■ 明日も一緒に(3)


青島が病院に駆け付けると、夜中だが当番病院だけあってロビーにはひと気がいくらかあった。
その中に一倉の姿を見つける。
駆け寄ってくる青島に気付いて、片手を上げて見せた。
「夜中に騒がせて悪いな」
のほほんとした顔をしている一倉に、青島はほっと息をつく。
本当に酷い怪我ではないのだということが、一倉を見て分かった。
「それはいいんですけど、室井さんは?」
「まだ治療中だ、ギプスするらしい」
骨折したのだからやっぱり酷い怪我だと思い直し、眉を寄せる。
「なんだってまた骨折なんか」
飲み会に行っていて、普通はするはずのない怪我である。
大怪我するほど室井が前後不覚に酔っ払っていたとも思えなかった。
「とりあえず、座ったらどうだ」
一倉が隣の椅子を軽く叩く。
今ここで青島が焦っても仕方がない。
のんびりした一倉の態度に、青島はいくらか落ち着いた。
勧められるまま隣に腰を下ろし、一倉を見て話を促す。
「駅の階段から落ちたんだよ」
青島は目を丸くした。
室井らしからぬ失敗だ。
いや、室井だって人間なのだから階段の一つや二つ踏み外すことはあるかもしれないが、それにしても骨折するほど派手な階段落ちとは、やはり室井らしくない気がした。
驚いている青島の気持ちを悟ってか、一倉は苦笑した。
「足を滑らせた同僚を庇ってね、変わりに落ちたんだ」
酔っ払った同僚が駅の階段で足を滑らせ落ちそうになり、隣を歩いていた室井が慌てて腕を引っ張ったのだが、支え切れずに勢い余って室井の方が階段から落ちたらしい。
呆気に取られた青島に一倉が更に説明してくれた。
「その同僚、今度結婚するんだよ。新郎が怪我でもしたら可哀想だろ?」
「はぁ…なるほど…」
結婚式を控えた新郎を庇って、室井は骨折したらしい。
室井に怪我などしてほしくはないが、らしいといえばらしいのか。
室井が優しい男だということは、青島も良く知っていた。
そんな事情があれば尚更、咄嗟に手が出るかもしれない。
「それは名誉の負傷でしたね」
青島が溜め息混じりに呟くと、一倉が笑った。
「怒らないのか?危ないことするなって」
「そりゃ、危ないことはやめてもらいたいですけどね」
青島は肩を竦めた。
骨折するなど以ての外だが、咄嗟に同僚を庇った室井を拍手してやりたい気持ちもあった。
中々できることではない。
さすがは室井さんだと褒めてあげたかった、怪我さえしていなければ。
「あ、一倉さん、連絡ありがとうございました」
そういえば慌てていて、まだ礼を言っていなかった。
「室井に連絡しておいてくれと頼まれたんだ」
だから、一倉が今夜の約束を知っていたのだろう。
「こっちこそ怪我人押し付けて悪いな」
「いや、室井さんだし」
押し付けられるのが室井なら一向に構わないし、何より室井が怪我をしているのに知らないでいる方が嫌だった。
一倉が笑うから、青島は顔を顰めた。
「なんすか?」
「いやいや、果報者だね、あいつは」
「…もう帰ってもいいっすよ」
からかうような一倉の視線に冷たく言った。
後は治療の終わった室井を青島が連れて帰ればいいだけである。
「病院まで付き添ってやったのに、つれないこと言うなよ」
悪びれない一倉に、青島はひっそりと溜め息を吐いた。
病院まで付き添ってもらったのは室井であって青島ではないが、室井が世話になったと思えば確かに無下にはできない。
「そういえば、その同僚さんどうしたんです?」
病院の待合室には他にも何人か待っている人がいたが、一倉たちの同僚と思しき姿はない。
一倉は苦笑した。
「酔いが酷くてね、そっちはそっちで心配だったから、もう一人の同僚に家まで送ってってもらったよ」
「そうっすか」
青島も苦笑した。
「飲ませ過ぎた俺たちも悪かったんだけどな」
「めでたいことですからね、多少は仕方ないんじゃないっすか」
結婚と言えば、人生においての一大イベントの一つである。
飲みたくなる気持ちや飲ませなくなる気持ちが、青島にも分からないわけではなかった。
だからといって階段から落ちるくらい酔っ払っていいわけではないが。
「終わったみたいだぞ」
一倉が前方を指すから顔を向けると、ほの暗い通路に診察室から出て来たらしい室井がいた。
スーツの上着を肩に引っ掛けて、ギプスをはめた左腕を三角巾で首からつっている。
室井は青島を見て目を剥いた。
「来てくれたのか」
