玄関にしゃがみ込んで靴を履き、そのままぼんやりしていると、掃除当番だったはずのすみれがやってきた。
コートを着て鞄を持って帰り支度を済ませているから、もう掃除は終わったのだろう。
「あれ?青島君、まだいたの?」
見下ろされて、苦笑した。
「まだいましたよ」
「室井さん待ってんのー?」
上靴を脱いで外靴に履き替えながら、つまらなそうに鼻で笑う。
その通りだから、青島には返す言葉もない。
「相変わらず仲良しでいいわねー」
からかっているのか、嫌味半分本音半分のすみれに、頭を掻く。
「…やめてよ」
すみれは肩を竦めると、ちょっと笑った。
隣にしゃがみ込むと、青島の顔を覗き込むような仕草をする。
無意識に視界に入った膝小僧から、青島は目を逸らした。
「もうすぐ、卒業だもんね」
すみれの言う通り、もうすぐだ。
後三ヶ月弱、きっとあっという間だ。
「うん、そうだね…」
「寂しい?」
嫌なことを、ストレートに聞いてくる。
「別に、いつでも会えるし」
青島は首を振って胸を張り、男の子らしく見栄を張ってみた。
が、じーっとすみれに見つめられて、苦笑する。
すぐに猫背に戻ると、マフラーで顔を半分隠した。
「ま、ちょっとね」
「そうそう、人間素直が一番よ」
すみれはようやく納得したように頷いた。
「どうせなら同い年なら良かったのにね」
顎に手を当てて、考えるような仕草をしてみせる。
それは青島だって考えたことのあることだが、考えても仕方がないことでもあった。
二歳年上の室井と巡り会えた事実だけでも、青島は感謝しなければならない。
出会わなければ、始めから何も無かったのだから。
そう思って、青島は笑った。
「寂しいけど、会えなくなるわけじゃないから」
室井と離れ離れになるわけではない。
今までとは、少し違う付き合い方になるだけだ。
いつまでも同じ校舎で同じ制服を着ていられるわけではないことは、始めから分かっていたことだ。
青島も室井も、いずれ大人になる。
その時にも、隣にいるのが室井であれば良いと思う。
室井と一緒に、大人になりたい。
「……」
青島はマフラーを更に引き上げた。
「寒いの?青島君」
不思議そうなすみれに、青島は曖昧に笑った。
「いや、ちょっとね」
寒くはなく、むしろちょっと暑かった。
きっと、頬が赤くなっている。
―室井さんと一緒に大人になる。
そこには色んな意味が含まれていて、数日前の出来事を思い出しただけだ。
すみれがまじまじと見つめてくる。
不躾な視線にちょっと怯みつつすみれを見ると、すみれは青島を見ていたわけではなかった。
青島のマフラーを見ていた。
「青島君がマフラーしてんのって、珍しいね」
言葉どおり、物珍しそうに見つめてくる。
青島はなんとなく柔らかいマフラーに触れてみた。
「してみると、案外いいもんだよね」
首周りが苦しく感じるという理由で敬遠していた青島だが、室井から誕生日のプレゼントに貰えばしないわけにいかない。
してみたら、思いの他暖かくて心地良かった。
窮屈に思わなくはないが、それも悪くないんじゃないかと思っている。
それはつまり、室井からのプレゼントだからに他ならない。
だが、すみれにそんな事情は話せない。
何を今更と、すみれが笑った。
「なんで今までしてなかったの」
「好きじゃなかったから」
「じゃあ、なんで急にするようになったのよ」
「えーと、好きになったから?」
えへっと笑って見せたら、すみれに変な顔をされた。
―そりゃあ、そうだ。
理由になってないもんな、と内心で舌を出す。
すみれが面白くもなさそうに呟いた。
「なーんだ、室井さんのプレゼントか」
「…なんで分かんの」
素で驚いた青島に、すみれがニッコリ笑う。
「恋をしてる人が普段と違うことをすると、その原因は大抵好きな人にあるから」
「はぁ……そういうもん?」
「そういうものもなにも、青島君がいい例でしょ」
余計なこと聞いちゃったと、溜息混じりに呟かれて、青島は頬を掻いた。
事実だが、「恋をしてる人」などと言われると、照れる。
「あーあぁー、私も恋したぁい」
ぼやきながら立ち上がるすみれを見上げる。
