■ 明日も一緒に(5)


背後から青島が顔を覗き込んでくる。
「角度大丈夫です?痛くない?」
腕をつっている三角巾を見下ろし、頷いた。
「平気だ、ありがとう」
三角巾を首の後ろで結んでもらった。
今朝起きてからしてもらったことは、それだけではない。
着替えを手伝ってもらったし、髪もセットしてもらった。
もちろん朝食の支度も後片付けもしてもらい、何から何まで世話になりっぱなしである。
「ジャケットどうします?」
スーツの上着を手に、青島が聞いてくれる。
左腕は袖を通せないから肩にかけるくらいしかできない。
邪魔くさいが客と会うことがあれば、上着がないのも格好がつかない。
「一応、持って行こう」
室井が言うと、青島が肩にかけてくれた。
「はい」
差し出された鞄を受け取り礼を言うと、青島が首を傾げた。
「どうかしました?」
「なにがだ?」
「なんだか難しい顔してますよ」
言われて顔が強張っていたことに気付いた。
だが、言えるわけがない。
まるで新婚夫婦だなと思ったことなど。
迂闊にも骨折などしたために世話をかけっぱなしの青島に、そんな浮かれたことを言えるわけがなかった。
室井が押し黙ると、青島の顔が曇った。
「あ、痛い?」
腕が病んでいるのではと気にする青島に、首を振って見せた。
痛みがないとは言わないが我慢できないことはなく、我慢ができない時には痛み止めを服用していた。
「大丈夫だ」
室井が言うと、青島は安心したように眉を下げた。
「朝早くからすまないな」
「いーえ、もう一眠りしてから働きますから」
青島が笑うから、室井は苦笑した。
喫茶店の開店時間まで、もう一眠りするくらいの時間はあった。
「そうしてくれ」
「気を付けて行ってくださいね」
「ああ。じゃあ、また後で」
玄関で靴を履くと、青島がドアを開けてくれた。
「いってらっしゃーい」
笑顔で送り出される。
性懲りもなく頭の中に浮かれた言葉が浮かんできて、室井の顔がまた強張った。
「いってきます」
硬い声で応じたら、青島が不思議そうに首を傾げながら手を振った。


会社につくと何人かに囲まれ、同情と賛美の声がかけられた。
昨日室井が会社を休んでいる間に、事情はすっかり知れ渡っていたらしい。
どうやら名誉の負傷ということになったようで、女子社員に褒められてどうにも落ち着かない。
本当は室井が支えきれていれば誰も怪我をせず一番良かったのだが、そんなことを言い出せばそもそも酒を飲まなければ良かったわけで、原因を辿れば切りがない。
なるべく皆でフォローするからという言葉には丁寧に礼を言って、室井は自分の席についた。
「人気者だな」
一倉がやってきて、コーヒーを机に置いた。
「株が上がったんじゃないか?怪我の功名かね」
「明日にはいつも通りだろう」
一倉の軽口にそっと息を吐いた。
いつまでもチヤホヤされては室井も困る。
「腕の調子は?」
「大丈夫だ」
「あいつ、気にしてたよ。電話あっただろ?」
あいつとは室井に庇われた同僚のことだ。
室井が頷くと一倉は苦笑した。
「謝りに家まで行くって言うから、止めておいたぞ」
「そうか」
「邪魔すると馬に蹴られるぞってな」
馬に蹴られると言えば、人の恋路を邪魔する者と相場が決まっている。
室井が眉間に皺を寄せると、一倉は笑った。
「冗談だよ」
室井はまた溜め息をついた。
「ま、青島がいて良かったじゃないか。折角だから、精々世話になるんだな」
「何が折角なんだ」
一倉の言う「折角」の意味は分からないが、一倉に言われるまでもなく、青島には世話をかけている。
申し訳なく思うが、青島がいてくれて物凄く助かっていた。
一人ではままならないことが多すぎる。
本当は世話をかけると分かっていながら青島の家に居候することには抵抗があったのだが、下手な見栄は張らなくて良かったと思った。
それに、期間限定とはいえ、朝も夜も青島がいる生活は嬉しかった。
青島に見送られて出勤し、青島の待つ家に帰る。
それが思いの他嬉しくて、不謹慎ではあるが、室井にとってはこれこそが怪我の功名だと思った。
「ついでだから、そのまま居座っちまったらどうだ?」
一倉が言った。
青島の家で同居したらどうかと言っているのだ。
室井はちらりと一倉を見上げて、コーヒーを手に取った。
「そうもいかないだろ」
「なんでだ?二人とも気ままな一人暮らしなんだ、いいじゃないか」
「そんなことより、いい加減仕事するぞ」
室井はパソコンを立ち上げた。
出社してからというもの誰かに掴まって話しをしていて、まだ何の仕事もしていない。
「はぐらかすなよ」
一倉が苦笑した。
「はぐらかしてるわけじゃない、仕事中に話す話でもないだろ」
几帳面さを発揮して突き放すと、一倉は肩を竦めてはいはいと返事をした。


