■ 恋の続き(後編)
あれから一週間。
青島はぴたりと生徒会室に遊びに行かなくなった。
室井とはあれきり顔を合わせていない。
青島が会いに行かなければ、そう会うことも無かったのだ。
会いに行かなくなって、青島はそのことに初めて気が付いた。
「暗い」
休み時間だというのに机に頬杖をついてぼんやりしていた青島に、すみれが短く言い放った。
何故だか、人の目の前で仁王立ちである。
青島はそんなすみれを見上げて首を竦めた。
「そんなことないと思うけど」
「あるわよ」
私が言ってることに間違いでもあると思ってんの?
とでも言いた気に青島を見下ろしてくる。
「本当だって」
「室井さんとケンカでもしたの?」
ズバリといわれて、青島は一瞬目を泳がせる。
ケンカだったらどれだけ良かっただろうと思う。
仲直りすることが出来るからだ。
青島が何を言おうかと思案しているうちに、すみれが勝手に話し出す。
「だって、もう随分生徒会室に行ってないじゃない」
「随分って…たかが一週間じゃない」
「間で二回も部活あったのに、差し入れしに行かなかった」
絶対おかしい!
断言されて、青島は困り顔になる。
すみれの言う通りである。
マイナーな部活動のわりに活動が盛んな料理部は、週に2〜3回は活動している。
それもこれも部長のすみれが食い意地を張っているせいだが。
青島は密かに感謝していた。
室井に差し入れを持っていく口実になるからだ。
だが、今はそれが裏目に出てしまっているらしい。
こんなことなら、差し入れする振りだけでもいておけば良かったと今更思う。
「別に何にも無いよ」
頑なに否定する。
すみれが信じていないような目で青島を見てくるが、青島は故意に無視することにした。
***
室井は相変わらずひどい胃痛に悩まされていた。
いや、むしろ、最近の方が酷いときている。
青島が生徒会室に顔を出さなくなって一週間以上が経っている。
―何か気に障ることをしたのだろうか…。
情けなくも不安になって、それが胃痛に拍車を掛けているのだ。
「また、胃薬か?」
保健室に現れた室井に、一倉が呆れたような声を上げた。
室井の眉間には深い皺が刻まれている。
「…うるさい」
いいから寄こせと言わんばかりの室井に、一倉は溜息を吐いた。
「お前、いい加減にしろよ。とっとと告ってくりゃあいいだろうが」
「できるか、そんなマネ」
出来るならとっくにやっている、と室井は思う。
青島が自分に好意を持ってくれている自信はある。
だが、それは室井が告白などをすれば一気に消えてなくなる好意だ。
少なくとも室井はそう思っている。
だから、告白など出来るわけがない。
失うくらいなら、友達のままでいい。
我ながら情けないとは思うが、情けなくても傍にいたかった。
胃痛を抱えている甥をまじまじと見つめて、一倉は腕を組んだ。
「青島は?」
「何が」
「青島からは何か言ってこないのか?」
「…?青島が俺に何を言うというんだ」
怪訝そうに一倉を見上げる室井。
「最近も遊びに来てるのか?」
「…………もう一週間以上姿を見てない」
苦いものを飲み込むように、室井が答える。
一倉はあごに手を当てて、「う〜ん」と唸った。
「あいつも、案外臆病なんだなぁ」
何か知ってるふうな一倉を、室井は鋭く睨んだ。
そして胸倉を掴んで引き寄せる。
「おいおい。お前といい、青島といい。そうそう教師の胸倉掴むなよ」
「!」
青島は教師の胸倉を掴むような素行の悪い―今現在生徒会長の室井も掴んでいるが、生徒じゃない。
青島が一倉の胸倉を掴んだとしたら、一倉がそれ相応のことをした結果だといえる。
大体にして、初対面で青島の指を舐めた男だ。
青島が殴り飛ばしたくなるようなことをしていないとも限らない。
甥の考えることにしては物騒だが、室井はそう判断すると厳しい視線を一倉に送り胸倉を掴んだ手に力を込める。
「青島に何をした」
「してない。何もしてない。誓って何もしていないから、そう怖い顔をするな」
恐怖で説明が出来なくなるなどと、飄々と言ってのける。
だから、一倉の発言には信憑性がないのである。
半信半疑で一倉を睨む室井に、一倉は苦笑した。
「俺は既婚者だぞ。それに、お前の片思いの相手に手を出すほど腐っちゃいない」
「…指を舐めたくせに」
「根に持つなぁ。俺は校医だぞ。あれは治療だ」
「校医なら校医らしい治療をしろ!」
「おう、それも尤もだな」
室井は一倉の胸倉を掴んだまま、脱力した。
思わず項垂れる室井の頭上で、一倉が笑みを漏らす。
「青島、何か勘違いしてるぞ。たぶん」
