居酒屋で新城と向かい合わせで酒を飲んでいると、新城が徐に胸ポケットから携帯を取り出した。
震えているから、着信があったらしい。
携帯を開いて相手を確かめると、電話に応じることもなく再びポケットにしまってしまう。
「あれ?出なくていいんすか?」
仕事じゃないのかと尋ねると、新城は緩く首を振った。
「いや、婚約者だ」
「へぇー…って、誰の?」
「私のだ」
テーブルに肘をついたままだらしなくビールを飲んでいた青島は、新城の短い返事に盛大に噴いた。
「ぶはっ」
「何をしてる」
汚いと顔を顰めながら、新城がテーブルを拭いてくれるが、青島はそれどころではない。
「ぐっ…げほっごほっ」
咳き込みながら、口許を手の甲で拭う。
「私のって……新城さんの婚約者ってこと?」
「そうだと言ってる」
「新城さんに婚約者がいるってことですか?」
何度も似たような質問で確認してしまう青島に、冷たい声で新城は応じた。
「他にどう聞こえるんだ」
青島は驚きのあまり、変な声を上げた。
「えええっ?」
「うるさい」
裏返った大きな声に新城はまた顔を顰めたが、青島は今度も気に止めることもなく、テーブルに片腕を置いて身を乗り出した。
青島の顔には興味津々と書いてある。
「新城さん、結婚すんですか?」
「そうなるな」
「なんすか、その他人事な言い草は」
突っ込みながらも、青島は笑顔だった。
幸せな話を聞くのは嫌いではない。
「いつ結婚すんですか?婚約はいつ?あ、それよりも、相手は?どんな人?出会いは?お見合いっすかね?」
「芸能リポーターか、お前は…」
呆れ顔で言って溜息を吐くと、新城はグラスに口をつけた。
「婚約したのは一月前だ、入籍はまだ決まってない」
「一月前?最近じゃないっすか。水臭いなぁ、言ってくれればお祝いしたのに…」
言ってから、ふと思い出す。
新城が青島を誘うようになったのは、丁度一月ほど前からである。
何か関係があるのだろうかと思ったが、新城のような男でも結婚を前にすれば心境の変化くらいあるのかもしれない。
そう考えるとちょっとおかしかったが、言えば怒られると思い、青島は何も聞かないでおいた。
だから、新城の心境の変化がどんなものであったか、青島が知ることはなかった。
「政略結婚だ、特にめでたくもない」
淡々と新城が言った。
投げ遣りになっているわけでも、嘆いているわけでもなく、ただ事実を述べただけの単調な口調だった。
青島は少し顔を顰めたが、新城ならそういうこともあるかもしれないとは思っていたから、驚きはしなかった。
「そうっすか」
青島も平坦に返したら、新城がちらりと視線を寄越した。
「罵らないのか?」
「何を?」
「お前なら好かないだろう、政略結婚など」
「そりゃあ、まぁね」
青島は遠慮なく頷いた。
正直に言えば、政略結婚など青島だったら絶対にごめんである。
だが、青島と新城では立場が全く異なる。
例え、青島からすればなんの魅力も感じない無益な結婚でも、新城にとってはそうではないのだ。
「あんたはあんたなりの方法で、上を目指してんでしょ?男として、それは理解できますよ」
ビールを啜りながら答えると、新城は少しだけ目を見張ったがすぐに無表情に戻る。
「あんたと呼ぶな」
「はいはい、新城さんね。新城さんさ、今回の見合いが初めてってわけじゃないんでしょ?」
新城の年齢で独身だったのだから、これまでも良い縁談くらいあったのだろうと思った。
「ちがうが?」
それがなんだと問われて、青島はやんわりと微笑んだ。
「じゃあ、やっぱり、結婚を決めた人は特別な人だったんですよ」
唯一の選択肢で、仕方なく決めた結婚ではない。
これまでの縁談で決められなかった結婚を、決められる相手と巡りあったということだ。
「形なんて、どうでもいいじゃない。要は、新城さんとその人が幸せになりゃーいいんですよ」