青島と一緒に暮らす。
考えたことがないわけではない。
もっと積極的に、一緒に暮らしたいという願いはあった。
青島のそばにいたい、できるだけ長く、ずっと。
その思いは付き合い出した頃から変わらなかった。
いや、もっと強くなっているかもしれない。
青島への愛情と比例して、その思いは強くなっている気がする。
―一緒に暮らさないか。
誘ってみたいと思ったことは何度もあるが、まだ口に出したことは一度もない。
一緒に暮らすということは、室井が青島の家に転がり込むということだ。
青島の家は喫茶店に併設したあの家しかないのだから、これは決定事項である。
そうなると「家に住まわせてくれ」と言っているようなもので、室井からは言い出し辛い。
何より、青島の家族の思い出が詰まった家に、青島が大事にしているあの家に、室井が収まってもいいのかどうか分からなかった。
それを決めるのは室井ではないから分からなくて当然かもしれない。
だが、室井が一緒に暮らそうと誘えば、きっと青島は断らない。
断れないのではないかと思った。
青島が自分に想いを寄せてくれていることは自惚れではなく自覚しているが、だからといって必ずしも二人の思いがぴったり重なっているとは限らない。
生活サイクルが違えば、これまで過ごしてきた環境だって全く違う。
他人と生活を一つにすることはどんなに好きな恋人が相手でも抵抗がある、そういう人もいるだろう。
同居について青島がどう思っているかはまだ聞いたことがないから知らないが、もし仮に同居に抵抗があったとしても、青島は室井が誘えばきっと断らない。
そうなるのが、室井は嫌だった。
一倉にそんな話をすれば考え過ぎだと笑われそうだが、室井は青島との間に無駄な緊張感を持ちたくなかった。
青島が今の関係を居心地良く思ってくれているのはなんとなくわかる。
もちろん、室井もそう感じている。
それを守りたいという気持ちが強いのは、青島を大事に思っているからだ。
青島が幸せそうに笑ってくれる今が幸せだから、何かが変わってしまう可能性を考えると怖かった。
つまり勇気が出ないのである。
「一緒に暮らそう」
そう言い出す勇気が出ない。
それに尽きた。




