部屋のドアが開いて、青島は見ていた漫画の本から顔を上げた。
ドアを開けたのは母親だった。
夕飯の時間までには、まだ少し早い。
母親は、青島がだらしなくベッドに横になっていたせいか一瞬呆れた顔を見せたが、すぐに用事を思い出したらしく用件を口にした。
「俊、お友達」
「へ?」
「玄関に来てるわよ」
そういえばついさっき、インターホンが鳴っていたような気がした。
だが、誰かが遊びに来るような予定もない。
誰だろうと思いながら身を起こすと、出ていきかけた母親が振り返った。
「ほら、俊の先輩で、いつか一度遊びに来たことのあるじゃない、ええと、ほら、愛想はなかったけど礼儀正しくて…」
ほらあの、と言いながら名前が思い出せなかったらしいが、青島にはそれだけで伝わる。
「…室井さん?」
「あ、そうそう、その室井君が来てるけど……アンタ、何してるの?」
ベッドからずり落ちた青島を、母親は訝しげに見下ろしていた。
何で室井さんが?と思いながら、慌ただしく階段を降りると、確かに玄関に室井の姿があった。
目を丸くしている青島に、どこか気まずそうに佇んでいた。
「急に来てすまない」
「や、それは全然いいんですけど、珍しいっすね。どうしたんですか?急用?何かありました?電話くれたら良かったのに…って、とりあえず上がってください」
青島が思い出したように促すと、室井は小さく頷いて靴を脱いだ。
「お邪魔します」
ゆっくりしていってという、よそ行きの母親のちょっと高い声を聞きながら、青島は室井を連れて降りたばかりの階段を上った。
自室に室井を招くのは、二度目だった。
前に一度、青島の部屋で室井に勉強を教えてもらったことがあった。
部屋に入ると、青島は床に散らばっていた服をベッドの上に放り投げ、出しっぱなしのCDや読みかけの漫画の本を机の上に置いた。
そうすれば、雑全とした印象は誤魔化せないが、床に座れるくらいのスペースはできる。
「適当に座ってください……散らかってますけど」
愛想笑いを浮かべると、室井も苦笑した。
「いきなり来てすまない」
「や、いいんですけどね。部屋が散らかってても構わなければ」
室井が来ると分かっていれば、青島だって部屋くらいちゃんと片付ける。
「俺は構わないが、部屋は片付けた方がいいとは思うぞ」
「…ですよねー」
当然の忠告も、青島は笑って誤魔化した。
「で、どうしたんです?」
ベッドに腰を下ろして、室井を見上げる。
室井が突然自宅まで来るくらいだから、何か理由があるのだろう。
そう思って聞いたのだが、何故か室井が小さく笑った。
「…わかんないのか」
室井が来た理由が分からない青島が意外だったようだ。
首を傾げた青島に、仕方がないなというふうに微苦笑して、鞄の中からプレゼントを取り出した。
「誕生日、おめでとう」
言葉と一緒に差し出されて、青島は目を丸くした。
プレゼントと室井の顔を交互にみやる。
それが自分への誕生日プレゼントだと理解すると、慌てて両手を伸ばし受け取った。
「あ、そか、誕生日か……覚えててくれたんすね」
「当たり前だろ」
言い切ってくれる室井が嬉しくて、青島は照れ笑いを浮かべた。
「君こそ、自分の誕生日を忘れるなよ」
「いや、忘れてたわけじゃないんだけど」
実際、朝起きて母親に「おめでとう」と言われて「夕飯は焼き肉がいい」と主張した時には、ちゃんと覚えていたのだ。
それ以外特に変わったことがないまま一日を過ごしているうちに、すっかり失念してしまったのだ。
つまり、忘れていたのたが。
「ありがとうございます…」
青島は頬を緩めたまま貰ったばかりのプレゼントを見下ろし、室井を見上げた。
「開けてもいい?」
室井が頷くのを見て、キレイにラッピングされているリボンをほどく。
「あ…これ…」
中から出てきたのは、黒いマフラーだった。
柔らかく暖かいそれを手で撫ぜて、思い出すのは先日室井と帰宅途中に交した会話。
「さすがに手編みじゃないけどな」
同じことを室井も思ったのか、そう言われ青島は顔をあげた。
いくらか緊張しているのか、思ったよりも真顔な室井がいた。
「俺が贈れば、してくれるんだろ?」
マフラーはあまり好きではない青島だが、室井からプレゼントされたマフラーはただただ嬉しかった。
自分との会話を覚えていてくれた、首元が寒そうだと気にかけていてくれた、そんな気持ちが嬉しくて堪らない。
「すげぇ、嬉しいっ」
青島が大きく笑うと、ホッとしたように室井の表情も和らぎ、その手が青島に伸びてくる。
青島の手からマフラーを取り上げると、ぎこちなく青島の首にかけて巻いてくれた。
「…あったかいです」
「なら良かった」