はっとして、室井は顔を上げた。
「先週お前が薬を取りに来たとき、実はあのカーテンの向こうにいたんだな。青島が」
一倉がカーテンを指で指しながら言うから、室井はぎょっとした。
「な、なんで、あの時言わない!」
「バカいえ。俺だって知らなかったんだ。お前が出てってすぐだよ、青島が顔を出したのは」
知らなかったと言われてしまえば自分だって気がつかなかったのだから、一倉ばかりを責められない。
室井は先を促す。
「…それで?青島は何を誤解してるというんだ」
「お前に嫌われてると思ってる」
端的に言われて、室井は絶句した。
一倉は苦笑を浮かべた。
「俺のせいでもあるけどな。お前の胃痛の原因が青島だって言っちゃったからな。俺が『青島を何とかしろよ』、お前が『出来るものなら何とかしてる』という会話は、誤解して聞くと『室井は青島が大嫌いで付きまとわれて困っている。そのせいで、胃痛まで起こしてる』そう聞こえないか?」
室井はそれを聞きながら呆然としていた。
青島があの場にいたのなら、一倉の言う通りに聞こえてもおかしくない。
室井が青島を嫌ってる。
「そんな、ばかな」
事があってたまるかという気分だったが、青島がそれからぴたりと顔を出さなくなったということが答えのような気がした。
「早いとこ、誤解を解いた方がいいと思うぞ。あれは、結構もてそうだ」
軽く言った一倉を、思考回路が働き出した室井は下から睨みつける。
「何故、そういうことを早く言わない!」
「うん。いや、青島の方から行動を起こしてくれたほうが、案外早くまとまるかと思ったんだがな。お前同様鈍くて奥手だったみたいだな」
「後で、覚えてろよ」
負け犬の悪役みたいな台詞で悲しくなるが、とりあえず今は一倉に構っている暇はない。
青島の誤解を解かなければ。
室井はすぐに保健室を飛び出した。
***
「ええ?嫌だよ!」
青島は必死で首を左右に振った。
それをすみれは恐ろしい笑顔で一蹴する。
「お使いは下っ端の仕事でしょ?」
「下っ端って…同級生でしょうが」
「私部長、青島君平。上に逆らうと出世できないわよ」
「出世なんてしなくていいよ」
溜息を吐きながら答える。
すみれが言い出したのは、生徒会室へのお使いである。
部費値上げ嘆願書である。
いや、そんなものが学校に用意してあるわけではなく、そういう内容の申請書をすみれが勝手に書いただけだが。
こんなものを出したところで、料理部にこれ以上予算が下りるわけもない。
言うまでもなく、単なる口実だ。
室井に会いにいかせるための。
沈みっぱなしの青島を気遣ってのことだろうが、青島には喜べるわけも無かった。
「行ってきて」
「嫌だ」
「頼んでるんじゃないの。命令してるの」
「…嫌だ」
「クビにするわよ」
「したら困るくせに」
すみれは眉を吊り上げた。
青島がすみれに対して、これほど強気に出たことはない。
どうしても引けなかったのだ。
室井には会いに行けない。
だが、すみれも引かない。
「いいわよ」
「すみれさん?」
「また同好会に戻ればいいだけだもん。別に構わないわよ」
何故だか胸を張って、まるで威張っているように言うすみれ。
青島は目を丸くした。
同好会でいると不都合だから青島を強引に勧誘したくせに、あっさりと「構わない」と言う。
無理をしているふうではない。
この調子だと、青島が断り続けたら本当にクビにされるだろう。
それもこれも、恐らくは青島のため。
それが分かっているだけに、青島はこれ以上首を横に振れなかった。
「…………行ってくる」
「ちゃんと、室井さんに渡してね」
ニッコリ笑って、用紙を渡される。
青島の目には、その笑顔に「仲直りするまで戻ってくるな」と書いてある気がした。
青島が渋々教室を出て行くと、すみれは溜息をついた。
「やれやれ…何があったんだか」
落ち込む青島など見たくもないので何とかしてやりたいのは山々なのだが、恋愛関係だけは他人が干渉してどうにかなるものではない。
すみれが青島にしてやれることは、精々臆病な男の背中を押してやるくらいなものだ。
ただ、すみれに言わせれば、青島の片思いとはとても思えなかった。
「どっちも鈍そうだしねぇ…」
すみれが思わず呟くのと教室のドアが開くのと、ほぼ同時だった。
振り返って、すみれは目を丸くする。
「室井さん」
青島に会いに行かせた張本人がここにいては、お話にならない。
すみれがちょっとガッカリしていると、室井は眉間に皺を寄せて尋ねてくる。
「青島は?」
「青島君なら、今さっき生徒会室に向かわせたところ」
