■ If necessary(3)


ソファーに横になっていた室井はゆっくりと瞼を開けた。
目を閉じていただけで、眠っていたわけじゃない。
流していたはずの映画はいつの間にか終わり、ブラウン管がただ青く光っていた。
時計を見ると、もうじき7時になる。
昨夜、青島は帰って来なかった。
煙草を買いに行くと行って出て行ったのに、財布も持たずに出掛けたことに気付いたのは、一倉を追い出した後だった。
煙草を買いに行ったのだから、財布を忘れたことにはすぐに気付くはず。
気付いたら帰ってくるだろうと思っていたが、予想に反して青島は戻って来なかった。
室井は半身を起こすと、煙草を手に取った。
―これで、終わるのだろうか。
たかが一晩の外泊で大袈裟かもしれない。
だけど、今までに一度もないことだった。
この部屋から出ることを躊躇わなくなった青島だが、それでも必要最低限しか出ようとはしなかった。
その青島が何も言わずに帰らなかったのだから、何の意味も、意図もないことだとは思えなかった。
このまま青島が戻らなければ、青島との関係はもちろん終わりだろう。
そう思って、室井は失笑した。
「終わるというほどの関係でもなかったな…」
恋人ではなかった。
室井がそれを認めることはなかったし、青島が求めたこともなかった。
そもそも、同居と呼べる代物ですらなかったのかもしれない。
良く考えたら、青島は住んでいたのではなく、ココにいただけだ。
青島の存在を示すものが、ココにあるわけではない。
彼宛の手紙が届くわけでもないし、誰かが尋ねてくるわけでもない。
室井の部屋に、ただいただけ。
一晩いなくなっただけで、存在が消えてなくなった気さえする。
部屋のあちこちに転がるいつの間にか増えていた青島の私物が、それだけがむしろ異物に見えた。
青島が出て行ったのだとしたら、これでよかったのだと思う。
青島から離れて行ってくれてよかったのだ。


だけど、何故今だったのだろうか。
桜を見に行く約束もしていた、このタイミングで出て行く必要があったのだろうか。
金も持っていないはずだ。
それに、行く当てなどあったのだろうか―。


室井はらしくないことを考えていることに気が付くと、考えることを止めた。
考えることに意味はない。
青島がこのまま帰らなければ、元の生活に戻るだけ。
青島がまた帰ってきたら、元の生活に戻るのが少し遅くなるだけだ。
ただそれだけのこと。
室井にとって、大きな変化ではない。
今なら、まだ。
―間に合う。
そう思った自分を、苦く笑った。
この先、間に合わない予感があったということだ。
―そんな日が来る前で良かったんだ。
ぼんやりと思いながら、薄暗い部屋に煙草の煙りだけが立ち上る。
部屋の中に光はささない。
暗い瞳にも、光はない。


***


「……ん?」
眩しい光に、青島は目を覚ました。
ハッとして、ガバリと飛び起きる。
真っ先に思ったのは「室井さんが死んじゃう!?」だったから、寝ぼけていたのだ。
飛び起きて辺りを見回し、室井がいないことにホッとしてから、ようやくそこが見知らぬ部屋だと気付く。
どこだここ?と思い、鈍く痛む頭に夕べのことを思い出した。
「あたたた……二日酔い、かな」
夕べは結局和久と二人、室井さんのバカヤローと叫んだり、彼女と別れるならうちの娘の婿に来ないかと勧誘されたりしながら、酒場を三軒梯子した。
三軒目で和久がつぶれてしまったところまでは青島も記憶にあったのだが、その後が分からない。
つまり、ここがどこだか分からない。
小さな部屋だが、青島が寝ている布団の他には、テレビやテーブル、冷蔵庫など生活に必要な最低限の家具があって、小さいながらも台所もあった。
薄手のカーテンから漏れる光で、朝だということも分かる。
やけに眩しく感じたのは、軽い二日酔いのせいと、久しぶりに朝日の中で目覚めたせいだろうか。
数度瞬きを繰り返し、布団から出る。
「和久さん…どうしたんだろ」
青島がここにいるということは、和久もいたのではないかと思われる。
もう一組の布団が、隣にきっちりと畳まれてある。
それを真似て、青島もとりあえず布団を畳んでいると、いきなりドアが開いた。
驚いて振り返ると、青島よりも少し若そうな男が、これまた驚いた顔で青島を見ていた。
「あ、起きてたんですか〜」
「お…お邪魔してます…?」
なんと挨拶したら良いものか迷ってそう答えると、男が笑った。
「夕べのこと、覚えてます?」
「え?えーと、和久さんと飲んでて…和久さんは?」
男が知っている保障もなかったが、思わず尋ねる。
「和久さんなら先に起きて、一回自宅に帰るって言って出て行きましたよ」
「あ……そう」
「青島さんが起きたら、朝ごはん食べさせてやってくれって」
そう言うと男が台所に向うから、青島は慌てて止めた。
「いいよいいよ、そこまでしてもらわなくても」
ここがどこだか分からないが、一晩泊めてもらった挙句、朝ごはんまでご馳走になるのも申し訳がない。
そういえば夕べは全部和久のおごりだった。
今更遠慮しても遅い気がしたが、和久には改めて礼を言わなければならない。
この男に和久の自宅を教えてもらえるかな?と思っていると、男が愛想良く笑った。
「和久さん、僕と交代なんでそのうち戻ってきますから、それまでご飯でも食べて、待っててください」
「交代?」
「ええ…あれ?和久さんに聞いてません?」
「いや、なんにも……というか、ココどこ?」
今更なことを尋ねたら、男は苦笑した。
「駐在所ですよ」
青島は目を丸くした。
「駐在所?」
「ええ。和久さんも僕も、おまわりさんってヤツです」
上着を着ていないのでピンとこなかったが、言われて見れば、男の服装はスーツではなくて制服らしく見えた。
「夕べから僕が夜勤だったんですよ。そしたら、朝方になってべろべろに酔っ払った和久さんが青島さんと一緒に押しかけてきたってわけです」
覚えてません?と尋ねられて、青島は緩く首を振った。
男は苦笑を深める。
「でしょうね」
二人ともベロベロでしたからと言われると、申し訳ない限りである。
青島は気まずそうに頭を掻いた。
「それは悪かったな……ええと、」
「あ、真下って言います」
「世話かけたね、真下君」
「いいえ〜、どうせ夜勤って言ったって、ここにいるだけですから」
この辺りが田舎だから平和だからか知らないが、ここの駐在所はとても閑なのだという。
事件も何もほとんど起こらないらしい。
「いきなり和久さんが来たから驚きましたけど、二人ともすぐに寝ちゃいましたしね」
真下に大して困った様子は見受けられなかったが、それでも迷惑をかけたことには変りが無い。
「ありがとう」
青島が礼を言うと、真下は笑って頷いた。
「和久さんがもうじき戻ってきますから、それまでここにいてください」
勝手に帰したら怒られると思っているのか、そう釘を刺される。
青島も礼も言わずに帰る気もしなかったので、素直に従うことにした。
「朝ごはん作りますね」
そう言って、真下が台所に立つ。
もう一つ礼を言って、青島は部屋の中をぐるりと見回した。
時計を見つけ、時間を確認した。


