■ 変わらないもの(1)


校舎から出ると、青島は少し首を竦めた。
駐輪場に向かいながら、白い息と共に小さく呟く。
「さむ…」
12月に入り、日に日に寒くなっていた。
日暮れも早くなり、まだ四時前なのに薄暗い。
青島はコートのポケットに突っ込んでいた手を、自転車の鍵と一緒に出した。
鍵を外す指先がかじかんでいた。
「もう冬なんだなぁ…」
今更ながら実感してしみじみと呟く。
「そう思うなら、もっと厚着しないか」
背後で砂を踏む音と聞き慣れた声がして、青島は笑みを浮かべた。
振り返れば、いつの間に来たのか室井が立っていた。
「手袋は持ってますよ」
膨らんだポケットを叩いてみせる。
持ち歩いてはいたが、面倒くさがってあまりしないだけである。
「マフラーは?」
「首周りきついの、好きじゃなくって」
肩を竦めた青島に、室井は眉を寄せた。
「風邪引いたらどうする」
「大丈夫ですよー」
「その自信はどこから来るんだ」
呆れた室井の声を聞きながら、青島は自転車を動かした。
「室井さんの手編みならしますよー」
朗らかに言って歩き出した青島だが、黙り込んだままついてくる室井を振り返り、その眉間に刻まれた深い皺を見て笑った。
「冗談ですからね、じょーだん」
「俺の手編みなんか、嬉しいのか?」
「だから、冗談だってば。受験前の室井さんにそんなことさせらんないし」
センター試験まで、後一月ちょっとしかない。
そんな時期に室井の時間を無駄にさせるようなことを、青島が願うわけもない。
室井にとって、今が人生最初の大きな分岐点なのだ。
室井の実力は信じている。
なんの心配もしてはいない。
だが、邪魔になることはしたくなかった。
「勉強、どうっすか?順調?」
並んで歩きながら、尋ねる。
「そこそこ、な」
青島は横目で室井を見た。
そっけない短い返事は気にはならないが、いつもより少しだけ元気がないように感じたのだ。
常日頃青島みたいに元気で騒々しい男ではないから分かりづらいが、室井のそれくらいの機微は青島にも感じられる。
視線に気付いたのか、室井は青島を見ると苦笑した。
「どこまでやったらいいのか、自分が今どれだけやれているのか分からないから、手応えがない」
受験勉強は学校の定期テストと違って、ここからここまで学習すればいいという分かりやすい範囲がない。
過去問題や模試などで自分の実力を図ることはできるが、それも目安でしかないだろう。
覚えなければならないことが多すぎて、どれだけ勉強してもし足りないような気分になるのかもしれない。
そんな室井の気持ちは理解できるが、青島にはどうしてやることも出来ない。
二年後には青島も通る道なのだろうが、先をいく室井をただ見ているしかできなくて、面映い。
青島にできることなど、精々脳天気に励ますことくらいだ。
「大丈夫、大丈夫っ」
青島は出来るだけいつものように明るく笑った。
「室井さん、今までもちゃんと勉強してたじゃない。ゆっくり覚えたもん、いっぱいあるでしょ?室井さんの中にいっぱい詰まってるはずだから、今更慌てなくても大丈夫、大丈夫」
このまま最後まで頑張りましょうよと、励ます。
口にした言葉は青島の本音だ。
どうでもいいから気に病まないのではなくて、信じているから不安ではないのだ。
だが、言葉にしてみるとありきたりで、根拠のない楽天的な励ましに過ぎないような気がしなくもない。
受け取る側次第ではあるが、室井がそう受け取っていないことは、青島を見つめる眼差しで分かる。
「ああ、考えたって仕方ないな。最後まで頑張るだけだ」
意思の強い眼差しは、青島の大好きな目だ。
それに微笑みながら、青島は繰り返した。
「大丈夫、室井さんなら、大丈夫ですよ」
「ありがとう」

