■ 第三章 1.バーベキュー


休日の正午過ぎ。
窓際で文庫本を読んでいた室井は、物音に気付いて顔を上げた。
音は開きっぱなしの窓の外から聞こえてくる。
ふと窓の外に視線を向けると、玄関先に青島の姿が見えた。
キャンプなどで使うようなバーベキューグリルで炭を起こしている。
何を始めたのだろうと思って見下ろしていると、視線に気付いたのかたまたまなのか、青島が顔を上げた。
室井に気付き、笑顔を寄越す。
「おはようございます」
「おはよう」
「丁度良かった。室井さん、今暇ですか?」
「暇だが…」
「これからサンマ焼くんですけど、下りて来ません?」
「サンマ?」
「ええ、今すみれさんたちが買いだしに行ってくれてるんです」
どうやらサンマがメインのバーベキューをするつもりらしい。
確かにサンマが旬の季節ではあるし、炭火で焼いたサンマは美味しいだろう。
青島の誘いだからというだけではなく、その誘いは魅力的だった。
「俺も参加していいのか?」
窓枠から少し身を乗り出して尋ねると、青島は当然とばかりに頷いた。
「すみれさんたちが帰って来たら、呼びますね」
「…俺も手伝おう」
準備をしている青島の手伝いくらい、室井にも出来るだろう。
すぐに下に降りると伝えると、青島は一瞬きょとんとして見せたが、破顔して手を振って寄越した。
その顔が可愛いと思ってしまったから、室井は慌てて身体をひっこめた。


昼間からビールを飲みながらサンマを食べるなんて初めての経験だったが、炭火で焼かれたサンマは脂が乗っていて美味しかったし、若干温めのビールも悪くなかった。
網の上ではサンマ以外にも野菜やソーセージ等が焼かれていた。
「美味いっすねー」
隣に立つ青島が幸せそうに笑うから、室井も頷いた。
「そうだな」
「まだ、いっぱいあるから、どんどん食べてくださいね」
雪乃が皿に取り分けたきのこやじゃがいもを二人に手渡してくれるから、礼を言って受け取った。
「やっぱり秋はサンマだねえ」
しみじみとサンマを味わいながら、和久はチェアに腰をかけていた。
チェアは人数分ないらしく、女性と和久が使用し、残りはビールケースや何が入っていたのか分からないような年代物の木箱をひっくり返して座っていた。
慣れたもので、魚住などはビールケースの上に座布団を敷いて座っている。
確かに長時間座ると尻が痛くなりそうではあった。
「青島君、そのソーセージ私が育てたんだからとらないでよ」
「ええ?そうなの?ていうか、こういうのは早いもの勝ちでしょ?」
「人の物を取ると、おまわりさんに訴えるわよ」
「すみれさん、そんなこと言ったら、それのお金出したの僕ですよ」
「細かい男はもてないわよ、真下君」
「もてなくてもいいですよ、一人に好かれてさえいれば」
真下の熱視線をさらりと無視した雪乃は、ちょっとお手洗いと笑顔で断って、湾岸荘に戻って行った。
それを見送り、魚住が真下にすり寄る。
「君たちってさ、どうなってるの?」
「どうって、そりゃあ…」
「どうにもなってないわよね」
「恋人未満って感じ?」
横からすみれと青島が口を挟むと、真下は情けない顔になった。
自覚があったのか、否定もしない。
「やっぱり恋人未満ですかね」
「情けねえ面するんじゃないよ、だらしねえなあ」
呆れた和久の言葉に、真下の目じりが下がり、益々情けない顔になった。
すみれは苦笑しながら、ビールを飲んだ。
「大体、頼りないのよね、真下君」
「そうそう、もっと堂々としてろよ」
「雪乃さんはもっと真面目で誠意のある人が好きだと思うな」
「頼りがいがあって落ち着いてて紳士でさあ」
すみれと青島が適当なことを言っていると、どういうわけかその場にいた全員の視線が室井に向いた。
話に加わらずにいた室井は訝しげに眉を顰めた。
注目されている理由がさっぱり分からなかった。
じっと見つめられて焦る。
「な、なんだ?」
「いや…そんな人、中々いないと思ったら、案外身近にいたなと」
苦笑した青島に、室井は意味が分からず首を傾げた。
室井が口を開くよりも先に、すみれが身を乗り出した。
「室井さんって恋人いるんですか?」
室井は目を剥いた。
なぜいきなりそんな話題になったのか、室井だけが分かっていなかった。
なんだ突然とは思ったが、隠す必要もないことだから素直に応えた。
「いないが」
「あら、室井さんもいないんだ」
このアパートは独り身ばっかりねえと、すみれが溜息を吐いた。
既婚者は魚住しかおらず、和久は数年前に妻を病気で亡くしていた。
残りは皆独身で、おまけに恋人がいないらしい。
真下と雪乃は微妙なところだったが、当面は微妙なままなのだろう。
「なんか寂しい集まりですねえ」
真下がしみじみと呟くが、もちろん真下も今のところその寂しい集まりの仲間である。
「まあ、俺はありがたいけどね」
青島が肩を竦めると、すみれが不思議そうな顔をした。
「なんでよ?」
「魚住さんみたいに単身赴任中ならともかく、結婚したら湾岸荘出て行っちゃうでしょ?」
確かに広めのワンルームとはいえ、二人以上で暮らすには不便である。
青島は今の入居者に出て行ってもらいたくないようだった。
古い建物のせいで新しい入居者が中々見つからないのかもしれないと思ったが、ただ単に気心の知れた住人たちと離れるのが嫌なのかもしれない。
「まあ、確かにこのボロアパートに嫁いできてくれる人は中々いないかもしれないね」
「そもそも、ここに住んでるってだけで、百年の恋も覚めるんじゃない?」
魚住とすみれの失礼な評価に、青島は膨れっ面を作った。
「悪かったね、ボロアパートで」
「住めば都って言うじゃねえか」
「和久さん、それフォローになってないから」
「僕も雪乃さんと結婚したら広い家に引っ越したいなあ」
夢のような未来を妄想している真下に、青島は呆れた視線を投げたが、諦めたように溜息を吐いた。
「別にいいけどね、ここを好きだって言ってくれる人もいるし」
ちらりと青島に視線を寄越されて、室井は顔を強張らせた。
一瞬だけ目で笑って見せた青島に何も応えられなかったが、青島は気にしたふうでもなく視線を逸らした。
「やあねえ。誰も嫌いだなんて言ってないじゃない」
「いい年して、いじけるんじゃないよ」
すみれや和久にからかわれて苦笑している青島を見ながら、室井は無言でビールを飲んだ。


