■ If necessary(5)


白く煙った部屋の中で、室井は煙草を咥えた。
ふと気が付けば、それは青島が買い置きしておいた煙草の、最後の一本だったらしい。
二晩で、信じられない本数を吸ったようだ。
だから部屋の中が異常に煙たいのだ。
それも仕方がないと室井は思う。
二日間眠っていなかった。
もちろん寝ようとはしたが、眠くならないのだ。
風呂に入り酒を飲んだが睡魔は訪れず寝ることを諦め、映画を見て小説を読んだが何一つ頭に残らず、食事をしようとして自分の味覚が正常に働いていないと気が付いた。
そうなると、もう何をする気も起こらない。
煙草を煙と灰にすることだけを、延々と続けていた。
薄暗いリビングのソファーに座り、最後の一本を吸う。
これを吸い終わったら、もう煙草は手元にない。
買いに行かねばならない。
ここしばらくは青島に任せてあったから、自分で買いに行くのも久しぶりだった。
「不便なものだな…」
青島がいないと煙草の買い置きがなくなるのだということに、今更気付いたように呟いた。
家事の類も、自分でやらなければならない。
青島がいないから、血も足りない。
青島がいないと不便である。
だけど、それで当たり前なのだ。
青島を拾ってくる前の生活に戻るだけ。
「早く……戻らないとな」
一人呟き、室井は煙草が灰になるのを待った。


煙草一本吸い終えるのに、やけに時間がかかった気がした。
最後に灰を灰皿に落とし、残っていた火種を消すと、立ち上がる。
煙草を買いに行くのだ。
ついでに血を漁ってくるのもいいかもしれない。
貧血になりそうだったが、血が足りないのは吸血をしていないせいだけではなかった。
―考えるな。
靴を履きながら、心の中で思う。
考えても仕方のないことが、頭を過ぎる。
考えても仕方のないことは、早く忘れてしまうのが1番良い。
一人で過ごした長い時間の中で、室井はそうすることの必要性とその方法を身につけてきた。
―大丈夫だ。
自分に言い聞かせて、室井はドアノブに手をかけた。
開きかけて、開いた隙間から差し込んだ日差しに気付く。
「!」
そのまま、すぐにドアを閉めた。
閉じたドアを見つめたまま、呆然とする。
光の射す時間に外に出ようとしたことなど、室井が覚えている人生の中で一度もないことだった。
少しというには長い間呆然としてたが、やがて低く笑い出した。
「くっ…」
低く乾いた笑い声が、静かな部屋に響く。
昼夜の区別もつかなくなっている自分が可笑しかった。
夜だと信じ込んで疑いもしなかったが、まだ真昼間だったらしい。
寝ていないせいで感覚が麻痺しているのかもしれない。
―いや……青島がいないからだ。
室井は俯き、唇を歪めた。
崩れたバランスは、青島が不在だからだ。
青島の不在が、室井の時を緩やかにした。
「冗談じゃないっ」
苦々しく呟く。
永遠の時を生きる室井の時間が、更に緩やかになる。
時間の過ぎる感覚が長くなる。
それは室井にとって、恐怖でしかない。
時間は決して止まらないものだ。
室井がどんなに望んでも、そのままの形では留めておけない。
室井がどんなに望んでも、青島は永遠に傍にはいないのだ。
そうであるなら、日々は流れるように進んでくれないと、不都合だった。
憂鬱に濁った日々が延々と続くだなんて、考えたくもない。
だが、青島が消えてから、時間は確実に緩やかに流れるようになった。
煙草一本吸う時間ですら、長く感じるほどに。
室井は恐怖に近い嫌悪感で、顔をしかめた。
「何の権利があって俺を…っ」
苦しめるんだ、と八つ当たり気味に思った。
青島が聞いたら、「アンタが勝手に苦しんでんでしょ」と呆れたように笑うだろう。
青島の笑った顔が簡単に思い出せて、室井は喉の奥で笑う。
青島はいつだって自分に向き合っていてくれた。
追い詰めることはせず、ただ傍にいると約束し、室井に手を差し延べてくれていた。
その手を握ることも出来ないくせに、抱きしめた身体を突き放すこともできなかったのは、室井だった。
永遠を諦め望むことすらしなかったくせに、確実に訪れると知っていた終わりの覚悟も、何一つできずにいた。
その結果が、コレである。
青島がいなくなって、時が止まったようだった。
室井は拳を握ると、閉じたドアを力いっぱい殴った。
鈍い音は、室井の手を傷付けた音。
それでも痛みは感じない。
痛む箇所は他にちゃんとあった。
もう一度ドアを殴りつけると、俯いて額をドアに押し付けた。


