■ またここで(3)


断じて、わざとじゃない。
わざとじゃないが、後ろめたく感じるのは、室井が青島を好きだからか。
「散らかってますけど〜」
そう言って通されたリビングは雑然とはしていたが、それほど散らかってはいなかった。
「えーと…ちょっと待っててくださいね」
そう言うと青島はまた廊下に出て行った。
店から入るとすぐに廊下で、正面が自宅の玄関だったようだ。
リビングのドアの脇に階段があった。
足音から察するに青島は二階に上がって行ったらしい。
リビングに取り残された室井は、落ち着かずに視線をさ迷わせていた。
リビングから繋がっている台所以外に、ドアがもう一つある。
外観から言っても、少なくても2LDKはありそうだった。
家族構成など聞いたことは無かったが、恐らく青島はここに一人で暮らしているのだろう。
家の中に青島以外の人の気配は全く無かった。
テーブルの上には吸いかけのアメスピと灰皿、飲みかけのマグカップが置いてある。
朝飲んでそのまま、という雰囲気があった。
青島がここで生活しているのだと思うと、少しだけ不思議に感じた。
「お待たせしました〜」
青島はジーンズを持って戻ってきた。
「スーツ脱いで、これ履いててください」
「……すまない」
今更遠慮しても仕方が無いので、素直に受け取る。
スーツを脱ごうとして、思わず手を止めた。
青島の前でズボンを脱ぐ。
微妙に照れ臭い。
だけどそれを口にすれば、いい歳をして何を言っているのだと思われるだろう。
それどころか、薄気味悪いかもしれない。
男同士なのだ。
男同士で恥じらわれても、青島も困るだろう。
―気にせず脱げばいいんだ。
室井の心中をよんだわけではないのだろうが、
「洗剤取ってきます」
と言って、青島が席を外してくれる。
青島も気まずかったのかもしれないと思いながら、室井は着替え始めた。
客の着替えなど、黙って見ているものでもないだろう。
室井はズボンを脱ぐと、青島のジーンズを履いた。
ウエストは少し緩かったが、丈は少し長かった。
折るのもなんだから、そのままにしておくことにした。
「ぶはっ」
戻ってきた青島が、室井を見て吹き出す。
「背広も脱いだらどうです?なんか凄い格好ですよ〜」
言われて自分の姿を見下ろすと、確かに妙な格好だった。
室井は気まずさに少し眉を寄せ、ネクタイを外して鞄にしまうと、背広も脱いだ。
「上着は大丈夫でした?」
「ああ…」
「なら、良かった」
青島は軽くズボンを叩くようにしながら、染み抜きを始めた。
「すまない」
謝ると、室井を見て微笑んだ。
「気にしないで。あ、すいません。ソファーにでも適当にかけててください」
「ありがとう」
ぼうっと突っ立っていては青島も気になるだろうから、室井は素直に腰を下ろした。
「あ…良かった、キレイに取れそうっすよ〜」
手を動かしながら、青島は嬉しそうに笑った。
室井は目を細める。
彼はいつも笑顔だ。
今みたいに、室井が迷惑をかけている時ですらだ。
接客業の愛想の良さではなく、極自然な笑顔。
室井が青島を好きだと思うのも、この喫茶店を好むのも、この笑顔が大きい気がした。
何となくじっと見つめていると、室井の視線に気が付いたのか、青島が室井を見た。
ドキッとした室井に向かって、小首を傾げてみせる。
目でどうかしたのかと尋ねられて、室井は慌てて口を開いた。
「ここで一人で暮らしているのか?」
先ほど感じた疑問を口にしてみる。
青島はあっさりと頷いた。
「ええ、一人暮らしです。3LDKに一人、贅沢でしょ?」
そう言って笑ってみせる。
「いや…」
「家族四人でね、昔は住んでたんですけど」
青島はズボンの染みを確かめながら、また手を動かす。
「親父と母さんと、姉貴と…」
「皆さん、引っ越されたのか?」
「いや、三人とも交通事故で」
室井は硬直した。
交通事故でどうなったとは言わなかったが、言わないということはそういう意味だろう。
家族三人を交通事故で亡くしているのだ。
