■ またここで(4)


青島はコーヒーカップを洗いながら、ちらりと時計を見た。
後30分もすればクローズである。
店内は青島以外に誰もいなかった。
「さすがに、今日はもう来ないかな…」
青島は呟いて、苦笑した。
最近二日に一度は顔を見せていた、眉間に良く皺を寄せている客の話だ。
昨日は来なかったから今日は来るかな?と思っていたのだが、どうやら今日は来られないらしい。
別に約束をしているわけじゃないのだが、何となく楽しみに待っている自分が可笑しかった。
―なんていうか、ちょっと変わった人だよなぁ。
本人に向かって「変わってるって言われません?」と聞いたら、「君こそ言われないか?」と聞き返されたから、お互いに思っているのかもしれない。
青島が「変わってる」と思ったのは、悪い意味ではなかった。
人より少し真面目で優しくて、大分不器用な人だ。
あれでは生き難いこともあるだろうと、余計なお世話にも思ったほど。
だけど室井に慣れてくると、それが当たり前に感じてくる。
室井はああでないと、室井じゃない気がしてくるのだ。
それはきっと、室井が無理をしているわけじゃないからなのだろうと、最近思うようになった。
無理をして真面目に生きているのならしんどいこともあるが、本人にとっては当たり前の範疇にすぎない。
きっと楽をして生きようとすれば、それこそ辛くなってしまうだろう。
青島は眉間に皺を寄せた室井の顔を思い出して、目元を和らげた。
その瞬間、ドアが開く音がする。
顔を上げると、室井がいた。
「間に合ったな…」
少し笑みを浮かべた室井に、青島も笑みを零す。
「いらっしゃいませ、室井さん」
さすがに遅くに来たからと言って、青島に謝ることはしなくなった。
最初の頃は良く謝っては青島を困らせてくれた。
客の室井に謝られては、青島の方が困る。
それを汲み取ってくれたのか、単に青島に慣れてくれたのか、室井は営業時間内は遠慮せずに訪れてくれるようになった。
だけど、絶対にクローズの時間には腰を上げる。
この律儀さが、青島には何となく嬉しかった。
「今日も遅かったですね」
「さすがに間に合わないかと思った…ちょっとトラブルがあったんだ」
カウンターに腰を下ろした室井の前に、水のグラスを置く。
「大丈夫ですか?」
本当に忙しかったようで、少し顔色が悪く見える。
心配そうに眉を寄せた青島に、室井は苦笑した。
「ああ、何とか片付いた」
室井の返事に、今度は青島が苦笑する。
「仕事じゃなくて」
「え?」
「室井さんが、大丈夫って」
訂正したら、室井は少し目を丸くした。
そして、照れ臭そうに目を伏せる。
「あ、ああ、大丈夫だ、ありがとう」
初めは意外だったが、室井は結構照れ屋だ。
こういうところは、ちょっと可愛く見える。
そう思って、青島は思わず表情を強張らせた。
―歳上の男に、可愛いって。
青島は自分で自分の思考に突っ込みを入れた。
「青島?」
怪訝そうに首を傾げた室井に声を掛けられて、青島は慌てて笑みを浮かべる。
「今日はカフェオレにしません?」
思い立って聞いてみると、室井はきょとんとした。
「たまには違うものもいいでしょ?」
室井はいつも同じコーヒーを飲む。
気に入ってくれているのか、コーヒーにこだわりがないからなのか。
青島には良く分からなかったが、好きじゃないコーヒーを毎回飲むはずも無いから、嫌いではないのだろう。
だから青島もあえて他の飲み物を勧めたことはない。
だけど今日は、カフェオレの方が良い気がした。
コーヒーより胃に優しいし、これは青島が感じるだけのことかもしれないが、何故かミルクは飲むと落ち着くような気がするのだ。
疲れている室井を見て、何となくカフェオレがいい気がして、そう聞いてみた。
少し考えてから、室井は頷いた。
「頼む」
「かしこまりました」
青島は丁寧に応じて、作業にとりかかる。
コーヒーを落としながら、小さな片手鍋でミルクを温め始めた。
「昨日、一倉が来たって?」
室井に声を掛けられて、青島は室井を見た。
「ええ、いらっしゃいましたよ〜」
「迷惑を掛けなかっただろうか」
眉間に皺を寄せた室井に、青島は笑みを零した。
余程のことが無い限り、店に来てくれるお客さんが迷惑ということはありえなかった。
どうも一倉のことになると、室井の反応が過剰で可笑しい。
「全然。20分くらいでしたけど、コーヒー飲んで帰って行かれましたよ〜」
「困ったことはなかっただろうか」
今度は思わず吹き出してしまう。
「ないですってば」
「…なら、いいんだが」
そう言いながら渋い顔を崩さない室井に、青島は苦笑した。
「室井さんのお友達でしょ?全然心配いりませんよ〜」
実際一倉のことは碌に知らないが、青島はすっかり知人になった気でいた。
室井の友人だからだろうと思う。
が、その室井との付き合いだって、それほど長くは無い。
室井に好意を持っていたので、一倉のことも簡単に受け入れてしまっただけのことだ。
室井は変な顔で青島を見ていたが、やがて少しだけ微笑んだ。
「ありがとう」
柔らかい笑みに、何故か青島の方が照れ臭くなる。
「やだな〜。礼なんて…」
青島は笑って誤魔化しながら、鍋に視線を戻した。