「すみれさん、好きな人いないの?」
そういうことも少しくらい話してくれても良いのになーと思うくらい、すみれの恋愛の話しを聞かない。
青島は密かに気になっているのだが、あまり面と向かって聞いたことも無かった。
「悪かったわね、浮いた話しもなくて」
このように、怒られるからだ。
青島は首を竦めつつ、不思議そうな顔をした。
「そんなんじゃなくてさ、すみれさんなら、彼氏いない方がおかしいと思うよ」
「あら、やっぱり、そう思う?」
途端に愛想が良くなるすみれには苦笑するしかないが、笑っているすみれを見ればやはり可愛いと思った。
たまにキツイが、性格だって悪くない。
サバサバしてはいるが冷たくは感じないし、根が優しく温かいすみれを、青島は大好きだった。
「すみれさんに彼氏がいないのが不思議」
「ねぇ?なんでかしらね?」
「好きな人、いないの?」
「室井さん」
すみれの口からするっと出てきた名前に、青島は目を剥いた。
そんな青島にすみれもハッとしたようで、慌てて首を振る。
「違う、違うわよ、後ろ、ほら、室井さん」
すみれが青島の背後を指すから、青島も振り返った。
少し離れた所に室井が立っていた。
「あ、室井さん…」
青島が立ち上がって手を振ると、室井がどこか気まずそうな顔で近付いてくる。
「待たせてすまない」
「いえ…ああ、驚いた」
青島が思わず呟くと、室井が首を傾げ、すみれが吹き出した。
「やぁね、そんなわけないでしょ…じゃあ、私は先帰るね」
室井にペコリと頭を下げて、二人に向かって手を振り背を向けた。
行きかけて、一度振り返る。
「マフラー、似合ってるわよ」
ぎょっとした青島が室井を見ると、室井は目を剥いていた。
すみれは二人を見て笑みを溢すと、「じゃあね」と手を振って今度こそ去って行った。
「熱はもう下がったのか?」
歩きながら、室井が聞いてくる。
「ええ、もう、すっかり」
結局、昨日は早退したものの、夜には熱が下がっていたから、風邪ではなったようだ。
「やっぱ、知恵熱だったのかも」
普段あんまり使わないから、脳みそがオーバーヒートしたのかもしれない。
などと思ってお気楽な青島とは対照的に、室井は難しい顔をしていた。
「…すまない」
青島は慌てて首を振る。
「だから、別に室井さんが悪いわけじゃないんですってば」
「でも、悩ませたのは俺だろ?」
「嫌で悩んだわけじゃないから、室井さんのせいじゃない」
室井は開きかけた口を閉じると、強張った頬を赤く染めた。
青島も自分の言葉を反芻し、赤面して口をつぐむ。
妙な沈黙が降りた。
逃げ出したくなるような気まずさを感じないわけではないが、離れたいわけでもない。
ただ黙って並んで歩く。
普段なら気にならない沈黙も、今は無性に気になった。
ぎくしゃくしている空気をなんとかしなければと、青島は話題を探した。
「ま、マフラー、ありがとうございました」
気まずさに耐えかねての話題転換に、室井も付き合ってくれる。
「いや…窮屈じゃないか?」
「全然、あったかいっす」
いひっと笑うと、室井も表情を崩した。
「良かった」
「すみれさんにすぐバレましたよ、室井さんのプレゼントだって」
「ああ、だからさっき…」
別れ際のすみれの一言を思い出したようで、頷く。
「女子は勘が鋭いな」
室井の半ば感心するような声に、青島は曖昧に笑った。
―勘がいいというよりは、恋をしてる人間が分かりやすいだけみたいですよ。
思ったが、わざわざ言葉にはしなかった。
「室井さんの誕生日も、もうすぐっすね」
年が明けたら、すぐに室井の誕生日がくる。
そして、すぐにセンター試験があり、正直誕生日どころの騒ぎではないだろう。
そう思いながらも、青島は遠慮がちに聞いてみた。
「…3日は、少しだけ会いに行ってもいい?」
室井は穏やかに目を細めて頷いた。
「もちろん…というか、青島」
「はい?」
「もしかして、冬休みになったら、俺の入試が終わるまで会わないつもりか?」
柔らかくなったはずの室井の表情がまた曇る。
「だって…試験、すぐでしょ?」
後10日もすれば冬休みで、年が明けたら半月でセンター試験だ。
