■ ここから2 (1)


仕事をしていた青島は、日差しの強さにつられて窓の外に視線を向けた。
空高く晴れ渡っていて気持ちのいい天気だが、外に出たらかなり暑いだろう。
今日も猛暑になると今朝テレビの天気予報で見た。
午後から営業先に顔を出さなければならず、それを思うと億劫だった。
こんな天気の日には仕事などしないで日光浴しながらビールでも飲みたい。
そんなことを考えるから、つい先日行った旅行が思い出された。
青島がすみれたちと行ったキャンプから帰って三日しか経っていなかったが、日常に戻ると非日常が恋しくなる。
気の置けないすみれたちとのキャンプは楽しかったし、いい休養になった。
一つ、出会いもあった。
「何見てんの?青島君」
振り返ると、すみれが背後で青島の視線の先を探すように窓の外を眺めていた。
「何って…空だよ。いい天気だなと思って」
「良すぎて腹立ってくるわね。暑いし、日に焼けるし」
キャンプの時は喜ばれた晴天も、遊べなければそうでもないらしい。
迷惑そうなすみれに青島は苦笑した。
「あ、ねぇ」
「うん?」
「帰りにビアガーデンでも行く?」
目を輝かせたすみれの提案に少し考え込む。
一瞬考えたのは、もしかしたら電話が来るかもしれないということだった。
だが、来るかどうかも分からない電話のために予定を空けておくのは虚しい気がした。
来なかった時のがっかり感も大きいに違いない。
今日みたいに暑い日はビアガーデンに行くのもいいだろう。
そう思った青島は、結局頷いた。


