暮れも押し迫って、死ぬほど忙しい湾岸署内。
皆一様に疲れ切った表情を浮かべているにも関わらず、一人上機嫌な男がいた。
「不気味」
すみれが青島を見て、薄気味悪そうに言った。
青島は慌てて緩んだ表情を引き締める。
「な、何さ」
「何かなんてこっちが聞きたいわよ」
何かいいことあった?と聞かれて、またも表情が緩みそうになるのを何とか堪える。
「何もないよ。全く毎日忙しくて、イヤになるね」
「…全然心が篭ってない」
「そんなことないって…けほっ」
軽い咳をしたが、誤魔化すためにわざとしたわけではない。
ここのところ、少しだけ風邪気味だった。
忙しいせいかもしれない。
掠れた咳を何度か繰り返した青島に、すみれは怪訝そうな表情を浮かべた。
それに青島は愛想笑いを返した。
室井と付き合い始めて、一月が過ぎていた。
室井の告白を流されるように受け入れて始まった交際だったのだが、青島は少し浮かれている自分に気が付いていた。
―室井さんのキスを受け入れた時点で、はっきりしていたのかもしれないな。
青島がそんなことを思っていると、またすみれに突っ込まれる。
「悪いモノでも食べた?」
気持ちが悪いと言われて、青島は意識して真面目くさった顔をした。
「何もないよ」
「嘘くさい」
「本当だってば」
「あ、室井さん」
すみれの発した言葉に、青島は思わず席から立ち上がってしまった。
それを見ていたすみれと、丁度刑事課に入って来た室井が、驚いた顔で青島を見た。
しまったと思ったがもう遅い。
慌ててすみれを振り返ると、にたぁと笑われて血の気が引いた。
「ふ〜ん」
「何でもないってばっ」
「何が何でも無いわけ?」
「っ」
そんなことを説明すれば、室井とただならぬ関係ですと自白するようなものだった。
青島は口を閉ざすと、瞬時に決断した。
ここは逃げるしかない。
「室井さん、お疲れ様で〜す」
青島はさっさとすみれの傍を離れると、室井に近付いた。
後が恐ろしいが、今は考えないことにした。
室井が青島に小さく微笑んでくれるので、つい青島の口元も綻ぶ。
「お疲れ様」
「どうかしました?」
「袴田課長に用事があったんだが…」
「あー、署長のとこにいるはずですよ」
案内しますよと言って、有無を言わさず室井を刑事課から連れ出した。
慌ただしく引っ張り出された室井は目を丸くしている。
「青島?」
人気の無い廊下に出ると、青島は困った顔で頭を下げた。
「すいません」
「どうした?」
急な謝罪に室井は眉をひそめた。
「すみれさんにバレちゃったかも知れません」
「…バレる、とは?」
「その、俺達のこと」
言い難そうに答えると、室井は一瞬きょとんとしてから苦笑を浮かべた。
「俺は構わない」
「え?」
「君が困るような真似を彼女がするとは思えない。だから、知れても構わない」
青島が困った事になると分かっていてすみれが言い触らしたりするわけがない。
そう言ってくれているのだ。
青島は室井が仲間を信じてくれて、また青島自身のことも考えてくれていることが、凄く嬉しかった。
照れ笑いを浮かべる青島に、室井は小さく呟いた。
「君が急に謝るから」
「え?」
「振られるのかと思った」
「!」
目を丸くして室井を見ると、いくらか表情が強張っている。
そういえば、あれから何となく交際が始まってしまったが、青島の気持ちをはっきりと伝えたことはなかった。
もしかしから、それが室井を不安にさせたりしているのだろうか。
青島自身、自覚は既にしている。
室井を好きだと思うのだ。
だが、それを伝える切欠が無かった。
もしかしたら今がそのチャンスかもしれないが、署内で愛の告白もないだろうと思う。
青島は柔らかく微笑んだ。
「んなわけ、ないでしょ」
そう言うだけで、室井の表情が和らぐ。
「そうか」
「そうですよ」
目を合わせると、どちらからともなく微笑んだ。
「あ、じゃあ、俺戻りますね」
室井を署長室まで案内すると、そう言って室井と別れる。
「ありがとう」
「いいえ〜」
じゃあ…と行きかけて、室井に向き直る。
「帰ったら」
そう言って、手でドアをノックする真似をした。
それで意味が通じたらしく、苦笑しながら室井もノックの真似をして返してくれる。
青島は破顔した。
「お互い、早く帰れるといいな」
「本当ですね!じゃあ」
今度こそ室井に背を向けて、来た道を戻る。
階段を降りようとして、驚いて足を止めた。
「何してんの…?すみれさん。雪乃さんまで…」
驚きを通り越して呆れた顔をしている青島の視線の先には、階段にしゃがみこんで身を乗り出し、あからさまに覗き見をしていたという風体の二人がいた。
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