむ。
「祝ってもらえるのは嬉しいです」
「…そっか」
他に言える言葉は無かった。
許されるなら、もっとちゃんとお祝いをしたかったが、多くは望めない。
青島が室井の気持ちを嬉しいと思ってくれていることを、今は素直に喜んでおくことにした。
「室井さんはいつですか?」
唐突に聞かれて、室井は真顔で問い返した。
「何がだ?」
会話の流れ的に答えは一つしかないはずなのに、室井は気付いていなかった。
鈍い室井を思ってか、青島が笑った。
「誕生日ですよ、室井さんの」
「あ、ああ、そうか…」
なるほどとは思ったが、答え辛い質問だった。
青島が室井の誕生日を気にするのは、お返しをしなければと考えてのことだろうと気付く程度には、室井も頭が回った。
だが、そうなると言い出し難い。
「俺のはいい」
「何でですか?俺にも祝わせてくださいよ」
青島が嬉しいことを言ってくれる。
青島に祝ってもらえるなら凄く嬉しいが、本当に室井の誕生日は目の前だ。
プレゼントを催促するようで気が引ける。
「気にしないでいいから」
貰ってもらえただけで十分だという言葉は、飲み込んだ。
青島が意地の悪い笑みを見せた。
「じゃあ、契約書で調べるからいいですよ」
室井はしまったと思った。
確かに入居時の契約書を見れば、室井のプロフィールなど一目瞭然である。
隠しておく意味はなく、青島にわざわざ手間をかけさせる意味はもっとない。
室井は溜息混じりに呟いた。
「1月3日だ」
青島が目を丸くした。
「ええ?もうすぐじゃない!」
だから言いたく無かったんだと思ったが、どうしようかなと悩んでくれる青島を見ればやっぱり嬉しく思った。
「本当に気を遣わなくていいぞ、俺が好きでしたことだし」
「なら、俺にも好きにさせてください」
ごもっともという返事に、室井は返す言葉が無かった。
ありがとうと言ってしまった方が、喜んでくれるような気もする。
青島はそういう男だ。
室井は少し考えて、青島に貰えるなら、と図々しいことを考えた。
だけどこれなら青島も頭を悩ませることはないだろうと、自身に言い訳をして勇気を出した。
「青島、プレゼントはいらないから、3日は一緒に飯でも食わないか」
青島が目を丸くした。
驚いた様子の彼に、やっぱり不自然だっただろうかと気持ちが萎えそうになるが、今更後には引けない。
「誕生日に一人で飯を食うのも寂しいと思ってな」
そう言い訳をした。
本当は誕生日に特別なこだわりはないのだが、青島と過ごせるのだとしたらそれは室井にとって、特別な誕生日になるはずだった。
「ええと…いいんすか?折角の誕生日に俺と一緒で…」
青島が戸惑ったように言うが、特にいやがられているとか気持ち悪がられているようには感じなかった。
室井が図々しく自分のいいように受け取っただけかもしれないが、青島と一緒にいられるなら何でもいいと開き直った。
だけどさすがに、君がいいんだ、とまでは口に出来なかった。
「食事に付き合ってもらえたら助かる」
青島は少し視線を泳がせ、あーとかうーとか呟いていたが、照れたように笑って頷いた。
「俺で良かったら、喜んで」
青島に何かをしてもらおうと思っていたわけではなく、ただ誕生日を知ったからには何かをしたくて贈ったプレゼントだったが、勇気を出して贈って本当に良かったと思った。
思わぬ形で自分に返って来ることになった。
最近、良いことが多すぎる気がした。
いや、湾岸荘に越して来てからずっとかもしれない。
青島へのどうにもならない想いで切なくなる時もあったが、その何倍も嬉しくて楽しくて幸せな瞬間が多かった。
湾岸荘の存在は、確かに室井の人生を大きく変えていた。
「何食いたいか、考えておいてください」
「ああ、ありがとう」
「すいません、出掛けに引き止めて」
青島が身体をずらして道を開けてくれた。
「いや…では、今夜」
「はい、また夜に」
笑って手を振る青島に頷き返して、室井は湾岸荘を後にした。
スーパーに向かう室井は、無表情の下で酷く浮かれていた。




年越しは、食堂ですることになった。
二人なのだからどちらかの部屋でも良かったのだが、万が一ということもある。
誰もいない湾岸荘で狭い部屋に二人きりというのは、自身の精神衛生上あまりよろしくない気がした。
青島からも異論はなく、二人は夜になると食料や酒を持ち寄り食堂に集まった。
青島が半纏を羽織って現われたから、なんとなく笑ってしまった。
「暖かそうだな」
「でしょ?祖父さんのお古で、大分ボロボロなんすけどね。あったかいんで、ずっと愛用してるんです」
「物持ちがいいな」
「あー、なんか物を処分したりするの、苦手で」
いらないものまでついつい取って置いてしまうと、肩を竦めている。
「お祖父さんの半纏なら、ずっと取って置いても良いんじゃないか」
暖かいからだけではなく、思い入れもあるだろうと思った。
青島は照れたように笑っていた。

