■ 明日も一緒に(4)


翌日―。
青島は店を休みにして、室井の自宅に荷物を取りに行くことにした。
思えば、室井の自宅を訪れるのはこれが初めてである。
いつも室井が喫茶店に来てくれるから行く機会がなかっただけで、興味がなかったわけではない。
こんな時になってしまったが、室井の自宅に来られたのは嬉しかった。
室井の住むマンションは、まだ新しそうな淡いブラウンの11階建てマンションだった。
その7階の部屋に案内されリビングに通されるなり、不作法だがつい視線をあちこちに泳がせた。
外観を見た時から立派でキレイなマンションだと思っていたが、部屋に入ってもその印象は変わらなかった。
白い壁が妙に眩しいのは、リビングが殺風景だったからかもしれない。
モデルルームのように生活感がないわけではないが、家具の類は少なく余計なインテリアもない愛想のない部屋に感じる。
だが、それも室井らしいと思えたし、違和感はなかった。
「いい部屋っすね」
「そうか?」
「広いしキレイだし……高そう」
下世話かなと思いつつ素直な感想を零したら、室井が苦笑した。
「そうでもない、安くはないかもしれないが」
室井が高給取りなのだということを、ふと思い出した。
有名企業に勤めているのはもちろん知っているが、給料について聞いてみたことはない。
室井自身自ら語りはしないし、派手に着飾ったり豪遊するタイプでもないから、そんなことは忘れていることが多かった。
「いつからここに?」
初めて入った室井の部屋を物珍しげに眺めながら尋ねる。
「もう3年くらいになるか」
「住み心地いいでしょ」
「どうだろうな、不便はないが…」
ふかふかなソファーの背もたれを無意味に手で撫ぜながら、室井を振り返る。
室井が言い掛けてやめた気がしたのだ。
目で何かと続きを促すと、室井は首を振った。
「いや…悪くはないな」
なんだか歯切れの悪い室井を不思議に思いながら頷く。
「そうでしょうね」
マンション自体もキレイだが、無駄のない整頓された室内を見れば、室井が怠惰な一人暮らしをしているようには見えなかった。
もっとも室井の性格からいっても、怠惰になるとは思えなかったが。
「ちょっとすまない」
室井が断って、尻のポケットから携帯電話を取り出した。
震えているから着信があったのだと分かる。
どうぞどうぞと勧めて、青島はまた部屋の中に視線を彷徨わせた。
窓際により窓の外を眺めていると、背後で室井の声がする。
どうやら電話の相手は、夕べ泥酔してしまった同僚らしい。
気にするなだとか大丈夫だとか応じているのが聞こえるから、きっと謝罪の電話だろう。
そんなことより結婚式まで怪我しないように気をつけろと相手に注意しているのを聞いて、青島はひっそりと笑った。
お祝いという名目で飲まされて泥酔したとはいえ結婚式を目前にして階段を踏み外すような男だから心配になったのだろうが、室井らしいなと思った。
確かにこれから改めて怪我でもされたら、室井が庇ってやった意味もない。
青島にとっては見ず知らずの男だが、「ほんと、気を付けてね」と心の中で思った。
「生活…?ああ、大丈夫だ、不自由はしていない……友人の世話になってる」
ちらりと室井を振り返ると、室井も青島を見ていた。
眉間に皺を寄せているから、青島は声を立てずに笑った。
ほどなく電話を切った室井に、からかうような口調で言う。
「友人、ですか」
「思わずそう言ってしまったんだ」
「怒ってませんから、そんな顔しないで」
笑いながら、自分の眉間を抑えて見せる。
深い皺ができていると態度で教えると、室井も自分の眉間に指をあてて伸ばした。
「人に紹介する時は、それで正解だと思いますよ」
できることなら、人にはばれない関係の方がいい。
室井とこうなったことを恥じているわけではなかった。
