■ 深淵(4)


青島が報告書を書いていると、横から手が出てきて、机の上にカップラーメンが置かれた。
「夜食、食べない?」
振り返ればすみれがいる。
カップラーメンとすみれを見比べて、青島は首を傾げた。
「なに?これ」
「カップラーメン」
「いや、じゃなくて」
「お腹空いてない?」
「…くれるの!?」
露骨に驚いたら、すみれは唇を尖らせた。
「やっぱりやめる〜」
折角置いてくれたカップラーメンをまた持っていこうとするから、青島は慌ててその手を止めた。
なんだか分からないが、くれるという物は何でも貰っておきたい青島である。
食いしん坊のすみれが食い物をくれるというのだから驚きはしたものの、いらないわけではもちろんない。
ましてや、夜勤中で腹は空いている。
取り繕うように愛想笑いを浮かべる青島に、すみれは仕方がないというふうに手を離した。
「ありがとう」
「いーえ」
「……でも、なんで?」
有り難く頂戴し蓋を開けながら、素直に尋ねる。
「昨日のお礼」
割り箸を割った青島の手が止まる。
「昨日、室井さんと一緒にご馳走してくれたでしょ?」
「あー……いや、でも、ほとんど出してくれたの、室井さんだよ?」
確かに全て室井に支払わせるのは悪いと思ったので折半しようと申し出たが、結局は端数を青島が出したくらいでほとんど室井が精算してくれた。
「大丈夫。今度署に来たら、室井さんにもカップラーメンあげるから」
真顔でそう言うすみれに、青島は半笑いになった。
その時の室井を想像したら、ちょっと可笑しかったのだ。
すみれにカップラーメンを差し出されたら、さぞかし困るだろう。
すみれは自分の席に座ると、自分の分のカップラーメンを手に椅子を動かし、青島の背後にピタリとくっ付いた。
「ところで、青島君さー」
「んー?」
ズルズルと麺を啜りながら生返事をするが、声をかけてきたくせにすみれからの返事がない。
青島は汁を一口飲んで、首だけで振り返った。
「何?」
すみれは珍しく言い辛そうに考え込んでいるようだった。
「すみれさん?なんか悩み事?」
カップラーメンを手にしたまま椅子ごとを振り返ると、すみれと向き合う。
何かまたトラブルでも抱えているのだろうかと心配になったのだが、すみれは苦笑した。
「ううん、私は全然悩んでないんだけど」
「あ…そう」
そうあっさり否定されると、青島も拍子抜けする。
悩みがないことはいいことだが。
「私はないんだけどさー」
すみれは箸を動かして無意味にラーメンを掻き回しながら、青島を横目で見た。
「青島君こそ、悩んでない?」
そう聞かれて青島は驚いた。
図星を指されたと思って驚いたわけではなく、予期せぬ質問だったから驚いただけだった。
「俺?何もないけど…なんで?」
否定はしたが気になって聞いてみると、すみれはますます言い辛そうにしていたが、やがて意を決したように真剣な顔でカップラーメンを机に置いた。
そして、辺りを見回す。
夜勤中の刑事課には、青島たち以外は誰もいない。
それを確認すると、すみれは口を開いた。
「青島君さっ、もしかしてさっ」
妙に力が入っているすみれに、青島は軽く身体を引いた。
「な、なにさ」
「室井さんのこと、好きなんじゃない?」
一瞬頭が白くなり、何を聞かれているのか分からなくなったが、それはほんの一瞬だけだった。
青島はすぐに笑みを浮かべる。
「そりゃあ、好きだけど…」
「別に上司としてとか、人間的にとか、そんな意味じゃないわよ」
そんなことは今更確認するまでもないと、断言される。
「他にどんな意味があんのさ」
呆れたように言いながら、青島は箸を動かした。
その箸ごとカップラーメンをすみれに奪われる。
「ちょっとっ、自分でくれたくせに取り上げないでよ」
「ちゃんと白状したら返してあげる」
ぴしゃりと言い返されて、困った顔になった。
「白状もなにも…」
「室井さんのこと、特別な意味で好きなんじゃないの?」
彼女らしい単刀直入な聞き方に、青島もさすがに表情が変わった。
「…なんでそんなこと、思ったわけ?」
直接的な言葉ではないにしろ、新城にもそれらしいことを言われている。
自分の何が露骨で、すみれにそう思わせたのかが気になった。
第三者の新城やすみれの目から見てそう見えるということは、室井が気付かないとも限らない。
他の誰かになら気付かれたところで、何をばかなと笑い飛ばし誤魔化せるが、さすがに本人に感付かれでもしたら困る。
失恋し、ふられること自体は、どうだっていい。
好きだと気付いた瞬間から、青島自身は既にそうだと決め付けている。
