青島は生徒会室に向かって歩いていた。
先ほど部活で作ったケーキを持って。
室井への差し入れである。
部活で作ったとはいえ、青島が作ったとは相変わらず言い難い。
すみれが「綺麗に膨らますのが結構難しいの」と言って作ったのは、シフォンケーキ。
青島の仕事は卵を割ることと、後片付けのみである。
だが、青島にはとりあえず不満はない。
やってみたいという好奇心はあるが、実際に手を出して食えないものを作った後のすみれの怒りが恐ろしい。
であれば、最初から傍観していて、美味しいものを食える方が何ぼもましというものだ。
それに、その方が室井にも美味しいものを食わせてやれる。
そんなことをちょっと考えて、青島は苦笑した。
「失礼しまーす」
ノックと一応の挨拶を入れて、ドアを開ける。
生徒会室の中を見て、「おや?」と思う。
室井がいない。
この時間帯は例え他の役員がいなくても、室井は大抵生徒会室にいるのだが。
役職のせいもあるだろうが、責任感が強いのが災いして誰よりも仕事をしているからだ。
代わりに一人だけ生徒会室に男がいた。
青島はちょっと顔を顰める。
2年生の新城だ。
彼も生徒会役員である。
青島が生徒会役員で交流があるのは室井だけだ。
他の役員とは親しくないし、部外者の青島が頻繁に生徒会室に遊びに来るのを快く思っていない人もいる。
その最たるものがこの新城である。
室井の手前、はっきり何かを言われたわけではないが、青島に敵意を見せて隠しもしない。
青島だってそれくらい気がついてはいるが、気にしないことにしていた。
用事があるのは、青島だって室井だけである。
それに頻繁に顔を見せてはいるが、差し入れを持ってやってきては10分程度室井と雑談していくだけだ。
それほど邪魔をしているわけではないし、邪魔であれば室井が嫌がるはずだ。
だから、青島は気にせず遊びに来ていたのだ。
だけど、今日は室井はいない。
他の誰かがいたのなら差し入れを預けて帰るが、いるのは新城だけである。
預ける気にはなれない。
「失礼しました」
入ってきたときと同様、軽く挨拶をしてさっさと退出することにした。
「待て」
すると、珍しくも新城が声をかけて来た。
青島は無視するわけにもいかないので、仕方なく振り返る。
好意的な会話が交わされるわけがないと思っているので、自然と青島の表情が険しくなる。
新城が仏頂面を下げているので、余計である。
「何っすか?」
「お前は一体何のつもりだ?」
キツイ新城の言葉に、青島は眉間に皺を寄せた。
いきなり随分な言葉である。
「どういう意味ですか」
「室井さんにベタベタつきまとって、迷惑をかけているとは思わないのか?」
「っ!付きまとってなんか」
「ない?じゃあ、何故差し入れを口実にここにやってくる?お前は室井さんの何だ?」
厳しく詰め寄られて、青島は返答に詰まる。
確かに「口実」だったが、それを新城に指摘されるとは思ってもみなかった。
あげく、青島が室井の何かだなんて。
そんなことは青島の方が知りたかった。
「アンタに関係ない」
「関係なくはない。同じ役員として放っておけない」
「あんたに迷惑をかけているわけじゃないでしょう!」
「だが、室井さんが迷惑してる」
今度こそ、完全に絶句する。
青島は目を見開いて新城を見つめた。
新城も青島を睨みつけたまま、目を逸らさない。
「…室井さんが、言ったんですか?」
「そうだ」
「嘘だ」
「なら、本人に聞いてみればいい」
最も、本音を言うかはわからないがな。
新城はそれだけ言うと、もう青島のことなんか視界に入らないとでもいうように、仕事を始めた。
室井さんが、俺を迷惑だと言った?
そんなバカな。
あの人がそんなことを言うわけがない。
本当に俺が迷惑なら、あんな風に優しく迎え入れてくれるわけがない。
はっきりと迷惑だと言う人ではないが、愛想笑いなんか絶対にする人じゃない。
ましてや、俺にいい顔をしておいて影で悪口を言うなんて。
絶対ありえない。
新城さんが俺を快く思ってないことは良く知っている。
だけど。
あの人が俺に嘘を付く理由があるだろうか。
俺を生徒会室から遠ざけるため?
だったら、それこそ新城さん自身が迷惑していることを理由に俺を叩き出すだろう。
大体室井さんに聞けばはっきりするような嘘を言うだろうか。
青島は早足で生徒会室から遠ざかりながら、グルグル考え込む。
室井さんに聞く?