わざわざ言いふらしたいという性癖はないが、知られて困る相手も青島にはいない。
だが、室井は違う。
職場で仕事がしづらくなるかもしれない。
もっといえば、退職しなければならなくなるようなことがあるかもしれない。
それは大袈裟だとしても、室井が好奇の目に晒されるようなことにでもなれば、青島だって堪らない。
社会的立場を考えたら、室井は隠しておくべきなのだ。
それは何も室井のためだけではなかった。
世間に知られて一緒にいることが難しくなる日が来ると、困るのは青島自身だからだ。
「だが、友人とは一つも思っていないぞ」
室井が顰め面で言った。
言葉をそのまま受け取ると酷いセリフのようだが、青島には良く分かる。
恋人なのだから、友人だと思っているはずがない。
二人の間にあるのは友人としての愛情では全くないのだから。
「そう思ってくれていたら十分」
ニッと口角をあげると、室井の表情が和らいだ。
青島は気分を切り替えるように手の平をパンと打った。
「さて、荷造りしますか」
「すまないが手を貸してくれるか」
「もちろん、そのために来たんですから」
青島が腕まくりをすると、室井がリビングから隣室に繋がるドアを開けた。
室井についていくとベッドがあり、寝室だと分かる。
「そのクローゼットの中に旅行鞄が入ってるんだ」
「ここ?開けますよー」
クローゼットを開けて、室井の指示を受けながら旅行鞄を探し出した。
荷造りするのに必要だったからだ。
「いるもの、出してください」
室井が出してくる衣類を青島が鞄に詰めていく。
「スーツやワイシャツもいるな」
「靴もいるんじゃないですか?革靴だけだと不便でしょ」
「パソコンもか、ろくに使えないとは思うが」
「携帯の充電器とかもいりますよね」
「…しばらく泊まるだけでも、結構な荷物になるな」
室井が小さく溜め息をついた。
一泊くらいならどうとでもなるが、何泊もするならどうしても必要なものが増える。
最低限の生活必需品なら青島の自宅にあるものを使ってもらえばいいが、衣類や仕事に関わるものはそうもいかない。
必要なものをとりあえずベッドの上に集めたら、思ったよりも大荷物になった。
引っ越しするみたいだと思って、青島はちょっと笑った。
「どうかしたか?」
室井に聞かれて、首を振った。
「いえ…」
「なんか楽しそうだぞ」
そう言って、優しい目を青島に向けている。
楽しそうな青島が嬉しいのかもしれない。
青島は顎に触れながら照れ笑いを浮かべた。
「ん、いや、なんでもないんですけどね」
まさか、室井さんがうちに越してくるみたいで楽しい、とは言えない。
室井もそれ以上は聞いてはこなかった。
青島が辛そうにしていれば黙っていない男だが、楽しそうにしていればとりあえずは満足らしい。
青島はいっぱいになった旅行鞄を手に立ち上がった。
「とりあえず、こんなもんかな」
室井が手にしたスーツを片手で受け取る。
「ちょっと車に運んできますから、室井さんは待っててください」
「大丈夫だ、右手で持てる」
「いいからいいから」
どうせパソコンなど運ばなければならないものがまだあるのだ。
無理して室井に持たせるよりも、青島が往復した方が早い。
少し躊躇ったが、結局室井は青島に任せてくれた。
「すまないな…」
動かせない左腕に視線を落として、室井が小さく溜め息を吐く。
青島はちょっと笑うと、首を傾けて室井の頬にキスをした。
下を向いていた室井が顔を上げたから、今度は唇にキスをする。
「ご褒美はこれでいいっすよ」
悪戯っぽく笑うと、室井が目を細めた。
右手を青島の首にかけて引き寄せる。
「足りないだろ…」
囁く声にどっちがだろうかと思いながら目を閉じた。
思ったよりも深く貪られて、足りないのは室井さんの方だったみたいと納得した。




