インターホンが鳴ってドアを開けると、前回同様スーツ姿の青島が立っていた。
どういう表情をしたらいいのか迷ったらしく、強張った半笑いを浮かべている。
室井は苦笑しながら、青島を招きいれた。
戸口で今更ながら少し躊躇ってから、諦めたように入ってくる。
「またお喋りして、酒飲んで、寝るだけ?」
伺うような視線に頷いてみせると、青島は溜息をついた。
相変わらず「困ったなぁ」と顔に書いてある。
だが、一つ確信した。
青島は確かに何もせずに金を貰うという行為には抵抗があるらしい。
それでも室井の呼び出しに応じてくれたということは、室井を嫌いではないということだ。
いくら一倉の紹介でも、気に入らないことにいつまでも付き合ってくれる男ではないだろう。
客を紹介してくれる一倉を怒鳴りつけられるくらいだから、遠慮はしないはずだ。
ならば、自分のポリシーを少しだけ曲げてお付き合いしても良いかなと思う程度には、室井に好意を寄せてくれているということだ。
今はそれで満足だった。
「ルームサービスで適当に頼んでおいたんだが、好き嫌いは無かったか?」
テーブルに並んだ酒と食事を指差しながら尋ねると、青島は室井を見て、テーブルを見て、また室井を見た。
そして苦笑を漏らす。
「何でも食えますよ」
「そうか、良かった」
ホッとしたように頷くと、青島は少しだけ表情を崩した。
「室井さん、本当に社長さん?」
「ああ…らしくないか?」
「ない」
「良く言われる」
室井が平然と言ってのけると、青島は堪らないというふうに吹き出した。
屈託無く笑う顔を見て、やっぱり好きだと思った。
「趣味は?」
軽く酒を飲みながら、話しが途切れたから聞いてみた。
青島が変な顔をする。
「そんな話し、聞いてもつまんないでしょ」
「いや、気になるんだが」
素直に言ったら、ますます変な顔をされてしまった。
「他にもっと無いんですか?」
「暇な時は何をしてるんだ?」
目を丸くして、それから苦笑した。
「調子狂うなぁ」
「何が?」
首を傾げた室井に、青島は続けた。
「俺みたいな男に興味がある人は大抵、何でこんなことしてるのかーとか、いつからこんなことしてるのかーとか、家族はどうなってるんだーとか……そういうことを気にするもんですよ」
趣味や私生活について聞かれたのは初めてだ。
そう言いながらも、不愉快そうではない。
むしろ面白がっているように見えた。
「そういうものか…」
一人納得している室井に、青島は声を立てて笑った。
「まぁ、いいっすけどね。趣味か…趣味ねぇ。あ、趣味というよりは癖ですけど、結構色んなもの集めるの好きですよ。収集癖っていうのかな。金のかからないものばっかなんですけどね。最近だと植物かな。小さな植木鉢、集めてるんです」
楽しそうに話す青島を見ながら、小さな部屋で沢山の小さな植木鉢の世話をしている青島を想像した。
きっとこんなふうに楽しそうに笑いながら、水をあげているのだろう。
微笑ましいのに、どこか淋しい気がした。
「そうか…俺の家は緑なんか無いな」
「あ、緑があるといいっすよ。花とかね」
「今度育ててみよう」
「手間のかからない植物、教えてあげますよ」
「それは助かる」
とても男娼とその客の会話とは思えなかったが、二人はそのまま話し込んだ。
さすがにもう、ベッドの譲り合いをすることはなく、二人揃って寝室に向かう。
青島にはバスローブを貸した。
本人はパンツ一枚で寝ても構わないと言うのだが、室井が構う。
キングサイズのベッドは、二人で横になっても充分ゆとりがあった。
「んー、やっぱり寝心地いいっすねー」
布団に包まり幸せそうな顔をする青島に、室井は目を細めた。
「それは良かった」
「室井さん、毎日これに寝てんだもんなぁ」
羨ましそうに零す青島に、室井は言ってみた。
「君も毎日寝に来るか?」
青島は目を丸くし、一瞬困った顔をして、それから笑った。
「んなわけにいかないでしょー」
笑いながらくるりと室井に背中を向けた。
おやすみなさいと言われて、室井もそれに応じる。
毎日泊まりに来いと半ば真剣に誘ったのだが、想像通りに青島は頷かなかった。
―当然か。
室井は心の中でひっそりと溜息をついた。
ベッドサイドの電気を消そうと思った瞬間に、青島の首筋が目に入った。
赤い鬱血。
キスマークだ。
シャツの襟に隠れていた項が、今は晒されていた。
室井の身体がカッと熱くなる。
一週間会っていなかったのだから、その間に何人かの客を取っているのだろう。
そんなことは当然で、今更なことだ。
男娼であると知って出会ったから、そんなことは気にしていないつもりでいた。
だが確実にどこかの誰かが、この一週間の間に青島を抱いている。
それを自覚させられたことで、室井は急に堪らなくなった。
胸が痛くて、思わず心臓に手を当てる。
こんなに激しい感情を覚えたのは初めてだった。
こんなに激しい嫉妬を覚えたのは―――。
「……っ」
室井は電気を消すと布団に入り、背後から青島を抱きしめた。
その身体がビクリと反応した。
ゆっくりと振り返る。
暗闇の中でも、青島の視線を捕えることができた。
それくらい、近くにいた。
「…もしかして、ヤる気になった?」
声は笑っているようだったが、その目が室井にはどこか悲しそうに見えた。
暗闇の中だから、気のせいだったかもしれない。
そんなことは室井には関係無かった。
ただ強く抱きしめる。
「…っ、室井さん?」
いくらか困惑したような青島の声。
「抱きしめて眠ってもいいか」
