「ええ?同棲してるんですかっ?」
驚愕の表情で叫ぶ真下に、青島の方が驚く。
「同棲じゃないから」
テーブルに3人分のコーヒーカップを置きながら、眉を顰めた。
すみれと雪乃の前には、ケーキの皿も置く。
ケーキは先日すみれたちに試食してもらった新商品だった。
二人が美味しいと絶賛してくれたので、店で出してみることにしたのだ。
すみれがケーキを一瞥し、青島を見上げた。
「室井さんと一緒に暮らしてるんでしょ?同棲じゃない」
「同棲ですよね」
雪乃まで頷いている。
青島は空いたトレイで不作法に自分の肩を叩いた。
「同居でしょ?第一、期間限定。室井さんの腕が治るまでだよ」
「恋人が一緒に暮らすんだもん、同棲でしょ?」
すみれのしつこい主張に、青島は首を捻る。
「同棲って、男女ですることを言うんじゃないの?」
「そんな言い方の違いなんてどうでもいいですよ〜」
嘆いてテーブルに突っ伏した真下を見下ろす。
どうでもいいといえば確かにどうでもいいのだが、同棲と言われると気恥ずかしくて敵わない。
青島が指先で頬を掻いていると、真下が恨みがましそうな視線を寄越した。
「まさか先輩に先を越されるとはっ」
大袈裟に悲しみに暮れる真下に、青島の顔がくもる。
「声がでかいよ」
「他に客もいないんだからいいでしょ……今日は一段と暇そうですけど、経営大丈夫なんですか?」
急に心配そうな顔をするから、青島は苦笑した。
今は真下たちしか客がおらず、彼らが来る一時間くらい前から客は一人もいなかった。
その最後の客も、思えば久しぶりの客だった。
大繁盛はしていない喫茶店だが、ここまで暇なのも珍しい。
一日トータルでみても、普段の半分も来客はなかった気がする。
いつもこうならちょっと問題だが、客足は日によって違って当然だったから、特に心配はしていなかった。
「大丈夫だよ。こんな日もあれば、忙しい日もあるんだ」
「そうですか…」
納得したように頷き、また青島を恨めしそうに見て溜め息をついた。
「なによ、真下君たちも同棲する予定があるの?」
フォークを咥えたすみれがニヤリと笑って、真下と雪乃を交互に見比べる。
青島も目を輝かせると、一つ空いていた席に腰を下ろした。
「なになに、そうなの?そんな予定なの?」
慌てた雪乃が顔の前でぶんぶんと手を振った。
「ないない、ないです。予定も計画も全くないです」
力強い否定に青島とすみれはガッカリしたが、誰より真下がガッカリしたようだった。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない…」
どうやら真下の願望なだけだったようだ。
青島とすみれは目を合わせて笑った。
付き合っているはずなのに、付き合う前の二人とあまり変わらないのがおかしかった。
「で?どうなの?」
すみれが青島に聞いてくる。
「どうって、何が?」
「一緒に暮らしてみてよ、楽しい?」
雪乃と真下の視線も刺さるから答え辛いが、答えないわけにもいかない。
「ええと、ほら、室井さんのお世話が目的だからね、こう言っちゃうのもなんだけど、まぁ、楽しいよ」
不謹慎な気もしたが、それは本音だった。
二人の同居生活が気になるのか、雪乃がウキウキと尋ねてくる。
「朝、起こしてあげたりするんですか?」
「いや、室井さん、勝手に起きてくるよ」
「ご飯とか作ってあげてるんでしょ?」
「そりゃあ、まぁ…」
「お風呂も一緒に入ってたりして」
盛り上がる女性陣に、青島は若干たじろいだ。
恋人と一緒に暮らしていると聞くと確かに響きは色っぽいが、今回は必要に迫られての同居である。
「あのね、室井さん骨折してんだよ?飯作ったり、背中流したりくらいはやって当然でしょ」
それが目的の同居と言っていい。
室井一人では困難な生活をフォローするために、青島は一緒に暮らしているのだ。
こんな状況でも室井と一緒に暮らせることを嬉しく思っているのは事実だったが。
「でも、一緒にお風呂には入ってるんだ…」
否定しなかったせいか、真下が羨ましそうに呟いた。
雪乃とそうしたいという願望がありありと伝わったが、雪乃は涼しい顔で無視している。
青島は溜め息をつき、首を振った。
「入ってないよ、背中流してるだけだってば」
