■ ここから(2)


「お邪魔しま〜す…」
恐縮しながら玄関に入ると、先を歩いていた室井が振り返った。
「遠慮しないで上がってくれ……いや、私の別荘ではないんだが」
「へ?」
「友人のモノなんだ」
友人に誘われて遊びに来ているらしい。
今は出かけていていないから気にしないでくれと言いながら、室井は青島をリビングに通してくれる。
「ちょっと待っていてくれ、タオルを取ってくる」
そう言って、また廊下に出て行った。
一人取り残された青島は、所在無げに立ち尽くす。
―やっぱりあのまま立ち去った方が良かったかなぁ。
シンプルだが高級そうな家具に囲まれながら、青島はぼんやりと思った。
変に気を使わせてしまってかえって申し訳なく感じるし、場違いな場所に立っている気分にもなってくる。
だが、申し訳無さそうにしている室井を見ていると、どうしても立ち去り難かった。
青島は水を掛けられたくらいで腹を立てるほど心の狭い男ではなかったが、室井は青島に水を掛けてしまったことを酷く気に病んでいたようだった。
自分が立ち去った後も眉間に皺を寄せているのだろうかと思うと、そのまま立ち去り難かった。
―せめて皺を消してから、なんて思っちゃったんだよねぇ。
青島はそう思って苦笑した。
水を掛けられた青島が気にすることではないし、初対面の男の眉間の皺を心配する必要などどこにもない。
だが、気になってしまったものは仕方が無いだろう。
青島は今更考えても仕方が無いことを考えるのは止めにした。
深く考える前に行動してしまうのは青島の悪い癖だが、結果をそれほど後悔したことはない。
今度のことも、きっと悪い方向には進まない。
そんな気がしていた。
「これに着替えてくれ……青島君」
背後から室井に声を掛けられて振り返る。
名前はお互いに名乗りあっていた。
室井が差し出したのは、タオルと黒い無地のTシャツだった。
「フリーサイズだから君も着れると思うのだが」
室井のシャツなのだろう。
室井の方が青島よりも少し小柄に見えるが、フリーサイズなら青島も着れる。
有り難く受け取ると、まずはタオルで髪を拭う。
簡単に水気を切ると、着ていたシャツを徐に脱いだ。
肌もいくらか濡れていたから、借りたタオルで拭う。
ふっと室井を見ると、あからさまに視線を逸らしていたから、青島は目を丸くした。
首を傾げながら、ちょっと考える。
同性だから上半身くらい何でもないと思ったが、初対面の相手の前でいきなり脱ぐのは失礼だったかと思い直した。
青島は一向に気にしないが、気にする人もいるかもしれない。
室井も目のやり場に困って気まずいのではないだろうか。
そう思ったから、青島は謝った。
「あ、と……すいません、何か」
今更だが、背中を向ける。
意識してみると微妙に恥ずかしくなるから不思議だ。
「変なもの見せちゃって」
照れ隠しで冗談交じりに笑うと、背後で室井が「いや」と短く呟くのが聞こえた。
青島は適当に身体を拭ってから、借りたシャツを被った。
サイズは丁度良かった。
「…脱いだシャツ、貸してくれ。乾燥機に入れてくる」
「すいません。お願いします」
振り返って軽く頭を下げると、室井は苦笑した。
「君が謝らないでくれ」
「あ、そっか……いや、でも、ありがとうございます」
頭を掻きながら笑みを零すと、室井もつられたように微笑んだ。
表情の硬い人だが、そうしていると少し柔らかい印象になる。
―眉間の皺は、消えたかな。
室井がまたリビングを出て行くのを見送りながら、そんなことを考えて一人こっそりと笑った。


