■ If necessary(2)


一倉が苦笑した。
「そんな顔するくらいなら言うなよ」
「別に、普通だ」
「鏡見て言え、人相変わってるぞ」
狼男もフランケンシュタインも裸足で逃げ出す、とからかい口調だ。
室井は眉間に寄った皺を指先で伸ばしながら、更に眉間に皺を寄せる。
「お前がバカなこと言うからだ」
「ちょっとからかっただけだろ」
そんなことはわかっていた。
一倉はまだ彼が10代の頃からの知り合いで、付き合いは一倉からみると随分長い。
室井が吸血鬼だということを知っている数少ない人間のうちの一人だ。
数年前に結婚した一倉は夫人一筋で、一人娘を溺愛している。
そんな一倉が青島に手を出すはずがない。
「だから怖い顔するなよ」
「してない」
「想像で嫉妬してたら、そのうち焼け死ぬぞ」
「嫉妬なんかしてない」
室井は努めて冷静に否定した。
青島は室井のモノじゃない。
これは事実だ。
青島が誰とどうするかは青島自身が決めることだから、好きにしろと答えた。
青島が許し一倉が望めば、それは室井が反対することじゃない。
頭ではそう思っている。
だけどその事実は心のどこかに重くて、やりきれない。
それが全て顔に出ているのだろうが、本人には生憎と見えなかった。
「なんかおかしいと思ったんだよな」
一倉がソファーに踏ん反り返る。
「最近は毎回原稿を家まで持って来てただろ?」
指摘どおり、青島を部屋におくようになってからは、一倉を家に寄せ付けなかった。
一倉は出版社に勤めていて、室井が書いたモノを本にしている。
以前は取りにきてもらっていた原稿も、今は一倉が来る前に一倉の元に直接持って行っていた。
いきなりそうしたものだから、不自然に思われるのも当然だった。
「お前が自宅に他人を連れてくるなんて滅多になかったろ」
だから、からかったのだろうか。
「珍しく執着してんのかなぁと思ってね」
「青島は今ここで暮らしてる」
言ったら、余程意外だったのか一倉は目を剥いた。
「そら、また…どういう心境の変化だ?」
一倉は室井が吸血鬼であることを知っていて、だからこそ誰とも深く関わらないでいることも知ってる。
「別に、何も無い。血が美味かったから、連れてきただけだ」
傍に置いておけば狩に出る必要がなくて楽だ。
そう言うが、言葉に説得力が無いことを室井自身分かっていたし、一倉も全く納得したふうではなかった。
人間とは比べ物にならないくらい緩やかに加齢する不死身な肉体では、人間と深く関わり共に生きていくことは不可能だ。
室井は長い年月の間で、それをイヤというほど学んでいる。
青島とだって、深く関わる気はなかった。
部屋にいるだけ、置くだけ。
需要と供給の一致で、生きる場所と生きるための糧を交換するだけ。
戯れに触れ合って、時々快楽を共にするだけ。
それだけのはずだった。
それだけでなければ、ならないはずだった。
―全ての間違いは、遠い日に青島を拾ったことだ…。
最近の室井の中には、そんな思いが確実にあった。
「惚れてんのか」
一倉らしいストレートな質問に、室井は一瞬顔を強張らせ、失笑した。
「バカなことを言うな」
「だから、こだわってるんじゃないのか」
「こだわってない」
「そういう台詞は、鏡を見て言えと言ってるだろ」
どんな顔をしているかなど知りたくも無いし、知る必要も無い。
知ったからといって、事実が変わるわけではない。
事の始まりは、青島とほぼ一方的に交わした約束だ。
血を貰い、食事を与える。
その関係が同居という形で今も続いているのは、青島が出ていかないから。
ただそれだけだ。
こんな関係が恋人なわけがなく、また青島にそれを求めているわけではない。
求めるわけにはいかなかった。
「いいんじゃないのか?」
くわえ煙草で一倉が言う。
「何が」
「吸血鬼だって恋くらいするだろ」
室井は眉を寄せた。
一倉の口から出ると薄ら寒い台詞だが、それすら今の室井には堪える。
恋など、人間に恋などしても、いいことなど何もない。
「そんなんじゃない」
室井は勝手に一倉の煙草に手を伸ばして、一本引き抜いた。
一倉がライターを放ってくる。
「吸血鬼だって生き物だろ」
「当たり前だ」
「なら、一人じゃいられないんじゃないのか」


一人でいられないとして、誰かの手を取ったとして。
その先に何があるというのか。
あるのは一時の慰めだけである。
後は決して流れを止めない時間と、どうしても埋められない溝だけ。
吸血鬼と人はどうしたって交わらないのだ。
交わったとしたら、それはもう吸血鬼と人ではなくなる。


