室井は強張った頬を軽く叩いた。
子どもでもあるまいしと、緊張している自分に活を入れる。
デートなどと気負うからいけないのだ。
ただ映画を見に行くだけ。
室井にとってはそこにどんな意味があろうと、現実はたまたま気が合い青島と一緒に映画を見に行くことになった、ただそれだけなのだから気負う必要などどこにもない。
心の中で平常心平常心と繰り返し、室井は妙に覚悟を決めたような顔で部屋を出た。
青島と正午に待ち合わせをしていた。
とはいえ、待ち合わせは湾岸荘の玄関前である。
室井が玄関を出ると、玄関先で青島が煙草を吹かしていた。
室井を待ちながら一服していたようだ。
手にした煙草が大分短くなっていたから、青島は少し早めに外で待っていてくれたようだった。
約束の時間に遅れたわけではないが待たせただろうかと少し気になった。
室井に気付いた青島は携帯用灰皿に煙草を捨てると、笑顔を寄越した。
「おはようございます」
「おはよう」
「良い天気ですよ、映画日和っすね」
青島が言うから思わず空を見上げるが、確かに雲一つない快晴である。
映画に天気は関係あるだろうか、と無言のまま考えていたのがバレたのか、青島が笑った。
「気分の問題ですよ」
雨だと外出面倒でしょと言うから、深い意味は無かったようだ。
「そうだな」
「まあ、デートならもっと良かったんでしょうけど」
青島がそっと溜め息を漏らす。
男二人で映画に行くより、彼女とデートで行く方が良い。
青島がそう思っているのだろうと、室井は思った。
室井がどんなふうに思っても、これはデートには当たらない。
青島のことが好きでただ一緒にいられる時間を喜んでしまっている分切ない気持ちになるが、青島の感情は当然のことだった。
そんなふうに思っていたから、
「すいませんね、デートの相手が俺で」
軽く申し訳なさそうに侘びられて、室井は驚いた。
デート云々は青島の冗談だろうが、デートなら良かったのにと言ったのは、「室井にとって」という意味だったようだ。
室井は緩く首を振った。
「他に行く相手がいるわけでもない」
「そう?室井さん、もてそうだけどな」
「もてやしない、大体女性じゃなくても…」
言いかけて言葉を止めると、青島が目で何かと問い掛けてくる。
室井はなんとか口を動かした。
「気が合う人と一緒に観る方がいい」
室井にしてはかなり勇気を出して言った一言に、青島は僅かに目を見開いた。
ひかれただろうかと内心焦るが、そんな室井に気づくこともなく、青島は屈託ない笑みを見せた。
「ですよねー」
俺も俺もと笑う青島はどこか照れて見えた。
室井の寄せる好意が伝わっていないとも思えない。
それでも青島に嫌がっている雰囲気がないことは素直に嬉しかったが、室井の好意が行き過ぎていると知ったらこんなふうには笑ってもらえないかもしれない。
そう思うと少し気持ちが沈んだ。
だが、青島と一緒にいて、室井が長く沈みこんでいることなどなかった。
「俺、誰かと映画行くの、久しぶりです」
「そういえば、俺もそうだな」
「室井さんが付き合ってくれて良かった」
室井が精一杯表した好意を、好意的な言葉で返してくれた青島に、くすぐったいような喜びを覚える。
「こちらこそ、ありがとう」
青島は嬉しげに笑いながら頷いて、室井を促し歩き出した。
休日のシネコンはそれなりに混雑していた。
チケットブースに並ぶ列を見て、青島が気を利かせてくれる。
「チケット買ってくるんで、室井さんは座って待っててください」
俺も並ぼうと言う隙も与えず、青島はさっさと列に並んでしまった。
追いかけていくのも気が引けて、室井は大人しくベンチに腰を下ろし、青島を待つことにした。
つい視線が、列に並ぶ青島を追う。
青島は列に並びつつ、チケットブースの高い位置に設置してある大きな液晶の画面を見上げていた。
上映中の映画の宣伝が流れていた。
気になる映画でもあるのか、首を持ち上げ熱心に見ている。
画面がアニメに変わった途端、興味が失せたのか、青島は首を下げた。
別に室井の視線に気付いたわけでもないのだろうが、唐突に振り返った。
目が合い室井も驚いたが青島も驚いたようで、目が大きくなったのが見えた。
ついで、手を振って寄越す。
ぎこちなく手をあげて見せれば、青島は満足げに笑って、室井に背を向けた。
可愛いと、思わずにはいられなかった。
「すいません、勝手に真ん中寄りの席にしちゃったけど、大丈夫でした?」
青島は席についてから、好みを聞いておけば良かったと悔いていた。
席はスクリーンに対して比較的真ん中に近い場所だった。
「席にこだわりはないから、大丈夫だ」
「そうですか?なら、良かった。俺は真ん中で見んのが好きなんすよね」
生憎と、中央は人気があるのか既に座席が埋まっており、中段より少し手前の席だった。
「そういや、映画館で観んの自体、久し振りです」
「俺もそうだ」
「普段はDVDですか?」
「そうだな、そんなにたくさん観るわけではないが」
「俺もです、アクション映画とかならいいんですけど、シリアスな映画は部屋で観てると緊張感ないせいか眠くなるんですよね」
「横になりながら観てるからじゃないのか」
「何で分かるんですか?」