恋焦がれて結ばれなくとも、幸せになる方法はいくらでもある。
青島はそう思っていた。
新城は無表情に青島の話しを聞いていたが、やがてシニカルに笑った。
「お前は他人事にも前向きだな」
「良いことでしょ?」
「余計なお世話だ」
「ん、まぁ、お節介だとは良く言われますけどねー」
舌を出して悪びれると、青島は新城の前にグラスを差し出した。
「おめでとうございます」
少しの間のあと、新城は鼻で笑いながらも、グラスを持ち上げた。
思えば、新城と乾杯をしたのは初めてである。
そんなことをする日が来るとは夢にも思っていなかったが、悪い気分ではなかった。
ビールを飲みながらそんなことを思っていると、先にグラスを置いた新城が言った。
「人のことより、お前こそどうなんだ」
「俺?俺は結婚なんてまだまだっすよー」
青島は苦笑しながら、首を振った。
恋人すらいないのだから、結婚など考えようもない。
それに今はまだ、そんなことを考えられる状態ではなかった。
ずっと一緒にいたい人はいる。
けれど、それが叶うことは一生ない。
「やめろ」
唐突に言われて、青島は首を傾げて新城を見た。
何を制止されたのか分からなかったのだ。
新城は鬱陶しそうに言った。
「辛気臭い顔をするな」
言われて、目を丸くする。
「そんな顔、してました?」
「ああ」
「そうっすかね…?」
青島は自分の頬を撫ぜながら、眉を八の字にした。
そんなつもりは無かったが、無意識に憂鬱な気持ちが外に出ていたのかもしれない。
尤もらしい言葉で繕う。
「ほら、結婚ってわりとデリケートな問題でしょ?早くしないと親もうるさいし、考えなきゃとは思ってんですけどね」
「室井さんはいいのか」
この男はいつも唐突である。
青島は動かしていた箸を止めた。
今になって室井の話題を持ち出すのかと内心で苦笑する。
こちらが構えている時には少しも匂わせないくせに、油断しているといきなり噛みついてくる。
だが、噛まれた傷は浅く、青島は動じなかった。
新城がそんなことを聞く理由を考えないようにしながら、青島は笑みを作った。
「室井さんの人生プランなんか、俺が知るわけないでしょ」
「あの人も縁談くらいあるだろうな」
「そうかもしれませんね」
「いいのか、室井さんが結婚しても」
「いいも悪いも、俺には言う権利ないでしょ」
口に出して言ってから、言葉を間違えたことに気付いた。
「…俺には、関係のないことでしょ」
言い直すと、新城はいつものように無表情に青島を見つめていたが、すぐに青島から興味を失ったように視線を逸らした。
「そうか」
それだけで、その会話が終わってしまう。
話しを振ったくせに突っ込んではこない。
新城が何を考えているのか知らないが、青島もこの話しを続けるつもりはなかった。
「それで?相手の人はどんな人なんすか〜?」
「…女だ」
「当たり前でしょ。もっと具体的に」
「髪の長い女だ」
「いや、だから、もっと他にっ」
青島は笑いながら思った。
―室井さんの結婚が決まったら、こんなふうに笑っていられるだろうか。
新城は大きな荷物をベッドの上に下ろすと、深い息を吐いた。
例えタクシーを降りてからの短い時間とはいえ、自分よりも体格の良い男を運ぶのは、やはり重労働である。
一息吐いて、ベッドの上に大の字に転がる男を見下ろした。
「…おい、青島」
呼び掛けると、薄っすらと目を明ける。
まだ寝てはいなかったらしい。
「あー、ここどこっすかぁ?」
寝惚けたような声で青島が問う。
「私の部屋だ」
「新城さんのー?」
頭を持ち上げる仕草を見せるが、実際はほとんど持ち上がらず、ベッドに沈んだままだった。
それに気付いたのか、青島が笑う。
飲みすぎたかなーとしまりなく笑う姿は、どこからどう見てもただの酔っぱらいだった。
「調子に乗って飲むからだ」
冷たく言ったが、怒っているわけではない。