一倉に連絡は頼んだが呼び出せとは言っていなかったのだろう。
驚いている室井に、青島は大股で近づいて苦笑した。
「室井さんが怪我したって聞いて、俺だけグーグー寝てられるわけないでしょ。そんなに薄情者じゃないっすよ」
「そんなことは思ってないが…」
室井が首を振る。
「来てくれてありがとう」
青島はやんわりと笑った。
「付き添ってやった俺には礼はないのか?」
横から口を挟んでくる一倉を、室井は睨む。
不満げな視線を受けて、一倉は肩を竦めた。
「まあ、原因の一端は俺たちにもあるけどな」
「調子に乗って飲ませるからだ」
「だから、それは悪かったって」
素直に非を認めた一倉に、青島は内心で苦笑した。
室井に対しても酔い潰れた同僚に対しても、悪いことをしたという思いはあるのだろう。
人をからかって楽しむような人の悪いところはあるが、根は悪い人ではなかった。
だからこそ、室井とも親しい。
口では文句を言い合いあっているが、青島の目から見ても室井と一倉は仲が良かった。
「腕、どんな具合です?」
青島が聞くと、室井が自身のギプスをはめた腕に視線を落とした。
「ギプスがとれるまで三週間くらいかかるようだ」
「三週間か、結構長いっすね」
青島も視線を落として、眉を顰める。
ギプスが取れてもすぐに元通りになるわけではないから、完治にはもっとかかるはずだ。
やはり結構な怪我だったようだ。
「面目ないな」
室井が渋い顔で呟いた。
同僚を庇って階段から落ちた自分を、情けなく思っているのかもしれない。
室井に怪我をされるのは嫌だから気を付けて欲しいが、情けなく思う必要はないだろうと思う。
咄嗟に友人を庇える室井のことは誇らしく思えた。
こういう時は一緒になって落ち込んでいても仕方がない。
青島はわざとに明るい声を出した。
「同僚さん、庇ったんでしょ?いいことしたんだから、落ち込まない落ち込まない」
「一倉から聞いたのか…自分が落ちていれば世話がないな」
「そりゃあ、落ちないに越したことはないですけどね、一生に一度の結婚式をギプスで迎えずに済んだんだから、同僚さんは感謝してますよ」
同僚よりもむしろその婚約者の方が感謝することになるかもしれない。
泥酔していたというし、室井よりも酷い怪我をしていたかもしれないし、やはり室井は良いことをしたのだ。
「正気になったら、感謝してもし足りないだろうな」
一倉が付け足した。
正気になったらということは、先に送り帰されたという同僚は未だに正気ではないということだ。
同僚が自分を庇って階段から落ちたとしたら、酔いも醒めそうなものだった。
青島は一倉を振り返り、室井に視線を戻した。
「そんなに酔っ払ってたんですか?」
「ああ」
苦笑する室井を見て、また一倉を振り返った。
「どんだけ飲ませたんですか」
「だから悪かったって言ってるだろ」
旗色が悪くなったと思ったのか、一倉が話を変えた。
「それで?今夜はどうするんだ?」
「どうとは?」
「その手で一人の家に帰っても大変だろ」
室井は一人暮らしである。
利き腕でなかったのは不幸中の幸いだが、確かに片腕が使えなければ不便極まりない。
食事や掃除洗濯どころか、着替えすら一人ではままならないのではないだろうか。
こういう時に身近に家族がいると有り難いのだが、生憎と室井の実家は秋田だ。
だが、家族は遠くても、恋人は近くにいる。
こんな時に役に立てなくて、なんのための恋人か。
青島は思い付いたように言った。
「室井さん、俺んち来ません?」
室井が目を丸くする。
「君の家に?」
「ええ、生活するのに一人じゃ不便でしょ?ギプス取れるまで、泊まって行きません?」
今思いついたのだが、中々名案なような気がした。
そう思ったのは青島だけで、室井の方は困惑しているようだった。
「しかし…迷惑じゃないか?」
遠慮がちに聞き返されて、青島は笑みを見せた。
「迷惑なら誘いませんて」
室井が泊まることが迷惑なわけがない。
多少なりとも世話をすることになるだろうが、それだって嫌ではなかった。
室井のために何かができる、そう思ったら嬉しかった。
第一、一人でいる方が心配で気になってしまう。
「おお、良かったじゃないか、そうさせてもらえよ」
丸く収まったとばかりに満足げに頷いている一倉を、室井が睨む。
「お前が決めるな」
視線を青島に戻した。
「本当にいいのか?」
青島は大きく頷いた。


