「あなたが青島をいらないのなら、私がもらいます」
新城の一方的な宣戦布告を受けて、一夜開けた。
室井はアラームが鳴る前に目覚ましを止め、ベッドから這い出る。
寝起きは最悪だと言っていい。
ほとんどまともに眠れなかった。
寝ていないのに寝起きの良し悪しもないが、今日も長い一日になると思い気が重かった。
昨日はあれから、極力新城のことは頭から追いやって過ごした。
捜査の最中に余計なことを考えているとろくなことがない。
それでも、部下に二度同じ質問を繰り返したため、体調が悪いのかと心配されてしまった。
動揺を引きずっていなかったとは言えないかもしれない。
やるべきことをやり、遅くに帰路についたが、それからが最悪だった。
JRに揺られながら、昼間の新城とのやりとりを思い出した。
思い出せば、また疑問が沸き起こる。
何故新城が室井にあんな話を打ち明けたのか、わからない。
室井に何を言わせたかったのか。
新城が青島を好いているのなら、室井になど言わずに本人に言うべきだ。
室井に告げる意味がない。
それとも新城には意味があったのか。
だとしたら、どんな意味があったのか。
室井の気持ちを確認したかったからだろうか。
だが、室井の気持ちなど、新城には全く関係がない気がした。
新城が気にしなければならないのは室井の気持ちではなくて、青島の気持ちのはずである。
新城が青島を好きならば―。
考え出したら止まらない。
室井は顔を洗って、鏡を見ながら溜息を吐いた。
夕べからずっと似たようなことを考え続けている。
だけど、室井がどんなに考えたところで答えが出るはずがない。
全ての答えは、新城でなければ分かるはずもない。
―そもそも、新城は本当に青島を好きなのか。
室井の最大の疑問はそこだった。
だが、室井が新城の気持ちを疑う理由も特にないはずだった。
強いていえば、あれだけ嫌っていたくせに今更、というくらいだ。
人の気持ちなど、いくらでも変わる。
ましてや、以前の新城の青島に対する強い執着ともとれる嫌悪は、愛情表現に通じると取れないこともない。
プライドの高い新城が惚れたと自ら言うのだから、室井はそれを信じてもいいはずだった。
そんな嘘を吐いて室井を騙したところで、新城にメリットがあるはずがない。
だが、信じられない。
どうしてか、どうしても信じられない。
仕舞いには、そんな自分すら疑問に思う。
新城が青島を好きだ。
それさえ飲み込んでしまえば、室井自身大分落ち着けるはずだった。
青島を好きだから、室井に宣戦布告をし牽制をしただけ。
そう納得できれば、疑問も大分減る。
だが、どうしても納得できない。
大体、室井に牽制したかったのだとしたら、それもまたお門違いだ。
室井と青島の間には、新城が疑うようなことは何もない。
あるはずがないのだ。
室井も青島を男である―それを言えば新城もだが。
室井にとって青島は特別な存在だが、それは絶対的な信頼関係に由来するものであって、新城が疑うような理由からではない。
―疑うような理由。
「俺が…青島を?」
ネクタイを絞めながら、眉間に皺が寄る。
「そんなばかな…」
自分が青島に傾倒している自覚はあるが、それは心の支えであり憧れであるからだ。
それはもしかしたら恋心に近い感情なのかもしれないが、全く同じであるわけがない。
だって、室井も青島も男である。
仮に室井も新城と同じような気持ちを青島に対して抱いていたとしても、青島はモノではない。
貰う貰わないという表現はおかしい。
青島が新城のモノになるかどうかは、青島自身が決めることだ。
決定権は新城にはない。
もちろん、室井にだってあるわけがない。
青島を蚊帳の外に置いて、新城が室井を牽制しても意味がない。
そう無意味なことと思い、靴を履いていた手が止まる。
新城はいつまでも青島を蚊帳の外に置いておくつもりはないのだ。
だからこそ、「もらう」と言った。
良く考えればすぐに気付くことなのに、他に考えることがありすぎて、今の今までちゃんと考えてもみなかった。
新城は青島を―。
「どうしたいんだ…?」
新城が室井に告げた意味ばかりを考えていたが、そこを見落としていた。
新城の気持ちなど、新城にしか分からない。
だが、新城が青島を本気で好きだと仮定して、惚れた相手とどうなりたいか、惚れた相手をどうしたいかを想像することは、それほど難しいことだろうか。
室井は靴を履く短い間に、ぐるぐると考えた。
惚れた相手がいたら、できたら自分も相手に好いてもらいたい。
好いてもらったら、できるだけそばにいたい。
そばにいることを許されたら、触れ合いたい―。
当たり前の欲望に直結すると、室井は開いていないドアに、額を思いきりぶつけた。
「…っ」
痛みに蹲るが、顔が真っ赤に染まったのは、痛みのせいではなかった。
新城は、青島と、そうなりたいのだ。
そうなるということはつまり青島と―。
何を想像したのか、室井は更に顔を赤くし、しばらく立ち上がれなかった。
―新城が青島に惚れている。
それが、とんでもないことだと、今更気付いた。
***
「青島君、電話」
