■ Next door to me(3)


妙な隣人が出来た。
室井はそう思ったが、不快感は特に無かった。
それどころか出勤時に玄関先で顔を合わせれば、どういうわけか駅まで一緒に歩く始末である。
青島いわく「同じ方向に向かうのだから、距離を置いて歩く方が気まずいでしょ」ということらしい。
尤もだが、室井には青島が室井を避けないことが不思議でならなかった。
所轄刑事にとってキャリアなど煙たい存在以外の何ものでもなく、そうでなければ精々出世のコネくらいにしか見えていないはずだ。
それなのに青島という男は、室井を見れば笑顔で挨拶をしてくる。
だからと言って出世に興味があるわけではないらしく、室井に下手なお世辞を言ったり機嫌を伺うようなマネもしてこない。
だからこそ、室井も青島が隣に住んでいても不愉快に思うことは無かった。
それどころか、むしろ少し楽しくなってきていて、ちょっと困っていた。
「室井さんっ」
駅から自宅に向かって歩いていると、後ろから大分聞きなれた声に呼び止められて室井は足を止めた。
振り返ると、コンビニの袋を揺らして走ってくる青島の姿があった。
「お疲れ様で〜す」
笑顔で言われて、室井は小さく頷いた。
「お疲れ様」
「最近良く重なりますね。今、事件少ないんですか?」
「そうなんだ…少なくて少々気が抜ける」
青島の笑顔に気が抜けて、言わなくてもいい本音が零れた。
室井は慌てて付け足した。
「いや、いいことなんだが」
「ああ、気持ち分かります。平和なのはいいことなんですけどね、何にも無いっていうのはちょっと刺激が…」
言いかけて青島も慌てて口を噤んだ。
「と、やっぱり不謹慎ですよね」
ヘラッと笑う青島に、室井は苦笑した。
「一緒だな」
呟くと、目を丸くした青島が破顔した。
「そうっすね」
あんまり嬉しそうに笑うから、室井の方がくすぐったくなる。
視線を逸らして歩き始めると、すぐに青島もついて来た。
―俺といて、楽しいことなど無いだろうに。
何で自分に懐いてくれるのか、室井にはやっぱり分からない。
それでも青島の好きにさせているのは、室井が嫌ではないからだった。
湾岸署で起こった事件の話や署長がどうした恩田刑事がどうしたという話を、室井と並んで歩きながら青島がする。
それを聞くのは苦痛ではなく、楽しいとさえ感じた。
おしゃべりな人は性別問わず苦手だが、どういうわけか青島は平気だった。
「あ、コレあげます」
部屋の前まで行くと、徐に青島がビニール袋を漁りだした。
差し出されたのは、缶ビール。
「差し入れです」
何のだ?と思ったのが顔に出たのか、青島が「お疲れ様ってことで」と言った。
つまり深い意味は無いのだろう。
室井はしばし悩んでからそれを受け取った。
キャリアになってからはあまり意味のない厚意を受けたことがないので、反応が鈍くなってしまったのだ。
「ありがとう」
少し遅れてから礼を言うと、青島は軽く首を振った。
「いーえ。じゃあ、お休みなさい」
「お休み」
玄関先で別れて、互いの家に入る。
ドアを閉めると、手にした缶ビールを見つめた。
そして、苦笑する。
室井の自宅にも買い置きの缶ビールがあるのだが、青島の意味の無い厚意が嬉しかったのだ。
だから、受け取った。
「俺も寂しい男だな……有り難く頂こう」
缶ビールをテーブルの上において、とりあえず着替える。
スーツを脱いでネクタイを引き抜くと、不意にドアが叩かれた。
青島の部屋と繋がっているドアだ。
「室井さーん」
ドアの向こうから青島の声がして、室井は目を丸くした。
ドア越しに呼ばれたことは、今までに一度しかない。
「何かあったのか?」
心配になってそう声を掛けると、いくらか慌てた青島の声がした。
「ビール、開けちゃいました?」
「いや、まだだが…」
「良かった!それ、開けないでください」
「…?」
返せということだろうかと首を捻っていると、青島が続けた。
「しばらく置いてから開けてください」
「どういうことだ?」
「今開けると、噴き出します」
室井は目を剥いた。
ドアの向こうから、青島の乾いた笑い声が聞こえてくる。
「覚えてないんですけど、袋を振り回して歩いてたみたいです」
青島には子供みたいなところがある。
彼がビニール袋を振り回して歩いている姿が、室井には容易に想像が出来た。
分かったと言いかけて、室井はふと思った。
袋を振り回した覚えがないのに、ビールが噴き出すということを知っているということは。
「もしかして、ビールを被ったのか」
「…ええ」
溜息交じりの返事に、室井は珍しくも吹き出しそうになって慌てて口元を押さえた。
室井がそんなことになっているとは微塵も思っていないであろう青島がぼやいた。
「かなりビール臭いです」
「災難だったな」
何とか返事をしたのだが、声が微妙に震えた。
「…室井さん」
「な、何だ」
「笑ってません?もしかして」
「…笑って、ない」
「嘘だ」
あっさりばれて、室井は我慢するのを諦めた。
「すまない、嘘だ」
素直に苦笑しながら言うと、ドアの向こうからも笑い声が聞こえてきた。
「いや、謝ってくれなくていいんですけどね。俺も可笑しいし」
「大丈夫か?」
「ええ、ビール臭いですけどね…でも、まあ、室井さんが開ける前で良かったです」
「飲むビールあるのか?」
「大丈夫です……あ」
「ん?」
「室井さん」
「何だ?」
「月見酒、しません?」
突然のお誘いに、室井はまた目を剥いた。