「そうか。失礼する」
来たのもいきなりなら、帰るのもいきなりである。
短く礼を言って、ぴしゃりとドアを閉めた。
走る足音がする。
すみれは呆然とそれを見送って、にやりと笑った。
「仲直り、出来そうね」
仲直りする以前に、ケンカをしているわけじゃない。
だから、会いに行くこと自体は気まずくない。
ただ室井に申し訳ないだけだ。
自分が顔を出すだけで、不愉快な思いをするのではないだろうか…。
室井が不在だといいと思う。
すみれは室井に渡して来いと言ったが、生徒会室にいなければ仕方が無いだろう。
まさか室井が戻るのを生徒会室で待つわけにもいかない。
それに新城がいるかもしれない。
いれば、間違いなく追い出されるだろう。
いっそのことそれがいいという気がしないでもない。
追い出されてしまったら、それは青島のせいじゃない。
すみれに怒られることもないだろう。
それでクビにはされないはず。
青島は生徒会室の前で、一度溜息をついてからノックをした。
「失礼しまーす」
中に入って、青島は失笑した。
本当に、いたのは新城だけだったからだ。
新城には決して会いたくはないが、これで良かったのかもしれないと青島は自分に言い聞かせた。
「またお前か」
新城が一瞬目を見張ってから、冷たく言い放った。
カチンとこないわけではないが、新城を相手にする気はさらさらない。
青島は取り合わず、新城の目の前に嘆願書をかざした。
「部費値上げのお願いだそうです。ご検討よろしくお願いします」
訝しげに眉を顰めながら、それを受け取る新城。
「…値上げ?図々しいな」
「全くですね。面の皮が厚いんです、うちの部長」
青島がそう言うと、新城は用紙から顔を上げて青島を見てくる。
「…何か?」
「怒ってないのか?」
一瞬、何の話をしているのか分からなかった。
当然新城が言っているのは、先週青島に言った室井のことである。
呆けた青島が、苦笑を浮かべる。
「今更、あんたがそれを聞きますか」
「…それもそうだな」
複雑な表情を浮かべている新城が、青島には良く分からなかった。
後悔しているのだろうか。
青島に対してきつい事を言ったと。
「別に気にしてないです。新城さんの言ったことは本当だったし」
青島が言うと、新城は驚いたように目を見張った。
「本当だった…?室井さんに聞いたのか?」
「ええと、まあ、間接的にですけど…つーか、嘘のつもりだったんですか?」
これには青島の方が驚く。
人にあれだけショックを与えておいて、嘘のつもりだったとは何事だ。
青島の考えていることが分かるのか、新城は咳払いをして誤魔化した。
「嘘だったわけじゃない。俺がそう感じていたというだけの話で…」
微妙な言い回しだが、青島は溜息一つで流した。
事実だったわけだから、今更新城の嘘を責めることに意味は無い。
「別にいいっすけどね。じゃあ、俺、戻ります」
「室井さん、待たないのか」
青島は不審げに新城を見た。
何故新城が青島を引き止めているのかが分からない。
邪魔だから、あんな嘘を吐いたのだろうに。
「…待てません。俺は室井さんに会えません」
そう言って、今度こそ生徒会室を出ようとする青島の腕を、新城が掴んだ。
青島はぎょっとして、振り返る。
「青島」
「なんすか?」
「室井さんを好きなのか?」
いきなり核心をついた新城の言葉に、青島は息を飲んだ。
それから鋭く新城を睨む。
「アンタに関係ないだろう」
「関係ない。ただ…」
先週とはちょっと違う新城の態度に、怖い顔をしていた青島は「あれ?」と思う。
自分が遊びにくるだけで迷惑していると言った男とは違う人物のようだ。
前は明らかに感じられた敵意が今は無い。
青島は自分の腕を捕らえている新城の手が酷く熱いことに気がついた。
「青島」
「…新城さん?」
「俺は…」
新城が何かを言いかけたとき、突然生徒会室のドアが開いた。
はっとして二人が振り返ると、二人とも驚いて目を丸くする。
同じくドアを開けた本人、室井も室内のただならぬ雰囲気に目を剥いていた。
しかし、長いことフリーズしてはいない。
眉間に深い皺を寄せると、新城が掴んでいた青島の腕を奪ってしまう。
驚きで青島は何も言えない。
「新城」
「…何ですか?」
「青島に話があるんだ。二人にしてくれ」
ほとんど睨みつけるようにして、新城に言った。
新城は無表情にそれを受け止めて、何も言わずに出て行く。
それを黙って見送る二人。
ドアが閉まって足音が遠ざかると、青島は急激に現実を意識した。
慌てて室井の腕を振り払おうとする。