傍にいると言ったじゃないか。
出て行けと言われても出て行かない。
そう言ったのはお前だろう。
なら、何故、今、ここにいない。
何故帰らないんだ―。


考えても仕方のないことしか、頭に浮かばない。
何故と考えることは、とうの昔に止めたはずだった。
何故と考えて、答えがわかることはないからだ。
自分が死なない理由も、人が死ぬ理由もわかるわけがない。
そうなっているとしか言いようがないことも、世の中にはあるのだ。
それを悟ってからは、室井は何故と考えることを止めた。
答えを望むことを止めた。
だけど、今は心から切実に思う。
「何故、青島がいないんだ…っ」
搾り出した声が虚しく響く。
室井はゆっくり顔を上げると、今は決して開けることのできないドアを見つめた。
そして自嘲する。
「捜しに行くことすらできないなんて……笑えるな」
言葉通りに歪んだ笑みを浮かべながら、室井はドアを見つめ続けた。


***


目を覚ました青島は、さすがにそこがどこだか分からないなんてことは無かったが、二連泊してしまったと気付いて少しげんなりした。
しかも頭が異常に痛い。
昨日の比では無い、酷い二日酔いである。
ふと隣を見たら、もう一つの布団に真下が丸くなって眠っていた。
枕を抱えて苦悩した顔で眠っている。
夢見が悪いのかもしれないが、無理もない。
夕べ遅くに現れた真下は、青島に遅いと文句を言わせるよりも先に、泣き付いてきたのだ。
どうやら彼女にフラれたらしい。
正確に言えばまだフラれたわけではなくて、デートに失敗しただけのようだが。
夕べ延々とその話しを聞かされたのだが、やけ酒に突き合わされているうちに、話しのほとんどを忘れてしまっていた。
真下も忘れていれば良いと思うが、寝顔は未だに苦しそうだった。
「おはようさん」
ドアが開き、和久が現れた。
和久はやっぱり夕べ遅くにやってきたが、夜勤のためさすがに酒は飲まずにいた。
一応、警察官の意識はあるらしい。
お茶を飲みながら、真下の愚痴やら悩みやらを聞いては、楽しげにお説教していた。
朝方までいたすみれが「いつもこうなの」と教えてくれたから、彼らの仲が良いことはだけは良く分かった。
「おはようございます」
青島もとりあえず挨拶を返したが、頭が割れるように痛い。
すぐに頭を抱えた青島に、和久は声を落として笑った。
「まだ寝てろ。夕べは坊ちゃんと二人で馬鹿みたいに飲んでたからなぁ」
二日酔いになっても当然だと笑われる。
「いや…でも、そろそろ帰んないと…」
ボソボソと話すだけでも、頭にガンガン響く。
「ああ、いい加減、彼女も心配してるか?」
「はぁ…いや…まぁ……」
ごにょごにょと意味の成さない言葉を発するのが関の山で、とうとう枕に顔を突っ伏した。
脳裏に浮かんだのは室井の顔。
―帰らなきゃ。
会いたいからそう思うのに、身体は動かないし、頭も重い。
眉間に皺が寄るのを感じて、ぼんやりした頭の片隅で「室井さんの呪いか?」と思った。
もちろん、逆恨みで自業自得も良いところなのだが。
遠くから和久の声がする。
「二日酔いで帰ったらまたケンカになるぞ」
―ケンカ……ケンカなんかしてないんだけどな、そういえば。
そう思ったら、何故今ここにいるのか不思議である。
自分で出てきたくせに、室井の傍にいない自分が不思議である。
今度、夜中に室井と一緒にここに来ようと思った。
噂の彼女はこれだと紹介したら、和久も真下も驚くだろう。
1番驚くのは室井かもしれない。
室井の驚いた顔など、まだあまり見た覚えがない。
そう思うと、少し楽しみになった。
青島は少しだけ口角をあげると、そのままもう一度眠りに落ちた。
目が覚めたら夜で、すみれと真下の恋人の雪乃がやって来ていてまた酒盛りになることを、この時の青島はまだ知らない。










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2006.7.12

あとがき


本当は、この後、まだまだ帰れない青島君を書こうかと思っていたのですが、
5話目を書いてみたら室井さんが可哀想だと思ったことと、
いつまでも離れている二人に私が寂しくなったので、
次で完結したいと思います(笑)
…まあ、ほんの数日なんですけどね、この二人が離れていたのは;

最後部分だけは、最初からこうしたいなーと思っていたのがありました。
今週中にきっと書き上げますので!
もう少しお付き合いくださいませ!

たった数日の不在で、青島君の存在を思い知らされる室井さん。
精神的に追い詰められる室井さんが書きたかったのですが、
どうにも上手くいきませんでした;
最終話もそんな感じになると思うのですが、
少しでも室井さんの気持ちが伝わるように書けたら良いなぁと思います。
頑張ります!


4話目の後書きで書こうと思っていてすっかり忘れてしまいましたが、
青島君の過去を「訳あって」の一言でまとめてすみません(笑)←笑い事か。
青島君の辛いはずの過去は、皆様のご想像にお任せ致します!
(無責任で、本当すみません;)



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