ノックして、生徒会室のドアを開ける。
「失礼しまーす」
いくつかの視線が青島に向いたが、お目当ての人はいなかった。
実行委員の姿もあるのか、生徒会役員以外の人もいるようで、皆忙しそうだった。
「…失礼しましたー」
何をしにきたんだという話しだが、室井がいないのでは生徒会室に用事はない。
ちょっと残念に思いながら退出しようとしたが、沖田に引き止められる。
「室井さんなら、クラスの手伝いにいかれたわよ」
「あ…そうっすか」
ペコリと頭を下げた青島に、クスリと笑う。
「クラスの女の子たちに連れ去られたという方が正しいけど」
「え?」
「どうしても室井さんにウェイターをやらせたかったみたいね」
「はぁ…」
室井のクラスが喫茶店をやることは聞いていた。
その手伝いなら、ウェイターしかやることはないだろう。
だけど、わざわざ忙しい室井を連れ去ってまで、手伝わせなくても良いだろうに。
ちょっとだけ不快に思ったが、すぐにそれが小さな嫉妬だと気付いて、青島は内心で苦笑した。
室井と一緒にいられるだけでなく、同級生の気安さで接することのできる彼女たちが、羨ましかっただけである。
情けないと思いながら、沖田にもう一度頭を下げた。
今度こそ出て行こうとした青島を、沖田はもう一度引き止める。
「青島君」
「はい?」
「ドレス、もう脱いじゃったのね」
青島の頬が引き攣った。
「…沖田さんも、見たんすか?」
沖田はニコリと笑うだけで、その質問には答えなかった。
「折角可愛かったのに」
「……嬉しくないです」
少し顔を近付けて、内緒話をするように囁く。
「あら、室井さんは喜んでたのに?」
「…!?」
青島が目を丸くして赤面すると、沖田は穏やかに続けた。
「貴方の劇を見てから、室井さん機嫌良さそうだったわよ」
何故だか知らないが、沖田にからかわれているらしい。
それに気付いた青島は赤面したまま礼をして、今度こそ生徒会室を出た。
―ウェイターの室井さんか…。
室井の教室へ向かいながら、ちょっと想像してみる。
そして、思わず笑みを溢した。
眉間に皺を寄せた室井が、愛想もなにもなく「いらっしゃいませ」と言う姿が頭に浮かんだのだ。
本当に喫茶店のアルバイトだったら、すぐにクビになるだろう。
「何、ニヤニヤしてんだ?」
青島が一人失礼極まりない事を考えていたら、一倉に声をかけられた。
いつ見ても白衣が似合わない。
「別になんでもないですよ」
適当にごまかそうとする青島に、一倉はそれ以上突っ込んではこない。
一倉は人の顔さえ見れば、からかうことを生き甲斐にしているような男だ。
素直に引き下がった一倉に珍しいこともあるもんだと思ったが、単に他にも青島をからかうネタがあったからだった。
「シンデレラ、見たぜ」
「…暇なんですね、一倉さん」
わざわざ体育館まで見にきたのかと思ったがそうではないようで、一倉は首を振った。
「残念ながら、生では見てないんだ」
「え?じゃあ、どうやって…」
目を丸くした青島にニヤニヤ笑いながら、一倉は白衣のポケットに手を入れた。
嫌な予感に顔を強張らせる青島の前に差し出されたのは、数枚の写真だった。
「ぎゃっ」
青島の口から変な悲鳴が上がる。
それも無理はない。
写真には、シンデレラの衣装を着てステージに立つ青島の姿があった。
「なん、なんで」
写真を指差し口をパクパクさせる青島に、一倉は楽しそうだった。
「写真部が撮ってたみたいで、もう売りに出されてるぞ」
「う、売りに?早っ!…てか、一倉さん、わざわざ買ったの?」
「室井に高値で売りつけようかと思ってね」
「…買わないですよ、室井さん」
呆れた青島の突っ込みなど、一倉は聞いていなかった。
「どうせあいつのことだから、写真部からお前の写真なんか買えないだろうからな」
だからわざわざ自分で買って高値で売りつけるというのか。
なんて先生でなんておじさんだと青島は思ったが、一倉らしいといえば一倉らしい。
しかし、魔の手から室井のことは守ってやらねばならない。
「室井さんにはそんなもん買わせませんよ」
「それでも、あいつが欲しいって言ったら?」
「もっかい、室井さんの前で、その格好します」
そしたらわざわざ写真を買う必要などないだろうと思い、胸を張って答えたら、一倉が笑った。
そして、なるほどと一人納得している。
室井に売りつけることを諦めたのかと思ったが、一倉は青島の思考とは全く違うところで納得していた。
「つまり、そういうプレイなわけだな?」
「……違うっ」
否定に少し間が空いたのは、言われた意味を理解するのに少々時間がかかったからだ。
からかわれているだけだとは理解しているが、これは立派なセクハラではないだろうか。
疑問に思いながらも、これ以上一倉に構っているのは時間の無駄と気付いて、青島は一倉に背を向けた。
背中に声がかかる。
「お前に一票いれといたからなー」