程なくして、室井はリビングに戻ってきた。
が、また眉間に皺を寄せていたから、青島は首を捻った。
「あの……何かありました?」
何か問題でもあったのかと思って聞いてみると、室井は皺を深くして頭を下げた。
ぎょっとして目を丸くした青島に、顔を上げて言った。
「すまない」
「え?あ、いや、だから、もういいですって…」
「じゃなくて……今、急いでるか?」
質問の意味が分からないまま、とりあえず首を振る。
急いでいたら、いくら水を被ったからといって、のこのこ他人の家に上がり込んだりはしない。
急いではいないが、聞かれてふとすみれを思い出した。
……遅くなれば、多少怒られるかもしれない。
だが、もう、今更だ。
「急いでませんよ」
眉間に皺を寄せたまま気まずそうに室井が尋ねてくる。
「そうか……すまない。ちょっと時間を貰ってもいいか?」
困惑気味な青島に、室井は言い辛そうに続けた。
「洗濯機に入れてしまったんだ」
「はい?」
「乾燥機と間違えて、洗濯機にシャツを入れてしまったんだ」
青島は目を剥いた。
乾かすどころか、びちゃびちゃにしてしまったらしい。
「今、グルグル回ってるんだが…」
神妙な顔つきで言われて、青島は堪えきれずに吹き出した。
「あははははは」
声をあげて笑う青島に、今度は室井が目を剥いた。
が、一度笑い出すと、そう簡単には止まらない。
ツボに嵌ってしまったらしい。
「ひっ……つ…は、腹痛い…っ」
唖然とする室井には申し訳ないが、可笑しくてたまらなかった。
「む…室井さん…」
「な、何だ?」
「天然って……言われません?」
「………ない」
憮然としながら呟いた室井に、青島は漸く爆笑するのを止める。
深呼吸をして落ち着けると、自然と微笑んだ。
「いいですよ」
「え?」
「ほら、ついでにキレイにしてもらっちゃって、ラッキー?みたいなね?」
そう言った青島を室井は驚いたように見つめて、それから喉の奥で堪えたような笑い声を漏らした。
「君は……楽天的って言われないか?」
「良く言われます」
視線を合わせると、室井は今度こそ小さな声を漏らして笑った。


