■ またここで(7)


室井がドアを開けると、青島は酷く驚いた顔をした。
幸い店内には誰もいなく、室井はホッとした。
青島が慌ててカウンターの中から出てくる。
「室井さん…」
まるでしかられた子供のような顔をしている青島に、室井は一瞬苦笑を浮かべた。
―青島が、悪いわけじゃないのにな。


『君には関係ない』
そう言って青島と別れてから、三日しか経っていない。
あの日はあのまま、一倉に連れられて飲みに行った。
「飲め。とりあえず、飲め。飲んだからって忘れられるもんでもないけどな。とりあえず、飲んどけ」
多分、室井のいきなりの告白に、一倉だって混乱しただろう。
男に惚れているなんて、思いもしなかったはずだ。
それにも関わらず、そこに頓着せずに、一倉らしいやり方で励ましてくれた。
「飲んでちょっとはスッキリしたら、ゆっくり考えろ。お前は怒ってるんじゃなくて、悲しんでんだろ。青島にそれを教えてやったらどうだ」
告白してみろという意味だったのだろうと思う。
はっきりと言わなかったのは、一倉も上手くいくとは思っていないからだ。
告白して振られて、きっちり精算する。
室井の性格から言って、その方がいい。
このまま中途半端にしておけば、確実に引きずる。
一倉はそう思ったから、助言してくれたのだ。
室井もそれは分かってる。
―それでも…。


はっきりさせてしまうことは、終わりを意味すること。
それだけは、どうしてもしたくなかった。
青島に会えなくなる。
青島の笑顔が見れなくなる。
それがどうしても、嫌だった。
それならば、室井の取れる手段は一つだけ。
青島にとって室井がただの客でしかなくてもいいから、室井は今の関係を続けていくことに決めた。


「すまなかった」
室井は青島に頭を下げた。
「そんな、室井さん」
慌てる青島に、苦笑を噛殺す。
「申し訳なかった。結婚について周りから色々と言われていて、ちょっとナーバスになっていたんだ」
八つ当たりしてすまなかったと、謝罪した。
これは嘘じゃない。
室井がしたことは、八つ当たりだ。
青島の言葉に勝手に傷ついて、青島に八つ当たりした。
今のままでいることを自分で選んだのだから、室井はもう二度とあんな真似をすまいと心に誓った。
「君は何も悪くないから、気にしないでくれ」
「室井さん…でも、俺…」
潔く謝罪する室井に、青島は戸惑っているようだった。
「俺こそすみません、余計なことを…」
「いや、いいんだ。謝らないでくれ」
「室井さん」
「色々と…気遣ってくれてありがとう」
小さく微笑むと、室井はもう一度頭を下げた。
青島に惚れていなければ、青島の純粋な好意は素直に受け取れたはずだった。
自分が傷ついたからと言って、青島を傷つけて言い訳が無い。
―優しい男だから、きっと気にしているだろうな。
申し訳なく思いながらも、室井はやっぱり好きだと思った。
「そんな、やめてください、頭上げて」
青島が室井の肩を掴む。
顔を上げると、どこか必死な表情の青島がいた。
「俺、そんないいもんじゃないです、気を使ったとか、そんな」
ぶつぶつと呟く青島に、室井は首を傾げる。
「青島?」
「お礼なんて…言わないでください」
青島は眉を顰めて呟いた。
どこか辛そうで、今度は室井が戸惑う。
「青島、それはどういう…」
そっと声を掛けると、青島は思い出したように笑みを浮かべた。
「あの、本当、すみませんでした。コーヒー、飲んで行きますよね?」
「あ、ああ…」
「どうぞ、こちらへ」
青島がカウンターに戻っていくから、室井もぎこちなくいつもの席に腰を下ろす。
コーヒーを落としながら、青島は室井に少しだけはにかんだ。
「来てくれて、良かった」
その顔を見て、室井は自分の判断は間違っていなかったと思った。


