パソコンを睨んでいた室井は、インターホンの音を聞いて腰を上げた。
ホテル住まいは楽でいいのだが、来客時だけは面倒臭い。
オートロックだから一々内側からドアを開けてやらねばならないからだ。
室井の部屋にやってくる人など、決まっている。
掃除に来るメイドやルームサービスを運んでくるボーイ。
その他は、一人しかいない。
ドアを開けてやると、部下の一倉が立っていた。
「よぉ」
社長の室井にこんなふてぶてしい挨拶を寄越すのは、一倉くらいなものだ。
一倉は室井の幼なじみでもあった。
子供の頃から知っていて、今更畏まられても気持ちが悪いだけなので、室井は一つも気にしていなかった。
「仕事は捗ってるか?」
一倉が尋ねてくるから、室井は書類を一倉に渡した。
「真下君に再提出しろと言ってくれ」
一倉は書類にざっと目を通した。
「ああ、この企画か……俺は悪くないと思ったが?」
「コストが掛かり過ぎる」
「利益のためには、多少は必要だろう」
「期待出来る利益の割にコストが掛かり過ぎると言ってるんだ。後二割コストをアップさせてもいいから、倍の利益が見込めるように作り直させろ」
苦笑した一倉に、室井は少し思案顔になった。
「……無理だと思うか?」
「厳しい、が。無理だとは思わん。コストはもう少し掛かるかもしれない」
「よし、真下君には二割増しでと伝えておいてくれ」
そう言っておけば、三割以内には納まるはずだ。
一倉も頷いている。
室井は再びデスクに戻った。
やらなければいけないことや、決めなくてはいけないことは、まだまだ沢山あった。
「おい、少し休憩したらどうだ?」
勝手知ったるとばかりにお茶をいれながら、一倉が聞いてくる。
「そうもいかない。本社から決済事項が山ほど送られてきてる」
メールをチェックしながら、うんざりしていることが声に出ないように気を付けながら言った。
室井と一倉は、現在出張で本社を離れている。
だから、二人ともホテル住まいなのだ。
もう一月近くになるが、まだまだ帰れそうにない。
一倉は二つのカップを持って傍にやってくると、一つをデスクの上に置いてくれた。
「そんなに根詰めてやらなくてもいいだろう」
「そんなわけにはいかない」
室井が繰り返すと、一倉は微苦笑を浮かべた。
「先代より、評判いいみたいだぜ?お前」
室井は複雑な表情を浮かべた。
先代は、室井の父親だった。
1年前に急死してしまったせいで、急遽室井が跡を継ぐことになってしまったのだ。
ようやく30歳になったばかりの室井には、大きすぎる役目であった。
それでも今現在、社員から大きな不満があがらずに会社を経営していけているのは、室井の才覚と生真面目な性格故にだろう。
室井は一倉がいれてくれたお茶を有り難く頂きながら、首を緩く振った。
「俺がいい加減なことをするわけにいかない」
室井の肩に、社員とその家族の生活が掛かっているのだ。
後を継いだばかりの頃は、良くそんなことを考えて胃を痛めたものだった。
胃痛こそ引き起こさなくなったものの、今でもその重みを常に感じている。
「無理し過ぎて、倒れられても困るんだがな」
珍しく気を使ってくれているらしく、室井は苦笑した。
「大丈夫だ」
「それにしたってなぁ……ちゃんと休んでるか?」
「ああ、夜はちゃんと寝てる」
「飯は?」
「お前と良く一緒に食ってるだろう」
「それもそうだな」
苦笑してから一倉は少し考えて、室井を見下ろした。
「女は?」
「は?」
一瞬本気で何の話しをしているのか分からなかったが、少し遅れて気が付いた。
そして溜息を吐く。
「そんな暇はない」
「不健康だぞ、それは」
一理はある気がするが、一倉の口から出るとどういうわけか納得がいかない。
「不健康なことをしてるのは、お前じゃないのか?」
室井が一倉を見上げると、一倉はニヤリと笑った。
「俺は既婚者だぞ?」
既婚者だから遊んでいないと言いたいのだろうが、真実ではない。
呆れ顔の室井に構わず、一倉は続けた。
「ストレスも溜まってんだろ?スッキリさせてもらったらどうだ?」
「…女性はそういうふうに扱うもんじゃない」