いつも別れる道まで来て、青島は立ち止まった。
「じゃあ、また明日な」
室井がそう言ってくれるから、慌てて引き留める。
室井に話したいことがあった。
「室井さん、ちょっと待って」
「どうした?」
「あのー…」
話したいことがあったから呼び止めたくせに、言い出そうとして躊躇し、頭を掻いた。
どうにも言い辛い。
今朝家を出る時には、帰りに言おうとちゃんと心を決めて登校したはずなのに、いざとなったら往生際悪く言葉が出ない。
「青島?どうした?」
青島が待ってと言ったから、もちろん室井も青島を置いて立ち去ったりせず、青島の言葉をじっと待ってくれる。
「何か、悩み事か?」
幾分心配そうな室井が柔らかく聞いてくれるから、青島はようやく口を開いた。
「受験終わるまで、一緒に帰るの止めませんか?」
室井が目を剥いた。
突然で驚かせただろうが、寒くなる少し前から考えていたことだった。
今が室井にとって大事な時期。
少しの邪魔もしたくないし、負担にもなりたくない。
そう思っていたのに中々言葉にできなかったのは、どうしてもそれを寂しく思うから。
今でさえ、休みの日に会うことを避けているから、下校時くらいしか一緒にいられる時はなかった。
室井と会えなくなることは単純に寂しかったが、後一月ちょっとの我慢である。
室井の受験が終われば、ゆっくり会うことができる。
そう思って室井に告げようと決めていたのだが、徐々に室井の表情が険しくなり、青島も言葉が足りなかったかと慌てて付け足す。
「ほら、俺が遅くなるときもあるでしょ?掃除当番とかで。待っててもらうのも時間の無駄だし、それこそ風邪でもひかせたら困るし、室井さんも早く帰って勉強した方が…」
青島の語尾が弱くなったのは、室井に睨まれたからだ。
「断わる」
男らしくきっぱり断わられて、青島は反対に情けない困った顔になる。
「いや、でも…」
「君が言ったんだぞ」
「え?」
「俺なら大丈夫だって、言ったろ」
確かに室井の言う通り、室井なら大丈夫だと言ったばかりだった。
それは本心だが、応援している身としては、邪魔をしたくないのもまた事実だ。
ただでさえ、今の室井に青島が出来ることと言えば頑張れと応援することしかないのだから、せめて邪魔はしたくない。
青島はそう思ったのだが、青島を見つめる室井が少し怒っているように感じたから、何も言えなくなる。
「それとも、俺が信じられないか」
その言葉には、青島も弾かれたように反応した。
「まさかっ」
首をぶんぶんと振り、室井の強い眼差しに負けて少し視線を落とした。
「信じてますよ、誰よりも…」
「そのまま、信じててくれ」
室井の手が青島の頭を乱暴に掻き回した。
そっと視線を上げると、室井が小さく笑っていた。
「明日も一緒に帰ろう」
それを聞いて、力が抜ける。
青島は一気に軽くなった心に気付いて、赤面する思いだった。
「ああ、もう、俺って…」
どうしようもなく恥ずかしくて、情けなくて笑えてくる。
「青島?」
突然身悶えだした青島に困惑している室井に、青島は照れと羞恥と自嘲があいまったような曖昧な笑い方をした。
「期待してたみたいです、室井さんがそう言ってくれんの」
室井のことを思って、考えて、自分の我侭を引っ込めたはずなのに、どこかで期待していたのだ。
室井が嫌だと言ってくれるのを。
室井がそう言ってくれるのを聞いて、それに初めて気がついた。
俺って恥ずかしいやつだと茶化しながら、青島は驚いた顔をしている室井を置いて自転車を押して歩き出した。
向かっている方向は青島の自宅の方ではなく、室井の自宅だ。
「青島?そっちは…」
後を追ってくる室井を肩越しに振り返り、青島は気まずそうに言った。
「室井さんちまで、送らせてください」
素直になるのなら、とことんまで。
「もう少し一緒にいたい」
室井はややしばらく目を丸くして青島を見ていたが、やがてグッと眉間に皺を寄せた。
そのまま軽く背中を叩かれる。
「ばか」
「室井さん?」
「一緒にいたいのは、君だけじゃない」
室井の表情が柔らかく崩れたから、つられて青島も笑みを溢した。


邪魔をしたくない。
そう思うのと同じくらい、できるだけ傍にいたかった。
室井の受験が終わる頃には、三年生はほとんど学校に来なくなる。
そして、そのまま卒業していく。
室井とこうして歩けるのも、後少し。
決して、離れ離れになるわけではない。
別れるわけではない。
だけど、室井と同じ学校には、きっともう通えない。
それが分かっていたから、少しでも長く同じ時を過ごしたかった。


室井の卒業まで、後少し―。










NEXT

2008.3.22

あとがき


Oksana様からの96969HITリクエスト、
「学園ものパラレルで『卒業』がらみでお初」です。
久しぶりですね、このシリーズを書くのは…
久しぶりすぎて、勝手が分かりません;
矛盾点がないよう気をつけたいと思います……が、あったら許してください(こら)

このシリーズは見ていて恥ずかしくなるほど初々しい二人が売りだったような
そうでもなかったような(?)気がしますので、
開き直ってそんな路線で頑張ります!どんな路線だ!

初めて〜なお話は非常に萌えますね。ときめきます。
ときめけるようなお話にできるかどうかはまた別問題ですが;
のんびりとした連載になりそうですが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。
そして身悶えて頂けたら幸いです。
私と一緒に身悶えてください(恥ずかしさで)


Oksana様、遅くなりまして大変申し訳ありませんでした。
少しでも楽しんで頂けるお話になりますようにっ。



template : A Moveable Feast