青島のことが好きだ。
部下の枠など、とっくにはみ出していたのだ。
その事実に気付いた室井の衝撃は、新城の告白を聞いた時以上のものがあった。
おかげで、昨夜はまた眠れなかった。
今度は本当に一睡もしていない。
リビングで胃が痛くなるほどコーヒーを飲みながら夜を明かした。
そんな状態だったが、そろそろまた仕事に行かなければならない。
コンディションは最悪で、社会人としても最悪だったが、室井の人生において過去最大の大事件と言って良かった。
青島のことが好きなのだ。
信じられない。
有り得ない。
そう思う気持ちは今もあるが、青島に惚れていると認めてしまえば、納得がいくことが多すぎた。
何より、新城に対して、未だに激しい嫉妬を覚えている。
夕べは恐らく二人で過したのだろう。
二人きりでどんな話をするのか、どんな時間を共有するのか気になって仕方がない。
想像しては腹立たしくなったり悲しくなったりしながら、一晩過ごした。
新城に青島を渡したくない。
そんな思いはあるが、だからと言って、室井には何もできなかった。
青島に思いを告げることも、考えられない。
告白をしたところで、受け入れてもらえるはずがないからだ。
青島は女好きだ。
いや、青島が遊び歩いている姿を見たことがあるわけではないが、少なくても男に興味があるとはとても思えなかった。
そう考えれば、新城にも望みはないのではないだろうかと、暗い期待をしてしまう。
尤もそんなことは室井の願望に過ぎず、青島が新城を受け入れる可能性だってあるだろう。
新城に限らず、青島が誰かを選ぶ時は必ずくる。
その時になったら、室井は後悔するかもしれない。
それでも室井には、青島との関係を壊せない、壊したくない理由があった。
室井と青島が深く繋がっている、約束の存在。
警察官の室井にとって青島は、ある意味で唯一無二の同志だ。
なくてはならない存在だった。
室井の邪な感情で、青島を失うわけにはいかなかった。
それならば、この想いはひっそりと抱えていくしかない。
室井が一晩寝ないで考え出した結論は、結局それだった。
―墓場まで持っていく。
それが一番だ。
今は胸が痛くても、いずれ忘れられる。
その程度の我慢には慣れていた。
元々強かった忍耐力は、警察官になってから益々磨かれている。
こんなことのために磨いたわけではなかったが。
室井は頬を両手で挟んで叩くと、立ち上がった。
いつもの出勤時間になった。
現実に戻らなければならない。
青島を好きな自分も現実だが、それよりも室井には大事にしなければならないことがある。
―忘れよう。
そう心に決めて、玄関に向かう。
決めただけで忘れられるほど人の心は簡単にできていないが、自分にいい聞かせることくらいしか、今の室井にできることはなかった。
どうしようもなく暗い顔のまま靴を履き、玄関を出る。
「早くしろ、青島」
官舎の外に出た室井は、聞こえてきた声に振り返った。
違うエレベーターに乗っていたのか、室井に少し遅れて新城が外に出てきた。
新城とは官舎の棟が同じだから偶然会っても驚きはしないが、新城に続いて出てきた青島にはすこぶる驚いた。
驚き過ぎて、言葉もない。
「待ってくださいよ、新城さぁん」
疲れきった顔をした青島が、新城の後を追ってくる。
「遅刻したら、お前のせいだからな」
「まだ余裕あるでしょ」
「暇なお前と一緒にするな、私は忙しいんだ」
「だったら、起こしてくれれば良かったじゃない」
「散々起こした。寝汚いお前が悪い」
「ぐっ……大体夕べは新城さんが無茶させるから」
言いかけた青島が、言葉を飲んだ。
立ち尽くしていた室井に気付いたのだろう。
「あれ?室井さん?何で?」
さすがに動揺している青島とは対照的に、新城はいつもと変わらず落ち着いていた。
室井をちらりと見て、青島を見る。
「何でも何も、室井さんも官舎住まいだ。おかしいことはない」
「あ、そか。同じ官舎に住んでんですね…おはようございます」
思い出したようにペコリと頭を下げる青島にも、室井は返事ができない。
固まったまま、呆然と二人を見ていた。
室井の様子がおかしいことに気付いたのか、青島が不思議そうな顔をした。
「室井さん?どうかしました?」
首を傾げて顔を覗き込むような仕草をする青島に、室井はようやく口を開いた。
「なんでもない」
「そうっすか?なんか顔色悪いけど…」
どんな顔をしているのか自分でも想像がつかなかったが、酷い顔をしていることだけは間違いなかった。
「なんでもないんだ。君こそ、何故ここに…」
無理に声を絞り出してまで尋ねることではなかったかもしれない。
青島がここに、官舎にいる理由など、一つしかなかったのに。
「夕べ新城さんちに泊めてもらったんですよ〜」
飲み過ぎちゃってと言って頭を掻きながら、バツが悪そうに苦笑した。
やはり聞くまでもなかったと、どす黒く染まっていく心の淵で室井は思った。
青島は夕べ泊まったのだ。
新城の部屋に。