思わず返す言葉を無くしてしまった室井に、青島は勝手に話し出す。
「俺が二十歳の頃です。三人で車で出掛けて…一遍に。それからはここでずっと一人暮らしです」
気楽なもんですと言う青島に、室井はやはり何と言ったら良いのか、分からなかった。
「あの頃大学生だったんですけどね、すぐ学校を辞めて、親父の後継いだんです……これも一応形見ですから」
青島はどこか照れ臭そうに言葉にした。
やんわりとした微笑は決して悲しそうではなくて、室井の方が切なくなる。
深く考えもせずに、軽はずみに言葉にしたことを後悔した。
「すまない、余計なことを聞いた」
「やだな、気にしないでくださいよ。10年も前のことだもん」
室井は思わず場違いな方向に驚く。
「君は30なのか?」
ぎょっとしている室井に、青島も少し面食らっていた。
「え?ええ…正確には29ですけど」
見えない。
もうすぐ三十路だなんて、到底思えなかった。
「あ、童顔だと思ってるでしょ」
青島は唇を尖らせた。
もしかしたら、本人も気にしているのかもしれない。
「……少しだけ」
本当は22、3と思っていたことは、秘密である。
青島は苦笑すると肩を竦めた。
「まぁ、いいですけどね。良く言われますし……よし、キレイになったっ」
コーヒーの染みがキレイに取れたズボンを眺めて、見落とした染みが無いかも、チェックしてくれているようだった。
その横顔を見ながら、室井は思った。
二十歳そこそこで家族を皆失うのは、どんな思いだったのか。
家族の存在感の残るこの家で、一人で暮らし続けることは。
父親の遺した喫茶店を、一人で守り続けることは。
青島にとってどんなに大変なことだったのか。
故郷に元気な家族がいる室井には分からなかった。
室井はふと、先ほどの一倉との会話を思い出した。
室井の一人暮らしと、青島の一人暮らしは、意味合いがかなり違う。
余計なことと知りつつ、思わず呟いた。
「寂しくないか?」
青島はズボンから室井に視線を向けると、苦笑する。
「俺、もう、30ですよ?」
二十歳の頃ならいざ知らず〜と笑ってみせたが、室井は笑わなかった。
「そういうことに年齢は関係ないと思うが」
いくつになったって、誰かを失うのは悲しい。
時間が経ったって、新鮮な痛みを感じなくなるだけで、悲しい気持ちが無くなるわけではない。
室井はそう思った。
青島は笑みを引っ込めると、室井を見てちょっと眉を寄せた。
余計なことを言って怒らせただろうかと不安になったがそうではなかったらしく、青島の口から苦言は出てこない。
何か言おうと口を開きかけては閉じる。
それを繰り返していた。
何と答えようか悩んでいるように見えたから、室井はじっと返事を待った。
何も言わずに見つめていると、やがて青島は小さく笑みを零した。
「そう言ってもらえると、助かるかな」
つまり、寂しいということだ。
四人で暮らした家に一人で暮らし、父親が経営していた喫茶店を一人で経営しているのだ。
寂しくないわけが無い。
「…俺も、寂しい」
「え?」
室井が唐突に言った言葉を、青島は聞き返してくる。
「この歳で独身なんだ。一人暮らしをしてる。残業が終わって、真っ暗な家に帰るとき、酷く寂しく感じる」
間違えても一倉には言えない台詞だった。
きょとんとしている青島に、少し微笑んでみせた。
「お互い、寂しいな」
本当はお互いの「寂しい」の意味合いは全然違うはずで、それは室井もちゃんと分かっていた。
だけど、青島に寂しいと吐露させておいて、可哀想だと同情するだけしかできないのは、イヤだった。
ほんの少しでも、共感しあいたい。
青島にしてみれば余計なお世話だろうけど、そう思ったのだ。
しばらくの間、青島は室井を黙って見つめていたが、一度目を伏せた。
もう一度視線を持ち上げると、大きく笑った。
「本当、俺ら、寂しいですねっ」
言葉とは裏腹に、幸せそうな笑顔。
室井も目元を和らげた。
ずっと笑っていて欲しい。
誰かを見て、そんなふうに思ったことは初めてだった。