それが今更はっきりしたところでどうということもない。
青島が一番恐れているのは、気持ちを知られて今の室井との距離が変わってしまうことだ。
嫌われるのも避けられるのも重荷になるのもごめんだった。
そう不安に思って聞いたのだが、すみれからの返事に青島は脱力した。
「だって、青島君、室井さんに私とのことを疑われた時に、凄く否定してたじゃない」
「…そんなことで?」
青島は苦笑した。
すみれの指摘どおり、室井に「仲がいい」と言われた時には、すみれとは仲間でしかないということを強調した。
事実そうなのだが、確かに少し強く言いすぎたかもしれない。
すみれが勘繰る程度には、不自然だったようだ。
「あれって、室井さんに疑われたら困るからじゃないの?」
「すみれさん、想像力豊かだなぁ」
「誤魔化さないで」
またぴしゃりと言われて、すみれが本気で言っているのだということが分かる。
青島は肩を竦めた。
「疑われたら、困るでしょ。本当に何もないんだし」
「それはそうだけど、あんなにムキになる必要ないんじゃない?」
「別にムキになんてなってないよ」
「他の誰に疑われた時だって、もっと軽く聞き流してたわよ」
すみれが疑わしそうな視線を向けてくる。
過去には真下や雪乃、湾岸署の連中にはすみれとの仲を疑われたことがある。
そのたび、事実では無いから否定はしたが、どこか噂を楽しむくらいの余裕はあった。
それなのに室井に対してだけ強く否定したのは、室井に対して特別な感情があるからではないのかと、すみれは疑っているらしい。
「室井さんが好きだから、恋人がいるって誤解されたくなかったんじゃないの?」
「だから、そうじゃなくてー」
「なくて、なによ」
「だから……それこそ、すみれさんの方が困るかもしれないでしょ」
「なんで私が困るのよ?」
すみれが怪訝そうな顔で見てくる。
青島は「だって…」と呟いてから三秒ばかり沈黙して、続けた。
「もし、室井さんがすみれさんを好きだったりしたら、変な誤解されたら困るでしょ」
すみれは呆気に取られたようだったが、すぐさま冷たい視線を寄越した。
「青島君、バカ?」
「…失敬な」
「室井さんが私を?ばかばかしい。どこをどうしたらそうなるのよ」
どこをどうしたらと聞かれても困る。
青島だって頭の片隅を過ぎっただけであって、真剣にそんなことを考えていたわけではない。
すみれが青島から感じとったように、室井がすみれに特別な感情を持っているという、そんな素振りを室井から感じとったわけでもない。
ただ、そんな可能性だってなくはないだろうと思っただけだ。
少なくても、室井はすみれを嫌いじゃない。
嫌いな人の全快祝いをしてくれる人などいないし、室井はそれほど人付き合いも良くない。
例えば、今は違っていても、確実な好意があれば、もしかしたらこの先恋愛感情に発展しないとも限らない。
そんなことがあれば、室井に変な誤解をさせたら悪いと思ったのだが―つまるところ、青島も想像力を豊かにしていただけだった。
根も葉もない、なんの根拠も無い、青島の妄想に過ぎなかった。
「室井さんが私を、なんて有り得ないわよ」
溜息を吐いたすみれに、青島は首を傾げる。
「なんで言い切れんの?」
「だって…」
言いかけて、今度はすみれが沈黙する。
青島の顔を見てもう一度溜息を吐いた。
「とにかく、無いから」
「だから、なんで」
「大体私の方こそごめんだわ」
言い捨てて、カップラーメンを返してくれる。
有り難く受け取るが、既にラーメンは少し伸びていた。
「室井さん、いいと思うけどね。ほら、すみれさんの大好きなエリートだよ?それに、真面目だし…ちょっと融通きかないけど…まぁ優しいし…」
ラーメンを箸で悪戯についばみながら、ごにょごにょと呟く。
本音ではあったが、何故すみれに室井を押し売っているのか、自分でも良く分からなかった。
失恋していると決めてかかってはいるが、まだ忘れられたわけでもない。
これですみれと室井が本当に付き合いだしでもしたら、青島は辛い思いをすることになるだろう。
そんなことは簡単に予想がついた。
―俺ってば……マゾ?
ズルズルと麺を啜ったままの状態で、すみれと目が合う。
「青島君、本当に違うの?」
「あはりまへれひょ」
飲み込んでから、青島は笑った。
「男同士だよ?それこそ有り得ないよ」
「……そっ」
ふいっとすみれは青島に背を向け、机に向かいカップラーメンを啜り始めた。
「すみれさん?」
声をかけても振り返らない。
青島は肩を竦めると、またラーメンを啜る。
誰も見ていないその眼差しは酷く暗かった。