なんでこんなことを言わなくちゃいけないんだと思いながらも、今度はちゃんと否定しておいた。
「勿体ないなー。折角だもん、いっぱいいちゃいちゃしといたらいいじゃない」
すみれが言うが、折角の意味が分からない。
「室井さん骨折してんだってば」
「治ったら、室井さん帰っちゃうんですか?」
何故か雪乃が残念そうだ。
青島は肩を竦めた。
「そうなるね」
治るまでの約束で室井には来てもらっている。
腕が治れば室井にも青島の家で暮らす理由がなくなるだろう。
「このまま一緒に暮らしちゃえばー」
そう言って、涼しい顔でコーヒーを口にしているすみれを凝視する。
青島の視線に気付き、すみれは小首を傾げて見せた。
「なによ?悪い案じゃないでしょ?」
「そうですよ、期間限定だなんて言わないで、一緒に暮らしたらいいじゃないですか」
雪乃が両手を合わせて賛同する。
青島は困惑気味に苦笑した。
「や、そういうわけにもいかないでしょ」
「どうしてよ?」
「どうしてって…」
本格的に同居するとなれば、青島だけの意思ではどうにもならない。
室井がどうしたいかにもよるだろう。
それが一番重要だった。
すみれにどう答えようか考えているうちに、店のドアが開いた。
全員の視線がそちらに向く。
若いカップルがきょとんとした顔をしていた。
すみれたちが苦笑した。
皆、室井が帰ってきたのかと期待したのだ。
青島は慌てて立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
カップルを席に案内し、すみれたちに「ごゆっくり」と笑って仕事に戻った。
一緒に暮らしたい。
本音を言えばそう思う。
今までの付き合いに不満は全くなかった。
室井はマメに会いに来てくれるし、時間ができれば泊まっていってもくれる。
忙しく働いているくせに、青島に会いに来る時間を惜しまないのだ。
これ以上を望むのは、いっそ贅沢かもしれない。
それでも、と思う。
朝起きて一番に会うのが室井で、一日の最後に言葉を交わすのも室井。
そんな毎日を過ごしてしまえば、一人暮らしに戻りたいとは到底思えなかった。
ただいまと言って青島の元に帰ってくる室井を嬉しく思った。
必然的に増えた共に過ごす時間が、愛しくて仕方がなかった。
もし青島が一緒に暮らさないかと誘えば、きっと室井は断らない。
青島に対して愛情があるからだ。
それは青島も確信していた。
だが、どんなに愛情があっても、他人と生活を一つにするということに抵抗がある人もいる。
室井がそうでないとは限らない。
今まで全くそういう話が出ていないから分からないが、青島も室井も一人暮らしで、青島に至っては一軒家に一人暮らしだ。
しかも、室井の会社へは青島の家からの方が近く、通勤も楽になる。
そんな状況であっても同居の話題にならないのは、特別室井がそれを望んでいないからではないだろうか。
室井は優しい男である。
そうであっても、青島が誘えば断れないだろう。
青島を一人にしておくことを嫌がり、一緒に暮らそうとしてくれるはずだ。
青島が気になっているのはそこだった。
それに、一緒に暮らすとなれば、室井にはどうしても青島の家に越してきてもらうことになる。
青島には、この家を出られない。
立地は悪くなくても、青島が青島の家族と暮らした家だ。
今はもういない家族と暮らした家。
そこに納まるのは、室井にとって少し重たいのではないかと思った。
家族になるようで、重たいのではないかと思った。
室井の青島への気持ちが軽いものではないことも、そもそも室井が軽い気持ちで誰かと交際できる男ではないことも知っているが、室井に自分を背負わせるようなことはしたくなかった。
室井に負担をかけたくないという思いと、男としてのプライドのようなものもある。
一緒に生きて行けたらこんなに素晴らしいことはないと思うが、室井なしでは生きられないような男にはなりたくなかったし、それよりも室井にそうは思わせたくなかった。
室井が一緒にいたいから青島に会いにくる。
そう室井が思ってくれているうちはいいが、一人にしておけないから、可哀想だから会いにくる、そう思われるようになるのが嫌だった。
室井が無理をしだしたら、そんな関係は長くは続かないだろう。