「商売人ならいいだろう?」
「女性を金で買いたくない」
室井は特別フェミニストというわけではない。
生真面目な性格が、金の絡んだ交際を善しとしないだけだ。
「後腐れが出来るのが嫌なのか?」
「……そんなとこだ」
一倉の指摘も間違っていなかった。
女性と交際するのも、身体だけの関係を持つのも。
正直なところ、社長になってからは面倒臭く感じていた。
室井一人のことで済まなくなりそうだという思いもあるし、ただ単純に面倒臭いという思いもあった。
室井が否定しなかったせいで、一倉が新たな案を出してきた。
「後腐れがなきゃ、いいんだな?」
「は?」
「男相手なら、大丈夫だろ」
平然と言ってのけられて、室井は一瞬頭が真っ白になった。
「お前…」
「経験ないだろ?食わず嫌いは良くないぞ」
「って……一倉お前まさか」
「中々いいもんだぞ」
ニヤリと笑われて、室井は頭を抱えた。
一倉が男とそういう関係になったことがあるなど、長い付き合いだが初耳だった。
ただ、今時珍しい話でもない。
それに相手は一倉だ。
一倉のすることに一々驚いていたら、身体がいくつあっても足りない。
室井は気を取り直すと、顔をあげた。
「夫人を、大事にしてるんだろうな」
言わずもがなだが、一応釘を刺してみた。
一倉はかなりの愛妻家なのだ。
案の定、当たり前だとばかりに頷いてみせた。
一倉は室井から離れると、室井に手を振った。
「まぁ、俺に任せとけ。悪いようにはしないから」
そう言って部屋を出ていった。
一倉には一倉の仕事がある。
ここでいつまでも油を売っているわけにはいかないのだ。
後姿を見送ってパソコンに向かった瞬間。
室井は慌てて椅子から立ち上がった。
「任せておけって、何をするつもりだ!一倉!」
当然だが、返事は無い。
外で食事をして部屋に戻ってきた室井は、ソファーに腰を下ろし書類に目を通していた。
放っておくといつまでも書類を手放さないような毎日が続いている。
確かに不健康かもしれない。
しかし、今の室井にはこれが全てだった。
「…これだと…いや…」
一人ブツブツと零していると、インターホンが鳴った。
また一倉だろうと室井は思った。
不穏な予告をしていったから、戻ってきたのだろうと思ったのだ。
室井はシカトしようかとも思ったが、後が恐いので仕方が無いから腰を上げた。
ドアを開けて、目を丸くする。
見知らぬ青年が立っていた。
自分の会社の社員だろうかと思ったのは、彼がスーツを着ていたからだ。
だが、社員ではなさそうだ。
もちろん社員の顔を皆覚えているわけではないが、何となく雰囲気が違う気がするのだ。
なんというか―。
こんなに人目を引くような青年は自分の会社にはいないような気がした。
大きな目が室井を見つめている。
室井よりも少しだけ長身の彼は少しだけ顎を引いて口元に笑みを浮かべると、胸ポケットから名詞を取り出した。
「ワタクシ、こういうものです」
室井に来客の予定は無かったが、反射的に受け取る。
名詞を見て、ぎょっとした。
一倉の名刺だったのだ。
ハッとして彼を見つめると、目が細められた。
―まさか…。
室井の頬にさっと赤みがさした。
一倉の言葉を思い出した。
―任せとけって…もう調達して来たってことか!
そうだった。
一倉に限って、室井の了承を得るとか、確認をするとかいった行動を取るわけがなかったのだ。
いきなり現物を調達してきたらしい、一倉は。
つまり。
目の前の男は、男娼だということだ。
動揺している室井に気が付いているのかいないのか、男はふっと小首を傾げた。
「上げて、頂けますか?」
室井は戸惑ったが、追い返すにしろ、ドア口でそんな話は出来ない。
誰に聞かれるとも限らない。
それに彼だって仕事だろうから、事情を説明しないわけにいかないだろう。
そう思うと、室井は身体をずらして、部屋の中に入るよう青年を促した。
室井をちらっと見て、口元に笑みを浮かべてみせた。
「失礼します」
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