青島の足がピタリと止まる。
勢い良く振り返ったが、一倉は既に反対方向に向かって歩いていた。
その背中に今度は青島が叫ぶ。
「どっちに入れたんですかーっ」
返事はなかった。
室井の教室に入ると、室井効果なのかどうか、席がほとんど埋まるほど賑わっていた。
青島はすぐに室井を探したが、探すまでもなく、すぐに見付かる。
他高の制服を着た女の子たちの注文を聞いていた。
その姿に、青島は目を丸くする。
室井は学生服を着ていなかった。
Yシャツに黒いネクタイを絞めて、ベストを着用していた。
エプロンも腰から下のギャルソンエプロンである。
本当にどこかの喫茶店のウェイターのようだった。
少しの間、青島がぼんやりとしていると、誰かが言った。
「あ、シンデレラ」
ハッとしたのは青島だけではない。
ぎょっとした室井と目が合い、思わず慌てて逸らす。
どうしたことか、気恥ずかしかったのだ。
青島はとりあえず周囲に対して、愛想笑いを浮かべた。
「どうも〜シンデレラです〜」
教室のあちこちから小さな笑いが漏れる。
青島たちの劇を見てくれた人が結構いることに改めて気付いて、青島は頭を掻いた。
「青島…」
注文を取り終えたらしい室井が寄ってくる。
今度はちゃんと視線を合わせるが、室井は眉を寄せた。
「何で睨むんだ?」
「別に、睨んでませんよ」
言ったが、発した声が幾分低くて、自分でも不機嫌になっている自分を認めざるを得ない。
「……そこ、座ってもいいっすか?」
青島は仏頂面で、空いてる席を指差した。
「あ、ああ、いいが…」
「んじゃ、失礼しまーす」
室井の言葉を遮って、青島は席についた。
眉間に皺を寄せたまま、室井がついてくる。
「青島、どうかしたのか?」
「どうもしませんよ、別に」
「なんか怒ってるだろう」
「怒ってません」
「青島」
焦れたような、咎めるような声に、青島は顔をしかめる。
不機嫌になるのも、無理はなかった。
青島はかつらを被りドレスを着て女装し。
笑わせているのか笑われているのか分からない笑いを浴びてきたというのに。
「可愛い」などというあまり嬉しくもない称賛を浴びてきたというのに。
ここにいる室井ときたら。
「室井さんばっかりカッコ良くて、ズルイ」
唇を尖らせて不服そうに呟いた青島に、室井は目を丸くした。
ウェイター風なスタイルの室井は、凛々しく清潔感があって、とにかくカッコよかった。
男の青島から見てもカッコイイのだから、クラスの女子たちが室井に喫茶店を手伝わせたかった理由も良く分かる。
この姿が見たかったのだろう。
八つ当たりだとは分かっていたが、青島は気に入らなかった。
「俺なんかあんなだったのに…」
膨れ面のまま、ふいっと顔を背けた。
「室井さんばっかカッコよくて、ズルイ」
カッコイイから怒られるなんてさぞかし理不尽だろうと思うが、室井から不満の声は上がらない。
それ以前に、何も言葉を発しない。
怪訝に思ってちらりと室井を見上げて、青島も絶句した。
眉間に深い皺を寄せた室井が、真っ赤な顔をしていたからだ。
耳まで赤くしている室井に呆気にとられる。
知らない人が見たら怒っているようにしか見えないだろうが、青島には分かった。
「室井さん」
「なんだ」
「そこまで、照れなくても」
悪い子はいねぇかぁと、包丁片手に腰簑を付けた鬼のような顔をしているが、室井は単に照れているだけだった。
「うるさい」
ぶっきらぼうに言われて、青島はとうとう笑みを溢した。
こうも照れられると、いじけているのもバカバカしい。
そして、何より、照れている室井が可愛かった。
「…笑うな」
仏頂面で室井が言うから余計におかしい。
しかし、人目もあるし、これ以上からかうのも可哀想だ。
青島は苦笑して、「注文聞いてくださいよ」と促した。
思い出したように青島の注文を聞くが、室井はすぐに立ち去らない。
「…?室井さん?」
「君も良かったぞ」
何がと聞くまでもなかった。青島は軽く赤面しながら、嫌な顔をした。
「酷い侮辱だ」
「な、なぜだ」
「いいから、早く仕事してください」
再び不機嫌になった青島に、室井は困った顔をして離れて行った。
室井の教室から出て廊下を歩いていると、投票箱が目に入る。
学年ごとに一箱ずつ置いてあるのだ。
用紙は前もって一枚ずつ配られている。
一応、一人一票と決まっているからだ。
青島ももちろん貰っている。
ポケットに畳んで入れてあった。
廊下を歩きながら、ポケットに手を突っ込んで、指先で触れてみる。
―なんだかなー。
青島は苦笑した。
照れ臭いが、他の名前は浮かびそうにない。
ポケットの中の紙を掴んで、通りすがりに投票箱に入れる。
名前は既に書いてあった。
―あんな姿見たら余計に、ね。
青島にとって一番など、今更考えるまでもなかった。
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