■ またここで(2)


「最近付き合い悪くねぇか?」
いつものように定時を大分過ぎてから仕事が終わり、帰る支度をしている時だった。
同僚の一倉の言葉に、室井は何とか無表情を貫いた。
「そんなことはない」
「あるだろ。飲みに行こうって誘ったって、さっさと帰っちまうし」
「…お前こそ、夫人を放っておいていいいのか」
大学時代からの腐れ縁で同期だが、一倉は既婚者だった。
それをいえば、室井の同期は半分以上が既に結婚している。
室井が遅いということなのだろうが、相変わらず結婚するつもりはなかった。
青島に惚れていて、結婚などできるわけもない。
一倉が何かを答える前に、室井は勝手に続けた。
「夫人はともかく、子供は待っているんじゃないのか」
子供が生まれると大抵の男は親ばかになると言うが、この傍若無人で厚顔不遜な友人も例に漏れなかった。
それどころか、室井がひくくらいの子煩悩振りを発揮している。
一倉はわざとらしく眉を吊り上げてみせた。
「あいつはともかくとは、どういう意味だ」
「よく出来た人だ。お前には勿体無い」
しみじみというと、一倉は眉を顰める。
室井はそれ以上構わずに支度を整えると、鞄を手に「お先に」と挨拶をした。
「待てよ、一緒に帰ろうぜ」
「気持ちの悪い誘い方をするな」
小学生かお前は、と渋面になりながら心の中で突っ込んだ。
「まあまあ」
一倉も鞄を持って、室井と並ぶ。
室井は眉を寄せつつ、内心焦った。
青島のところに行く予定だったからだ。
あの喫茶店に一倉を連れて行くつもりはない。
一倉だからダメなのではなく、あそこには一人で行きたったからだ。
「一緒に帰るも何も、方向が違うだろう」
「まあまあ」
そう言いながら、一倉は室井と並んで一緒に歩く。
どうやらついてくるつもりらしかった。
室井は逡巡する。
この男を連れて行く気はない。
ないが、このままだと間違いなく付いてくるだろう。
かといって、一倉を撒いたり誤魔化したりできる自信も無い。
今日は諦めるべきだろうか。
ただ、それで一倉が諦めてくれるとも思えない。
ヘタをすれば室井の付き合いが悪くなった原因を突き止めるまで、毎日ついてきかねない。
それならば、今日連れて行ってしまったほうが良いかもしれない。
行き先がただの喫茶店と知れれば、一倉の興味も失せるだろう。
室井が青島に惚れていることは、さすがに気付かれないはずだ。
一倉とは長い付き合いで、大学以降の互いの交際相手のことは少なからず知っている。
室井が男に惚れるなど、夢にも思っていないはずだ。
室井自身思ってもいなかったが―。
「どうかしたか?」
色々と考えを巡らせていた室井に、一倉は首を傾げた。
少しだけ一倉を眺めて、室井は首を振った。
「いや、なんでもない」
室井は、結局一倉を連れて、会社を後にした。


***


ドアを開けたら、青島が驚いた顔をした。
「いらっしゃいませ……こんばんは、室井さん」
きっちり挨拶を寄こしてから、室井と一倉を見比べる。
「珍しいですね、お友達ですか?」
「ああ、不本意ながら、室井のお友達なんだ」
一倉が飄々と言ってのける。
室井は思わず一倉を睨んだ。
「それは俺の台詞だ」
「悪いな、早い者勝ちなんだ」
「おいっ」
愚にも付かない会話をしていると、弾かれたように青島は笑った。
「あは…っ、仲、いいんですね〜」
楽しそうに笑う青島に、二人とも思わず口を噤む。
仲良し扱いは、さすがに一倉も不本意だったらしい。
あからさまに憮然とする二人に、青島も笑みを噛殺す。
「…じゃあ、今日はテーブル席にします?」
青島はいつものようにカウンターに誘うことはせず、メニューを手にカウンターから出てこようとした。
「いや、カウンターでいい」
そういうと、室井はさっさとカウンターに腰を下ろす。
一倉もその後を付いてくると、一つ席を空けて、室井の隣に腰を下ろした。
そして余計なことを言う。
「室井と二人で向かい合ってコーヒー飲んでも美味しくないんでね」
今度は取り合わずに、室井はシカトした。
また仲良し扱いされてはかなわない。
青島は二人を交互に見比べて、微妙な関係の二人に目を白黒させていた。
一つ咳払いをして、室井は注文する。
「いつもの、くれるか」
「あ、はい。ええと…」
青島は室井から一倉に視線を移した。
「お客様は、どうしますか?」
「一倉だ」
「…一倉さん、どうします?」
「室井と同じのを頼む」
かしこまりましたと応じると、青島は二人に背を向けて、コーヒーを落とし始める。
室井は一倉を横目で見た。
「何だよ、同じコーヒー頼んだくらいで、睨むなよ」
「別に睨んでない」
「なら、お前目つき悪すぎるぞ」
「お前は人相が悪すぎるな」
二人が懲りずに愚にも付かない会話を始めると、青島が肩越しに振り返って、また笑みを零した。