室井への気持ちは、当分変わらないだろう。
変えられそうにない。
だけど、ちゃんと心の納めるべき場所に納めなければならないのだ。
今はできなくても、その日が来るまで隠し続けるしかない。
誤魔化し続けるしかない。
そんなふうに思わなければならない自分の気持ちを、少しだけ不憫に思った。
それでも、青島には、自分の恋心よりも大事なものがある。

いつか室井は警察のトップに立つ。
その日が来ることを青島は頑なに信じている。
青島の望みは、ただ一つ。
その瞬間まで、室井の味方であり続けること。


***


すみれはのび始めたラーメンを啜りなから、内心で憤慨していた。
怒るようなことではない。
すみれが怒ることなど何もないのだ。
だけど、ムカムカする。
寂しげに笑う青島が腹立たしかった。
―青島君、自分がどんな顔してるか、気付いてないのかしら。
室井の名前を呼ぶ時、室井の名を聞く時、青島の豊かな表情が硬くなる。
目が暗くなる。
それは一瞬で、すぐに青島は上手に誤魔化してしまうが、すみれの目には誤魔化しきれているようにはとても見えなかった。
―あれで、室井さんは何も気付いていないのかしら?それとも知ってて放置してる?
だったら殺してやると思い箸を止める。
すみれの表情が一瞬にして凶悪になるが、すぐに力が抜ける。
―な、わけないか。あの男が青島君の気持ちに気付いてて、あんなに普通にしてられるわけないもんね。
大体室井がそういった方面に敏いとは、到底思えない。
むしろ、疎いだろう。
―室井さん、自分のことですら、疎そうね。
汁まで飲み干すとカップラーメンを机に置いて、本日何度目かの溜息を吐いた。
―何やってんのよ、室井慎次め。
青島君をどうにかしてあげられるのはあの男しかいないのにっと憤る。
室井にしてみれば濡衣だが、すみれからしてみれば青島を悲しませる室井は許せない。
―室井さんの甲斐性なし。
八つ当たりを通りこし、最早言い掛かりだが、憤慨したすみれは脳内で室井を罵倒する。
室井がもう少し敏く、器用で、恋愛事に対しスマートに対処できる男であれば、受け入れるにしろそうでないにしろ、青島をいつまでも悲しませたりはしないだろう。
そう考えてみて、それは既に室井慎次ではないなぁと思い直し、無理な要求だったとすぐに反省した。
すみれはもう一度溜息を吐き、天を仰いだ。
室井の気持ちなどすみれの預かり知らぬところだが、あれだけ青島に執着している室井が青島に対して何も感じていないとはとても思えなかった。
見ようによれば、室井の方が青島に恋をしているようにも見える。
だが、青島は自分のことで精一杯なのかそんなことには気付いていないし、室井自身はそんな自分を自覚しているのかどうかも怪しかった。
―室井さんは青島君をどう思ってんのかしら…。
ぼんやりとしていると、後ろから手が伸びてきて机の上に飴が乗っけられた。
振り返ると青島が笑っている。
「ごちそうさま」
お礼のつもりらしい。
すみれは青島をじっと見つめて、やがて苦笑した。
「飴だけ?」
青島が顔を顰める。
「カップラーメンのお礼に多くを求めない」
「はーい」
素直に頷いたすみれに笑って、青島は仕事に戻っていった。
すみれも仕事に戻らなくちゃと思いつつ、頭の中は室井への恨み言で相変わらずいっぱいだった。










NEXT

2007.9.18

あとがき


青島君は割り切っているつもりで割り切れていなくて、
平気そうな振りをして苦しんでいる…ような感じでしょうか。
そんな感じに見えますか?(滝汗)
どうだろう…;

すみれさんもじれったくて、じりじりしております。
というか、室井さんを逆恨みしております(笑)
いや、でも、鈍すぎるのも罪だ!ということで。ねっ。(どこまでも青島君至上主義)


なんだか、上手くお話が進みません…。
回りくどいというか、鬱陶しいお話になりそうな予感!(が、するなら、なんとかしようよ;)

またも、新城さんの出番なし!
次こそは、新城さんに華麗に嫌味の一つでも飛ばして頂きたいところ!(ん?)



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