■ fortune(7)


室井は仕事の手を止めると時計を見た。
もうじき7時になる。
部屋の中がやけに静かだった。
青島がまだ帰らない。
夕飯は必ず一緒に取ってくれていたので、この時間になるまで帰らないことは今までに無かった。
室井は少しだけ苦く笑った。
青島の自由にしていていいと言ったくせに、彼が戻らないのが気になって仕方がない自分に少し呆れる。
青島にだって付き合いがあるかもしれないし、やりたいことだってあるだろう。
束縛するつもりは無いが、室井は青島が傍にいないことが少し寂しかった。
それでもそのうち帰ってくるはずだ。
青島はきっと約束を破らない。
一月の間は仕事に出ず、室井の傍にいてくれるはずだ。
だから室井はこの一月の間に、青島を口説き落とすつもりだった。
どんな理由で今の仕事をしているのか知らないが、それを止めさせて恋人になりたい。
問題はどうしたら青島が落ちてくれるかだ。
それを模索しているうちに、時間だけがどんどん過ぎていく。
不器用もここまでいくと、自分自身で呆れてしまう。
不意にドアが開く音がした。
「ただいま〜」
青島の声に室井は席を立つと、そのまま立ち尽くした。
呆然とする室井に、青島は苦笑する。
「こんな格好ですみません」
見るも無惨な姿だった。
あちこち土塗れで薄汚れ、シャツは破れてボタンがいくつか飛んでいる。
頬に痣があり、唇が切れていた。
青島は苦笑したまま続けた。
「一度寝た客と偶然鉢合わせしちゃって、ちょっとトラブっちゃいました〜」
何でもないことのように言う青島を見ながら、胃の辺りに鉛を押し込まれたような気分になった。
室井の表情を見てか、青島が慌てて付け足す。
「あ、やらせてませんよ?蹴り倒して逃げて来ましたから」
「…っ」
室井が息を飲むと、青島は笑った。
「室井さんと約束したからね」
反射的に室井は青島を抱きしめた。
何とも言えない感情に襲われる。
どこの誰だか知らないが、知りもしない相手に殺意を覚えた。
また、いつもと変わらない青島が悲しくもあった。
泣いてくれたら、辛いと一言言ってくれれば、室井にもしてあげられることがあるはずだが、青島はそんなことを望まない。
室井に何かを望んだりしないのだ。
何も出来ないし、何かしたいと思うことすら望まれていない。
室井にはそれが悲しくて仕方が無かった。
室井に抱きしめられて所在なげにしていた青島だったが、やがておずおずと室井の背中に腕を回した。
「室井さん、俺、大丈夫ですよ?」
「そうか」
「こんなこと、頻繁にあるわけじゃないし」
「そうか」
「優しい人も、いっぱいいるし」
「そうか」
壊れたスピーカーのように同じ返事を繰り返す室井に、青島はとうとう笑い出した。
肩を揺らして笑いながら、室井の背中をぎゅっと抱きしめる。
そうしながら、室井の顔を覗き込んだ。
「だから…そんな顔、しないでくださいよ」
慰めたいのに慰められて、室井の眉間に皺が寄る。
それを見て、青島はまた笑った。
その顔があんまり鮮やかだったから、室井は思わず言った。
「キスしてもいいか」
ぎょっとした青島は、室井を凝視した。
余程驚かせたらしい。
少し目を伏せてから、もう一度室井を見た。
少しだけ照れ臭そうな表情を浮かべている。
「そういうことは」
室井の頬にそっと手を掛けた。
「聞かずにするもんです…」
しっとりと唇を重ねられる。
柔らかい感触に、心臓が跳ねる。
ずっとこうしたかったのだと、身体が素直に教えてくれた。
室井は青島の頬を両手で包むと、何度も唇を重ねた。
深くは求めず、ただただ触れるだけ。
いつの間にか、青島の手が室井の手にかかっていた。
どこか縋るようなその手を握ってやると、強く握り返される。
そのままの態勢でキスを繰り返して、傷ついた唇の端をそっと舐める。
「……傷の手当てをしよう」
目を開けた青島が緩く首を振る。
「大丈夫ですよ」
「駄目だ」
「舐めとけば治りますって」
「…なら、治るまで俺が舐め続けるぞ」
我ながら妙な脅し文句だった。
青島はまたツボにはまったらしく、盛大に笑い出した。
ついさっきまでの空気が霧散する。
少し残念だが、青島が楽しそうにしているのが嬉しいので、良いことにした。
「ってて…唇切れてるんだから、あんまり、わ、笑わせないでくださいよ…」
いてて…と言いながら、青島はまだ笑っていた。
室井は青島の笑いの発作が治まるのを待った。
手を繋いだままで。