その事実が、室井から簡単に理性を奪っていく。
頭が正常に働かない。
心だけが、痛い辛いと存在を主張してくる。
胸を掻き毟りたくなるような衝動を覚えたが、手の平を握り締めることでなんとか耐えた。
気付けば、新城が室井を冷めた目で見つめていた。
「行くぞ、青島」
青島に声をかけ、室井に小さく礼をすると、新城は室井を追い抜いて行った。
一瞬だけ戸惑った青島と視線がぶつかるが、青島も頭を下げると室井の脇をすり抜けて行った。
通り過ぎた二人の声だけが、聞くつもりもないのに耳に入ってくる。
「だらしないヤツだ」
「アンタが悪いんですよ」
「アンタと言うなと言ってる」
「ハイハイ、新城さんのせいですからね」
「人のせいにするな。大体私は夕べ、これ以上ないくらい優しくしてやった」
言って、新城が肩越しに横目で室井を見た。
一瞬だけ視線が合うと、腹の底からどうしようもないほどの怒りが込みあげてくる。
新城の目が勝ち誇ったように笑った瞬間には、室井の掌に爪が食い込んだ。
「夕べのことなんか良く覚えてませんよ」
すねたような青島の声。
二人の声が徐々に遠くなる。
室井が立ち尽くしている間に、とうとう二人の姿は見えなくなってしまった。
室井も本庁に向かわなければならない。
急がなくても間に合う時間だが、このまま突っ立っていては遅刻してしまう。
機械的に足を動かすが、どこに向かって動かしている足なのか、自分でも分からなかった。
酔い潰れて新城の部屋にただ泊まっただけ。
有り得ないことではないが、室井は新城の気持ちを知っている。
惚れた相手を部屋に泊めるということは、そういうことではないだろうか。
親密そうな二人の態度、勝ち誇るような新城の笑みが、室井にそう確信させる。
室井の脳裏には、新城の後を追う青島の姿が焼き付いていた。
絶望的に思う。
―青島は、新城を受け入れたのか。
腹の底が酷く熱い。
想像以上に早く、室井は後悔することになった。
「室井さん、どうしたんすかね?」
官舎も見えなくなった頃、青島が不思議そうに呟いて後ろを振り返った。
室井の様子がおかしかったことくらいは、青島も気付いていたらしい。
新城はそれを横目で見て、鼻で笑った。
「気になるなら、戻って話しを聞いてきたらどうだ」
「…別に気になるってわけじゃないけど」
青島は唇を尖らせて、歩く速度を早めた。
上手く誤魔化しているつもりか知らないが、青島の仕草は思いのほか素直だった。
室井が気になって仕方ないと、顔に書いてある。
―室井さんなら、今頃嫉妬や怒りではらわたが煮えくりかえっている頃だ。
そう思ったが、言ってはやらない。
室井が自分で伝えるべきことだ。
楽をさせてやるつもりはない。
精々苦しめと思うのは、新城から室井への最後の嫌がらせだ。
「二日酔いはいいのか」
「多少気持ち悪いですけど、まぁなんとか…新城さんがあんなに飲ますからですよ」
「嫌なら断ればいいだろ」
「断っても聞いてくんなかったの、アンタ…じゃない、新城さんでしょうが」
青島は不服そうに半眼になる。
夕べは酔い潰して官舎に連れてくるのが新城の目的だった。
青島は元営業マンらしく酒に強かったが、自分は適当にセーブしつつ青島にはしこたま飲ませて酔い潰した。
新城のやることに抜かりはなく、室井の出勤時刻は部下に探りを入れて調べてあった。
後は室井に見せ付けるだけで良かった。
新城がやりたかったことはそれだけである。
後は室井次第だ。
嫉妬心を剥き出しにした室井が、自分の気持ちに気付けばいい。
認めてしまえば、あれほど青島に執着している男が、我慢などできるはずもない。
これでもまだ認めないのなら、その時は、青島はいつまでも室井のことを想っている必要などない。
「新城さん」
呼ばれて青島を見上げると、青島は苦笑していた。
「迷惑かけてすみませんでした」
「…なんだ急に気持ち悪い」
「失敬な」
憮然として見せたものの、青島はすぐに肩を竦めた。
「酔い潰れて迷惑かけたのは事実だし、今度お詫びに奢りますから」
へらっと笑う青島に、新城は無表情を貫いた。
不思議と、自分のものにしたいという気持ちは起こらなかった。
むしろ、冗談ではないと思う。
こんな男に捕われて、捕われたまま生涯を過ごすなど、死んでもごめんだ。
室井の気がしれない。
室井は恋をした自覚もないまま、青島に捕われていた。
それで平気だというのだから、救いようがない。
奇特ではあるが、だったら平気な男に任せるのが一番である。
青島など新城の手にはおえないし、どのみち青島の目にも室井しか映っていない。
「だから、室井さんは平気なのか…」
失笑すると、青島が振り返った。
「何か言いました?」
別にといいかけた新城は、口許を嫌味に歪めた。
「室井さんの趣味は最悪だと言う話しだ」
当たり前だが、何の話か分からずに、青島は眉を寄せて首を傾げていた。
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