ギブスの上にビニール袋を被せ、腕にタオルを巻き水が入らないように口を締めた。
「痛くない?」
締めすぎていないかを確認すると、室井は首を振った。
「大丈夫だ」
上半身裸で腕にはビニール袋という若干間抜けな格好だが、風呂に入るのだから仕方がない。
ギブスを濡らすわけにはいかなかった。
「先に温まってください」
室井は頷いたが、複雑な表情だ。
青島に髪を洗ってもらうということが、申し訳ないのか不本意なのか、照れくさいのか恥ずかしいのか。
右手一本でも頑張れば洗えないことはないだろうが、人手があるのに無理をすることはない。
渋る室井を説得して約束をしたのだが、往生際悪くなおも渋っている室井に苦笑すると、青島は室井の背中を押した。
「早く入らないと、風邪をひきますよ」
「あ、ああ」
「温まったら、声かけてくださいね」
「…よろしく頼む」
観念した室井に頷いて、青島は脱衣所を出た。
ドアを閉めても、風呂場のすぐ隣の台所にいれば声は聞こえる。
台所で夕飯の支度をしながら、呼ばれるのを待つことにした。
夕飯の支度といっても、簡単なものだった。
作り置きして冷凍してあったミートソースを解凍し、パスタを茹でれば出来上がりである。
冷蔵庫を開けて見ると、レタスとトマトときゅうりがあるから、サラダも作れそうだ。
このメニューならフォーク一本で食べられるから、片手が使えなくてもそれほど苦にはならないだろう。
鍋に火をかけながら、レタスを水に晒し、適当なサイズに千切ってボウルに盛り付ける。
トマトも水で洗って8分の1のサイズに切り分け、一つ摘まんで自分の口に放り込んだ。
手と口を動かしながら、片手が使えないというのはつくづく不便だなと思った。
それは分かり切ったことで、だからこそ手伝えるよう青島の部屋に泊まってもらっているわけだが、改めて思った。
一日一緒にいただけでよくわかる。
入浴はもちろん、着替えや食事も片手ではやり難い。
右手が無事だから箸は持てるが、茶碗をもてないのである。
朝食の時にそれに気付いて、昼はサンドイッチにした。
明日から仕事だが、大丈夫だろうかと心配になる。
一倉や同僚たちがフォローしてくれるらしいが、苦労することが多いはずだ。
パソコンを使うにも手間がかかるし、荷物一つ簡単には運べなくなる。
腕を庇っての移動にも気を遣うだろう。
仕事のことでは、青島が助けてやれることは何もなかった。
昼飯はちゃんと食えるだろうか。
おにぎりでも作ってあげようか。
しかし、独身の室井が手作りの弁当など持っていけば悪目立ちするだろうし、余計なことはしない方がいいかもしれない。
おにぎりくらいならコンビニで買うだろうし…などと考えていると、風呂場から室井が呼ぶ声がした。
青島は返事を返し、包丁を置いて、火を止めた。
開けますよーと一応断りバスルームに入ると、室井が背中を向けて座っていた。
裸の背中を見てドキリとしながら、ああそうかと思った。
風呂に入っているんだから裸に決まってるよなと、激しく今更なことに納得する。
腰回りにタオルはかけてあるが、もちろん全裸だ。
―この身体とあんなことしてるのか。
冷静な頭でふと思い出し顔を赤くしたが、幸い室井は背中を向けていて、青島の顔を見ていなかった。
「背中、流してもらえるか」
ボディーソープの泡に塗れたスポンジが差し出され、慌ててそれを受け取った。
青島は少しだけ迷って、室井の左肩に手を置いた。
「じゃあ、洗いますね」
「…頼む」
青島は手を動かしながら、半笑いになった。
こうなると、室井が躊躇った理由が分からなくはない。
背中を洗っているだけなのに、いくらか照れくさかった。
「片腕だと、やっぱり不便だな」
室井が溜め息混じりに呟く。
当たり前にしていたことができなくなる、できても時間がかかるようになる。
何をするにももどかしいに違いない。