―室井さん…心配してるかな。
ふっと思った。
和久とちょっとだけ寄り道のつもりが、気付けば朝帰りになってしまった。
いや、まだ帰ってもいないから、ただの外泊である。
室井の部屋で暮らすようになってから一度もないことだからか、妙にそわそわした。
外泊している青島ではなくて、本当なら自宅で待っているであろう同居人の室井がそわそわしているはずだが。
そう思って、青島は苦笑した。
「…そんなわけも、ないか」
小さく呟いた。
室井のことだから、内心はどうであれ、なんでもないことにして過ごしているだろう。
例えば青島がこのままいなくなったとしたら、室井はきっと何事も無かったようにもとの暮らしに戻っていく。
そうすることが、室井にとって一番気楽なのだ。
長く一人で生きてきた室井は、そうすることに慣れている。
また、長く生きるからには、慣れずにはいられなかったのだろう。
それでも、室井のかすかな執着心が自分に向いていることを、青島は知っている。
自惚れかもしれないが、室井が決して認めないその執着心を感じるからこそ、青島は室井の傍にいようと決めていたのだ。
それが、青島の室井に対する愛情だった。
何一つ言葉にできないでいる室井に対しての、青島の自己満足な愛情。
室井が青島を突き放さないのは、少なくても多少なりとも愛情があるからだ。
それなら青島が傍にいることはきっと悪いことじゃない。
ずっとそう思っていた。
だが、青島はいずれ必ず室井より先に死ぬ。
必ず室井を置いていく。
青島が感じ取っているような執着心が本当に室井にあるとしたら、それはいっそ酷である。
傍にいたいと望むことは、青島の思いあがりかもしれない。
―それでも…。


「そんなとこに突っ立ってないで、座っててくださいよ」
ぼうっと突っ立っていたら、真下に笑われ、指摘される。
青島は素直に従って、窓際に腰を下ろした。
手を伸ばし、カーテンを開ける。
眩しさに目を細めた。
それは生涯室井の見ることのない景色だ。
―見なくても一緒だよ、室井さん。
光が強すぎて、外の景色がぼやけて良く見えない。
カーテンを閉めていても開けていても同じことだと、青島は笑った。


和久さんに礼を言ったら、すぐに帰ろう。
思い上がりでも勘違いでも、室井さんが好きにしろって言ったんだ。
精々好きにさせてもらうさ。
別れはいつか必ず訪れる。
だからってそれを避けるために今離れて、何の意味があるんだ。
今日別れるより、明日。
明日別れるより、明後日。
そう思うことは当たり前だろ?
別れは一日も遠い方がいい。
吸血鬼の室井さんと、人間の俺。
交われないのなら、交われないままでも構わない。
太陽の下を一緒に歩けなくても、月の下なら一緒に歩ける。
そのことを室井さんに教えてやらないと。
「花見に、行かないと」
桜が散る前に、行かないと。


青島は眩しすぎる光に目を細めながらそう思った。










NEXT

2006.7.8

あとがき


室井さんが鬱々として参りました(笑)
青島君は出て行くつもりがないので、わりと気楽なものですね。

駐在所ってお巡りさんが住んでたりするんですよね?違うのかな?
エセファンタジーということで、設定の不自然さには目をつぶってやってくださいませ〜;
和久さんと真下君はお巡りさんにしてみました。
設定を活かせるときがくるとも思えませんが、真下君はお坊ちゃんの設定です。
すみれさんも出す予定です〜。

ああ、早くまとめてあげたいな。
室井さんと離れているなんて、青島君が可哀想だ!(室井さんはいいのか)



template : A Moveable Feast