ビアガーデンには、真下と雪乃も誘って訪れた。
同僚で先輩の和久と、青島と真下と同じ営業課の係長の魚住も誘ったが、和久は腰痛のため、魚住は里帰りしていた夫人を空港まで迎えに行くため断られた。
「魚住係長、また奥さんとケンカしてたんですね」
それで実家に帰られていたことを知り、真下が「情けないなぁ」と苦笑した。
青島はビール片手に意地悪く笑った。
「お前に言われちゃね、係長も気の毒だ」
「なんですか、先輩。僕はやる時はやる男ですよ」
憤慨する真下に雪乃とすみれがとどめを刺す。
「真下さんのやる時っていつなんですか?」
「まだお目にかかってない気がするわね〜」
真下は憮然と答えた。
「…将来代議士になったらです」
真下の父親は有名な代議士で、いずれは真下自身もその道を進む考えがあるようだった。
今のところは、お気楽なサラリーマンを務めている。
その間になんとか雪乃を口説き落として結婚まで持ち込みたいようだが、こちらも今のところは進展はなかった。
「はいはい、期待しないで待ってるわよ。あ、ビールない。すいませーん」
「俺も俺も」
通り過がりの売り子を呼び止めるすみれに便乗し、青島もビールの追加を頼んだ。
空になったジョッキを弄びながら枝豆を摘んでいると、向いに座ったすみれが少し身を乗り出してきた。
「ねぇ、室井さんから連絡あった?」
その名前にドキリとし、思わず枝豆を取り落とす。
青島は何食わぬ顔で枝豆を拾った。
「まだないよ」
「なんだ、社交辞令だったのかしら」
「あれからまだ三日だよ?室井さんたち、多分まだ東京に帰ってないよ」
青島は旅先で知り合った室井に連絡先を渡して、東京でまた会おうと約束していた。
そのことはすみれたちも知っている。
キスしたことは知らない。
言えるわけがなかった。
「でも、室井さん、社交辞令を言うタイプには見えなかったですよね」
室井の人柄を思い出してか、雪乃が言った。
「僕らに気を遣ってくれたんじゃないですか?ほら、先輩馴々しいとこあるし」
痛いところを真下がついてくる。
馴々しい自覚はあったが、室井が青島にくれた約束はそのせいなんかではないと思いたい。
青島はむっつりとしながら、真下に枝豆の殻を投げ付けた。
「あの人のことだから律儀に連絡くれるよ、きっと」
「そうかもね、生真面目を絵に描いた感じだったもん」
すみれが褒めているのかいないのか微妙な評価を下した。
そう言われると、生真面目が理由で連絡をくれるとしたら、それはそれで寂しい気もした。
青島と室井の間で、意思の確認のような作業は為されていなかった。
今のところあるのは、一度きりのキスと、東京でまた会おうという約束だけである。
室井自身のことすら青島は良く知らないが、それは室井にも同じことが言えるはずだった。
だが、室井が連絡をくれると言ったのだ。
その言葉は信じたかった。
「ま、そのうち連絡くれるでしょ」
いくらか不安な胸中とは裏腹に、青島は努めて楽天的な台詞を吐いた。
その時、胸ポケットで携帯が鳴った。
客先からの急な呼び出しじゃないといいなと思いながら、すみれたちに断り席を立つ。
人込みから少し離れた場所まで移動して電話に応じた。
「はい、青島です」
『…室井だが』
電話の相手は今まさに噂をしていた人で、青島は目を丸くした。
まさか本当に今日かかってくるとは思っていなかったから余計に驚いた。
『もしもし?青島?』
「あ、はいはい、青島です」
青島は焦りながら無意味にもう一度名乗った。
『約束、真に受けて電話した』
ぶっきらぼうな言い方だったが、冷たい感じはない。
室井も青島の反応が不安なのかもしれない。
くどいが、青島と室井の間にあるのは、ただ一度のキスだけである。
今のところ、その他は何もないと言っていい。
室井が電話を寄越すのにも、それなりに勇気が必要だったのではないかと思った。
それでも電話をくれたことが、青島には嬉しくて自然と顔に笑みが浮かんだ。
「待ってました」
嘘ではなかった。
東京に帰ったその日からずっと待っていた。
『そっか』
ホッとしたような声に青島の顔が益々緩くなる。
『元気だったか?』
「まだあれから三日しか経ってないっすよ」
『そうだったな』
「東京、戻ってきたんすよね?」
『ああ、明日から仕事だ』
「連休明けは辛いっすねー、仕事溜まってるし」
『休んだ代償だから仕方ない』
二人とも、中々本題に入れずにいた。
本当は他に話したいことがあるはずだった。
近くの道路をクラクションを鳴らした車が通り過ぎて行く。
それが室井にも聞こえたようだった。
『今、どこなんだ?』
「ビアガーデンです。ほら、あの時一緒だった連中と」
『そうか…なら、悪い時に電話したな』
室井は間が悪かったと思ったようだが、青島はそんなふうには思っていなかった。
すぐに電話を切られるかと思い、少し焦る。
まだもう少し話していたかった。
「室井さん、あのー…」
『近いうちに会えないか』
青島の言葉に被せるように室井が言った。
それが聞きたかったのだとばかりに、迷いのない声。
会いたいという思いが伝わってくる気がして、青島の顔が上気した。
熱い頬を掌で擦るが、すぐには熱がひかなかった。
「もちろん、よろこんで〜」
口から出たのは軽々しい言葉だったが、気持ちは言葉ほど軽くない。
もう一度と室井に会える。
そう思うと、妙にそわそわした。
もちろん嬉しいのだが、それだけでもなかった。
室井との再会が意味すること、それを考えると少しだけ不安もあった。
でもやっぱり室井にもう一度会いたい、その気持ちは変わらなかった。
その後、数日後に会う約束を交わした。
『突然掛けてすまなかった』
室井のいらない謝罪に、青島は緩く首を振った。
「いえ。電話、ありがとうございました」
『いや……待っていてくれて、ありがとう』
名残惜しげに一瞬間が空き、互いに別れの言葉を口にして電話を切った。
青島は切れた携帯電話を少し見つめて、ポケットにしまった。
表情が変に緩まないように頬を軽く叩いて気持ちを切り替えてから、席に戻った。
「遅かったわね、お客さん?」
新たなジョッキを片手にすみれが聞いてくる。
室井からだったと答えようか迷ったが、今は止めておくことにした。
なんとなく言い出しにくかった。
「ん、そんなとこ」
青島は何食わぬ顔で戻ったつもりだったが、他の三人には青島の機嫌が良さそうに見えていた。










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2010.8.16





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