が、思いの他力強く握られていて振り払えない。
「む、室井さん、離してください」
「断る」
にべも無く言われて、青島は表情を歪める。
室井のことが好きだからこそ、今の状況は辛い。
「室井さん!」
「君が話を聞いてくれるまで離さない」
「俺には話すことなんかない!」
「俺にはある!」
語気粗く言われて、青島は思わず言葉に詰まる。
「一倉に聞いた。君は誤解してる」
「…っ!言うなって言ったのに!」
青島は舌打ちして、校医らしからぬ校医の顔を思い浮かべた。
「青島」
「誤解なんかしてません。室井さんこそ、もう無理するのやめたらどうですか」
自分なんかに気を使って、胃なんか痛めていたらわりにあわない。
青島は声に出さずにそう思った。
泣きそうな笑みを貼り付けて。
その表情を見た室井も、顔を歪ませる。
「青島、違うんだ。聞いてくれ」
「我慢強いにも程がありますよ、室井さん」
「だから、違うと言ってる!」
「だから、もういいって言ってるでしょ!」
「何がいいんだ!俺はちっとも良くない!」
「胃痛めるほど我慢する必要なんかなかったんだ!一言言ってくれれば、それで!」
「言って良かったのか!?」
「当たり前です!アンタが苦しんでいるのに気付かないでいるよりよっぱどいい!!」
「俺は君が好きなんだぞ!?」
「俺だって好きですよ!!」
「「・・・・・・・・・・・・」」
怒鳴りあっていたのが、嘘のような沈黙。
二人とも、口をぽかんと開けたまま、互いの顔を穴が開くほど見詰め合う。
開いた窓から聞こえてくる部活動の生徒の声で、二人とも意識を取り戻した。
「今の、本当か?」
室井が疑わしそうというよりは、自信がなさそうに聞いてくる。
「…室井さんこそ」
「俺は本気だ」
間髪入れずに即答されて、青島は再び絶句した。
それから、徐々に頬に赤みが指してくる。
「う、嘘だ。だって…、あの…」
しどろもどろになる青島。
口では否定をしていても、室井が嘘を吐いているとは思っていないからだ。
室井が嘘を言っているかどうかは、すぐに分かる。
「保健室での話しだな?アレは君が傍にいるせいで胃が痛いと言ったわけじゃない。いや、ある意味そうなのだが」
「???」
青島は首を捻る。
室井は空いた手で頭を掻いた。
口下手な室井にとって、自分の感情を正確に伝えるのはかなり難しいことだった。
「だから、嫌いで迷惑で胃が痛いんじゃなくて」
「はい?」
「君が傍にいるのに、何も言えないし何も出来ないし…」
「……」
「君が好きだから」
そこまで言われて、青島にもなんとなく伝わった。
頬にますます熱が集まる。
見れば、室井もかなり赤面している。
ちらりと視線を向けられて、青島は心臓が痛くなるのを感じた。
室井は青島に想いを伝えられなくて、胃が痛むほど悩んでいたのだ。
それが、ようやく青島にも理解できた。
室井の想いと一緒に。
青島は一歩室井に近づいて、そのまま室井の肩に額を押し付けた。
一瞬躊躇ってから、室井は空いた手で青島の頭を撫ぜてくれる。
「俺、バカみたいだ」
「いや…それを言うなら俺だって。もっと早くに伝えていれば、胃が痛くなることも君と一週間以上も顔を合わせないなどということも無かったのに」
損をしたと室井が言うから、青島はその肩の上で笑った。
「本当。損しちゃいましたね」
「だから、顔を見せて欲しいんだがな。青島」
事の他優しく言われて、青島はますます顔を上げられない。
「ヤですよ」
「青島」
「もうちょっと、このままで」
「…了解」
何故青島がそれほど簡単に誤解をしたのか。
その大きな原因に新城の発言があったことを聞いた室井に、青島はどのみち生徒会室進入禁止を言い渡されるが、それはまた少し先のお話。
END
2004.6.29
あとがき
長くなってしまって申し訳ありません。
途中で区切って中編にしようかとも思ったのですが、
どこで切ったらいいか分からなかったので止めました(^^;
一応くっつきました〜。
書けて良かったです!ホッとしました。
本当は初ちゅーくらいまでいきたかったのですが、
これ以上長くしたくなかったのでこのお話はここまで。
室井さんにはこれからも胃を痛めて頂きましょう(笑)
初ちゅーはいずれ書きたいと、思ったり…。
「新城さんは青島君狙いか、室井さん狙いか」と
気にしてくださった方々もいらっしゃいました!
結局、青島君狙いに(笑)
基本的に、青島君受けしか書けないんだなぁ…私。
困ったなぁ。このシリーズでも一倉さん書くの楽しいです(笑)
template : A Moveable Feast