気持ちは分かるがどうしてやることもできない。
背中を擦りながら、励ます。
「しばらくの辛抱ですよ」
「ああ…」
「なんなら、俺の腕を貸し出しますよー」
笑ったせいで、触れている背中が少し揺れた。
「既に借りているようなものだ」
「遠慮なくどうぞ〜」
なんなら会社にも持っていく?とふざけて尋ねると、肩越しにちらりと室井が振り返った。
「持って行ってもいいのか?」
真顔で聞かれても困る。
もちろん室井だって本気で青島を会社に連れて行くつもりはないのだろうが、連れて行きたそうな口ぶりである。
青島がなんと返そうか迷っているうちに、室井が首を振った。
「やっぱりいい」
「え?」
「君には喫茶店にいてもらわないと困る」
「困るんですか?」
「困るんだ、楽しみが減る」
喫茶店に会いに来る楽しみが減るということらしい。
青島は笑いながら、シャワーを掴んだ。
ビニールをかけているとはいえ、室井の左腕を濡らさないよう気をつけながら背中を流す。
されるがままになりながら、室井がぽつりと呟いた。
「それに、君にはあそこが似合ってる」
青島の手が止まる。
「似合ってますかね?」
「ああ、良く似合ってる」
そう言われると、悪い気はしなかった。
父親の後を継いだばかりの頃は、似合わないことをしていると思ったものだった。
元々落着きがなくじっとしていられない性格だったため、一日中同じ場所で同じ仕事をしていることに違和感があった。
家族の思い出の詰まった喫茶店で過ごす毎日は苦痛ではなく、大事にしようと決めたからこそ後を継ぎ喫茶店のマスターに収まったのだが、初めはこの仕事が自分にあっているとは思っていなかった。
だが、接客業自体は嫌いではなかったし、むしろ社交的な青島には向いていて楽しくもあった。
毎日いろんな客と接し、決して同じではない日々を過ごしていると気づいた頃には、喫茶店のマスターが自分にあっていないということもないと思えるようになっていた。
室井の目から見ても自分がちゃんとあの店に、父親の喫茶店に似合う男に成長しているのなら、こんなに嬉しいことはない。
室井が見えないのをいいことにしまりのない顔で笑っていると、室井が止めのような一言くれた。
「あそこで君を見るたび、惚れ直す」
室井はしょっちゅう喫茶店に会いに来てくれていた。
そのたびに惚れ直していたら室井さん俺に惚れ直しっぱなしじゃないとからかおうかと思ったが、室井が言いたかったことはそういうことだったのではないかと思い直し口にするのを止めた。
時々、室井はこういうことをさらっと口にする。
青島も笑ってさらっと聞いておけばいいのかもしれないが、室井に真剣に言われるとそうもできない。
素直に喜んでおけばいいのかもしれないが、だからといって「嬉しいです」と伝えるのもどうかと思うし気恥しい。
赤面しつつ室井の後頭部をじっと見つめていたが、これといった言葉は出てこなかった。
代わりに目の前の首筋に唇を押し付ける。
室井の身体がびくりと震えた。
「青島?」
すぐに唇を離し、室井の顎を掴んで上を向かせた。
「髪洗いますから、目つぶっててください」
「あ、ああ、ありがとう…」
素直に目をつぶった室井に感謝し、青島は黙々と髪を洗いだした。










NEXT

2009.5.27

あとがき


随分更新があいてしまってすみませんっ。
しかも、お話が全然進まなくってすみませんっ。
なーんか、ただいちゃいちゃしてるだけだなぁ…(苦笑)

またむやみに長いお話になりそうな予感がしておりますが、
気長にお付き合い頂けたら幸いでございます。

青島君に髪を洗ってもらうなんて、果報者ですねぇ。
怪我の功名ですねぇ(そうか?)


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