出かけようとした瞬間に魚住に声をかけられて一応足は止めるが、思わず嫌そうな顔になる。
面倒くさいなぁと思ったことが顔に出たのか、魚住は受話器を押さえて、ニヤリと笑った。
「出た方がいいんじゃない?」
「誰っすか?」
「二号機」
小さく言われて、青島は目を丸くした。
そのあだ名自体は随分懐かしい響きだが、電話の相手まで懐かしくは思えない。
新城からの電話と聞けば尚更出たくないが、名指しできた電話を先送りにしても良いことは何もなかった。
しぶしぶ席に戻り、電話に出る。
「青島ですけど…」
『遅い』
電話に出るのが遅いと仰っているらしい。
第一声がそれだから、青島が電話に出たくなくても当然かもしれない。
青島は見えない相手に向かっていーだをした。
「何かと忙しいんですよ、所轄も」
『警察が暇なわけないだろう』
「でも、暇に越したことはないでしょ」
警察が暇=平和な証拠だ。
事件に刺激を求めてしまう悪い癖のある青島だが、平和を望まないほど警察官としての自覚がないわけではない。
やりきれない事件を見聞きするたび、当たり前のように胸が痛んだ。
夢みたいなことを言うなとまた嫌味の一つも言われるかと思いきや、意外にも新城から嫌味は返ってこなかった。
『それはそうだな』
挙句、同意されたりして、青島は酷く驚いた。
『お互い暇じゃないんだ、簡潔に用件を言う』
驚いている青島を置き去りに、新城は勝手に話を進める。
『今夜、20時に六本木の駅に来い』
「はい?」
『仕事があるなら、私に呼び出されたと言って抜けて来い』
「は…」
『分かったな?』
分からないとは言わせない勢いの新城に、青島は思い出したように慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、そんな一方的な…」
『嫌なのか?』
ストレートに聞かれて、返事に困る。
嫌なのかと聞かれれば、嫌に決まっている。
どんな用事か知らないが、本庁でも所轄でもない場所に呼び出されるのだから、仕事ではないだろう。
第一仕事なら、いくら新城でもここまで乱暴ではない。
ちゃんと袴田を通してくるはずだ。
プライベートでまで新城と顔を合わせたいとは思わない。
青島が躊躇っていることに気付いたのか、新城が言った。
『来なくていいのか?』
思わせぶりな言い方に、青島の眉が寄る。
「何が言いたいんですか」
『室井さんのことはいいのか?』
「……何が言いたいんですか」
繰り返した青島の声は、低くて重かった。
青島を呼び出して室井の話しをしたいと言っているのか。
それとも、来ないと室井に青島の気持ちをばらしてやるとでも脅しているのか。
新城が何を求めているのか分からなかったが、室井のことで新城の言いなりにならなければならない理由が、青島にはなかった。
青島は絶対に室井への気持ちを認めない。
認めないのだから、新城の挑発に乗るわけにもいかない。
先日は新城の安い嘘に易々と騙され露骨に動揺してしまったが、誰だって新城が室井を好きだなんて言い出したら動揺するに決まっている。
そう思うことにして、青島は相変わらず白を切り通すつもりでいた。
正直に言えば、室井の何の話しがしたいのかは気になるが、だからと言って、新城の言うことを聞く気は全く無かった。
ややしばらく沈黙して、新城が呟いた。
『今のは聞かなかったことにしてくれ』
青島はまた驚いた。
驚いて、意味なく受話器を見つめる。
もちろん新城が見えるわけがない。
新城が前言を撤回した。
声にいくらか後悔すら滲んで聞こえた。
再び受話器を耳に当てると、新城の声が聞こえた。
『別に取って食いはしない。飯を食うだけだ』
新城に食事に誘われている。
はっきりと誘われているのに、それを自覚するのにいくらかかかった。
衝撃に言葉もない青島に、新城は繰り返した。
『…嫌なのか?』
嫌なのかと聞かれれば嫌なはずだったのだが、今度は何故かそうとも言いきれなくなった。
ただ会って食事がしたい、あの新城が青島にそう言っているのだ。
不思議なことに、そこに悪意や敵意は感じられなかった。
驚きが勝っているせいもあるかもしれないが、はっきりと嫌だという感情は感じられなくなっていた。
「嫌…ではないですけど…」
『出て来られるか』
青島の気のせいでなければ、新城に都合を聞かれている。
「……多分、大丈夫です」
『20時に六本木だ』
そう言うと、電話が切れた。
変な顔で受話器を見つめる青島に、魚住は首を傾げた。
「新城さん、なんだって?」
なんだと聞かれても、答えるのが難しい。
そんなことは青島の方が知りたかった。
新城の用件がなんだったのかといえば、食事の誘いということになるのだろうか。
そもそも新城が青島を食事に誘ったという事実が、既に意味不明である。
「なんか……良く分かりません」
受話器を置いて首を捻ると、魚住が苦笑した。
「また何かやらかしたんじゃないの?青島君」
「そんなんじゃないっすよ」
青島は曖昧に笑うと時計を確認し、何時に署を出ようか時間を計算し始めた。
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