***


「この上にあるキャンプ場でキャンプしてるんですよ」
青島はソファーに腰を下ろし、コーヒーをご馳走になりながら、説明した。
洗濯が終わるまではもう少しかかる。
ぼうっとしていても仕方が無いから、雑談しているのだ。
「んで、この先のスーパーにチーズを買いに行くところだったんです」
「チーズ?」
訝しげな室井に、青島は苦笑した。
「ワインにはチーズがなきゃーって、我が儘言う人がいるもんで」
冗談交じりに言うと、室井がハッとしたように表情を強張らせた。
青島はそれを見て首を傾げる。
何か変なことを言っただろうかと思っていると、室井は言い辛そうに呟いた。
「余計に悪いことをしたな」
「え?」
「一人で待ってるんじゃないのか?…彼女」
一瞬きょとんとしてしまったが、青島はすぐに笑い出す。
だって相手はすみれである。
大好きな相手ではあったが、そういう関係じゃなかった。
すみれが聞いたら怒るだろうなぁと思いながら、青島は緩く首を振った。
「そんないいもんじゃないです。会社の連中と四人で来てるんですよ」
「そ、そうか…」
呟いた室井が、何故かホッとしたように見えて、青島の方が何となく落ち着かなくなる。
「…室井さんは?」
「ん?」
「いつからここに?」
「ああ…昨日からだ」
友人夫妻に誘われて、夏休みを利用して避暑に来たらしい。
友人夫妻と室井の他にももう一人一緒に来ているらしいが、三人とも買い出しに出掛けているのだという。
恐らく青島が向かっていたスーパーだろう。
「へぇ…じゃあ、奇遇でしたね。俺たちは今日来たんですけど」
青島が嬉しそうに言うと、室井もつられたように口角を上げた。
「そうだな。いつまでいるんだ?」
「明日までです。四人揃って休めるの、今日明日しか無くって」
「そうか」
今度は残念そうに見えたが、気のせいではない気がした。
青島が思わずじっと見つめると、室井が気まずそうに視線を反らした。
微妙な沈黙が下りる。
「……洗濯機、見てくる」
「あ、はい、お願いします」
室井が席を立ち、青島は何となくホッとする。
―なんだろう……何か緊張する瞬間があるな。
ドキドキする、という方が正確な気がするが、青島はそれに気付かない。
室井の後姿を見送っていると、廊下に出ようとした室井の足が止まる。
それと同時に、外からドアが開き、一人の男が入ってきた。
「おい、室井…」
男は室井を見て、それから背後の青島に気付いて目を丸くする。
言っていた友人だと判断すると、青島は立ち上がって礼をした。
「一倉、彼は…」
青島を紹介しようとした室井を遮って、一倉はニヤニヤと笑った。
「やるな、室井」
「……は?」
「俺たちがいないからって、連れ込んだのか?」
言葉に下世話な日響きがあるのは、青島の気のせいか。
『連れ込んだ』などと表現されては室井も心外だろう。
第一青島は男で、室井も男だ。
同性に対して、そういう表現も如何なものかと思う。
目を白黒させている青島を見て、室井は額を押さえると一倉を睨み付けた。
「人聞きが悪いことを言うな。彼は、」
「中々やるじゃないか」
「だから、人の話を」
「うん……可愛い顔してるしな」
「聞け!というか、黙れっ」
何だか聞き捨てならない発言があったような気がするが、そんなことよりも声を荒げた室井に驚く。
物静かに話す室井が大声を出したからビックリしたのだ。
そんなふうに感情を露わにしたりもするのかと思う。
室井は一倉に詰め寄るように事の次第を説明した。
聞き終えた一倉は、いかにもつまらんといった顔で頷いた。
「何だ、ナンパしてきたんじゃないのか」
「するかっ…それ以前に、アレは男だっ」
室井に指をさされて、青島はちょっと肩を竦める。
―アレ呼ばわり…。
それに気が付いたのか、室井は慌てて青島を振り返った。
「す、すまない、青島君」
その慌てっぷりが可笑しくて、青島は小さく吹き出した。
「いいっすよ、別に、アレで」
ちょっとイジワルを言うと、室井が困ったように眉を寄せたから、余計に可笑しくなる。
青島は笑いながら首を振った。
「冗談です。あ、名前、呼び捨てでいいっすよ」
君付けはどうにもくすぐったい。
青島がそういうと、室井が言葉に詰まった。
結局、「そうか」とだけ呟いた。
「そういうことなら、スーパーまで車で乗せてってやるぞ」
一倉が室井と青島を交互に見て言った。
「……て、お前、奥さんと新城はどうしたんだ?」
「それが聞いてくれ。あいつ、レジまで行って財布を忘れたって言うんだ」
サザエさんかとぼやく一倉に、室井が呆れた顔をする。
「ということは、お前も新城も財布を持って行かなかったということじゃないのか?」
「カードならある。スーパーじゃ使えなかったんだよ。……ってわけで、これからスーパーに戻るんだ」
どうする?と青島に聞いてくれる。
青島にとってすれば有り難いことだ。
スーパーまではまだもう少し歩く。
このクソ暑い中を歩かずに済むのなら、それに越したことはない。
だがしかし、シャツはまだ洗濯機の中だ。
洗濯が終わっていたとしても、乾燥させるのにまた少し時間が掛かるだろう。
スーパーで奥さんが待っているのなら、一倉を待たせるわけにもいかないだろう。
「……お前らの買い物が終わったら、俺が車で送るからいい」
青島が悩んでいると、室井がそう言ったから驚く。
「え?あ、でも……」
有り難いとも思うし、わざわざ行ってもらうのも悪いとも思う。
「迷惑だろうか」
じっと見つめられて、青島はまた緊張した。
迷惑なわけではない。
―どちらかと言えば、嬉しいかな。
青島は迷ったが、結局頷いた。
「お願いします」










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2005.11.26





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