一倉を自宅まで送り届け、室井を連れて青島は自宅に帰った。
着替え等、生活に必要なものは、明日室井の自宅に取りに行くことにした。
明日と言っても、後数時間で朝だったが。
「この部屋、使ってください」
青島は両親の寝室に室井を案内した。
「…いいのか?」
気が引けるのか、室井が躊躇う。
青島が家族の部屋をほとんど手を付けずに残してあることを知っているからかもしれない。
残してあると言っても意図的にそうしているわけではなく、なんとなくそうしてあっただけである。
処分する理由がないから、とってあるだけだ。
使ってくれる人がいるなら、その方が良かった。
「室井さんが嫌でなければ」
室井は真摯な目を青島に向けた。
「ありがとう」
青島は笑みを返して、押入れから来客用の布団を出した。
両親のベッドで使っていた布団はさすがに処分してあった。
「布団はこれ使ってください…ちょっとベッドのサイズと合ってませんけど」
セミダブルのベッドだったが、布団はシングル用しか用意がなかった。
ベッドが余る形になり少し不格好になってしまったが、もちろんそんなことに文句を言う室井ではない。
「充分だ」
「良かった、じゃあここで寝てください。部屋は適当に使ってくれていいんで」
「ありがとう」
「とりあえず、着替えどうしましょうか、俺のパジャマ着ます?」
ギプスをした腕を見て悩む。
着れないことはないが手間がかかるし、窮屈なのではないかと思った。
「Tシャツを貸してもらえないか」
そっちの方が楽だろうと思い頷き、パジャマのズボンとTシャツを用意した。
「ええと、じゃあ…」
青島は室井の顔を窺い見た。
「脱がしますよ」
何もおかしなことをするわけではないが、宣言するのも気恥ずかしい。
かといって勝手に脱がすのも躊躇われた。
室井も照れくさいのか、妙な緊張に頬を強張らせて頷いた。
「すまない、世話をかける」
「いえ…」
肩にかけてあった上着を脱がせ、首からかけていた三角巾を外す。
シャツのボタンを外しながら、ちらりと室井の顔を見る。
眉間に皺が寄っているのは、気まずいからだろう。
青島も同じ気持ちだから、良く分かった。
深い意図もなく恋人の服を脱がせるのは、不思議な感覚だった。
ともすれば思考がそちらにずれそうになり、考えないように気をつける。
今はその気になっている場合ではない。
シャツのボタンを全て外し、怪我に響かないようにゆっくりと時間をかけて左腕を抜いた。
「大丈夫です?響きません?」
「ああ」
シャツを脱がせてから、Tシャツも同じようにそっと着せた。
「痛くない?」
室井が思わずといったふうに小さな笑みを零した。
「大丈夫だ、ありがとう」
しつこく確認する青島がおかしかったのかもしれない。
青島自身、気にし過ぎたかと苦笑する。
骨折したばかりで全く痛くないわけがないが、室井が痛い痛いと泣き言を言うわけもなかった。
だから余計に青島は気になったのだ。
「痛くないならいいんすけどね」
言って、今度はベルトに手を伸ばした。
ベルトを外しファスナーを下ろすと、室井の右手が青島の手に触れた。
「あ、青島」
「はい?」
「その、やっぱり下は自分で着替える」
室井が珍しく視線を泳がせた。
室井の気恥ずかしさが伝わって、青島も自分のしていることに照れくさくなる。
そそくさと手を離し、パジャマのズボンを手渡した。
「そ、そうっすか、じゃあ、あの、気を付けて」
少しずれた応援に真顔で頷いて、室井がぎこちない手つきで着替え始めた。
その間に、真新しいシーツを敷き、ベッドメイキングを済ませる。
今日からしばらくの間、室井はここで暮らすのだ。
明日の朝、帰ってしまうわけではない。
しばらくの間とはいえ、一緒に暮らすのである。
急に、その事実に対して、単純な喜びが湧きあがった。
それに気づいて、青島は馬鹿なことをと胸中で罵った。
室井が怪我をしているというのに喜んでいる場合ではない。
不測の事態で一緒に暮らすのである。
そのこと自体は、喜ばしいことでもなんでもない。
骨折で済んだのは不幸中の幸いであって、もっと大きな怪我をする可能性だってあったのだ。
そんなことを考えれば、背中がぞくりとする。
「骨折で済んで、良かったです」
室井に背を向け、手を動かしながら話しかけた。
「ああ、そうだな」
「でも、やっぱり気を付けてくださいね」
「…青島」
背中にぬくもりを感じて振り返ると、室井が片手で触れていた。
「心配を掛けてすまない」
真摯な眼差しには、青島に対する愛情が見える。
大事にされているなと感じるのは、こんな時だ。
室井に甘えて生きていくつもりはないが、青島を傷つけたり悲しませたりすることを嫌う室井の気持ちには感謝していた。
青島だって、室井を傷つけたくないし、悲しませたくない。
「早く治してくださいね」
怪我に障らないように、そっと室井に手を伸ばした。
頬に触れて顔を寄せると、室井が目を細めた。
軽く唇を合わせて、至近距離でほほ笑む。
「これじゃ、抱きつくこともできませんから」
室井は真顔で頷いた。
「一日でも早く治そう」
それは困るとばかりな言い草に、青島は笑みを深めた。










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2009.4.10

あとがき


というわけで、とりあえずの同居にとつにゅ〜(笑)
事情あっての同居なので手放しで喜べない、
けど嬉しいみないな感じでしょうか。
きっとお互いにそんな感じです。

本当の同居にいたるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
私の時間がかかりそうです…(苦笑)
頑張ります!


骨折って結構な大怪我ですよね;
私は骨折したことがないので良く分からないのですが、
ネットで調べてみたら完治するのに結構時間がかかるようで…。
折れた場所とか、折れ方とかにもよるのかもしれませんけどね。
室井さんごめんね。
同居させるために、骨折してもらっちゃってごめんね(笑)


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