二人は向い合わせになってソファに腰を下ろすと、ビールで乾杯した。
「蕎麦は後でいいか?食べるなら、茹でるが」
「後にします、腹膨れちゃうし」
「そうだな」
「あ、紅白始まりますね」
青島がテレビをつけた。
丁度番組が始まったところらしく、華々しい衣装を纏った司会者が進行していた。
「君は毎年必ず紅白を観てるのか?」
「ザッピングしながらですけどね、なんかこれ観ないと正月って気がしなくて」
「分からなくはないが」
「室井さんはいつも紅白観ないですか?」
「観ないこともないが、こだわりはないな」
「そうですか。あ、違うのが良かったら、チャンネル変えますよ?」
「大丈夫だ」
正直、テレビなどなんでも良かった。
青島と年が越せる。
それだけが、室井にとって意味のあることだった。
「去年は一人で紅白観てたんすよね」
しんみりと呟いた青島が、室井を見て笑った。
「今年は室井さんがいてくれて嬉しいです」
室井は目を細めて、小さく笑い返した。
「こっちこそ」
一人ではないことではなく、青島がここにいることが嬉しかった。
言えないけれど、短い言葉に思いを乗せたつもりだった。
青島には伝わるはずもないが、今はそれで十分だった。
青島が、この歌好きなんすよねと呟いた。
テレビの中で青島と同年代の男性が歌っていた。
室井も優しい恋の歌に耳を傾ける。
二人きりの夜は静かに更けていった。


二人して蕎麦をすすっているタイミングで、カウントダウンが始まった。
「あ、後10秒だ」
「カウントダウンするのか?」
「いや、さすがに一人でしませんよ、心で数えます」
やっぱり数えるのかと思ったら、つい笑みが浮かんだ。
「あ、ばかにして」
「していない」
可愛いなと思っただけだから、本当にしていない。
軽く睨んでくる青島に向かって、テレビを指差して見せる。
「後3秒だぞ」
「あ」
青島がテレビを見た。
1秒後には、年が明けていた。
青島がまた室井を見た。
今度は笑っていた。
「おめでとうございます」
「おめでとう、今年もよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
新年の挨拶をし、青島が差し出してくる日本酒のグラスに室井のグラスを合わせる。
昨年最後に会ったのも、今年最初に言葉を交わしたのも、青島だった。
「いい年になりそうだ」
思わず、本音が口をついた。
青島がやんわりと笑った。
「俺もそんな気がします」
「何故だ?」
自分のことは棚上げして聞いてみた。
青島は首を横に振って、ただの勘ですと笑った。
微かに照れたように見える笑みに、一瞬青島も同じ気持ちなのではないかと錯覚し、錯覚した自身を内心で笑った。
先日は青島が結婚する時のことを考え、勝手に想像を膨らませて鬱々としていたくせに、少しの間に随分と図々しいことを考えるようになったものだ。
それだけ青島の好意が感じられていることは確かだが、年末になってから二人きりでいられる時間が増えていたから勘違いしてしまうのだろう。
「室井さん」
青島に呼ばれた。
「なんだ?」
「明日…いや、今日か、今日は予定ありますか?」
「特にないが」
今夜できる限り長い時間を青島と過ごせたら、明日の朝はゆっくり眠ろうと考えていただけである。
「あの、暇だったら初詣でも行きません?」
室井は突然の誘いに驚いたが、もちろんこんなに嬉しい誘いはない。
「ほら、一人だと面倒で中々行かないけど、室井さんも行くなら行きたいかなって」
青島が何故か言い訳めいた言葉を口にした。
室井がすぐに返事をしなかったから、気まずかったのかもしれない。
「ええと…面倒ですかね?」
愛想笑いのような笑みを浮かべる青島に、室井は慌てて首を振った。
「いや、行きたい」
前言撤回されては困るとばかりに急いでそう言ったら、勢いが良過ぎたのか今度は青島が驚いた顔をした。
慌て過ぎたかと一呼吸おいてから、室井は言い直した。
「初詣なんかしばらく行ってないから、俺も行きたい」
「あ、そうですか」
青島はホッとしたような笑みを見せた。
「俺も何年か行ってなくて」
「そうか」
「たまには神社もいいですよね、神聖な気持ちになって」
果たして青島と一緒にお参りして煩悩から開放されることはあるのだろうか。
内心、疑問に思ったが、青島はそんな室井の胸中に気付きもしなかった。
寝坊しないようにしなくちゃと明日の計画を立てる青島は嬉しそうに見えて、室井も嬉しかった。











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2013.7.19


二人きりなのに、焦れったい…


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