「へぇ〜、大学時代からのお知り合いなんですか」
一倉がベラベラと喋る話を、青島は可笑しそうに聞いている。
「こいつ、毎晩来てるのか?」
一倉が室井を指差して尋ねると、青島は一倉から室井に視線をうつす。
「や、毎日じゃないっすよねぇ?」
「ああ…」
「週に何度かいらしてくれますけど」
「この暇人め」
一倉になじられて、室井は眉を寄せた。
同じ職場にいれば室井が暇じゃないことくらいは、一倉も分かっているはずである。
つまりからかわれているだけだ。
室井は眉を寄せながらも聞き流したが、青島が首を振った。
「いっつも忙しそうですよ〜。時間見つけては、休憩に来てくれてるんですよね?」
ニコリと微笑まれて、室井は返事に詰まる。
結局、黙って頷いた。
「貴重な時間をうちで過ごしてくれるんです。嬉しいですよ」
どちらにともなく微笑んだ青島に、一倉は声を立てて笑った。
「商売上手だな」
「一倉」
一倉らしい口の悪さだが、青島が不快に思うのではないかと思い、慌てて咎める。
が、青島はカラカラと笑った。
「商売上手だなんて、初めて言われたなぁ」
全く気にしてないらしい。
その青島の反応が気に入ったのか、一倉はニヤリと笑った。
「水商売でも上手くいきそうだぞ」
室井は思わず一倉を睨む。
「一倉っ」
「あ、ホストクラブとかですか?」
動揺する室井を他所に青島が応じるから、今度は青島を見て目を剥いた。
「そうそう。そういうのだよ」
「いや〜自分でも向いてんじゃないかとは思うんですけどね〜」
軽く言ってのける青島に、室井は思わず叫ぶ。
「君ものるなっ」
きょとんとした青島に、苦笑する一倉。
そして渋面の室井。
「悪いな、こいつ冗談が通じないんだ」
何故か一倉に謝られて、ますます室井の表情が曇る。
―悪かったな。通じなくて。
確かに自分が面白みのない性格なのは自覚しているが、今の会話は聞き流せなかった。
青島がホストだなんて、冗談でも止めて欲しい。
そう考えて、そんなことを思う権利が自分には全くないことに気付く。
何だか腹を立てているのも虚しくなって、ひっそりと溜息を吐いた。
「冗談、すよ?」
室井の表情を窺うように、青島は小首を傾げた。
「水商売には興味無いし…それに」
ちょっとだけ、はにかむように笑った。
「この店好きだし」
室井はホッとするのと同時に、青島に見惚れてしまいそうになった。
丁度良くドアの開く音がして、全員の意識がそちらに向かう。
室井は何食わぬ顔で、コーヒーカップに手を伸ばした。
「いらっしゃいませ」
青島は室井と一倉に頭を下げて、水の入ったグラスを手にカウンターを出ていった。
ちらりと盗み見ると、カップルらしい男女の接客にあたっている。
青島は男の方に何か言うと、笑いながらその男の頭を小突いた。
そして彼女の方に優しく笑いかける。
知人なのか常連なのか。
室井は初めて見る二人だったが、青島のくだけた様子を見る限り、とにかく親しいようだった。
視線を外すと、室井はまたコーヒーに口をつける。
「てっきり女の所に通ってんのかと思ったんだけどな」
一倉が不意に言った。
「どこぞの水商売のおねぇちゃんにはまったのかと心配してたんだぜ」
室井は渋面になる。
心配じゃなくて面白がっているだけじゃないのかと思ったが、口には出さなかった。
大体室井が好むのは、女の子のいる高級な店よりも、酒と肴が美味い居酒屋である。
「余計なお世話だ」
「まさか男にはまってるとは、意外だったけどな」
室井は目を剥いて一倉を見た。
勘が鋭いだけにバレたのかと思ったのだが、一倉は軽く吹き出した。
「じょーだんだよ。まぁ、確かに居心地はいいしな、お前が通うのも分からなくもないさ」
どうやらまたからかわれただけらしい。
室井は安堵を顔に出さないようにしながら、溜息をついた。
「お前一人暮らしだしな、気持ちは分かるが」
少し声のトーンが真剣身を帯びる。
「さっさと彼女見つけて、結婚しろ」
今度はどうやらからかっているわけでは無さそうだった。
多分室井が寂しいからここに通っているのだと思ったのだろう。
室井は真顔で一倉を見た。
「今の所、そのつもりはない」
「俺達、もう33だぞ。そろそろ考えるべきだろ」
「……そのうちでいい」
「お前だってモテないわけじゃねぇだろ。ちょっと融通利かないのが難点だが」
「うるさい」
一倉は苦笑した。
「無理にするもんでもないが、いいもんだぜ」
そういって、胸ポケットから震えている携帯を取り出した。