***


客のはけた喫茶店で、青島は煙草を吹かしていた。
カウンターの椅子に腰を下ろし、手の中の灰皿に灰を落とす。
一日に何度か、客が全くいない時間帯がある。
そんな時は、大抵一服をしていた。
カウンターの上の、コーヒーカップを手に取る。
客に出す時についでに自分の分も落としたから、既に冷め切っている。
香も薄れて苦いばかりのソレを口に含んで、深い溜息を吐いた。
ここのところ、一人になると考えることは一つだけ。
室井のことだけだ。
室井のことと言っても、明確になにかを考えているわけではない。
酷く漠然と、室井のことを思い出す。
あれからも、室井とは何ら変わりの無い日々を過ごしている。
怒らせてしまったが、何日もせずに室井の方から謝罪に来てくれた。
余計なことを言ったのは青島だったのに、頭を下げてくれた。
それどころか、礼まで言われた。
「礼なんて…言われるようなことじゃない」
青島は眉を寄せながら、煙を吸い込んだ。
室井にとって良い話だと思ったから、見合いを勧めたのは事実だ。
室井が幸せになれるなら、それに越したことは無い。
室井には幸せになって欲しいと、勝手に思ってる。
だけど、それを感謝されると、落ち着かなくなる。
何故か酷く申し訳なくて、後ろめたくすら感じられた。
客に礼を言われたからではない。
そういう類の感情ではない。
もっと別の、もっと薄暗い感情の存在に、気付かされる。
「俺は…」
青島は長くなった灰に気付かないまま、床に灰を落とした。
―俺は?


「お、暇そうだな」
突然掛けられた声に、青島はハッとした。
入り口に一倉の姿を見つけて、慌てて煙草を消して立ち上がる。
「いらっしゃいませ」
「おう。今日は一人だぞ」
わざわざ断られて、青島は苦笑した。
今は一倉一人で良かったと思う。
室井には、今は会いたくなかった。
「コーヒーをくれ」
「かしこまりました」
コーヒーを落としながら、青島はちらりと一倉を見た。
「珍しいですね、夕方に来るなんて」
室井ほど頻繁に来るわけではないが、一倉が来るときも大抵遅い時間だった。
今は4時をいくらか回ったところだ。
「出先から会社に戻るとこなんだ。ちょっと休憩」
珍しいなぁとは思ったが、そんな日もあるだろうと納得した。
「心配しなくても、すぐ帰るさ」
青島はちょっと吹き出した。
「何言ってんですか。追い返したりしませんよ、お客様を」
室井じゃあるまいし、青島が一倉を邪険にする必要はない。
―室井さんは何故か嫌がってたなぁ。
仲が良いくせに、一緒にいるとお互いに罵り合っている。
室井は一倉がここに来ると、良く嫌な顔をしていた。
そういえば、最近は一緒に来ない。
一緒に、と言っても一倉が勝手についてくるのが殆どだったようだが、最近ではそれをしなくなったようだ。
青島は一倉の前にコーヒーを置いて、ちょっと小首を傾げた。
「一倉さん、室井さんとケンカでもしてるんですか?」
「何でだ?」
「いや、ほら、だって…最近一緒に来ないから」
一倉はコーヒーカップを持ち上げて、薄く笑った。
「何だ、やっぱり室井も連れてきて欲しかったのか?」
小さく跳ねた心臓に気付かないフリで、青島は笑みを浮かべる。
「お一人でも歓迎してますって。大体室井さんなら一昨日の晩にみえたばかりですよ」
「相変わらず小まめに通ってんだなぁ」
苦笑した一倉に、青島はニッコリと笑った。
「有り難い限りです」
一倉はじっと青島を見つめて、不意に呟いた。
「……来られなくなるかもしれないけどな」
「え?」
「見合い、上手くいったみたいだぞ」
ドクンと、今度は大きく心臓が跳ねた。
その衝撃に胸を押さえたくなったが、エプロンの裾を握って耐える。
「室井さん、お見合いしたんですか?」
声に出してみて驚いた。
微かに振動している。
気付いていないのか、一倉は何食わぬ顔で頷いた。
「ああ。あの後、室井も考え直したみたいでな、例の見合いを受けてみることにしたんだ」
そう言って、ちょっと笑った。
「お前の言う通りだったな」
「…え?」
「会ってみたら、好きになったみたいだ」
エプロンを握り締める青島の手が、白くなる。
一倉の目には届かなかったが、その手は確かに震えていた。
「そうですか…それはおめでたいですねっ」
青島は笑みを作った。
笑顔を作ることには、慣れている。
家族を失ったときに、自然と覚えた。
笑わないでいると周囲が心配したし、何故か自分自身辛かった。
笑えているうちは「まだ大丈夫」と、何故だか安心した。
「何か、お祝いしないとなぁ」
呟くと、一倉がまたじっと青島を見つめて、やがて小さく笑った。
「まあ、適当にしてやってくれ」
そろそろ行くと言って、一気にコーヒーを飲み干すと一倉は腰を上げた。
いつも大して長居はしないが、今日は特に早かった。
だけど青島にはそれを気にするだけの余裕がなかった。
「有難う御座いました」
頭を下げた青島に軽く手を挙げて、一倉は店を出て行った。
それをぼんやりと見送ると、青島はコーヒーカップを下げて洗い始める。
室井の結婚が決まった。
それはおめでたいことだ。
忙しい室井には、パートナーがいる方がきっといい。
今はその気になれないと言っていたが、お見合いしてみてその気になったということは、相手はきっと素晴らしい女性だ。
それなら、室井はきっと幸せになるだろう。
「お祝い、何にしようかなぁ…」
青島は呟いて、蛇口を捻り水を止めた。
それなのにどういうわけか、手元にポタポタと水が落ちてくる。
「あ……?」
青島は瞬きを繰り返す。
その度に雫が落ちてきて、それがなんだかようやく悟った。
「え?何で…」
ゴシゴシと乱暴に目元を擦るが、溢れてくる涙が止まらない。
―何で、泣く必要がある?
呆然とした頭の片隅で、青島は思う。


