■ 変わらないもの(4)


「受験に失敗でもしたんですか?」
室井は眉を寄せて新城を見た。
「失敗も何も、まだ試験すら受けてない」
センター試験は年明けだから、まだ半月以上あった。
三年生でないにしろ、新城がそれを知らないわけがない。
「それくらい、暗い顔してますよ」
涼しい顔で見下ろされて、室井は更に表情を曇らせながら、視線を手元に落とした。
「別になんでもない」
「なんでもないって、面でもないですけど」
「君に関係ない」
「関係があるのは、青島くらいですか」
室井が握っていたシャープペンの芯が折れる。
「図星ですか」
思わず新城を睨みつけるが、鼻で笑われるだけである。
室井はしばらく新城を睨みつけていたが、溜め息をつくと再び手を動かした。
わざわざ新城とケンカするために、久しぶり生徒会室に顔を出したわけではない。
ほとんど終わっているが、少しだけ引き継ぎが残っていた。
「必要なことは、ここに書き出した」
室井が書き終えた引継書を差し出すと、沖田はニコリと笑って礼を言って受け取った。
「お忙しいのに、すみません」
二人に呼び出されたのは昼休みだったから、気を遣わせているのが分かる。
室井の時間を出来るだけ取らせないようにと、配慮してくれたのだろう。
「…いや、ここまでが俺の仕事だから」
「後は任せてください」
力強い沖田の言葉に頷いて、室井は立ち上がった。
「頑張ってくれ」
そう言うと、今度は沖田が頷く。
新城にしろ沖田にしろ、しっかりしているから何の心配もない。
特に仲が良かったわけではないが、信頼はしていた。
恐らく、二人もそうだろう。
室井が生徒会室から出ようとすると、新城に呼び止められて足を止める。
「お疲れ様でした」
珍しい労いの言葉に内心驚いたが、
「そんな暗い顔をしてたら、青島が心配しますよ」
結局ニヤリと笑ってからかわれたから、渋面になる。
「余計なお世話だ」
言い放って、生徒会室を後にした。


自分の教室に向かって歩くその表情は、相変わらず険しい。
新城の言う通り、図星だった。
―青島に、合わせる顔がない…。
そう思うと、どうしても気持ちが塞ぐ。
仮にも相手は恋人で、赤の他人を押し倒したわけではないが、勢い余っていきなり押し倒して良いというものでもない。
だからと言って、お伺いを立ててから押し倒すべきものでもないかもしれないが、少なくても室井は昨日青島をいきなり押し倒したことを後悔していた。

欲求が無かったわけではない。
積極的にあったといってもいい。
それくらいは鈍い室井にも自覚があった。
これまで青島との間にキス以上のことが何もなかったのは、室井自身がまだ早いと思っていたからだ。
室井本人にとってというより、青島にとってだ。
二歳下の青島に、無理を強いることだけは避けたかった。
また、いずれ自然とそうなる時がくるのではないかという、どこかのんきな期待もあった。
如何せん、誰かと付き合うのは青島が初めてで、キスをしたのも青島が初めてだった。
もちろん、何もかも初めだ。
勝手が分からず踏み込むことが出来ないでいたとも言える。
そうこうしているうちに、そんなことを考えている場合ではなくなってしまった。
室井の受験が近付いてきてしまったのだ。
デートもままならないのに、そんなことができるわけもない。
ましてや、青島が室井の受験を気遣ってくれているというのに、当の室井がそんなことに現を抜かしていてどうする。
今更焦っても仕方が無い。
まずは大学に合格すること。
室井はそう決めていたのだ。
決めていたはずなのに、昨日の失態である。
昨日はそんなことをするつもりで、青島の自宅まで行ったわけではない。
ただ単に、青島に誕生日プレゼントを渡したかっただけなのだ。
それなのに―。