―社交辞令じゃなかったんだな…。
青島の部屋のテラスに出て月を見上げながら、室井は思った。
「お待たせしました〜」
ウィスキーの瓶と氷の入ったグラスを二個持った青島がテラスに出てくる。
服を着替えて顔を洗ってはいたが、まだ少々ビール臭かった。
「月見酒って言っても、満月じゃないんですけどね」
どちらかといえばまだ三日月に近い月を指差して、青島は笑った。
室井も苦笑する。
「充分贅沢だ…ありがとう」
ウィスキーのグラスを受け取ると、青島が差し出したグラスに軽くぶつけた。
何故青島と二人で酒を飲むことになったのか、自分でも不思議だった。
誘われて思わず二つ返事を返したということは、嫌ではなかったということだろう。
テラスで風を感じながら月を見て、酒を飲む。
その相手が青島であるということが、嫌ではなかった。
「気持ちがいいな…」
素直に零すと、青島は嬉しそうに頷いた。
「でしょう。俺もここ、凄い気に入ってるんですよ」
「気にしたことも無かったな、隣の部屋にテラスがあることなんて」
もちろん外観を見れば一目瞭然なのだが、テラスの有無など独身の中年男性が気にするようなことではなかった。
ましてやこんな居心地の良い所だなんて、思いもしなかった。
何となく二人とも黙って、空を見る。
天気が良いこともあって月がキレイに見えた。
こんなふうに月をみることなど、今までにあっただろうか。
帰り道を歩いたって、いつも頭の中は捜査のことで一杯だ。
周りを見て歩くことすらろくにないのに、空など見ているわけもなかった。
物思いに耽っていた室井は、ちらりと横目で青島を見た。
「社交辞令じゃなかったんだな」
誘われて思ったことを、本人に言ってみた。
青島は肩を竦めて、苦笑した。
「サラリーマン時代ならいざ知らず、今更社交辞令なんて言いませんよ」
そういえば青島は脱サラして刑事になったと言っていた。
だが、刑事だって変わらない。
検挙率を上げるのはもちろんだが、上司に気に入られないと中々出世できない。
「君は、出世に興味は無いのか?本庁に行きたいとか」
余計なことだとは思ったが、気になっていたことをつい聞いてしまった。
あまりにも裏表がない青島が、何を考えているのか気になったのかもしれない。
「ええ?う〜ん…捜査したいなら本庁に行けって良く言われるんですけどねぇ」
考えながら呟く。
「ほら、でも、所轄にいても出来ることはありますから」
微笑まれて、つられたように室井は小さく笑った。
青島の笑顔から仕事が好きなのだということが伝わってくる。
それが何となく嬉しかった。
そして、そんなふうに感じる自分に少し驚いた。
出世しか興味が無い政治にまみれた官僚の中にいると、絶対に感じることの無い気持ちだ。
―何か、ホッとするな…。
そんなことを思ってしまって、室井は首を軽く振った。
「む、室井さん?」
青島が驚いたような声をあげた。
「何でもない」
友達でもなんでもないのに、室井一人が勝手に和んでいる場合ではない。
それでは、青島も迷惑だろう。
室井はそう思ってグラスの残りを空けると、席を立った。
「ご馳走様」
「えっ、もう行っちゃうんですか?」
残念そうな青島の声に室井は眉間に皺を寄せた。
不愉快に思ったわけではない。
―もしかして引きとめられているのだろうか。
―それとも、これこそ社交辞令だろうか。いやしかし…。
そんなことを考えていたら、自然と寄ったのだ。
室井はあまり人付き合いが得意ではなかった。
親しい人以外と積極的に交流しようとは思わないし、また逆も然りで、室井のようにとっつき難い男と親しくしようという奇特な人も滅多にいなかった。
だから、青島みたいな人間とどう接していいのか分からなかった。
返事に詰まっていると、青島が更に誘ってくれる。
「もう少し、飲みませんか?」
「……」
やっぱり返事に困っていると、青島が慌てて言った。
「あ、すいません。室井さんもお忙しいですよねっ」
そう言って立ち上がろうとしたから、室井はそれを反射的に手で押さえて、自分ももう一度腰を下ろした。
青島が驚いた顔で室井を見ていた。
どうしてもう少しここにいる気になったのか、自分でも分からない。
それでも、気がついたら声に出していた。
「…もう一杯、貰っていいか」
破顔する青島に、室井は目を細めた。










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2004.11.14

あとがき


進んだ……?かな?(おい)
この室井さん、いつにもまして友達がいなそうです(笑)
青島君が無邪気に懐いてくるのを心のそこで喜んでいる感じでしょうか。

何でもいいけど、そろそろどちらかでも恋に落ちてくれないと困るんですけど〜。
いつまで経っても終わらない!

室井さん、既に落ちてるっぽいですか?(笑)



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