約束の一月は、じきに終わる。
いつまでもこうしてはいられないことは室井にも分かっている。
―好きだ。
―傍にいてくれ。
そんな言葉で青島を繋ぎ止められるだろうか。
相変わらず自信は無い。
それでも何としても何とかしなくては。
室井はもう、青島のいない生活など考えられなかった。


***


―室井さんは、俺を好きだ。
青島は眠っている室井の寝顔を見つめながら、思った。
室井が青島を抱きもしないのに一月も買った時から、はっきりしていたことだ。
必死に青島を繋ぎとめようとする室井の姿は、青島には初めて誰かを好きになった人間のそれのように見えた。
初めは何を考えているのか分からず、室井の言うことが理解できなかった。
金も権力も持った人のはずなのに、やけに純情で可愛い人だとは思った。
抱きもしないのに引き止められて、戸惑った。
断ることも出来たし、二度と会わずに済ませることだって出来た。
だけど、二度目の呼び出しに応じた。
一倉の紹介だから仕方がないと、意味も無く自分に言い訳をしてまで、室井に会いに行った。
その挙句が、今の状況だ。
金で飼われるなんて死んでもごめんだと思っているのに、室井の説得には簡単に絆された。
―何であの時出て行かなかったんだろう。
青島は薄暗い部屋の中で、自分を抱きしめて眠る室井の顔を見つめながら、ぼんやりと思う。
金が欲しかったわけじゃない。
青島にとって金は必要なものだが、そのために身体以外を差し出すつもりは無かった。
現実を受け入れることで変わってしまった青島の、小さなプライドだった。
今までだって似たようなことを言い出した男がいなかったわけではないのだ。
それに頷いたことは一度もない。
それなのに、室井のことだけはどうしても拒めなかった。
「…バカな人だな」
青島は呟いて、室井の頬をそっと撫ぜた。
眠りの深い人ではなかったが、最近は青島を抱き枕にしてぐっすり眠っている。
青島のほうは、こんな仕事をするようになってからは、眠りが浅かった。
皺のない眉間に触れて、ちょっと笑った。
「俺なんかに惚れちゃって…可哀想」
そう言いながら、室井を見つめる青島の眼差しは酷く柔らかかった。
青島が室井を拒めなかった理由など、はっきりしていた。
だが、青島自身はそれを認めるわけにはいかない。
室井の気持ちを受け入れることなど、今の生活をしている青島にできるわけもなかった。


―一月だけ。
青島は夢を見たのだ。
たった一月だけの夢。
自分を愛してくれる男の傍で。
優しい男の傍で。
穏やかな夢を見た。
タイムリミットは後少し。
そうしたら、二度と夢は見ないと決めている。
自分に許したのは、一度だけ、たった一月だけの夢。
「二度と望まないよ」
青島はそっと室井の唇に自分のソレを重ねた。
そして、額をその胸に押し付ける。
「ありがとう…室井さん」
今はまだ、夢の中だ。
もう少しだけ、青島に許された夢の中。


その晩、青島は優しい夢を見て、少しだけ泣いた。










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2005.5.24

あとがき


ちょっとだけ青島君の気持ちを書いてみました…が、分かりくいでしょうか(汗)
伝わっていなければ申し訳なく〜。

青島君の気持ちに関してはラスト部分でも触れることになると思うのですが、
もう、この時点では、青島君は自己完結しているようです。
ほんの一月だけ、室井さんと恋人ごっこをしたような気になっているのではないかなぁと。
一月経ったら、全て無かったことにしようと思っているのではないかなぁと。
例え、青島君が室井さんを好きだと認めても、決別する算段をするのではないかなぁと。
などと思うのですが、こんな話を後書きでしないで、本編の中で説明しなさいよって話です(苦笑)

力不足で…どうもすみません…(汗)



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