青島から自宅の合鍵を預かっていたが、少し迷って喫茶店の方に回った。
この時間なら、まだ青島は仕事をしている。
喫茶店のドアを開けると、カウンターの中に青島の姿があった。
室井に気づいて、笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ」
それに頷き返して、いつものようにカウンターの席に腰を下ろす。
テーブル席には二組の客がいたが、カウンターの席は空いていた。
青島がお冷を出してくれる。
「おかえりなさい」
周りを気遣ってか小さな声だったが、妙に嬉しかった。
室井も小さく返す。
「ただいま」
「こっちに来ないで、直接家の方に行ってくれても良かったのに」
家に行っても君がいないじゃないかと思ったが、口には出さない。
口に出さなくても、多分青島は知っている。
「コーヒーが飲みたかったんだ」
嘘ではない言い訳に青島はふっと微笑むと、室井の分のコーヒーの準備を始めた。
手を動かしつつ、室井の相手をしてくれる。
「仕事、どうでした?大変だったでしょ」
「やはり片手しか使えないとな…」
室井は苦笑気味に頷いた。
覚悟はしていたが、改めて片手が使えない不便さを実感した。
パソコンが満足に使えないことはもちろん、日常当たり前にしていた動作がやりづらくて仕方がなかった。
机の左側にある電話に出づらいとか、何かの蓋が開けづらいとか、重たい資料を持ち運べないとか。
普段意識しなくてもできていたことができないことに、いくらかのストレスを感じた。
だが、職場に恵まれたのか、業務そのものは約束通り周囲に随分助けてもらえた。
あの一倉でさえ、室井に代わって面倒くさい書類作りをしてくれた。
だから、今日は早めに帰れたのである。
それを言うと、青島はニコリと笑った。
「室井さんが普段頑張ってるからですよ。だから困った時に助けてもらえるんだ」
「別に、普通に働いているだけだが…」
「そうかな?俺は室井さんほど責任感強い人知りませんけど」
青島に褒められるのは嬉しいが、どうにも照れくさい。
眉間に皺が寄る。
「責任感が強いというより、くそまじめなだけじゃないか?」
青島が目を丸くしてから、破顔した。
「くそまじめって…」
「一倉に良く言われるんだ」
「確かに室井さんは真面目ですけどね」
クスクス笑いながら、落としたコーヒーをカップに注ぎ、室井の前に差し出す。
ありがとうと言って受け取ると、青島が聞き取れるか取れないかくらいの声で言った。
「そこも好きなんだけどな」
聞こえないふりで聞き返してもう一度言ってもらいたかった。
だが、室井に聞こえないふりなどできるわけがない。
目を剥いた室井に目だけで笑い返して、室井の背後に声をかけた。
客が席を立ったらしく、会計に応じている。
ありがとうございましたと笑顔で送り出し、トレイ片手にカウンターの中から出てくる青島が思い出したように言った。
「そうだ。今日からしばらくの間、早めに閉店することにしたんで」
室井が驚いている間に、青島は空いた食器を下げて戻ってきた。
早く店を閉めるのは室井のためだろう。
食事やら風呂やら、室井の世話をしなければならないからだ。
いつも通りに閉店してからでは遅くなるから、早めに切り上げようとしてくれているのだ。
気持ちはありがたいが、そこまでしてもらうのは気が引けた。
ただでさえ随分世話をかけているというのに、青島の仕事に支障をきたすようなことは避けたかった。
「青島、そこまでしてくれなくても」
食器を洗っていた青島がちらりと視線を寄こす。
「別に室井さんのためじゃないっすよ」
そう言って無邪気に笑った。
「俺がしたいから、するんです」
そんな言葉をそんな顔で言われれば、何も言えなくなる。
結局礼を言うしかできない。
礼を言いながら、室井は思った。


骨折して一番の問題は、やはり青島を抱きしめられないことだと思った。










NEXT

2009.8.19

あとがき


お久しぶりもお久しぶりな更新になってしまいました;
次回はこんなにお待たせせず更新できるかと思います!

一緒に暮らす暮らさないに限らず、
言葉にして確認してみるのを躊躇うことってありますよね。
でも、本当はしてみるべきなんだろうな。
聞いてみないと分からない、
話してみないと分からないってことばかりですから。
でも、既に恋人同士な二人でも、
確認作業は難しいこともあるのではないでしょうか…。
こんな具合で、ちょっとうじうじした鬱陶しいお話になるかもしれません(笑)

青島君と新婚生活。室井さんうらやましーなー。←そんなのばっか


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