青島の目が見開かれたのが、今度ははっきり見えた。
「……俺は抱き枕ですか」
「なってくれると有り難い」
少しの間の後、青島の肩が揺れた。
室井の腕の中でくるりと向きを変えると、青島の方から抱き着いてくる。
室井は動悸が青島に聞こえるんじゃないかと思いつつも、青島の背中を抱きしめた。
「抱き枕くらい、いくらでも」
今度は明らかに笑っていた。
少しだけ嬉しそうな青島に、室井は小さく微笑む。
「ありがとう」
「……本当に、変な人だなぁ」
何度言われたか分からない言葉。
それでも青島はどこか嬉しそうに繰り返している。
「褒め言葉と、受け取ってる」
ありがとうと続けたら、青島の身体がまた揺れた。
室井は一つ心を決めて、瞳を閉じた。
「ここの飯、美味いっすよね〜」
嬉しそうに朝食を頬張っている青島を見ながら、室井は小さく微笑んだ。
青島は食がいい。
飢えているというのとはまた違って、美味そうに食べるから食べさせ甲斐もあった。
「これを」
青島が食べ終わるのを待ってから、室井は一枚の紙を青島の前に差し出した。
その紙を覗き込んだ青島の表情が一瞬にして変わる。
「……何すか?これ」
鋭く睨まれるが、室井はそれを平然と受け止める。
青島が怒り出すのは想像通りだった。
問題はどうやって説得するか、だ。
室井は青島の前に、その紙を置いた。
「小切手だ」
紙には青島を毎晩買ったとして、一月は買い続けることができるだけの額が記載されていた。
青島は背もたれに寄り掛かり、相変わらず挑むように室井を睨んでいる。
「んなことは、見れば分かります。何のつもりかって、聞いてんですよ」
「君の時間を買いたい」
金額から一晩単位じゃないことは、青島にも伝わったのだろう。
表情にはっきりと不快感を表した。
それはすぐに怒りに変わる。
乱暴に席を立つが、もちろん小切手には手も触れていない。
室井はすぐに青島の腕を掴んだ。
「青島」
「アンタ、どうかしてるんじゃないのか?」
怒りに高揚した顔で睨まれる。
「俺は身体を売ってはいるけど、誰かに飼われるつもりはない」
「君を飼うつもりなんて、俺にもない」
こうなることは分かっていた。
青島がこんなことを了承するとは思えないし、口下手な自分が青島を説得するのは簡単なことじゃない。
青島は室井を睨んだまま、口元だけで笑った。
「金でどうにでもなると思うなよ」
カッとなる。
「金でどうにかなるなら、とっくに抱いてるっ」
思わず叫ぶと、青島が目を丸くした。
金で手に入るなら、青島の時間など買わずに青島自身をとっくに買っていた。
室井が欲しいのは金で手に入る時間や身体じゃなくて、金では絶対に動かせない青島の心。
そのことと、青島の時間を買いたいと願うことは、言ってしまえば無関係だった。
ただどうしてもここにいて欲しかっただけ。
誰かに抱かれて欲しくなかっただけなのだ。
金で買って拘束して、室井のいいようにしたかったわけでは、決して無い。
―青島は青島だけのものだ。
それをどうやって青島に伝えたら良いのか、室井には分からなかった。
怒りが困惑に変わった青島は、戸惑った顔で室井を見ていた。
「どういう……意味ですか?」
想いの全てを伝えられたらどんなに良いか。
室井は苦い顔で目を伏せた。
「部屋の出入りは自由だ。どこに行くのも君の好きにするといい。拘束はもちろん詮索もしない。……俺が君に望むことは一つだけだ」
青島の目をまっすぐに見つめる。
「誰にも、抱かれないでくれ」
目を合わせたまま、青島は息を飲んだ。
やがて薄っすらと赤面する。
「ア、アンタ、何言って」
動揺が激しいらしく、視線を少し泳がせた。
室井の願いの不自然さに、何か気が付いたのかもしれない。
室井は構わずに、掴んでいた青島の腕を離しその手の平を握る。
青島の身体が小さく跳ねた。
「頼むから、俺の願いを聞いてくれないか」
泳いでいた青島の視線を捉えて、離さない。
「っ」
青島は耳まで赤く染めると、首ごと室井から逸らした。
「アンタ、本気でバカなんじゃないの!?」
「何とでも言ってくれ」
「もう少し、マシな金の使い方でも覚えたら!?」
「無駄使いは好きじゃないんだ」
「今まさに、してるでしょっ」
「欲しいものしか、買わない」
青島の首筋まで色が変わる。
見てるこっちが可哀相になるくらい、赤面してしまった。
ここまで言って、室井は自分が青島を口説いていることにようやく気が付いた。
自分にもこんなに情熱的なところがあったのか、などとぼんやりと思う。
しばらくの間、二人はそのまま沈黙していた。
室井はじっと青島の言葉を待つ。
「…………俺に、望むことは」
青島が顔を逸らしたまま、ぽつりと呟いた。
続きは室井が引き取る。
「誰にも抱かれないことだけだ」
「……他には」
「……」
「無いわけ」
「できたら、毎晩一緒に眠りたい」
室井の子供のような願いに、青島は笑おうとして口元を歪めた。
失敗したのか、唇を噛む。
何もせずに金を貰うことをラッキーだと思えないような男だ。
酷な頼みをしているのは百も承知だった。
それでもどうしても引けない。
室井はまた青島の言葉を待った。
「……俺からも、お願いがあります」
青島が視線を室井に戻した。
ぎこちない笑みを浮かべている。
「俺の部屋にある植木鉢、この部屋に運んでもいいですか?」
室井は思わず破顔した。
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