まだ酒を飲みながら盛り上がっている輪から一人離れて、室井は煙草を咥えた。
喫煙者は肩身が狭いと青島から聞いていたので、煙が流れていかないように十分距離をとり、青島が育てている花壇の傍まで移動していた。
煙草を吸いながら花壇を見下ろすと、黄色い花が咲いている。
夏に咲いていたコスモスが枯れてしまっていたから、青島が植え変えたのだろう。
室井にはなんの花だか分らなかったが、可愛らしい花だと思った。
「腹いっぱいになりました?」
背後から声をかけられて振りかえると、青島が近付いて来ていた。
室井の隣に立ち同じように煙草を咥える。
「ああ、美味かった」
「そりゃあ、良かった」
笑いながらライターを擦るが、ガスが切れているのか中々火がつかない。
室井が自身のライターに火をつけて差し出すと、青島は頷くような礼を寄越して、室井の手に唇を寄せた。
たったそれだけのことに動揺しそうになる自分を叱責しながらも、室井は無意識に手に力を込めていた。
煙草に火がつくと、青島は顔を上げて笑顔を見せた。
「ありがとうございました」
「いや」
青島と並んで煙草を吹かす。
どうということもない行為だったが、同じ時間を共有できることが室井には嬉しかった。
青島にだるまへ連れて行ってもらってからというもの、時々は二人で一緒に酒を飲む機会があった。
青島が誘ってくれるからだ。
自分と居て何か楽しいことでもあるんだろうかと相変わらず不安に思うが、青島に誘われれば断らなかった。
その時は無意識ではあったが、青島と一緒にいたくてこのアパートに越してきたくらいである。
意図したわけではないが、願った通りの生活が送れていた。
片想いのくせに現状に満足し幸せだと思ってしまうのは、そのせいだった。
「室井さん、バーベキューとかしたりします?」
吐きだした煙をぼんやりと眺めていたら、青島が話しかけてきた。
「いや、しないな…凄く久しぶりだ」
まだ学生の頃に友人たちとした記憶はあるが、それももう十数年前のことである。
社会人になってからはそんな機会はなく、やりたいとも取り立てて思ったことはなかったが、こうしてやってみれば悪くないなと思った。
「君たちは良くやっているみたいだな」
準備をする手慣れた様子をみれば、初めてではないことは予想がついた。
「時々ね、みんないると誰かがやろうって言い出すんで…まあ、言いだしっぺはすみれさんが多いんですけど」
苦笑する青島に、室井もつられる。
すみれの食い意地は他人をも巻き込むらしい。
だが、住人をみれば、それで迷惑している人もいないように思われた。
「夏はバーベキューだけど、冬は中で鍋したり。なんだかんだ理由つけて、集まってますよ」
本当に仲が良いのだなと思う。
ただ同じアパートに住んでいるというだけでは普通はそれほど親しくならない。
よほど住人同士の馬が合うのか、もしかしたら青島の懐っこい人柄が寄せつけた縁なのかもしれない。
その中に自分も含まれていればいいと思う。
青島とどうにかなりたいと願っているわけではないが、折角一大決心をして引っ越して来ることで結んだ縁なのだから、大事にしたかった。
「室井さんも嫌じゃなかったら、また参加してくださいね」
煙を吐き出した青島に笑顔を向けられて無意識に眉間に皺を寄せたものの、室井は素直に頷いた。
青島が誘ってくれるのだ、嫌なわけがない。
騒々しいのが得意ではないはずなのに、何故か賑やかな住人たちと酒を飲むのも嫌いではなかった。
「よろしく頼む」
生真面目な返事が可笑しかったのか、青島はこちらこそと言って大きく笑った。
「あ、なんか曇ってきましたね」
空を見上げた青島につられるように上を向くと、あれほど晴れていた空が曇ってきていた。
それも遠くの空には黒く重い雲が見えていて、雨が降ってきそうだった。
「雨がくるまえに、片付けた方が良くないか?」
「そうっすね、そうしましょう」
名残惜しげに煙草を深く吸った青島の前にビールの空き缶を差し出す。
青島が手入れしている庭を煙草の灰で汚すつもりはなかった。
ちらりと室井を見た青島が礼を言ってそこに煙草を捨てると、室井も小さくなった煙草を缶に捨てた。










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2012.4.15




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