図星だったようで大袈裟に驚いてみせる青島に、室井は思わず小さな笑みを零した。
「なんとなくだ」
「えー…室井さん、千里眼?」
「君が分かりやす過ぎるんだ」
「ええ?そんなこと…あ、始まりますね」
客電が落ちて暗くなると、青島は話すのを止めた。
室井も黙りスクリーンに視線をやる。
肩に触れる温もりに、否応なく青島の存在を感じた。
少しの間、映画に集中するのに苦労することになった。
映画館を出ると、青島が大きく伸びをした。
「あー、腰いたい…」
ちらりと青島を見れば、青島も室井を見ていた。
「映画館の椅子ってケツ痛くなりません?」
「なるな」
青島が笑った。
「室井さんもなるんだ」
「どういう意味だ」
「いや、深い意味はないですよ」
「…なんとなく馬鹿にされてる気がするが」
「気のせいだったら」
笑ってごまかす青島に、室井もそれ以上追求するのをやめた。
目くじらを立てるようなことではないからだ。
決して、笑ってごまかす青島が可愛かったからではない。
室井は誰に言い訳する必要もないのに胸中で言い訳していた。
「面白かったっすね、映画」
並んで歩きながら、青島が言う。
「終盤はハラハラしっぱなしで、手汗が凄かったです」
掌を閉じたり開いたりする青島に苦笑が浮かぶ。
手汗まではかかなかったが、室井もそれなりに緊張して見ていたので、青島の気持ちは分からなくなかった。
「主人公が撃たれるんじゃないかって、ずっと気が気じゃなかったですよ」
撃たれなくて良かったと安堵する青島は、正しくサスペンス映画を楽しんだようだった。
何事に対しても、楽しむのが上手な男である。
日々の日常生活の中ですら楽しく生きているように見えるのは、そのせいだろう。
青島にも悩みや屈託はもちろんあるのだろうが、人生を楽しむ力があるのは彼の強みであり魅力であると感じた。
「室井さんも楽しめました?」
青島が室井の顔を窺うように覗き込んできた。
「ああ、面白かったな」
素直な思いで頷くと、青島は笑った。
「なら、良かった」
誘った手前か、室井の感想を聞いて安心したようだった。
映画を楽しんだのは本当だが、映画の内容など室井には二の次だったわけだから気にする必要は全く無い。
だが、もちろんそんなことを言うわけにもいかなかった。
「誘ってくれて、ありがとう」
再び勇気を出して精一杯の好意を言葉にすると、青島は嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。
映画館を出た後、少しだけ買い物したいという青島に付き合い、それから軽く飲み食事をして帰宅した。
室井にとっては、まさしくデートと言える一日だった。
いつもなら帰宅するのが楽しみな湾岸荘だが、今日ばかりはまだ帰りたくないなどと思ってしまったくらいである。
子どもかと笑いたくなるが、子どもよりも悪いかもしれない。
好きな相手とデートしたところで、手を握ることすら出来ないのだ。
男同士なのだからそれも無理はないかもしれないが、告白すら出来ない自分を情けなく思わないではなかった。
だが、不用意な発言で気まずくなりたくはないし、嫌われたくもない。
青島に告白する気は全くなかった。
青島がゲイではないことは分かっているし、室井が男である以上万に一つも上手くいく可能性がないことを知っている。
だが、欲さえかかなければ、惚れた相手と一つ屋根の下で暮らせる今の生活は悪いものではない。
今日のように連れだって映画を観に行ったり飲みに行ったりすることは、これからも可能だろう。
彼の全てを望んだりしない限り、一緒にいられるのだ。
青島の性格からいって、室井の気持ちを知ったからといって邪険にすることはない気はするが、それでも今までと同じような付き合いは望めなくなる。
わざわざ想いを告げ、青島に不愉快な思いをさせたあげく、自らの手で今の幸せを壊すこともない。
青島を諦める覚悟でもなければ、室井には想いを告げることは出来そうになかった。
「今日は付き合ってくれてありがとうございました」
部屋の前で、青島が言った。
「こちらこそ」
「楽しかったです」
「…俺もだ」
硬い声音だったが本音であることは伝わったのか、青島は笑みを見せた。
「また行きましょうね」
「ああ…じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
名残惜しい気持ちを振り切るように、室井は階段に向かった。
「室井さん」
呼び止められて振り返ると、青島は何故か戸惑ったように視線を泳がせた。
何か言いたいことがあるから呼び止めたのだろうに、呼びとめた本人は室井を見て少し困った顔をしていた。
「どうした?」
「あー…あの、もう少し飲みません?あっちで」
青島が食堂を指差し誘ってくれる。
室井は驚いたが、返事など決まっていた。
もう少し一緒にいたいと、湾岸荘に着く前から思っていたのだ。
「じゃあ、少し」
室井が踵を返すと、青島は嬉しげに笑って先に食堂に入って行った。
この時の青島が、もう少し室井と一緒にいたいと思った自分に戸惑っていたことなど、室井には知るよしも無かった。
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