青島は首に巻かれたままのマフラーに触れ、口元を隠すように引き上げた。
嬉しくて、妙な笑いが止まらない。
口元を隠しても、どうしたって目が笑う。
「はは…どうしよう、嬉しいなぁ…」
ぎゅっとマフラーを握り締めて笑うと、室井が青島の肩を掴んだ。
視線を持ち上げると、目の前に室井の顔があって驚いた。
室井の手がマフラーを引き下げる。
「室井さ…」
驚きよりも緊張で青島の声が掠れた。
既に何度かした行為だから、室井が何をしようとしているかくらい青島にもわかる。
慌てて目を閉じると、室井の手が青島の頬に触れ、唇をそっと塞がれる。
青島の顔が熱くなった。
まだ恥ずかしさの残る行為だが、嫌ではない。
室井に触れられれば素直に嬉しかったし、室井に触れたいとさえ思った。
ただ、まだ慣れてはいない。
角度を変えて何度も重ねられる唇に、青島は縋りつくように室井の腕を掴んでいた。
「青島」
キスの合間に名前を呼ばれ、薄っすらと目を開ける。
至近距離にある室井の目がいつになく熱っぽくて、直視できない。
青島が視線を泳がせているうちに、再び唇を塞がれる。
戸惑っているうちに室井の舌が咥内に入ってくる。
こうなると、青島にはどうしていいのか分からない。
自分の舌に絡んでくる室井の舌の熱さばかりが鮮明に感じられた。
その熱で、室井と触れ合っているのだと実感する。
実感したら、室井をもっと欲しくなった。
どうしていいか分からないまま、室井の舌におずおずと自分の舌を絡める。
室井を求める気持ちは、青島にもあったのだ。
「っ…ん…」
青島が動いたせいか、室井がより深く求めてくる。
急激に身体が熱くなった気がして、青島は無意識にマフラーを緩めた。
そのマフラーを室井が掴み、邪魔だとばかりに外してしまう。
「はっ…むろ……っ」
「青島…」
唇を重ねたまま、室井の勢いに押され天井を見上げる。
―なんで天井が見える?
熱で浮かされたような頭の片隅で思って、青島はハッとした。
室井の唇が首筋に触れた。
強く吸い付かれて息を飲む。
何がなんだか分からないまま、これはまずいと思った。
「むろ、室井さん、ちょっと待って…っ」
室井の肩を押そうとした手首を掴まれて、真上から見下ろされる。
視線がぶつかって目を剥いたのは、室井だった。
一瞬の間の後、室井が青島の上から飛び退いた。
ベッドに押し倒されていた身体を起こし、呆然としている室井を見て、青島の方が驚く。
「室井さ…」
「すまない」
青島が声をかけると、室井はいくらか青ざめた顔で後ずさった。
「…頭冷してくる」
もう一度謝り、鞄を掴んで逃げるように部屋を出て行く。
「ちょ、室井さん…!」
青島の声に一瞬足を止めたが、室井は振り返ることなくそのまま出て行ってしまった。
呆然と室井が出て行ったドアを眺めていたが、玄関のドアが閉まる音が聞こえると青島は深い溜息を吐いた。
頭を乱暴に掻き、投げやりにベッドにひっくり返る。
「…嫌だったわけじゃないのに」
そのままなるようになってしまう雰囲気に気付いて室井を止めたのは事実だが、室井とそうなるのが嫌だから止めたわけではない。
嫌だという意思を持って抵抗したのではなく、ただただ驚いただけである。
「だって、普通驚くでしょ、いくら恋人だって、ねぇ」
誰に聞かせるわけでもない言い訳を溢しながら、青島は思い出したように赤面した。
初めてのことだったのだから、突然押し倒された青島が驚いても、戸惑っても無理はなかった。
だから「ちょっと待って」とお願いした。
本当にそれだけのことだったのだが、室井はきっとそうは受け取っていない。
―誤解は解かなくちゃ。
どうやって?
―嫌じゃないと伝えなきゃ。
青島は赤面したままごろりと寝返りを打った。
「明日にしよう」
平常心では、とても会えないから。
寝返りを打った青島の視界に、黒い物体が入った。
室井がくれたマフラーがベッドの上に投げ出されてあった。
それをぼんやりと眺めながら、青島は思った。
―そうか、俺は室井さんにとって、そういう対象なんだ。
もちろん今まで知らなかったわけではないし、意識したことがないわけではない。
興味だってあったし、青島自身室井に触れたいと思ったことがないわけではない。
身を持って知ったのが、これが初めてだったというだけだ。
そして、それが全く嫌ではない自分も、初めて知った。
青島は起き上がると、マフラーに手を伸ばした。
それを手に取り、きちんと畳む。
「自分でくれたくせに、放り投げないでよ」
文句を言う青島の顔は、柔らかく笑っていた。
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