―青島に合わせる顔がない…。
そう思いながら教室に戻ってくると、合わせたくなかった顔がそこにある。
何故か青島が室井の教室の前にいた。
室井が目を剥いたのは、予想外の青島の出現と、その青島がマスクをしていたからだ。
「あ、室井さん、良かった…」
青島が室井に気付いて、片手を挙げた。
「教室にいないからどうしようかなと思ったんですけど」
マスク越しに話すから、若干声がくぐもって聞こえる。
「どうしたんだ?風邪ひいたのか?」
昨日は元気そうだったのにと室井が眉を寄せると、青島が目尻を下げた。
「大したことないんですけど、ちょっと熱っぽいから今日は早退することにしました。マスクは念のためにね、保健室で貰ってきたんですけど、いや、咳とか出るわけじゃないんで大丈夫なんですけどね」
大したことはない大丈夫だと繰り返すのは、室井に心配をかけないためだろうが、いつもよりも更に饒舌なのは青島が緊張しているせいではないだろうか。
そう思うと、内心居た堪れない。
昨日のことを謝らなければと思いながらも、上手く言葉が出てこない。
「なんで、悪いんですけど、今日は先に帰りますね」
どうやらそれを伝えに来てくれたらしい。
本当は送ってやりたいが、室井まで早退するわけにいかないし、病人を待たせるわけにもいかない。
室井は頷いた。
「分かった、気を付けて帰れよ」
「すいません」
「気にしないでいい、ゆっくり休むんだぞ」
「はぁい」
母親のような室井の口調に、青島の目が笑う。
それを見て、室井は少し視線を落とした。
「…青島」
「はい?」
「俺のせいか?」
青島の体調不良の原因が自分にあるのではないかと思った。
昨日まで元気だった青島が熱を出したのだから、それだけ自分の行動が青島にショックを与えたのかと思ったのだ。
それならそれで、青島に申し訳なく思うし、室井自身ショックかもしれない。
「あー…違わない、ことはないかもですけどー…」
青島の気まずそうな声にやはりと思う。
室井がすまなかったと頭を下げる前に、青島が乾いた笑い声を上げた。
「いや、ほら、知恵熱っていうんですか?あれじゃないかなーなんて、思ってんですけどね」
「…知恵熱?」
室井が顔を上げると、青島は室井を見てはいなかった。
あらぬ方向に視線を向けながら、頭を掻いている。
「色々、考えてたもんでね、夕べからずっと」
ちらりと室井に視線を寄越す。
「誰かさんが、急に来て急に帰っちゃうから」
その間には、急に押し倒してもいる。
青島が色々考えてしまうのも当然だった。
室井にとっては居た堪れなさの極みである。
「すまない…」
素直に謝ると、青島は少し眉を寄せた。
口許は見えないが、きっと口角が下がっている。
青島が困っているように感じた。
「別に、怒ってないっすよ」
「しかし」
「知恵熱だって、本当は室井さんのせいじゃない」
青島は少し身を屈めると、室井の耳元に顔を寄せた。
「…嫌じゃなかったから」
弾かれたように青島の顔を見ると、青島は既に室井から離れて踵を返していた。
「あ、青島っ」
室井が慌てて呼び止めると、足を止めて振り返った。
その顔が赤く染まって見えたが、熱が上がったのかもしれない。
「じゃあ、また明日っ」
それだけ言い捨てて、今度は大股で去っていく。
それを呆然と見送って、室井は口許を手で隠した。
緩むのが分かったからである。

青島は嫌じゃなかったと伝えに来てくれたのだ。
何がと聞く必要はない。
室井とそうなることを、嫌ではないと思ってくれているということだ。
付き合っているのだから当然のことと言えば当然のことだが、室井には青島に受け入れてもらえたことが奇跡のように嬉しかった。
受け入れてもらえないと思っていたわけでもないのに、堪らなく嬉しかった。

今すぐ、青島をどうにかしたいわけではない。
だけど、近い将来、きっと青島をどうにかしてしまう。
けれどそれは、青島も望む未来。
室井はそれを確信した。


五時間目の授業は、珍しく集中できずに終わってしまったが、悪い気分にはならなかった。










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2008.4.13

あとがき


知恵熱を出す青島くん。子供か(笑)
でも、ありませんか?ありますよね?ねっ。←必死

私はどっちかっていうと、お腹壊しますけどー(笑)
考えすぎると腹にきます。
というか、なんどもかんでも腹にきます。
よほど、ウィークポイントなんでしょうか…。

書いてる自分が言うのもなんですけど、のんびりした二人ですね。
「嫌じゃない」と言われて浮かれている室井さん。
念願かなったら、空も飛べるはずです(スピッツ?)
まあ、それに明け暮れてる高校生よりは健全でいいか…(どういうこと)



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