部屋に入った途端に、青年の態度が砕けた。
「ひぇ〜〜〜、立派な部屋っすねぇ…スィート?」
きょろきょろと辺りを見回していた青年が、戸口に突っ立っている室井を振り返った。
室井はぎこちなく首を振る。
「いや、セミスィートだ」
仕事をするのにそれなりの広さが欲しかったので、室井は少し大きめの部屋が取れればそれで良かったのだが、一倉が「大会社の社長なんだから少しは外聞も気にしろ」と言ってこの部屋を押さえたのだ。
「すげぇ〜、俺、初めて入りましたよ」
無邪気に笑ってみせる男を見て、室井はいささか拍子抜けした。
―この男が…男娼?
とてもそうは見えなかった。
年齢は室井よりもいくつも若そうだった。
きちっとスーツを着こなし、白い歯を見せて快活に笑う。
その目はひたすらに明るかった。
室井は男女問わず商売人と寝たことは無かったが、街で見かける彼女ら、もしくは彼らは、もっと暗い目をしている。
口元に笑みを貼り付けていても、目が本当に笑っていない。
好きでそんなことをしているわけではない人が多いのだ。
室井は戸口から動かず、青年を見ていた。
視線に気が付いたのか、青年はニコッと笑う。
「俺、青島って言います」
名乗られて、また戸惑う。
「君は…その…一倉に…」
まさか「男娼ですか?」とも聞けずにしどろもどろになっていると、青島は目を伏せてネクタイを緩めた。
たったそれだけの仕草に室井は言葉を失う。
それを見た青島が、吹き出した。
屈託無く笑うと、途端にセクシャルな雰囲気が消える。
「いきなり取って食ったりしませんよ」
その一言で、一倉が本当に本気だったということが分かった。
目の前の男は、やはりそのために来たのだ。
「男、経験無いんですってね」
―あのバカは何を話したんだ、一体!
室井は頭の中で絶叫した。
「まーかせてください」
そう言うと目を細めた。
今度こそ、室井は硬直する。
「良くしてあげますから」
青島がネクタイを引き抜いた。
絶句などしている場合ではない。
スーツを脱ごうとした青島に、室井は慌てて近づいた。
「ちょっと、ま、待ってくれ!」
室井の慌てっぷりが可笑しかったのか、青島は目を丸くした。
「だから、心配しなくても、とって食ったりしませんってば」
「そ、そうじゃなくて!」
「あ、貞操の心配なら要りませんよ?」
その意味がきちんと理解できるまでにややしばらくかかった。
室井が抱かれるのではないと言っているのだ。
「…っ!」
思わず真っ赤になる。
青島は少し驚いた顔をして、弾かれたように笑った。
良く笑う男だ。
その笑顔があんまり明るいから、室井はすぐに信じられなくなる。
―本当に…この男が?