「ビール、飲んで行きません?」
染み抜きの済んだズボンをハンガーにかけて、扇風機で乾かすという荒業を披露しながら、青島が言った。
さすがに室井は驚く。
「い、いや…」
「あ、酒嫌いですか?」
「いや、大好きだが」
うっかり正直に答えたら、青島は吹き出した。
「うん、室井さん、酒強そうだもん」
笑いながら台所に消える青島に、室井はちょっと動揺する。
酒までご馳走になっていいのだろうかと、思わず悩んでしまう。
「店には酒類一切置いてないんですけどね〜」
うちにはいつでもあります、と笑いながらビールを持ってきてくれた。
そういえば、青島の喫茶店ではビールすら置いていない。
夜遅くまで開けているのだから需要はありそうだったが、何かこだわりでもあるのかも知れない。
「どうぞ」
缶ごと差し出されて、室井は躊躇いながらも受け取った。
「いいのか?世話を掛けた揚句に…」
申し訳ない気がして思わず眉を寄せる。
「あ、じゃあ、これも精算しますから」
青島の提案にそれならいいかと思い、「宜しく頼む」と応じたら、青島が声を立てて笑った。
「じょーだんですよ、冗談。面白いなぁ〜室井さん…」
けらけらと笑う青島に、室井はまた眉を寄せた。
面白いと言われた経験はあまり無い。
不愉快ではなかったが、笑われているのか笑わせているのか、いまいち分からなかった。
「なら、ご馳走になる」
開き直って言ったら、青島はニコッと笑った。
「そうしてください」
やっぱり29歳には見えない男の笑顔にドギマギしながら、室井は缶を開けた。
「そういえば…」
「はい?」
「店は大丈夫なのか?」
ふと思い出したが、青島の友人らしいカップルに任せっきりである。
遅い時間とは言え、いいんだろうか。
「ああ、大丈夫ですよ。あいつらは勝手にして勝手に帰ってくれますから」
「だ、大丈夫なのか?」
「大学時代からの友人なんですけど、あいつらもうちの常連なんです」
勝手知ったる、といった間柄なようだ。
「そうか…」
「可笑しいでしょ?あの二人」
思い出したように、青島は笑みを零した。
「あれで、付き合っては無いんですよ」
それは確かに少し意外だ。
「仲は良さそうだったが」
「実際、いいですよ。二人で良く出掛けてるみたいだし」
青島は床に腰を下ろしてビールを一口飲むと、胸ポケットから煙草を取り出す。
店でも吸っていたから、持ち歩いていたのだろう。
テーブルから灰皿を取って手渡してやると、軽く頭を下げて礼を寄越した。
「真下の片思いなんですけどね、まぁ、あれは雪乃さんも好きなんだろうなぁ」
煙りを美味そうに吸い込みながら、青島がしみじみと言う。
室井は首を傾げた。
「蛇の生殺しみたいな真似をする女性には見えなかったが」
青島は吹き出すと、首を振った。
「さっぱりした女性だからそんなんじゃなくて。あれは何と言うか……多分真下が頼り無いんでしょうね」
何かきっかけがあればすぐにでも結婚しますよ〜と、青島は笑った。
言いたいことは何となく分かった気がする。
「密かに楽しみにしてんですけどね。いつになることやら」
話す口調で、青島が彼らを好きなことが良く分かった。
当たり前だが、室井の知らない青島の世界だ。
それが悔しいなんて、図々しいことを思っているわけではない。
ただ少しだけ、青島にこうやって語らせる彼らが、羨ましかった。
「まあ、あいつらに言わせたら、俺こそさっさと結婚しろって感じでしょうけどね」
苦笑した青島に、室井はドキリとした。
―そういう相手がいるのだろうか。
聞きたいけど、聞きたくない気もする。
もし青島に愛している人がいると知ってしまったら、今までのように会いに来れなくなるような気がするのだ。
青島に気持ちを伝える気はないし、関係を変えたいわけではない。
