捜査会議が終わり、個別待機を言い渡された刑事たちが一斉に会議室から出ていく。
室井は会議室に残り、捜査資料を睨んでいた。
殺人事件で立った特捜ではあったが、事件発生から三日経ち、解決の兆しもないまま同一犯と思われる殺人が再び起こってしまった。
連続殺人事件にとなり、導入される本庁刑事も増え、本部の規模が大きくなった。
「早くなんとかしないと、上がうるさくなるな」
言ったのは、捜査一課長の一倉である。
室井は資料を睨んだまま頷いた。
「分かってる」
早期解決を目指すのは警察官として当然のことだが、解決が遅くなれば上層部が黙っているはずもなく、それが煩わしいのもまた事実だった。
連続殺人であればこれ以上被害者が出ないとも限らないし、また上層部に変な口を挟まれる前に、解決してしまいたかった。
「情報が少ないな…」
室井が小さく溜息を吐くと、一倉は席を立った。
「ま、次の捜査会議までには、もう少し分かるようにしておく」
刑事たちに発破でもかけるつもりか、 一倉も会議室を出て行こうとして、ふと足を止めた。
室井を振り返り、苦笑する。
「また何かやらかしたのか?」
なんだと?と思い眉間に皺を寄せ一倉を見て、会議室に入ってきた新城に気が付いた。
「なんだよ、室井はもう交代か?」
新城はちらりと一倉を見て、鼻で笑った。
「冗談じゃない。これくらいの事件、さっさと片付けてもらわなくては困ります」
後半は室井に向かって言った。
聞きようによっては励ましに聞こえなくもないが、言ったのが新城だから十中八九ただの皮肉である。
「捜査一課も暇ではないでしょう?早期解決、期待してますよ」
今度は一倉に向かって言った。
言った後に、口角をあげたりするから、腹立たしい。
一倉は一瞬顔を顰めたが、苦笑した。
「ま、それが俺たちの仕事だからな、やることはやるよ」
ヒラヒラと手を振り、一倉は会議室を出て行った。
広い会議室の中、新城と二人きりになる。
「…それで、何か用か?」
「用がなければ来ませんよ」
新城は室井の席に近付くと、鞄の中からファイルを取り出し、室井の前に差し出した。
「今回の事件に関係があると思われる資料です」
何故そんなものを新城が、しかもわざわざ捜査本部まで乗り込んできて室井に渡すのか。
新城なりに室井のことを認めてくれているのは知っているが、だからと言って「親切」と言って差し支えないような行為をされた事は過去にない。
素直に受け取ったものの、訝しげに新城を見上げる。
新城は室井をじっと見下ろして、嫌味に笑った。
「いつかのお返しですよ」
「なに?」
「いつだったか、室井さんの関係のない捜査本部に、わざわざ資料を持ってきてくれたことがあったでしょう」
それのお返しだと言われて、室井も思い出した。
随分前のことだが、湾岸署で起こった事件の時に、捜査一課の管理官だった新城に対して、室井も同じようなことをした。
それのお返しだと言っているらしい。
そう言われても、府に落ちない。
何故今更という気もするし、大体新城がお返しなどと気にするとも思えない。
それ以前に、あの時のことを新城が感謝しているとは到底思えなかった。
何しろ、室井はあの時、ただの親切心で資料を持って行ったわけではない。
誰かに任せたって構わなかったのにわざわざ湾岸署まで足を運んだのは、湾岸署に青島がいたからだ。
新城に青島のことで話しておきたいことがあったから。
ただそれだけだった。
そんなことは、新城が気付いていないわけがない。
であれば、益々新城がお返しなどしてくれるとは思えない。
どんどん疑心暗鬼になっていく室井を知ってか知らずか、新城は面白くもなさそうに言った。
「今回はあなたの相棒がいないからやる気がでませんか」
室井の眉間に皺が寄る。
「青島がいようといまいと、私のやらなければならないことは変わらない」
「誰も青島の話しなんかしてませんがね」
眉間の溝が深くなった室井を、新城は鼻で笑って続けた。
「相棒と聞いて真っ先に浮かぶのがあの男ですか」
「何が言いたい」
未だに所轄寄りな室井を非難したいのかと思ったが、新城が持ち出した話題は少しズレていた。
「相変わらず、青島にべったりですか」
「なんだと?」
「随分傾倒しているようで」
冷ややかな新城の声に腹は立つが、新城の言葉を否定するつもりはない。
傾倒していないとは言えなかった。
室井にとって青島の存在は、出会ってから何年も経った今でも特別だったからだ。
警察官でいる以上、室井には無くてはならない存在だった。
それがただの上司と部下の枠をはみ出していることは自覚しているが、新城にそれを咎められる覚えはない。
新城には全く関係のないことである。
しかも、五年も前から、新城は室井と青島の関係を知っている。
当時は露骨に嫌味を言われたが、最近では特に何を言われるわけでもなかった。
それなのに今更、わざわざ自身に関わりのない特捜本部に足を運んでまで、室井に一体何を言いたいのか。
それが分からなかった。
「わざわざ嫌味を言いに来たのか?」
そんなわけがないと思いながらも、そうとしか思えず尋ねた。
「暇なのか?」
室井なりの、精一杯の嫌味だったが、新城は意に介したふうもなく無表情に言った。
「まさか。確認したいことがあっただけです」
「確認したいこと?…私に?」
訝しげな室井をじっと見つめ、新城は言った。
「あなたは青島をどう思っているんですか」
聞かれた意味が分からなくて、室井は眉を寄せる。
「どう、とは?」
青島は室井が誰よりも信頼を寄せる警察官である。
それを不愉快に思っていたのは、五年前の新城だ。
そんな答えを、今更新城が欲しがるとは思えない。
新城が何を聞きたいのか、室井は相変わらず分かっていなかった。
「ストレートに聞いたつもりなんですがね…」
呆れたように失笑する新城にムッとするが、それに文句を言う隙も無く新城は続けた。
「青島に恋愛感情があるのかと、聞いてるんですよ」
今度の質問はさっきよりも更にストレートだった。
さすがの室井でも、ここまではっきりと聞かれれば、意味は理解できる。
理解できたからこそ、室井は目を剥いた。
「恋愛感情…?」
まるでその言葉を初めて聞いたかのように、聞き返す。
―恋愛感情?