青島はそれが嫌だった。
つまり、室井とずっと一緒にいたいのである。
そのために、同居という選択肢が有効なのかどうか、青島には分からなかった。
「ご馳走様でした」
室井が箸を置き頭を下げたから、青島もそれに倣った。
「お粗末様でした」
「美味かった」
手のこんだ料理ではなかったが、室井にそう言ってもらえれば悪い気はしない。
青島は室井に笑って見せ、テーブルを片付け始めた。
室井も片手で手伝ってくれる。
何もしないでいいとは言ってあったが、できる範囲のことはしようとしてくれる。
何もしないでいることが気になるらしいので、青島も無理に止めさせようとは思わなかった。
「明日は何か食べたいものあります?」
シンクで食器を洗いながら尋ねる。
元々レパートリーは多くはない。
食べることは好きだが、自分のために色んな料理を作るほど料理好きではなかった。
大雑把な青島の得意料理と言えば、煮るだけ焼くだけでできる料理である。
だが、今は室井がいる。
レパートリーが少ないから食べたいと言われて作れるかどうかは分からないが、リクエストがあれば頑張ってみようと思っていた。
「なんでもいいぞ」
背後から室井の返事が返ってくる。
ある意味予想通りな返事に、苦笑した。
「そういうこと言ってると、毎日似たようなおかずしか出てきませんよ」
「…カレーが食いたい」
隣に立った室井に視線を向ける。
「もうちょっと手のこんだ料理でもいいんですよ?」
カレーも手をかけようと思えばいくらでもかけられるのだろうが、青島がスパイスから作るわけがなく、市販のルーにお世話になるだけだ。
そんなことは室井も分かっているだろうから、期待はしていないだろう。
青島に気を遣って簡単なメニューにしてくれたのだろうかと思ったがそうではないらしく、室井は苦笑した。
「さっき、テレビでやってただろ」
「ん?…ああ、カレー食ってましたね、そういえば」
食事をしながら見ていたテレビ番組で、芸能人がカレーを食べていた。
「あれを見てたら、食いたくなった」
「確かに美味そうでしたね、あれ。じゃあ、カレーにしよっと」
「ありがとう…青島、台拭き」
差し出された手に台拭きを渡すと、テーブルを拭きにリビングに戻っていく。
肩越しに室井を振り返り、小さく笑った。
―新婚家庭って、こんなかな。
ぼんやりと思った。
男同志という時点で世間一般の新婚家庭からは大きくずれているが、それを除けば大差はないかもしれない。
普段一人でしている日常生活に誰かの姿があるのは不思議な感じがした。
違和感がなくはないが不快ではなく、むしろ嬉しかった。
一人なら面倒くさい料理も後片付けも、室井がいればそうでもない。
一人ではないのだということを、こんな些細なことで実感した。
「他にできることはないか?」
振り返ると隣に室井がいた。
―そこにいてくれればそれで。
そう思いながら首を振った。
「もう終わるから、ゆっくりしててください」
洗い物を終えた青島は、マグカップを二つ持ってリビングに戻った。
一つをソファーに座っている室井に手渡す。
室井はマグカップを覗き込んで、首を傾げた。
「牛乳…?」
「ホットミルクと言ってください」
笑いながら、室井の隣に腰を下ろした。
「骨折に良さそうでしょ?」
気休めにもならないが、少なくても骨折に悪いということはないだろう。
「ありがとう」
「いーえ。たまには美味いっすよ、ホットミルクも」
店のメニューにもホットミルクはあった。
店で出す時は入れていないが、今飲んでいるホットミルクは少しだけ砂糖が入っていた。
コーヒーはブラックが好きだが、ホットミルクは少し甘いのが好きなのだ。
室井がマグカップに口をつけるのを横目で見る。
「…美味いな」
小さく呟いた室井に満足して、青島もホットミルクを飲んだ。
適度な甘みにホッとする。
酒を飲んだ時のような高揚感や開放感はないが、身体の内側が暖かくなり心も身体もほぐれるような気がした。
背もたれに身体が深く沈み込む。
「すみれさんたちにからかわれましたよ」
少し前の出来事を思い出し、青島は笑った。
結局室井が帰ってきたのはすみれたちが帰った後だったから、室井は彼女たちに会っていなかった。
「何をだ?」