悲しむ必要なんか無い。
悲しいことなんか何もないじゃないか。
人の幸せを妬んでる?
そんなわけがない。
だって、室井さんが幸せになるんだよ?
あの人が、結婚して幸せに…。


青島は震える手で、口元を覆った。
悲しいのは、室井が結婚するから。
涙が出るのは、室井が誰かを愛したから。
それに漸く気が付いた。
気付いてしまえば、もう自分の気持ちは誤魔化せない。
「俺…室井さんのこと…」
震える声では、それ以上紡げなかった。
―好きだったんだ…。


気付くのが遅すぎた。
室井の結婚が決まってから、自分の気持ちに気が付いても、もう遅い。
笑えることに、室井に見合いを勧めたのは青島自身だ。
青島が室井を気遣ってそうしたと、室井は思っているらしい。
青島もそのつもりだった。
室井が幸せになれるのなら、きっとその方がいい。
そう思って、室井に見合いを勧めた。
それは嘘じゃない。
だけど青島が思ったことは、純粋にそれだけだったわけじゃない。
室井に見合いを勧めた時、心の底にあったのは、もっと暗い感情だった。


俺が室井さんを幸せにしてあげられるわけじゃない。
俺と一緒で、室井さんが幸せになるわけがない。
だったら、他の人と幸せになってくれれば、それで―。


自分の気持ちを認めてしまう前に諦めて放り出し、自虐的に室井の幸せを願ったのだ。
そのことに、青島は気付かないフリをした。
室井の幸せを願っているだけ。
ただそれだけと、自分に言い聞かせた。
―だって…考えるのが怖かったんだ…。
室井を好きだと気付くのが、怖かった。
好きだと認めてしまえば、取り返しが付かなくなる。
特別な人だと思ってしまえば、失うのが怖くなる。
もとより手に入れられるとは思っていない。
室井は青島の客に過ぎないのだ。
だけど、客である室井に対してすら、執着するわけにいかなかった。
今は気に入って通ってくれているが、いずれ来なくなる日が来るかもしれない。
そうなれば二度と会うことが無いのだ。
もっと言ってしまえば、突然室井が他界しないとも限らない。
そんな日が来たら、青島は耐えられる自信がなかった。
だから頑なに、自分の気持ちを拒んだ。
その結果がこれだ。
室井の結婚で、嫌というほど思い知らされた。
「何で…今更…っ」
伏せた瞼から溢れる涙が止まらない。
『自業自得』
青島が自分の気持ちから逃げたせいだと分かっていても、悔やまれる。
気が付かなければ、もっとずっと楽でいられたのに。
一度気が付いてしまえば、もう目は逸らせない。
青島は室井が好きなのだ。


震える手で、煙草を手にする。
一本引き抜いて、火をつけた。
深く吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
何度か繰り返しても、震える呼吸は中々収まらなかった。
「結婚しても…ここに会いに来てくれるかなぁ…」
青島は目を閉じて、ぽつりと呟いた。










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2005.10.14

あとがき


切ないというかなんというか、青島君が可哀想になってきた…(汗)
早く幸せにしてあげたいです(お前が言うな)

一倉さんが、本当に良い人風味(笑)
私の中で、一倉さんはせくはらエロオヤジと、室井さんの親友と
二つのポジションがあるようです。
まあ、ほとんどせくはらエロオヤジでしかないですが…。
本家の一倉さんがどうであれ、拙宅の一倉さんはそんなかんじです(^^;

室井さんの幸せを単純に願っているわけではなくて、
「俺にしてあげられないんだから仕方ないよね」的な投げやりチックにお見合いを勧めた青島君。
の、つもりです…。
あ、あまり上手く伝わってない気がします!
申し訳ありませんっ(><)



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