室井は煙草に火を点け煙を深く吸い込んだ。
「どうしたって、結局は一人だ」
結局は同じ痛みを繰り返すだけである。
室井には意味のあることとは思えなかった。
「なら、何故青島を傍におく?」
一倉の尤もな疑問に、苦しい言い訳しか浮かばない。
「アイツが出ていかないからだ」
「追い出せばいいだろ」
「野垂れ死にされても寝覚が悪い」
「それならそれでいいが」
一倉が笑う。
「そういうことを、愛情と言うんじゃないのかね」
室井は返事をしなかった。
愛情などというものほど、室井にとって厄介なモノはない。
深くなればなるほど、苦しくなるだけである。


幸せなことなど何もない。
幸せなど、どこにもありはしない。


***


ギィギィ。
錆びた鉄の音を立てているのは、青島が乗っているブランコだ。
大人が乗るには少し長すぎるブランコに、足を投げ出し座っている。
時々思い出したように地面を蹴ると、ブランコが嫌な音を立てた。
夕暮れ時の静かな公園に、やけに響く。
何の音もしないよりはいいと思い、青島は長い足を持て余しながらブランコを漕いだ。
―別に悲しいわけじゃない。
室井とは恋人じゃないのだ。
『好きにしろ』
室井らしい一言だったように思う。
あの男は決して青島を束縛しない。
言葉の上では。
自由だ、勝手にしろ、好きにすればいい。
繰り返すくせに、青島を離そうとしない。
監禁も軟禁もされていないが、室井の心が青島を掴んで離さないのだ。
思い上がりかもしれないが、青島は勝手にそう信じている。
だから室井の言葉を真に受けたわけではない。
だけど、どうでもいいことのように言われたら、青島だって傷付くのだ。
―室井さんも傷付いていればいい。
そう思いながらも、悔しくて、やっぱり少し悲しくて、鼻の奥がつんとしてくる。
奥歯を噛み締めブランコの上に立ち、立ち漕ぎする。
「くそぉ…浮気しちゃうぞ、こんにゃろう〜」
恋人ではないのだから浮気とは呼ばないかもしれないが、軽く鼻を啜りながら膨れっ面で呟く。
「浮気はいかんぞ〜」
突然背後から声をかけられて、青島はビクリと背中を縮こませて振り返った。
いつからいたのか、後ろのベンチに男が座っていた。
青島から見ると父親と呼べそうな年代の男だ。
ぎょっとしている青島に、のんきに笑いかけてくる。
「カミさんは大事にしなくちゃいかん」
「俺、独身ですけど…」
わざわざ言わなくても良いのに律義に訂正したら、男はうんうんと頷いて「彼女も大事にしなくちゃいけねぇよ」と言った。
恋人どころか女ですらないのだが、訂正箇所がありすぎるので、説明を諦めた。
ブランコから降りると男が手招きしてくるから、素直に男の隣りに腰を降ろす。
「浮気はいかん」
繰り返されて、青島は苦笑した。
「冗談ですよ」
「お前さんは一人の時にも冗談を言うのかい?」
からかうような視線をもらって、思わず口ごもる。
それがどこか優しい眼差しだったから、青島は適当に応えず適切な言葉を探した。
「…本気で言ったんじゃない、て意味です」
「それならいいがなぁ」
浮気はいかんとなおも繰り返す男に、青島は口角を上げた。
「痛い目にあった経験でもあるんですか?」
「バカァ言え、俺はカミさん一筋だよ」
照れ臭そうに言うから本当かもしれないなぁと、どうでもいいことを考えた。
「何があったかしらねぇが、逃げてもなんの解決にもならねぇぞ」
男はどうやら完璧に青島を恋人とケンカして投げやりになっている若者とみているらしい。
ふと気付けば、男からアルコールの匂いがしている。
酔っ払いに絡まれているだけなのかもしれないと思いながらも、青島に不快感は無かった。
男の言葉の端々に、年長者らしい優しさと深い愛情が見えた気がしていたからだ。
青島は苦笑しながら首を振る。
「俺は逃げてるつもりはないんですけどね」
「なんだ、相手が逃げてんのか?」
「逃げてるわけじゃないんだろうけど…」
室井がどう思っているのかは、青島には正確には分からなかった。
青島は室井じゃないから当たり前だが。
青島に分かっていることは、室井が青島を望んでくれていることだ。
少なくとも、今はまだ。
何一つ言葉にしないが、青島を抱きしめることはやめない。
だから青島は室井の言う通り『好きに』している。
好きで、室井の傍にいたのだ。
「あまり追い詰めちゃいけねぇよ。追いかけられると逃げたくなるもんだ」
男が尤もらしく言うから、青島は笑みを零した。
「それも体験談?」