「あはははは…面白いなぁ、室井さん」
一倉に聞いていたのだろう。
青島は既に室井の名前を知っていた。
大きな瞳が室井の顔を伺うように見つめてくる。
どういうわけか、そうされると動けなくなる。
言いようの無い魅力があった。
室井が硬直していると、熱の引かない頬に青島が手を伸ばしてきた。
意外にひんやりした手の感触に、室井は更に頬が熱くなった気がする。
「気持ち悪い?」
静かに問われて、室井は視線を泳がせた。
「な…に?」
「俺に触られて気持ち悪い?気持ち悪かったら、さすがに無理かも」
頬を撫ぜながら、顔を近づけてくる。
唇が触れ合いそうなほど近くで、囁いた。
「大丈夫なら……俺に任せて」
キスされる―そう思った瞬間に、室井は青島の身体を力いっぱい突き放した。
いきなりで驚いたのか、青島はそのまま床に倒れてしまった。
そんなつもりではなかったので、室井も驚く。
しかし動揺が激しく、頭が真っ白だったので、呆然と立ち尽くしてしまった。
呆然としていたのは青島も一緒だったが、やがて苦笑を浮かべると「まいったなぁ…」と呟いた。
その目に今までに無い暗さが見えて、室井はハッとする。
良くは分からないが傷つけたのかもしれないと、何となく思った。
青島は立ち上がると、脱ぎかけていたスーツを着直した。
引き抜いたネクタイも元に戻しながら、室井を見る。
また、ニコッと微笑まれた。
「絶対駄目だって人もいますからね」
青島が帰る気だということが分かって、ホッとした。
だがそれと同時に、このまま帰したくないという気持ちもあった。
それに気が付いて、室井は愕然とする。
「一倉さんが勝手に俺を呼んだんでしょ?あの人強引ですもんね〜」
その言い方もまた、胸に引っかかる。
―一倉の相手は……もしかしたら、この青島なのだろうか。
酷く喉が渇いてきたような気がして、唾を飲み込んだ。
「じゃあ、俺帰ります。お騒がせしました」
横を通り過ぎて部屋を出て行こうとする青島の手首を思わず掴むと、青島は驚いた顔で振り返った。
が、驚いたのは室井も一緒だ。
自分でも何がしたいのか分からない。
ただ、このまま帰したくなかった。
「えーと…室井さん?」
「……酒でも飲んで行かないか」
何故か口を付いて出た誘い文句に、室井は自分で自分が信じられなかった。
青島も目を丸くしていたが、やがて苦笑した。
「俺、これから仕事しないと」
肩を竦めて、平然と言う。
それはそうだろう。
室井という客を逃したのだから、青島は新しい客を探さないといけない。
それで生活している男なのだ。
だがそれを聞いたら、ますます室井は青島を返したくなくなった。
「一晩、いくらだ」
「は?」
「君を、買う」
青島は訳が分からないといった顔で室井を見つめた。
「だって…しないんでしょ?」
「……話が、したい」
青島の表情が曇った。
「ヤらないのに、金は貰えない」
室井は首を捻る。
そういうものなのだろうか。
そういうルールでもあるのだろうか。
室井には全く分からなかったが、ビジネスだと思えば頷けた。
―サービスを提供して料金を貰う…確かにな。
変なところで納得すると、室井は提案を出した。
「俺は君の時間を買う。君は俺と話をしたり酒を飲んだりしてくれ。何だったら、マッサージしてくれても構わないし、歌を歌ってくれても構わない」
絶句している青島に、室井も「何を言っているんだ、俺は」と心の中で突っ込んだ。
何故こうまでしてこの男を引き止めているのか、自分でも理解できない。
―どうしても帰したくない。
分かるのは、その思いだけだった。
困惑したように目を泳がせた青島は、居心地悪そうにネクタイを弄っている。
「サービスを提供して金を貰うんだ、ちゃんとしたビジネスだろ」
「そんなこと…言われても」
「一晩、いくらだ?」
青島は眉を寄せて、少しの間考え込んでいた。
「…二時間にしましょう。二時間だったら、タダでアンタに付き合ってもいい」
青島にとって何のメリットもないのに、二時間タダで付き合うと言ってくれているのだから、室井はこれに頷くべきだった。
だが、どうしても出来ない。
二時間経ったら、青島はやっぱり客を探しに行くのだろう。
「イヤだ」
子供みたいな我侭を言っている自覚はあった。
青島も困惑を通り越して、いくらか呆れ気味だ。
「イヤって、アンタ……」
「俺はちゃんと君の客になる。一晩分、料金を払う。だから、ここにいてくれ」
引き止めるのに必死になるあまり、室井はそれがほとんど口説き文句だということに気が付いていなかった。
しばらく呆然としていたが、青島は眉間に皺を寄せると、深く溜息を吐いた。
そして、投げやりにソファーに座る。
「二時間なら、3万。一晩なら6万。俺の相場。もう好きな方、選んでよ」
間髪いれずに、答えた。
「6万、払う」
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