「ご馳走様」
空になったカップを差し出しながら、室井が言う。
「カフェオレも、美味しいものだな」
あまり飲む機会も無かったのか、そう言ってくれる。
「なら良かったです」
「また頼もう」
青島は自然と笑みを零した。
「有難う御座います」
「いや……そろそろ失礼する」
室井が腰を上げると、財布から千円取り出して、差し出してくる。
時計を見ると、もう24時になるところだ。
「あ、もう、こんな時間ですか」
「遅くまですまない」
青島が思わず呟くと、何を勘違いしたのか、室井がまた謝ってくる。
青島は慌てて首を振った。
「いや、そういう意味じゃなくて!あっという間だったなぁと思っただけです」
「そ、そうか」
いくらか硬い表情で、室井は生真面目そうに頷いた。
青島は苦笑すると、目を輝かせた。
「そうだ」
「え?」
「室井さん…」
―またうちで飲んで行きません?
言いかけて、青島は口を閉じる。
思わず誘おうとしたが、よく考えれば不自然だ。
あの時は、状況が状況だったから軽く誘えたが、今改めて部屋で酒を飲もうと誘うのは、どう考えたって不自然だった。
室井は単なる客で、青島の友人ではないのだ。
関係でいえば顔見知り以上の間柄ではない。
そんな自分が、室井を自宅に誘うのはおかしな話だった。
―いきなり友達面されても、迷惑だよな。
「青島?」
突然黙り込んでしまった青島に、室井が首を傾げた。
青島は笑みを浮かべると首を振った。
「ごめんなさい、何でもないです」
お金を受け取ると、精算してお釣りを渡す。
「有難う御座いました」
「あ、ああ…」
少し面食らったようにお釣りを受け取った室井だが、財布にしまうと鞄を手にドアに向かう。
青島もカウンターから出ると、室井を見送りに出た。
「気をつけて、帰ってくださいね」
声を掛けると、室井は振り返った。
「ご馳走様…また来る」
いつも帰る時は、そう言ってくれる。
そして本当に、またきてくれるのだ。
青島は微笑みながら頷いた。
「お待ちしております。有難う御座いました」
室井も少しだけ微笑むと、ドアを開けて出て行った。
そのやけに真っ直ぐな後姿を見送る。
見えなくなると、ドアを閉めてそのドアに寄り掛かった。
「…はぁ」
青島は深い溜息を吐いた。
「俺…もしかして、本当に寂しいのかも…」
友達でも何でもない室井を部屋に誘って酒を飲みたくなるくらい寂しいのだとしたら、それは結構なことであった。
一人でいることには慣れている。
青島にだって友人くらいいるしここにも遊びに来てくれるが、喫茶店を離れると一人でいる時間が長かった。
もう10年近くそういう生活をしているから、寂しいのなんて今更のはずだった。
それでも、青島は無意識に思ったのだ。
室井を帰したくない。
もう少し一緒にいたい。
そう思ったから、思わず引きとめようとした。
「あの人といると、何か落ち着くんだよなぁ」
眉間に皺を寄せた室井を思い浮かべ、青島は笑みを零した。
室井が穏やかだからか、優しいからか、年上だからか。
それとも成り行きから家族の話まで打ち明けてしまったせいか。
青島の中で室井に対する壁が異常に薄くなっていて、それはもう客に対する感情とは違っていた。
「…まずい、よなぁ」
折角室井がこの喫茶店を気に入って足を運んでくれるのだ。
それを有り難く受け止めておかなければならない。
青島は自分の頬を両手で軽く叩いた。
「んっ、しっかりしろ、自分」
室井は客で、青島はマスターだ。
―それを、忘れるな。
青島は気分を変えると、後片付けをするために、カウンターに戻っていった。


自分に言い聞かせなければならないほど、室井に執着している。
その事実に、青島はまだ気が付いていなかった。










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2005.10.6

あとがき


自宅に誘ってやんなよ、青島君!
室井さん、泣いて喜ぶから!(笑)

室井さんを意識している青島君。
ぽい感じです。

でも、やっぱり、あんまり、進んでないし;
次も青島君サイドのお話で、友情出演すみれさんです(笑)

亀の歩みですが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです〜。



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