ずっとそう思っていたけど、それはつまり悪い方にも変えたくないということだ。
室井が望んだ「今の関係」でいるには、青島も今のままでいてくれないと困るのだ。
―勝手な望みだな。
多くを望んでいない気がしていたが、考えてみれば随分勝手である。
室井には、青島に何を強制する権利もないのだ。
一人ひっそりと沈みかけた室井に、青島は苦く笑う。
「相手もいないのに、どうやってしろって言うんですかねぇ?」
「……そうだな」
酷くあっさりと答えを出されて、室井は力が抜けた。
ホッとするやら、拍子抜けするやら。
そして、喜ばしいやら。
浮き沈みの激しい自分の思考回路に、室井は苦笑した。
「俺も、一倉に同じことを言われてる」
「あ、マジですか?余計なお世話っすよねぇ〜?」
軽口を叩く姿を見る限り、本気で不快に思っているわけでは無さそうだった。
あまり気にしていないのかもしれない。
自分が独身であることも、周囲がうるさく言うことも。
「でも、室井さん」
「ん?」
「もてそう、ですけどね」
思わぬ一言に、室井は不覚にも赤面した。
いい年をしてみっともないが、惚れた相手に言われれば照れ臭くもなる。
軽く赤面している室井を見て目を見張っていたが、青島はやがて声を漏らして笑い出した。
「んなに、照れないでくださいよ〜」
「……別に」
「怖い、顔怖いですってっ」
強張った室井の表情に、青島は笑いが止まらない。
怖い怖いといいながら爆笑されては堪らないのだが、やっぱり不愉快ではない。
思えば、室井といてこんなに笑う人は初めてだ。
自分が面白みにかけることは自覚している。
人とも単調な付き合いしかできない。
それなのに、青島はいつだって楽しそうに笑ってくれる。
―それすら嬉しいなんて……俺も本当に寂しい男だな。
室井は仏頂面で溜息を吐いた。
「あ…ごめんなさい。怒らせちゃいました?」
青島が慌てて煙草を消して、室井の顔色を窺ってくる。
「別にバカにしたわけじゃなくって、ええと、その」
必死に弁解しようとする青島に、室井はつい苦笑を漏らした。
「いい。気にしてない」
「あの、本当に、バカにしたんじゃないですから」
「怒って無いから、心配しないでくれ」
急に子供のように反省してしまった青島が、何だか可愛く見えた。
「俺は今の生活が気に入っているんだ」
仕事は忙しいがやり甲斐がある。
誰もいない家に帰るのは寂しいが、最近は小さな安らぎも見つけた。
いつまで続くかは分からない。
室井が青島を忘れたら。
青島が結婚をしたら。
その時は、
―元に戻るだけ。青島に出会う前に、戻るだけ。
そう思って、室井は少し寂しく笑った。
「俺も、気に入ってます。毎日楽しいです」
青島はそう言うと、プルトップに指をかけてカチカチと鳴らした。
「今のままで…ずっといたい」
思わぬ静かな声。
どういう意味だったのかはつかめなかったが、室井はその言葉に少しだけ安心した。
計らずとも、青島の望みは室井の望みと一緒だったから。


今が幸せだから、ずっと今のままでいたい。
今以上も望まない代わりに、今以下にもなりたくない。
そういう意味では、二人の願いは全く一緒だった。










NEXT

2005.10.2

あとがき


青島君が不幸風味…。
パラレルだと不幸にしたくなるんでしょうかねぇ(^^;

ちょっと仲良くなる二人でした。

本当にこのペースで行くと、いつ終わるんだろう(汗)
次は青島君サイドのお話をちょこっと。
次か次で、すみれさんも出す予定です。
珍しく登場人物が多い…。
あ、でも、多分真下君と雪乃さんはもう出て来ませんが(笑)



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