「子供から、早く帰れコールがきたりな」
どうやら娘からのラブコールらしく、一倉の顔がだらし無く歪んだ。
幾度となくそんな顔を見たが、見るたびに「この男も人間だったんだな」と真剣に思う。
ぼんやりと一倉を眺めていると、一倉は席を立った。
「娘が呼んでるから帰るわ」
室井は苦笑すると頷いた。
財布を出そうとする一倉に、緩く首を振る。
「構わないから、さっさと帰ってやれ」
一倉は口角を上げると、「サンキュー」と呟いた。
ドアを開けた一倉に気付いて、青島が頭を下げた。
「ありがとうございました」
本気か嘘か、「また来る」と言って一倉は出て行った。
室井がひっそりと溜息を付いていると、青島がカウンターに戻ってきた。
新しくコーヒーを落としながら、話し掛けてくれる。
「面白い方でしたね」
「…あれは、変わり者と言う気がするが」
言ったら青島は声を立てて笑った。
「確かに…でも意外でした」
「うん?」
「室井さんも声荒げたりするんだなぁって」
室井は気まずさに、思わず顔面に力が入る。
そうすると当然、眉間に皺がよる。
「あ、すみません。別に悪いって言ってるわけじゃ…」
慌てて訂正する青島に、室井は緩く首を振った。
誤解させるのは慣れている。
「すまない。気にしないでくれ。ただの癖なんだ」
「え?」
「眉間の皺。力を入れると、どうしても入るんだ」
自分の眉間に触れならが言うと、青島は少しきょとんとしてから、笑みを零した。
「あーそっすか」
ホッとしたような力の抜けた笑みに、室井の力も何となく抜ける。
抜け過ぎたのか、青島に意識が集中し過ぎたのか。
コーヒーカップに伸ばした手を滑らせてしまう。
「あ…」
「あっ」
ひっくり返ったカップから零れたコーヒーが、テーブルを伝って室井の足に滴る。
「わっ、あっ、大丈夫ですか?」
慌てて青島が室井の前に布巾を置き、自身も布巾を手にカウンターから出てくる。
「す、すまない」
室井は気恥ずかしさに、頬が熱くなる。
「いえいえ、俺はいいんすけど……ああ、染みになっちゃうな……」
それこそ室井はどうでも良かった。
そんなことより、青島の手が室井の膝に触れていることの方が大問題である。
染みを広げないように、布巾で叩いてくれているのだ。
恥ずかしいやら照れ臭いやら申し訳ないやらで、室井は赤面した。
「大丈夫だから…」
「染み抜きしましょう」
青島の提案に室井は目が点になる。
「は…?」
「俺んちに、あ、ここ自宅と繋がってるんですけど、そっちに行けば、洗剤あるんで」
行きましょうと腕をひかれて、室井は呆然と立ち上がる。
そして、慌てて首を振った。
「い、いや、いい、大丈夫だから」
「ダメですって、いいスーツでしょ?ダメにしちゃったら勿体無いですよ」
そう言って、青島は室井の腕を引いて歩き出す。
「あ、真下。悪いけど、コーヒー落ちてるから適当に飲んでって」
ぎょっとしている室井をよそに、真下と呼ばれた青年は苦笑しながら頷いた。
「分かりましたよ〜」
「大丈夫ですか?手伝いますよ?」
彼女の方が申し出てくれるが、真下が慌てて訴える。
「い、いや、先輩はプロですから一人で大丈夫ですよ」
「青島さんはコーヒーのプロですよ」
「コーヒーのプロなら、染み抜きくらい簡単です」
「関係ないと思いますけど…」
口論と言うには呑気な口調でやり取りする二人に、青島は苦笑した。
「雪乃さんありがとう、大丈夫だよ。真下、適当にして帰って」
二人の客、おそらく友人に向かって言うと、青島はまた室井の手を引いた。
「さ、どうぞ」
青島の部屋に入る。
突然のことに室井の思考回路はほとんどまともに働かず、それが幸運なことと気付かないまま、青島の後を付いて行った。










NEXT

2005.9.30

あとがき


一倉さんがわりと普通の人でごめんなさい(何の謝罪だ。笑。)
いつものテンションでいかれると一倉さんだけ浮いちゃうかなぁと思いまして…。
まあ、いつも浮いてるっちゃあ、浮いてるんですけど(笑)
ついでに真下君と雪乃さんも登場。
そのうちすみれさんも出す予定です。

コーヒーの染みって、クリーニング出せば取れそうな気がしますが…
どうでしたっけね(^^;
まあ、折角の青島君の厚意だもの。
室井さんは、甘えておけばいいさ!(おい)


この調子で書いていくと、一体どのくらいの長さになるんだろうか(滝汗)



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