頭の中でも反芻した。
言葉の意味を知らないわけでは、もちろんない。
恋愛感情とは普通は異性に働く特別な感情である。
室井にとって青島は特別だが、恋愛感情は異性に働くはずだから、同性の青島に働くわけがない。
当たり前のことである。
だから、新城に言われるまで、考えてみたこともなかった。
そのせいか、いきなり言われて驚いたせいか、心臓がバクバクと高鳴っていた。
そのまま固まっていた室井は、新城がずっと見つめていたことに気が付いて、慌てて「何をばかなことを」と口の中で呟いた。
「ばかなこと、ですか」
動揺している室井を見下ろす眼差しは、特別な色を一切見せない。
ただ、いつもと同じように、無表情に室井を見ていた。
いつもと変わらなく見えるのに、射抜くような視線に何故か責められているような気がして、室井は落ち着かないまま言葉を探した。
「青島は、男だぞ」
「知ってますよ」
「だったら何故…」
そんなことを聞くのだと思ったが、その先の言葉を飲み込んだ。
―そう見えるから、ということか?
そんなばかなと思う。
室井が青島とすみれの仲を下世話に勘繰ってしまったように、新城も室井と青島の仲を勘繰っているのかもしれない。
仲とまではいかなくても、少なくても室井の気持ちは疑っている。
だが、相手は青島で、男だ。
そんな誤解は、室井の誤解よりもずっと的外れだと思った。
「ばかなことを…」
もう一度呟くと、新城が少しだけ唇を歪めた。
「つまり、青島に興味はないと言うことですね」
「…当たり前だろ」
新城が言うような意味では、青島に興味などない。
あるわけがないのだ。
室井が知る室井は、青島に恋愛感情を抱いたことなど一度もない。
少なくとも、室井はそんな自分を知らない。
だから、否定した。
室井の否定を受けて、新城は笑みを浮かべた。
「ならば、私がもらっても差し支えないですね」
今度こそ言われた言葉に驚いて、室井は絶句した。
言葉は出ないが、頭の中は騒がしい。
―貰う?誰が?誰を?
新城の言葉を理解できなかったわけではない。
信じられなかっただけだ。
「私が冗談を言うと思いますか」
室井の胸中を読んだのか、新城はそう言った。
つまり本気だと言うことだ。
室井はようやく新城の言葉を飲み込んだ。
飲み込んで、呆然とした。
「君は……青島のことを好きなのか?」
「理解して頂けましたか」
わざとらしく笑う新城に腹を立てる隙もない。
室井の中は、新城が青島のことを好きだという事実でいっぱいである。
新城の言葉を飲み込んでなお混乱したままの室井を、新城がじっと見つめてくる。
その視線は室井に何らかの言葉を求めているようにも感じられたが、生憎と室井の口からは何も出てこない。
視線をぶつけたままの短い沈黙。
不意に興味が失せたように、新城が室井から視線を逸らした。
「あなたにその気がないようで、安心しました」
それだけ言うと、踵を返す。
用事は済んだらしい。
室井の意思を確認できたから、用事は済んだのだ。
室井にその気がないと知ったから、室井が青島を好きではないと知ったから。
―そうしたら、新城はどうする気なんだ?
脳内に浮かんだ疑問に、咄嗟に声をあげる。
「新城っ」
新城が足を止めて、振り返った。
無言で見つめられて言葉を促されていることは分かるが、呼び止めたくせに室井には言うべき言葉が見つからない。
「…なにか?」
冷めた声はいつもの新城の声だが、妙に心に突き刺さった。
何かがおかしいと思った。
新城が青島を好きだと言う。
それ自体、確かにおかしい。
晴天の霹靂とはこのことで、有り得ないとさえ思った。
思うが、新城が青島を好きだと自分の口で打ち明けているのに、その気持ちを室井が否定することもおかしい。
否定できるわけがないのだ。
新城の気持ちを、室井が知るはずなど無い。
新城がそう言うからには、それが事実なのだ。
そもそも、新城がそんな嘘を吐くメリットが見当たらない。
だが、何故それを室井に告げたのか。
室井の意思を確認したかったから?
ならば、確認してどうしようというのか。
室井が青島のことを好きではないのなら新城は―。
「さっきも言ったはずですよ、室井さん」
室井の疑問も聞かずに、新城が答えをくれた。
「あなたが青島をいらないのなら、私がもらいます」
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