「俺とのんびり遊んでいる暇はないでしょ」
「それはそうだが、君に全く会わない方が非効率的だ」
「へ?」
「君に会わないとストレスが溜る……ような気がする」
言っていて照れたのか、語尾にもごもごと付け足して、眉間に皺を寄せる。
「それって、俺でストレス解消してるってこと?」
「そうだが…」
室井は青島の言葉に頷きつつ、変な顔をし、すぐに首を振る。
「そうだが、別にそれ目的なわけでは」
ストレス解消のために青島と一緒にいたいと思っているわけではないと伝えようとしてくれたのだろうが、生憎と青島はそんなことは気にしていなかった。
不機嫌になるどころか、かえって上機嫌である。
「そっかそっか、ははっ」
「…青島?」
青島は首を傾けて室井を見ると、嬉しそうに笑った。
「俺でも、役に立つこと、あるんすね」
受験で大変な思いをしているであろう室井に、何もしてやれないことが残念でならなかったが、青島の存在が室井の役に立つこともあるのという。
それが青島には嬉しくして仕方がなかった。
良かった良かったと満面の笑みの青島に、室井は頬を引き攣らせた。
急に足を止めて怖い顔になった室井を、青島も振り返り首を傾げた。
「室井さん?」
「…行こう」
思い出したように、再び足を動かす。
歩調がさっきより少し早かった。
「室井さん?どうかし…」
室井を追い掛けながら尋ねると、室井は振り返りもせずに呟いた。
「なんでもない」
「でも…」
「キスしたくなっただけだ」
今度は青島の足が止まった。
―突然何を言い出すんだ!
心の中で叫んだら、声が聞こえたのかと思うタイミングで室井が振り返った。
青島を見て、苦笑を浮かべた。
「だからなんでもないと言ったろ」
聞かなきゃ良かったろと言外に言われた気がした。
こんなところで何を言い出すんだとは思うが、別に聞かなきゃ良かったとは思っていない。
キスだって、したくないわけではないのだ。
そんなことは、室井に伝えなきゃ伝わらない。
「ほら、行こう」
促す室井をまっすぐに見つめる。
「室井さん」
「ん?」
「俺だって、したい、です」
何がとは言えなかったがちゃんと伝わったらしく、室井は目を剥いた。
青島の顔が熱くなる。
キスだってなんだって、室井としたくないわけではない。
室井となら、経験してみたいことが、青島にもあった。
「室井さん」
「あ、ああ…」
「室井さんの入試が終わったら―」
言いかけた口のまま、言葉が続かない。
室井の入試が終わったら。
―俺はどうしたい?
それを考えているだけで、青島の顔が熱くなる。
「…青島?」
そっと室井に声をかけられて、青島は益々顔を赤くしながら、視線を泳がせた。
「いや、な、なんでもないです、なんでも」
首を振りながら、ついでに手も振る。
「さ、帰りましょう」
歩き出した青島だったが、室井に腕を掴まれ動きを止める。
「青島」
名前を呼ばれて振り返ると、室井が真顔で言った。
「俺の受験が終わったら、旅行に行かないか」
唐突な誘いに、何よりもまず驚いた。
「旅行というほど大層なものじゃないが、どこか近場で一泊くらい…どうだろうか?」
「どうって…」
室井と一緒の旅行など、願ってもなかった。
ただ、あまりにも急過ぎて、とっさに言葉が出ない。
青島が口をパクパクさせているうちに、室井が続けた。
「俺の卒業旅行に付き合ってくれないか」
どこか思いつめたような真剣な眼差しに、青島は気が付いた。
―卒業旅行だなんて、室井さんの柄じゃない。
それはきっと、口実だ。
一歩踏み出すための、室井が精一杯考えて作ってくれた口実で、切欠だ。
青島は小さく笑うと、無意識にマフラーに触れた。
「いいっすね、行きましょうっ」
室井の表情がホッと和らいだ。
すぐに嬉しそうな笑みを見せるから、青島は自分が思う以上に愛されていることを知った。
―どうしよう。
青島は少し俯き、マフラーを引き上げた。
―抱きついて、キスしたい。
室井を酷く、愛しいと思った。
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