「今室井さんと一緒に暮らしてるって話したら、同棲してるのかってからかわれました」
真下はどちらかと言えば落ち込んでいたが、すみれと雪乃にはいいだけからかわれた。
室井は顔を強張らせたが、頬に赤みがさしているから照れているようだった。
「一倉にも似たようなことを言われた」
室井もからかわれていたと知り、青島は苦笑した。
喜んで室井をいじる一倉は容易に想像がついた。
「なんか、同棲って言われると色っぽいっすけどね」
どんな事情があれど室井と一緒に暮らせることは青島にとって嬉しいことだが、主な目的は室井の看護である。
同棲と言われると何かが違う気がした。
違って当然である。
室井の腕が治るまでの期間限定の同居なのだから。
―このまま一緒に暮らしちゃえばー。
すみれの言葉をふと思い出したが、その話しは室井にできなかった。
もしそうなればどんなにいいかと思うが、そう思っているからこそ、気軽に室井に聞けなかった。
ずっとここにいて欲しいとは、言えなかった。
「俺が世話をかけてるだけなんだがな…」
室井の溜め息に、青島は室井を振り返った。
そんなことを気にすることはないのだ。
青島が好きでしていることなのだから。
気にする室井の気持ちは分からないではないが、こうして一緒にいる時間を室井が重たく感じていたら嫌だなと思った。
青島は少し首を伸ばして室井に顔を寄せた。
一瞬目を瞠った室井だが、すぐに目を細めた。
唇を重ねる。
「青島…?」
囁くように名前を呼ばれ、青島は照れ笑いを浮かべた。
「顔が近かったから、つい」
言い訳にもならない言い訳だったが、室井はなるほどと頷いた。
「まだ近いぞ、青島」
そう言って、今度は室井から唇を寄せてくる。
青島は笑いながら目を閉じた。
唇が重なり、今度のキスは長くなる。
触れ合わせるだけでは足りなくて、薄く開いた青島の唇を割って、室井の舌が進入してきた。
口内を蠢き舌に絡み付いてくる室井のそれに、青島は頬を染め鼻にかかった声を漏らした。
「ん…っ」
不意に室井が離れた。
青島が目を開けると、室井はそっぽを向いていた。
急に放り出されて驚いたが、呆然と見つめる横顔が赤く染まって見える。
「室井さん?」
「すまない」
気まずそうな謝罪に首を捻る。
今更キス一つで謝られる覚えはない。
「え…ええーと…?」
顔を覗き込むと、やっぱり赤い顔をしていた。
口元を左手で隠し視線を逸らす室井を見て、青島はなんとなくピンときた。
青島の顔も赤くなる。
室井の怪我でバタバタしていて忘れていたが、そういえばしばらく何もしていない。
キスだけで納まりそうにないから身体を離したのだろう。
それがすぐに理解できたのは、青島も室井と同じだったからだ。
青島は少し考えてマグカップをテーブルに置くと、室井の手からも取り上げた。
そして、室井の頬に手を当てて、自分の方に向かせる。
珍しく視線が落ち着かない室井に小さく笑って、青島は室井の唇を塞いだ。
キスをしながら、室井の身体の上でもぞもぞと手を動かす。
室井の身体がビクリと跳ねた。
「あ、あおしま?」
「室井さんは何にもしなくていいっすよ、今日は俺がしますから」
目を剥いた室井にはにかむような笑みを見せて、青島はなおも手を動かした。
照れくささはあるが、抵抗はない。
室井ができなければ、青島がすればいいだけのことである。
室井の首筋に顔を埋めながらその身体に触れると、室井の息が乱れた。
「青島…」
青島の名を呼ぶ声が少し上ずり、青島を興奮させる。
肌に強く吸いつき、室井を見た。
「嫌ですか?」
「そうじゃないが……無理しなくてもいいんだぞ」
青島を見つめながら、室井の右手が青島の髪に触れる。
そんな熱っぽい目で人のことを見ておいて良く言うよと思い、つい笑みをこぼした。
怪訝そうな室井に首を振り、青島はもう一度室井にキスをした。
「俺だって室井さんとしたい」
意図せず熱っぽくなった誘い文句を囁くと、室井は顔を昂揚させ青島の腰に右手を回した。
それを了承と受け取り、青島は室井のファスナーを下ろした。
室井の腕を気遣いながらの触れ合いだったが、その晩は久しぶりに濃厚な夜になった。
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