そう思って、足を止めた。
聞いたところで、室井が本当のことを言ってくれるという保障はない。
室井は嘘を吐くような人間じゃないと信じている反面。
例え青島が迷惑でも面と向かって迷惑だと言えるような人ではないことも知っている。
優しい人だ。
自分が聞いたところで、やはり本当のことを知れるとは限らない。
仮に、本当のことが知れたとしても。
それが、新城の言うとおりだったりしたら…。
立ち止まっていた青島は再び歩き出す。
向かう先は保健室。
放課後室井が生徒会室にいない時は、保健室にいることが多い。
叔父の一倉と雑談をしているらしい。
罵りあっている姿を青島は何度も目撃しているが、あれで仲が良いのだろう。
行き詰った青島は、室井に直接聞いてみることにしたのだ。
いくら考えたって答えの出ないことをいつまでも考え込むのは青島の性に合わない。
室井の言葉を信じようと思ったのだ。
もし本当に迷惑をかけているのなら。
悲しいけれど、切ないけれど。
いつまでも傍にいるわけにはいかない。
そう思えば確かめないわけにはいかなかった。
保健室のドアをノックしてドアを開けて、青島は脱力した。
「誰もいない…」
室井どころか、一倉すらいない。
保健室を開けっ放しにして、ほいほい出歩いていいものなのだろうか。
青島はそんなことを思いながら、無人の保健室を見渡した。
別に青島が気にすることではないのだが、このまま無人にしておいてよいものなのか思わず悩む。
目的の室井がいなかったわけだからここに用事はないが、ついでに言えばその室井がどこにいるのかわからないのだから、保健室を出て向かう当ても無かった。
どうせ行く場所が無いのだからと、青島はここで一倉が戻るのを待つことにする。
帰るときには鍵くらい閉めて帰るはずだから、少なくても戻ってはくるのだろう。
それまで勝手に留守番をすることにしたのだ。
カーテンで遮られているベッドに腰を下ろして、そのまま後ろに倒れる。
「…嘘、だよなぁ」
希望的観測が口をついて出る。
室井がそんなことを言うとはやはり思えない。
そう信じたい。
青島がそんなことをぼんやり考えていると、ドアが開く音がして慌てて身体を起こした。
すぐに出て行こうとして、響いてきた一倉の笑い声に一倉が一人じゃないことに気付く。
「笑うな」
咎める声は、青島も良く聞き覚えがあった。
「お前も災難だな、室井」
「うるさいっ」
目当ての人物も一緒で、青島はなんとなく出るのを躊躇った。
「いいから、胃薬をくれ」
続く室井の言葉に、眉を顰める。
どこか体調が悪いのだろうか。
「早く青島を何とかしろよ」
喉の奥で笑う一倉の声に、青島は硬直した。
「…何とかできるものなら、とっくに何とかしてる!」
「だろうなぁ。胃にくるくらいだからな」
「笑ってないで、胃薬を寄こせ」
「……ほら。お前が言えないなら、俺が言ってやろうか」
「余計な真似はするな。自分で何とかする」
「早めに何とかした方がいいぞ。そのうち胃に穴があくぞ、お前」
「分かってる……薬、有難う」
「おう」
生徒会室に戻る、と室井が告げてドアを開ける音がする。
室井が出て行ったらしい。
「難儀なヤツだなぁ」
ポツリとつぶやいた一倉の言葉に、青島はようやく硬直していた身体を動かした。
カーテンを開けると、ぎょっとした一倉が立っていた。
「…失礼しました」
さっさと一倉の横を通り抜けようとして、その一倉に腕をつかまれる。
「おいっ、あ、青島!」
振り返った青島が一倉を見上げると、一倉は絶句した。
「お前…」
頬が濡れていたからだ。
青島は一倉の反応に、初めて自分が泣いていることに気がついた。
一倉の腕を振り解いて、その手で乱暴に頬を拭う。
「青島、今のは…」
何かを言いかけた一倉の胸倉を掴んで引き寄せた。
教師にする態度ではなかったが、青島には気にするだけの余裕がなかった。
「室井さんには言わないでください」
自分が今の話を聞いていたことを、だ。
それだけ言うと、呆気に取られている一倉を放して、さっさと保健室を出て行く。
「青島!」
後ろから一倉の声が聞こえたが、青島は振り返らなかった。
戸口でその姿を見送った一倉は、口元に手を当てて眉を寄せた。
「まずったなぁ」
新城さんの言ったことは嘘じゃなかったんだ。
青島はそう思った。
胃に来るほど、自分が室井を追い詰めていたなんて…。
そんなことには全く気がつかなかった。
いつ会いに行っても、優しく迎えてくれた。
満面の笑みで青島が来たことを喜ぶような人ではないが、いつだって青島のために居心地の良い場所を提供してくれた。
その優しい室井の厚意に甘えて、図々しくなっていたのかもしれない。
それほど、室井の重荷になっているとは思いもしなかった。
「何とかしたい」存在になっているとは思いもしなかった。
青島は走って自分の教室に戻った。
当然誰もいない。
ドアを閉めると、ずるずるとしゃがみこむ。
そして、膝に顔を埋めた。
涙が止まらない。
室井が自分を嫌っているはずがない。
なんて、何故思えたのか。
胃が痛くなるほどの苦痛を室井に与えておいて。
結局室井のことなど、何も分かっていなかったのだ。
はっきりしていたのは、自分の気持ちだけ。
室井を好きだという、青島の思いだけだったのだ。
「うっ…っ……っ」
噛殺せない嗚咽を零す。
こんなふうに終わらせるくらいなら、もっと早くに気持ちを伝えれば良かった。
そうすれば室井に苦痛を強いる事も無かったのに。
今となっては、室井の気持ちを知ってしまった今となっては。
好きだということは出来ない。
いくら青島でも、そこまで図太く出来ていない。
青島に出来ることは。
これ以上室井の負担にならないことだけだった。
NEXT