わざとに飲ませたのは新城だったからだ。
酔い潰すつもりで飲ませた。
青島は新城の思惑通りに酔い潰れてくれただけである。
新城が優秀なのか、青島が無防備過ぎるのか。
今にも寝そうな青島を見れば、青島が無防備なせいのような気もした。
「スーツくらい脱げ、皺になるぞ」
新城が溜息混じりに忠告すると、だるそうな腕を持ち上げて、上着のボタンを外す。
ネクタイも緩めるが、緩めるだけで引き抜かずに放置し、ワイシャツの裾をスラックスの中から引き抜いた。
新城は顔を顰めたが、だらしない着替えに呆れたからではなかった。
―あんなものが、なんだっていうんだ。
視線をそらしながら、自己嫌悪する。
青島なんかを意識してしまう自分が腹立たしい。
それは何度も思ったことで、今更だと分かっている。
新城は無表情を保つと、乱暴に青島に布団をかけた。
自分で脱げないなら着たまま寝ればいいのだ。
スーツがしわくちゃになったくらいで、人間死にはしない。
「んー…」
青島が気持ち良さそうに唸った。
眠りに落ちる手前か。
新城はじっと青島を見下ろした。
今なら、聞けるかもしれない。
一度だけ、ちゃんと青島の口から聞きたいことがあった。
聞けずにいたのは、聞き辛いからではない。
聞けば、青島が悲しい顔をするからだ。
「青島」
「ん〜?なんですか〜?」
間延びした、力ない返事が返ってくる。
両目をぼんやりと開き、新城を見上げていた。
「室井さんを、好きなのか?」
そう尋ねた声は、自分の声なのかと思うくらい静かな声だった。
責めたいわけでも傷付けたいわけでもない、新城はただ青島の口から事実を聞きたかっただけだ。
そうしたら―。
「好きですよ」
青島が笑って言った。
脳裏に何が見えているのか、嬉しそうに、幸せそうに、笑っている。
酔いが青島から理性を奪い、素直にさせたのだろう。
青島は本当はこんな顔で室井を想っているのだ。
それを知れれば、新城には満足だった。
「そうか」
「好きですけど…」
唇に笑みを浮かべたまま、青島は目を閉じた。
閉じた瞼が小さく痙攣し、眉が寄る。
光を遮るように目元に翳した腕で表情が隠れてしまうが、薄く開いた唇は少しだけ歪んでいた。
その唇で小さく呟く。
「もう、ちょっと、しんどいな…」
これも青島の本音だ。
新城は青島の胸までかけていた布団を、頭の上まで引っ張り上げた。
「寝ろ」
短く言い放つと、何故か小さな笑い声が返ってきた。
だが、青島はそれ以上何も言わない。
少しの間の後、寝息を立て始めた。
新城は溜息を吐くと、ベッドの縁に腰を下ろす。
布団に埋もれた青島を見て、馬鹿な男だと思った。
諦めるつもりなら、もっと潔くすればいい。
引きずれば辛いのは自分ばかりである。
報われない恋ほど意味のないものはない。
新城はそう思っていた。
選択肢は二つしかないのだ。
諦める。
諦められないなら、口説き落とす。
青島なら可能性が低くたって後者を選びそうなものだが、室井に対しては遠慮があるのかもしれない。
変な約束なんか交わすからである。
大事なものがあるから、壊せない関係。
新城に言わせれば不毛でしかない。
この二人は叶うか叶わないかも分からない約束を、大事にしすぎるのだ。
そんなものより価値のない気持ちならさっさと放り出してしまえばいい。
だが、青島はそれも出来ずにいる。
馬鹿な男だともう一度思って、新城は自嘲した。
「バカは私も一緒か…」
呟き、青島を見る。
布団に隠れて姿は見えず、その盛り上がった布団に手を伸ばす。
一瞬だけ躊躇って、布団の上から青島に触れた。
そこに肉体があるだけ。
新城に触れられるのは、ここまでだ。
ぽんぽんと軽くその体を叩き、新城は立ち上がると寝室を後にした。
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