「俺は追いかけるより追いかけられる方だからよ」
「言いますねー」
「言うのはタダだからな」
視線を合わすと男も笑った。
笑い皺が好きだなぁと思った。
「名前は?」
不意に尋ねられて、青島は素直に応じる。
「青島です」
「俺は和久だ、酒飲みに行かねぇか」
青島を気に入ったのか、誘ってくれる。
「飲みにって…和久さん、もう酔っ払ってるじゃない」
青島が苦笑しながら言うと、和久は胸を張った。
「ばかやろう、こんなの酔ったうちに入るか」
見知らぬ男を酒に誘う程度には酔っ払ってるぞと思ったが、青島は笑っただけだった。
誘いはなんとなく嬉しかったし、和久には好意に近い感情を持った。
だけど、脳裏に浮かんだのは室井のことだった。
青島の行動は青島の自由なのだから、和久と酒を飲みに行ったって構わない。
だけど、今夜は室井と夜桜を見に行こうと約束していた。
珍客のせいでどうなるかは分からないが、青島から約束を反故にするのは何となく気が引ける。
話しを聞いていられなかったから飛び出してきたが、帰らないつもりでいるわけじゃない。
何食わぬ顔でいられるようになれば、戻ろうと思っていた。
「う〜ん、折角だけど…」
俺って健気だなぁと図々しいことを考えながら青島が断ろうとしたが、がしっと和久に腕をとられてしまう。
「まあ、まあ、いいじゃねぇか」
浮気しないように見張っててやるから、などと恩着せがましく言う。
青島は呆れ気味に突っ込んだ。
「いや、ただ単に酒飲む相手が欲しいだけでしょ」
「バレたか」
悪びれずに笑いながら和久が立ち上がったから、腕を掴まれている青島もそれにつられる。
「奢ってやるから、少し付き合え」
どのみち財布は無いから割り勘だと言われても困るのだが、問題はそこじゃない。
なおも渋る青島に、和久は情けない顔をした。
「お年よりはお大事に、って習わなかったか?」
「お年寄りって年じゃないでしょ。まだ」
「少なくともお前さんよりは年寄りだ」
和久が笑みを零し、笑い皺が深くなる。
温かみのあるソレをやっぱり好きだなぁと思った。
「まあ、なんだ、無理強いしてもしょうがねぇが…あまり溜め込みすぎると身体に良くねぇぞ」
浮気を心配するようなからかう言葉とはまた少し違う声で言うから、青島も考えさせられる。
酒を飲みたいというのも事実なのだろうが、和久は見ず知らずの青島を気にかけてくれているらしい。
「…溜め込んでるのかな、俺」
思わず呟くと、和久が苦笑した。
「少なくとも、公園で独り言を言うくらいにはな」
和久の指摘に、青島は相好を崩す。
笑って室井の元に戻るのは難しくない。
だけど、もう少し時間が欲しいのは事実だ。
花見にいけないことは残念だが、花見は明日でも構わないだろう。
明日も、室井の気がむけば、だが。
傷付けば、青島だって少しくらい投げやりになる。
「じゃあ…お言葉に甘えようかな」
青島が言うと、和久は嬉しそうに頷いた。


和久と並んで歩き、公園から遠ざかる時。
少しだけ室井を思い出した。
罪悪感にも似た感情に、青島はひっそりと内心で笑う。
意味のない感情。
きっと、室井にとっては、大したことではないだろうから。










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2006.6.18

あとがき


そういえば、大分季節外れですみません(^^;
このお話を書き出した時は春だったんです〜。

場所や時代は曖昧な設定で申し訳ないのですが、
現代世界のパラレルワールドっぽく捉えて頂けると嬉しいです。
吸血鬼ネタなので、エセファンタジーですね;
世界観をずっとどうしようか迷っていたのですが
(二人が部屋に篭っている間は特にいらない設定だったモノで;)
彼らの住んでる場所のイメージとしましてはどこかの片田舎で、
室井さんのお家は古い洋館風な建物…とかかなー。
物語の中で世界観が少しでも伝わるように書ければ良いなぁと思うのですが、
今のところ凄く凄く曖昧ですので、後書きで書かせて頂きました(^^;
そんな感じに、思っておいてやって頂けると嬉しいです。

行方不明になる青島君というよりは、
ただ単に外泊する青島君になってしまった…(汗)
でも、室井さんにとっては一大事になるといいな(酷)



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