青島はガードレールに寄り掛かり、腕時計を確認した。
時間はもうすぐ19時になる。
室井と約束した時間だった。
偶然にも二人の勤務地が近かったので、待ち合わせは二人の会社の最寄駅だった。
駅前で待っていた青島は、肩に上着を引っ掛けてネクタイを緩めた。
手持ち無沙汰でポケットの中の煙草を探ったが、生憎と近くに喫煙所は見当たらなかった。
だが、煙草を吸っているヒマもなかった。
室井は約束の時間になる前に現われた。
「すまない、待たせたか」
生真面目に謝る室井に、青島は腕時計を差し出した。
「まだ時間前っすよ」
室井と視線を合わせて微笑む。
室井から笑顔は返って来なかったが、気にはならなかった。
愛想のない男であることは知っている。
数日ぶりに会う室井は、あの旅先で会った室井となんら変わりなかった。
そう思うと、なんだか嬉しかった。
君の好きな店でいいと言う室井を、青島は時々同僚と行く居酒屋に誘った。
適度に騒がしく、食事の美味しい店で、青島は気に入っていた。
接待で使うから雰囲気の良い和食屋やそこそこ高級なレストランを知らないわけではないが、初めて室井と二人きりで飲むのに緊張感のある店を選びたくはなかった。
ただでさえ、いくらか緊張していた。
「旅行どうでした?楽しかった?」
一通り注文を終えビールで乾杯してから、室井に尋ねた。
室井は複雑な表情だった。
「それなりに。半分くらい時間を持て余していたが」
「ははは。まあ、ああいうところって、のんびりするのが目的みたいなとこありますしね」
キャンプ場の回りにはテニスコートや温泉があったが、温泉はともかく室井がテニスをするようにも見えなかった。
「風呂入って飯食って酒飲んで、という休暇だったな」
「それもいいじゃないっすか。中々贅沢な休みですよ」
「君たちは良い旅行になったか?」
逆に問われて、青島は少し考えた。
楽しかったし、いい休養になったし、何より―。
「青島?」
黙った青島に室井が首を傾げた。
青島は笑いながら首を振った。
「楽しかったっすよ。あの後真下のヤツが…」
浮かんだ笑みは、照れ笑いだった。
「それにしても、会社が近いなんて偶然でしたね」
ほろ酔いでビールをあおりながら青島が言うと、室井も頷いた。
「そうだな」
「俺、良く目の前通りますよ」
室井の勤務先は大手都市銀行で、彼の勤務する本店は青島の会社近くにあった。
営業で外を歩く時などに、度々銀行の目の前を通っていた。
「どこかで会っていたかもしれないな」
「そうっすねぇ」
そう考えると、近くで暮らしていたのに出会いが旅先であったことが不思議に思えた。
「それにしても凄いっすね、室井さん」
「何がだ?」
「業界最大手でしょう?室井さんのとこの銀行」
青島はもらったばかりの室井の名刺を眺めて感心した。
室井の務める銀行は大手都市銀行の中でも、トップと言われている銀行だった。
しかも室井は34の若さで総合企画部第二企画課課長という肩書き持ちのエリートだ。
「出世早いっすねぇ」
ばか正直な感想を漏らすと、室井が苦笑した。
「夢中になって仕事をしていただけだ」
「仕事、好きなんすね」
「どうだろうな…」
それだけ夢中になれるなら嫌いではないのだろうと思ったが、室井は首を傾げていた。
「嫌いじゃないが、それより他にすることがなかっただけかもしれない」
自虐しているふうではなく、淡々と言った。
「仕事以外夢中になるものがないのでは情けないな」
「そんなことないっすよ。ギャンブルやホステスに夢中になるより、健全で真っ当です」
青島の変なフォローに室井は呆気に取られた顔をしたが、構わず青島は笑ってみせた。
「仕事に夢中になる男。いいじゃないっすか、カッコイイっすよ」
純粋な気持ちで褒めたのだが、室井が頬を強張らせた。
失言だっただろうかと内心焦る。
室井が口を閉ざすから、変な間ができた。
青島はふと自分たちの微妙な関係を思った。
出会ったその日にキスはした。
でも、もちろん恋人同士ではない。
出会ったばかりだし、男同士だった。
ただ室井にされたキスは嫌ではなく、もう一度会いたいと思ったのは事実だ。
東京に帰ってきてからもその気持ちは変わらない。
一瞬の気の迷いにしては長すぎる。
軽はずみに未知の世界に飛び込めるほど、青島ももう若くはない。
それでも、一度のキスも、短い出会いもなかったことにはできなかった。
室井ともう一度会ってどうしたかったのか。
どういう関係になりたいと望んでいるのか。
自分自身でもまだ明確に分かっていなかった。
会えば分かるのではないかと、思っていた。
「青島」
名前を呼ばれてハッとした。
視線を向けると、室井が真剣な顔で青島を見ていた。
それだけで、青島の体温が少し上がった気がした。
「はい?」
声が上ずらないように力を込めたら、妙に低い返事になってしまった。
室井は何かを言おうとして口を開いたが、隣の席で大学生くらいの男女のグループが大きな笑い声を上げたせいか、一度口を噤んだ。
「…いや、もう出よう」
そう言うと、室井は伝票を手に立ちあがった。
「え?あ、はい」
急で驚いたが、青島も慌てて後に続いた。
店を出ると、青島は室井を窺い見た。
「あのぉ…ご馳走様でした」
会計で青島は割り勘にしましょうと言ったが、誘ったのは自分だからと言って譲らず室井が全て支払ってくれた。
ありがたいが、申し訳ない。
会うのがまだ二回目とあって青島にもさすがに遠慮があったが、室井は全く気にしていなかった。
むしろ、それどころではなさそうな雰囲気である。
「いや、いいんだ」
そう言って青島を見る目は少し落ち着きがない。
それがうつったわけではないが、青島も落ち着かなかった。
「室井さん?」
「少し付き合ってくれないか」
唐突に室井が言った。
「それはいいですけど、どこにですか?」
「…ついてきてくれ」
それだけ言うと、室井は青島に背を向けて歩き出した。
青島は呆気にとられて室井の背中を眺めていたが、思い出したように離れていく背中を追いかけた。
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